welcome to the hell

 古よりヨーロッパに伝わる伝説がある。

 1500年前、世界は恐怖の渦に飲み込まれた。
 それは魔界より降臨せし魔王による人間界の支配。
 恐ろしい姿をした魔物達が人の肉を貪り食い、女子供が泣いて許しを請うても聞き入れはしない。
 泣いて、叫んで、豚のような悲鳴を上げろと。人々は迫り来る魔物たちに日々脅え、来るべき明日より今日は良いと言い聞かせ生き続けた。
 だが全ての人の心が諦めに支配されそうになったある日、ひと欠片の勇気を持って打倒魔王に立ち上がった者が現れる。
 4人の従者を従え、剣を取って立ち向かう勇者。
 神の奇跡と言うべきか、激しい戦いの末に勇者は魔王を打ち倒し、人間界に再び平和が訪れることとなった。

 勇者の奇跡、新しい時代の幕開け。
 何処かにありそうなファンタジー小説よりも陳腐な、古臭い内容だ。
 魔王が降りてきて人間達を苦しめていたが、勇者が倒して平和が戻る。
 しかし、こんな伝説が今でもヨーロッパの一部で語り継がれていると言うのだから、もしかしたら事実なのかもしれない。もう殆んど覚えている者は居ないが。
 忘れた頃に災難と言うのはやってくると言うが、もしも魔王が現代に蘇ったらどうなるだろう。
 きっとこれを論議した場合、意見は二つに分かれるだろう。進歩した科学力で人間達が勝利するという予想、悪魔達の人智を超えた力で伝説が再び蘇るという予想。
 前者の場合勇者に当たるのはアメリカあたりが有力だろう、きっと核兵器でも打ち込んで「人類の勝利だ!」と言うに違いない。
 では後者の場合どうだろう、今の世界に勇者と呼べる人間が何処に居るだろうか。たった一人でも魔王に立ち向かうだけの動機と、勇気があるものが現れるだろうか?
 どちらの予想も実際に魔王が現れなければ実測できない、しようがない。
 それ以前にわざわざこんなことを真面目に議論する人は居ないだろう。
 所詮伝説、私もそう思っていた。
 今思えば、この世界は魔王を必要としていたのかもしれない。人類共通の敵、その存在を。
 もしも魔王が今の人間を見たらこう言うだろう。

 「愚かな人間ども」と。

 その街は火の海だった。
 敵の空襲を警告するサイレンがけたたましく鳴り響き、爆撃機から投下された爆弾が炸裂。金属片がばら撒かれ家屋の窓ガラスが割れて散る。ナパーム弾による火の勢いは更に増してゆく。
 爆撃機が街の上空を飛行し、凶器を落としながら悠々と飛行している。
 空軍基地からジェット戦闘機が基地から出撃しようとするが、敵の戦闘機が発射したミサイルが滑走路および管制塔に着弾。戦闘機は飛行能力を失い、管制能力も消え去った。
 地下壕に逃げ込みやり過ごそうとする人々、真っ赤な街中を必死に逃げ惑う人々、逃げ場を失いその場で立ち尽くす人々、倒壊した家屋の下敷きになって絶命する者。
 ここセルビア王国首都ベオグラードの城下広場は死体の山で埋め尽くされ、侵略軍の兵士が罪も無き人々を物言わぬ死体へと変えてゆく。
 地獄絵図、まさにその言葉が相応しいような光景。
 そんな中でこの王国を象徴し、行政機関の中枢であるベオグラード城にも侵略軍の魔の手が迫りつつあった。
「お父様っ、お気を確かに!」
 血だらけのベッドに横たわる男の傍で、顔を濡らして泣きじゃくる若い娘。男はわき腹に深い銃創を作っており、大量の出血が余命をカウントダウンしている。
 娘は戦闘で瀕死の傷を負った父親の腕を握り、彼に言葉をかけ続けた。が、徐々に暖かさを失ってゆくその腕は、悲しくも男の命がまもなく尽きることを意味している。
 現実を受け入れられない少女は、それでもただひたすらに声をかけ続けた。それはもう声が枯れるほどに。
「お父様っ、どうか死なないでください!」
 虫の息で目を見開いた男は、最後の力を振り絞って娘に言葉を伝えようとする。
「泣くなルミナスよ……、私はもう逝く。だがこの国を救うために、王女としてのお前に頼みたいことがあるのだ……」
 そう言葉を発すると、むせ返って血を噴出してしまう男。
 目の焦点が定まらなくなり、もはや彼には娘の顔すら見ることもかなわない。
「姫様、もはやこの城も落ちます。速やかに脱出しなければ」と、執事が警告する。
「もう少しだけ待って! はい、お父様。私は、ルミナス=エンキュリオール21世は、お父様のお言葉を確りと心に刻む準備が出来ております」
 父親の顔を見て頷く。血の気が引いていた。
 男は今度こそ最後の力を振り絞って、伝えなければいけないことを口に出した。
「お前には教えていなかったが、この城の地下には代々王族が保存してきた隠されし地下宮殿がある。そこへ行くのだ、我々の最後の切り札がある。詳しいことはバトラーが知っている」
「はい、お父様」
「民を守り国を救え。それが21代女王、ルミナス=エンキュリオールの使命だ……」
「………………………………はい」
 男の腕にはもうすでに暖かさは無くなり、力強かったはずのその腕は、単なる骸の一部と化した。娘は叫ぼうとするが、敵に位置を知られることを恐れたために叫ぶことは許されなかった。
 震える手を押さえつけるように少しの間うつむいたあと、ドレスで濡れた顔を拭い、二本の足でその場に立ち上がった。
「バトラー、行きましょう。地下宮殿への案内をお願いします」
「承知いたしました……」
 二人は王の寝室を後にし、隠されし地下宮殿へと向かった。

 ベオグラード城、地下宮殿。1000年以上前から此処に存在すると言われる宮殿。
 地下特有の静けさとひんやりとした空気、コウモリが群れを作って鳴いている。時折何処からか雫の落ちる音が響き、執事が持った一本の松明が洞窟内を薄暗く照らしていた。
 洞窟内の人工物はかなり老朽化しており、宮殿と言えど風化した遺跡といったほうが説明するには容易いほどの状況。歴史的価値はあるので保存には努めていたが、まったく効果がないと言っていい。
 千の時を刻んだ大理石の柱が、その全てを物語っている。
 王の寝室から秘密の通路を通って此処まで来た二人は、岩で作られた椅子の前で立ち止まった。
「姫様、こちらです」
 執事の指した先には白い岩の椅子と一冊の書物。
 岩の椅子を触ってみると、僅かに湿気を感じ取ることが出来たためにこれは岩塩で出来ていると分かる。岩塩は塩だけに湿気を吸収するからだ。
 確認する限りではそれ以外に気になるものは無いが、なんせ薄暗い洞窟の中なので何があるか正直分からなかった。目の前の障害物を避ける位ならできるが、全貌をつかむことはできない。
 すると執事は松明を持って低めの柱へと歩いてゆき、備え付けられた松明に火をつけて回った。
 洞窟内に光りが灯ってゆく、そして、その姿をあらわにしてゆく。
「これは……?」
 地面には岩塩の椅子を中心として描かれた巨大な魔法陣。
 読み取ることの出来ない古代文字が所々に書かれており、薄暗い洞窟でもはっきり分かるような赤い塗料で描かれている。科学技術が発展している現代とは思えないような光景。
「お父様は最後の希望を目覚めさせると仰っていたけど、一体何をしろと言うのですか?」
「姫様は小さい頃に聞かされていなかったでしょうか、伝説の勇者という話を」
 その昔、魔王がこの世界を支配していた時代、一人の勇者が魔王を打ち倒して平和を取り戻した。
 ルミナスは確かにその話を父から聞かされていたのだが、そんな非現実的なことを信じるような彼女ではなかった。比較的どうでもいい、絵本の中だけの話だと認識していた。
「まさかその勇者が此処に眠っているとでも言うの? そんな冗談をお父様が言うはずありません」
「お父様は決して冗談を言っていたわけではありませんし、此処には勇者など眠っているはずもありません」
 ほっと胸をなでおろすルミナス。死に際に冗談を言うほど父親が陽気ではないことは彼女が良く知っていたが、まさかと今不安に思っていたところである。
「姫様、申し訳ありませんがナイフで指先を切らせていただきます」
「えぇっ!?」
 執事は素早くナイフを取り出したと思ったら、まるで手術をする医者のような手さばきでルミナスの指先に切り傷をつけた。突然の出来事にその場で立ち尽くしてしまうルミナス。
 ナイフが鋭かったために切り口はいたって綺麗なもので、痛みもほとんど感じなかった。指先からは赤い血液が地面に滴り落ちている。
「何をするのバトラー!?」
「儀式です、復活の儀式です」
 訳のわからない執事の回答に困惑の色を隠せないルミナスだが、事は思いのほか順調に進んでいるようだ。
「先ほどの話の続きですが、あの伝説には続きがあります。勇者に打ち倒されこの世に封印された魔王は、その400年ほど後にとある人間との契約によって人間界に復活を遂げます」
「まさか、魔王を復活させてはならないのでは」
「話は此処からです。その魔王と契約して復活させた人間、その名を『アレクサンドル=エンキュリオール』。エンキュリオール家初代頭首であらせられます」
「そんな、まさか」ルミナスは驚きの表情を見せる。
 間もなく周囲に異変が発生した。突如地面に描かれた魔法陣がマグマのように真っ赤な光を放ちだしたかと思えば、先ほどまで灯っていた松明が風も無いのに全て消えてしまっていた。
 岩塩の椅子に置かれた書物が突風があるわけでもないのにページが開かれ、あれほどうるさかったコウモリたちが不気味に沈黙している。洞窟内の気温も急激に下降した。
 滴り落ちた血は地面に吸い込まれ消えており、魔法陣の光りは更に強くなるばかり。
 なんということか、さっきまでストーンヘンジ同然だった地下宮殿の人工物が、全て光り輝く銀色の宮殿へと変わっているではないか。
 ルミナスは余りにも大きな変化の渦の中で、立つことを忘れてその場にへたり込んだ。
「何なの……、何が起こっているの?」
 すると突然、ルミナスの耳に何者かの声が入ってきた。
「我の眠りを覚まさせる者よ、貴様の名を名乗るのだ」
 エコーのかかった声。ルミナスは自分のことを指差して、執事にそれを確認する。首が縦に振られた。
 深呼吸した後に彼女は再び立ち上がり、自らの名をはっきりと言い放った。
「私はルミナス=エンキュリオール21世、セルビア王国の誇り高き王女である!」
 20代セルビア王の父は死んだ、よって自動的にその娘であるルミナスが王となる。彼女はそれを受け止められるように、または確認するように叫んだ。
「確かにその名を確認した。我を必要とするエンキュリオールの子孫よ、我血族の契約を持って今此処に復活する。我が名を答えよ」
 名を答えよと言われて困惑するルミナス。無理も無い、彼女はその存在が一体何なのか知らないのだ。
 だが恐らく知らないのではない、知っていても彼女は気がついていないだけだった。昔から語り継がれる伝説の一文、何度も話してもらったのだから記憶のどこかしらに残っているはず。
 彼女は思い出した、先祖が契約した魔王、勇者に封印されし伝説の魔王の名を。
 眠れない夜に母が、悲しくてどうしようもない時に父が話してくれた、勇者伝説の最強最悪の敵の名を。
「魔王……ヴェーデルハイムッ!」
 そう叫んだ瞬間、一面は真っ赤な光で包まれた。
 目が潰れるかと思うほど強い閃光。とっさに目をつぶり、その光が収まるまでさえぎる腕をどかさなかった。
 徐々に光が弱くなってゆく。そして光が完全に消えるのを感じると、彼女は恐る恐る目を開いてみる。
 すると目の前には黒い影、岩塩の椅子に腰掛ける人影が存在した。
「………………………………」
 真っ黒で大きなとんがり帽子、来ていたのは真っ黒な軍用コートで胸元はきっちりとネクタイが締められていた。
 紫色に輝く髪が風も無いのに靡き、とんがり帽子には不釣合いな金色の王冠を見せ付けている。
 何時の間にか松明の火は灯っていたのだが、それでも洞窟内は薄暗い。
 そんな中でその人間の目は赤紫色に光っており、鋭い目つきがルミナスを突き刺しているようで怖かった。まるで殺意が向けられているようだ。
 何処からどう見ても異様な風貌の男、彼は何事も無かったかのように頬杖をしながら目の前に座っている。
「俺は魔王『ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタ』。はじめまして、エンキュリオールの王女よ」
 突然の出来事に唖然としてしまうルミナスであったが、すぐに正気を取り戻した。
 いきなり魔王が目の前に現れるなんてわけが分からない。だが手品か何かにしてはたちが悪すぎる。
 ルミナスがまず疑うことから始めるのはごく自然のことであった。
「あなたが魔王ヴェーデルハイム?」
「起こしておいてなお疑うか、まあ無理も無いのだがな」
 だるそうな素振りを見せながら椅子から立ち上がるヴァン。
 直立するとかなり背の高い男のようで、数字で言うならおよそ190センチは軽くありそうだ。
 大きなあくびを一つ、とても恐怖の大王と恐れられた存在には見えない。
 しかし彼から発せられるオーラ、雰囲気といったほうが適切なそれは確かに禍々しいものを感じずには居られなかった。明らかに人間のそれとは全く違う。
「エンキュリオール家とは血族の契約により、主の願いを何でも聞いてやることになっている。ルミナスと言ったか、お前は俺に何を望む?」
「それはつまり、願いを聞いてやると解釈していいのね?」
「間違っていない」
 後が無いルミナスは父親が賭けた可能性、彼の可能性を信じることにし、現在の状況を大まかに説明した。
 現在、このセルビア王国は隣国の「モンテネグロ共和国」によって軍事的侵略を受けている。
 ことの発端は数カ月前、アメリカを中心とした経済危機によって、世界は第2次恐慌といわれるほどの大恐慌に見舞われた。
 中国、EU、アメリカはもちろんのこと、ロシア連邦も無視できないダメージを負い、これからも危機が続くだろう。しかし、東欧諸国の事情は想像を絶するものだった。
 ただでさえ経済的に有利でない東欧がこの経済危機に耐えられるはずもなく、このセルビア王国を始め、モンテネグロ共和国も深刻な危機に陥る。特にモンテネグロはEUのユーロ暴落に伴い失業率が急激に増加、政府への不満が最高潮に達したと同時に軍部の急進派がクーデターを開始。最終的には政府は政権を奪取され亡命政府となり、モンテネグロ共和国は疲弊した東欧を征服すべく、周辺国家に軍事侵略を開始した。隣国であるセルビアにも魔の手が及ぶのはすぐだった。
 今思えば健闘していた。セルビア20代王であるレオニード=エンキュリオールの類稀なる作戦指揮能力によってモンテネグロ軍の侵攻を食い止め、周辺国家が陥落していく中、一番最初に攻撃を受けたにもかかわらず最後まで抵抗を続けることができた。だがそれも時間の問題であり、1ヶ月前から戦況は悪化。最前線にて指揮を執っていたレオニードの負傷をきっかけに、侵略軍はセルビアの首都ベオグラードに侵攻を開始する。
 それがここまで来るまでの経緯である。ルミナスは正確にその事実を述べた。
「なるほどなるほど、それで俺に助けを求めたわけか」
「このままでは国が滅ぼされてしまう……。あなたは、魔王ヴェーデルハイムは力になってくれるの?」
 口元がニヤついたと思えば、再びルミナスの目に突き刺すような魔眼が向けられた。
「我に何を望む。我は大いなる力を持って主の力となることを約束するが、力を使うのはお前だ。それを理解するうえで再び問おう、我に何を望む?」
「願えるのならば……敵を排除し国を救い、民を守り国を守って」
 ルミナスは迷い無く即答した。
「承知した。我強力を持って敵を排除し、大いなる力で国を救ってやろう」
 不気味な笑い声を上げながら地上への階段へ歩き出すヴァン。その後姿は確かに魔王の存在を感じることが出来る。禍々しく、それでいて高貴で、力があふれ出ている。
 ルミナスは思った。彼はやれる、やってしまうと。恐ろしいほどにあらゆる想像を超越してやってしまうのではないかと直感的に感じた。
「王女様は安全なところへ非難して、ベオグラード外に居る残存兵力の指揮を取れ。これより敵戦力の掃討作戦を開始する」
「そんな、この状況では撤退戦もいいところです」
「俺が掃討戦といったら掃討戦なんだ。私の眠りを妨げる怖い物知らずの豚人間共を駆除することを、俺は撤退戦とは呼ばない」
 迎撃ではなく掃討、こんな絶望的状況にあって魔王は自信満々にそう言い放った。自信があるという問題ではない、絶対的な確信があるようだ。いや、むしろ幾多の人間を捻りつぶすことくらい造作も無いことだと思っている。
「バトラー……、彼は本当にできるのでしょうか」
「彼はやりますよ。なんせ魔王ですから」
 そして魔王は洞窟の闇から姿を消した。

 ベオグラード城正面玄関。
 すでに進入を開始したモンテネグロ軍は、城内の防衛部隊を完全に制圧していた。
 シャンデリアが輝くエントランスホールは殺された兵士の血液で赤く染まり、美しい美術品の数々は飛び交っていた銃弾によって粉々に砕かれている。
 敵兵はホール内で入念なクリアリングを行い、残存兵力の掃討を行っていた。
 そんな地獄と言っても間違いない中、負傷した防衛軍兵士の中でわずかに息をしている女兵士が居た。
「……う」
 声にならない声は幸いにも敵兵には聞こえない、だけども被弾した際にできた深い銃創から出血するおびただしい量の血液は、彼女の死期が刻々と迫っていることを教えていた。人間の全血液量の2分の1以上が出血致死量と言われているが、彼女の出血はもうそれを超えている。
 全身に力が入らない、隙を見て逃げ出すことも出来ない。敵は動くすべての目標に対して容赦なく銃口を向けるだろう。
 彼女はベオグラード城親衛隊の隊員だが、運悪くも今日配属されたばかりの新米兵士であった。
「チームAは上層階を探索、Bは中層階を中心に探索せよ。生存者は見つけ次第殺せ、隙をつかれて死ぬのも胸糞悪いからな」
「こちらチームA、生存者無し。王女はまだ見つからないのか? オーバー」
「イエス、王の寝室と思われる部屋にも確認できません。他にも内部構造図を見て隠れていそうな場所をあたりましたが一向に見つかりませんね」
 敵兵達は王女様を探している。
 サラは王女様を守りたくてこの親衛隊に志願した、家計を支えることも目的であったが、彼女にはいくら礼をしても足りないほどの恩があるからだ。
 なのに自分は守ることが出来ない、立ち上がって王女様を救いに行くことができない。
 悔しさと血液だけがあふれ出て、もうどうしようもないのかと諦めかけたその時だった。
「邪魔だ邪魔だ、ぶち殺すぞ人間」
 突然の銃声、それも非常に大きなもの。
 次の瞬間階段を上って右側の扉の向こうから赤い肉片が飛び出してきた。
 普通の銃ではこうならない、恐らくは大口径の対物ライフルを人間に撃ったのだろう。
 そして扉から出てきたのは黒ずくめの男、大口径の対物ライフルと軽機関銃で武装した魔王ヴェーデルハイムことヴァンであった。
「ただでさえ美しかったこのエントランスが、血だらけで更に芸術的になっているな。ここはなんと言う美術館だ?」
「敵勢力確認! 撃ち殺せっ!」
 敵兵がヴァンに向かってライフルの銃弾を浴びせる。完全に命中した、ヴァンの体に確かに命中した。
 兵士は1マガジン撃ち切る。だが彼は肌に傷一つ無い状態で、全く顔をゆがめることなく直立していたではないか。
 ヴァンは無言で対戦車ライフルの銃口を敵兵に向け、そして躊躇無く弾丸を撃ちはなった。
 人体に着弾したかと思えば敵兵は瞬間的に肉片へと変わり、おびただしい量の血液がエントランスの床を更に赤く染める。本来戦車などの厚い装甲板を貫通するための鉄鋼弾を何の躊躇もなく、むしろ歓喜に満ち溢れた表情で人体に打ち込む。
 さらに軽機関銃で手当たり次第に敵兵をなぎ倒す。トリガーハッピー。
 敵兵も必死の抵抗をするが全くの無意味である。トリガーを引いて銃弾を打ち続けることも、死を待つことも同義であった。
「相変わらず弱い、昔の騎士の方がよっぽど勇敢で強かったぞ」
 そんなことをぶつくさ言いながら階段を下りてゆくヴァン。
 すると運がいいことに、彼は倒れていたサラがまだ生きていることに気がついた。
 倒れているサラの近くにしゃがみ込んで、ライフルの銃口でつついて見る。
「死体か……いや腐ってはいない。生きてるなお前? 寝てないで早く起きろ、あの世に逝く前に戦争だ」
 ヴァンはサラの体を仰向けにしたと思えば、彼女の胸に手を当てて呪文のようなものを唱えだした。
『魔王ヴェーデルハイムの名の下に命ずる、汝逝く事を知らない骸となりて我が剣となれ』
 するとどうだろうか、サラの動いていた心臓は止まり、わずかに暖かかった体の温度が急激に失われていく。
 肌の色は蒼白となり、まるで死後何日か経ったかのような死体と成り果てた。
 はずだった。
「……あれ、死んだのかな私」
 妙に体が軽かった。その感覚はまるで天国か何処かに居るような物だ。
「今俺が殺した、そして生まれ変わったのだ。お前は歩く死体となった」
 状況が飲み込めないサラは自分の手首で脈を確かめようとする、だがそこに脈も無ければ暖かさも無いことに気がついた。それ所かここは天国ではなく現実であり、自分の体を見てみると血まみれで全身銃創だらけである。
 思わず立ち上がって驚きの声を上げた。絶叫。
「ぇえっ? ええーっ!?」
「アーアー、こちら指令本部。残存している全ての兵士に命令、これよりモンテネグロ軍に対しての掃討作戦を開始する。総員、我が剣となりて戦い続けるのだ」
 ヴァンは無線を使って友軍にそう伝達すると、血で汚れた床に正方形の絵を描きながら呪文を唱えた。
『暗黒より生まれし死神の息を受けし者達よ、我が友と共に戦い、敵の顎を食いちぎれ。死神の鎌を思うように振りかざし、我に鮮血を見せるのだ。奴等を生きて帰してはならない』
 するとどうだろうか、街から聞こえる銃声の激しさと悲鳴の数が見る見る増えてきたではないか。
 友軍の無線通信からは狂ったような笑い声が鳴り響き、もはや人間が戦っているのかどうかすら怪しくなっている。
 銃声・悲鳴・断末魔・爆発音・液体が飛び散る音全てが、まるでオーケストラのように美しく調律されているようだ。まさに統制された狂気と表現するべきだろう。
「あなたは一体誰なんですかっ?」
「我はヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタ、誇り高き魔王である」
「はあ?」
 呆れたような、それとも驚いて顎が外れたのか知らないが、サラの顔はあんぐりと口をあけていてとても滑稽な状態である。
 いきなり魔王と言われて素直に「はい、そうですか」と言えるような柔軟性を持つ人間は存在しないだろう。
 ともかく考えていても仕方が無いので、血でべったりの短機関銃を拾い上げるサラ。妙に銃が軽い、それどころか全身が羽のように軽くなった気がした。
 とにかく自分はまだ戦える、今はそれだけわかっていれば十分だと割り切ることにしたのだ。
「再び銃を取るか女、それでいい。俺について来い、これから市街地の残存勢力と合流して敵勢力の掃討に向かう。道中の敵は見つけ次第全て撃破、”zerstoeren sie alle”だ」
「は、はぁ」
 ドイツ語で「すべて破壊する」と豪語するヴァン。
 彼女はそれに半信半疑で気の抜けた返事をする、何処の誰だか知らない謎の男に。
「違う!」
 突然大声で何かを否定してくるヴァン。
 サラの顔面、息のかかるほど近くに顔をつけて睨んでくるのでサラは一歩後ろに引いてしまう。
「セルビア正規軍では上官に対する態度を教えていないのか? もう一度チャンスをやる。返事は?」
「え……あ……あぁあっ、『イエス、サー!』」
「よろしい、行くぞ女兵士。地獄は此処からだ!」
 何時から上官になったんだろうと疑問に思いつつも、ヴァンの勢いと雰囲気に呑まれて着いて行くサラだった。それになんだか怖くて逆らえそうにない。

 ベオグラード城から南へ行くとサヴァ川を渡るための橋がある。
 現在の状況で城に向かってくる敵勢力が最小限に抑えられていたのは、この要所に王国軍の残り少ない兵力が集められているためだ。
 今はモンテネグロ軍は王国軍兵士の突然の変貌によって橋の南側まで押されており、この橋さえ防衛できれば勝機はつかめる。なぜならモンテネグロ軍のほとんどの勢力がこのベオグラードに集結しているためだ。
 王国軍の変貌はすさまじい物だった。最低最悪の戦況下で突如本部から伝達された「掃討作戦」、その通信を聞いた兵士達は次々に雄たけびを上げながら敵に向かって突撃し、まるでバッファローの群れの如く敵を蹴散らしていったのだ。いや、これは魔獣と言うにふさわしい。
 敵勢力からすればこれほどの反撃は予想することが出来なかったようで、モンテネグロの兵士達は銃器を捨てて一目散に逃げていったと言う。目の色が違っていた。セルビア正規軍の人間は正気の瞳ではない。
 その時の王国兵は悪魔、いや死神といっても過言ではなかった。
「一体何なんだこれは、体から力が満ち溢れてくるぞ……。死ぬほどハッピーな気分だぜっ」
「グハハハハハハハァハッハーッ! 弾もってこい弾ァアアアア!」
 もう王国軍のテンションは最高潮、何かに取り付かれているようだ。普段は温厚な性格の兵士でも我を忘れて引き金を引く。それは正気の沙汰ではなかったが、銃口は極めて冷静に敵に向けられている。むしろ平常時よりもブレが少なく、冷静な判断ができていた。
 銃弾が行きかうサヴァ川の上、凶器が渦巻く戦場の最前線。マズルフラッシュが至る所から輝いていて眩しい。
 土嚢を積み上げて銃座を設置し、ありったけの弾とありったけの血を流しながら橋を渡らせまいと引き金を引き続ける兵士達。そんな中、ヴァンとサラは堂々と友軍の陣営に入っていった。そしてヴァンは高らかに声を上げる。
「打ち方止め! トリガーから指を放せ」
 銃声の渦中でも確かに聞こえた男の美声。
 セルビア軍の兵士達は一斉に攻撃を停止した。
 そこに立っていたのは到底人間とは思えないような重装備の男と、顔面蒼白で死にそうな顔をした女兵士。
 女兵士がサラであると気がついた分隊長は、彼女に声をかけた。
「サラ一等兵! サラ=ジェンドリン一等兵だな?」
「はいっ、加勢にやってきました!」
 そうハッキリと返事をするサラだが、分隊長の表情が曇る。
「お前が此処に来たと言うことは城は……、まさか城が落ちたのか?」
 ハッキリと首を横に振るサラ。
「いいえ、城は無事です。逆方向の進入経路を使ってきた敵部隊に城内警備部隊を全滅させられましたが、城の中から出てきたあのヴァンと名乗る人物により敵部隊は全滅。姫様も無事だと彼が言っていました」
 サラが指を差した先に立っているのは黒ずくめの男、ヴァン。
 分隊長はその異様な風貌の男を見て、首をかしげずにはいられなかった。
 唯一つ確かなこと、彼の一声で銃撃戦が止められてしまうほどに只者ではないこと。
「あの男は一体……?」
 余りにも激しい戦局の逆転、サラを含めて一旦に冷静になった兵士達が疑問に思うのは自然なこと。あれほど絶望的だった状況とはまるで違う今の状況に疑問を抱き、サラはヴァンに対して質問をした。
「一体何が起こってるんですか、さっきまで圧倒的に劣勢だった戦況がひっくり返ってますよ?」
「魔界から死神を召喚して友軍に憑依させた。これによって人でありながら人ならざる力を行使させ、セルビア軍は一時的ではあるが化け物の集団となっている」
 またまたファンタジックな単語が並べられ、死神が乗り移ったなどと訳のわからないことを言っている。
 だが正規軍の兵士達は彼の言う言葉通りの変貌振りを見せており、此処はあまり深く考えてもしょうがないとサラは諦めた。
 「第6小隊は30番道路沿いの民間人居住区に進軍している敵を叩け、民間人が取り残されている。第4小隊は北の商店街沿いに展開する敵部隊を叩け、奴等が消えれば敵戦力を分散させることが出来る。サヴァ川のティトー橋は私が全て片付ける」
 するとヴァンは突然敵軍陣地に向かって歩き出したではないか。楽しそうに笑いながら軽やかなステップで音も立てず歩いてゆく。
 やがて何処からともなく薄黒い霧が立ち込めだし、辺り一帯を包み込んだ。戦場のど真ん中であるにもかかわらず深い森のごとき静寂に包まれ、両軍の兵士は困惑せざるおえなかった。
 ヴァンに銃口を向けるモンテネグロの兵士達。戦車までもがその砲身を向けていることから、彼のことを相当警戒しているのだろう。引き金にかけた指に油汗がにじむ。
「我は恐怖の代弁者、我は憎悪の代行者。我は魔王、人知を超えた力を行使して死を与える恐怖の大王だぞ? そんなものに銃を向ける貴様等は一体何の代弁者だ?」
 モンテネグロ軍の兵士が機関銃でヴァンを蜂の巣にしようと引き金を引く。弾はまっすぐ飛んで行き、ヴァンの体に確かに命中した、命中したのだ。
 するとまたもや弾が弾かれ、あろう事か跳弾が敵兵の眉間に命中。不測の事態に続く不測の事態で、ヴァンに銃口を向けた全ての敵兵が引き金を引いた。
 蜂の巣にしようと必死に殺意を送り込む。だけどもゆっくりと迫り来る魔王ヴェーデルハイムは、戦車の砲弾さえ物ともせずにいた。
「うわぁあ嗚呼ああああ嗚呼ああああああああああああああああああああ」
 もはや声にならない声を上げて得体の知れない恐怖に支配されたモンテネグロの兵士達。それを見て楽しそうに軽機関銃の引き金を引き続けるヴァン。
「体内結界を張っているから銃弾なんぞ効かん。泣け喚け叫べ、恐怖に支配されろ。助けを請うなら鋼弾を食らえ!」
 左手に軽機関銃、右手に対物ライフル、ありえないトリガーハッピー。
 人間からすれば一人の男が一個中隊の兵士を相手にしているという非現実的な物。一騎当千とはまさにこのことだ。
 その光景を見て、サラも確かな恐怖を感じていた。
「何なの……一体何なのあの人は?」
 敵陣営のど真ん中まで歩いてきたヴァンは、戦車の前で立ち止まったかと思うと車体の下側に足をかける。すると彼は足を思い切り振り上げ、戦車をひっくり返したではないか。
 コンクリートに叩きつけられた鉄の塊が悲鳴を上げ、装甲と砲塔が自重で押しつぶされる。
 戦車の陰に隠れていた数名の兵士が下敷きになると、敵兵は恐れをなして徐々に後退して行く。だがしかし、魔王は逃亡者を許さなかった。
「逃げるなよ、豚人間共」
 魔王は容赦なく敵を殺す、それはもう掃討ですらなく「虐殺」と表現するほうが正しかった。
 対物ライフル「バレットM82A1」の.50BMG弾でミンチにされ逝く者、軽機関銃「MG43」の5.56mmx45弾で蜂の巣にされ逝く者。
 接近戦を挑もうとナイフを突きつけて来る兵士もいたが、ヴァンの重機のように強力なキックでサヴァ川の彼方まで蹴飛ばされた。
 霧のように舞う血飛沫が、川のように流れ出す血液が、事の激しさを鮮明にあらわしている。
 
 ――魔王だ、魔王が再びこの世に降臨したのだ。
 積み上げられた死体の山に立つ男。彼は大空高く声を上げた。
「俺は魔王ヴェーデルハイム、今此処に蘇った!」
 城からそれを見ていたルミナス。
 困惑・戸惑い・恐怖・歓喜、街が守られた安心感と魔王を復活させてしまった罪悪感が同時にこみ上げてきた。
「バトラー、私は……何かを間違えてはいないでしょうか」
「私は姫様に仕える者、姫様は姫様であらせられます。唯一つ確かなことは、姫様の決断で救われた人達が居ると言うことです」
 ルミナスは涙を流せなかった、泣きたかったのに。
 泣けなかった、泣いてはいけなかった。
 数時間後、セルビア王国に突如侵略してきたモンテネグロ軍はセルビア軍の健闘によって無事「殲滅」された。
 モンテネグロ軍は首都ベオグラードを陥落させるために、セルビア侵攻部隊のほとんどをそこに集めていた。そのため、ベオグラードの勢力を削がれたモンテネグロ軍は砂上の楼閣のように崩れ去ったのだ。
 民間人死傷者12500名・セルビア軍死傷者25000名・モンテネグロ軍55520名全滅。
 火の海と化していた街の火は消し止められ、焼け野原となった市街地が残った。国際的にはモンテネグロによる一方的な侵略という認識がされているが、これではもう返り討ちと言うには余りにも酷い惨状だ。
 それもこれも魔王ヴェーデルハイムが復活したことによるもの。彼は約束どおりに国を守り民を守ったが、そのやり方が余りにも残酷すぎた。
 これの光景を見て「悪」と捕らえるのかという問いに善良な人間であればそうだと答えるだろう。しかし、一眼にもそうはいえない。
 結局のところ戦争とは、誰かが死ななければ終わりなど見えてこないのだから。
 狂気の中心に居るのは何時も人間であるはずだ。