古の時、その時は世界が魔王の手から逃れてから400年の月日が流れた時である。

 人里離れた暗い森の奥。その森は魔物が徘徊すると恐れられる場所であり、特に町と町の間にあるわけでもなく、そんな所には誰も寄り付こうとは思わなかった。この暗い森は『東の樹海』と呼ばれ、その名の通りヨーロッパの東部に位置している。樹海の中心には朽ち果てた城のような建造物があり、その城とは暗黒時代を創りだした魔界の領主の住処であったと言われていた。これは単なるうわさ話ではなく、その時より400年前から伝わる魔王の伝説から推測できるものである。魔王が拠点としていた城というのがちょうど東ヨーロッパにあったとされ、そこで封印されたとすれば樹海に彼が眠っているということになる。この噂が人々を更に畏怖へ落とし込み、この森は不可侵の領域として周知されるに至った。

 そんな中、一人の男が森の奥へ足を踏み入れた。彼の名前は『アレクサンドル』といい、汚らしいローブに身を包んだ男だった。その風貌は余りにも怪しく、森の方角へ歩いていった姿を見た人々は口をそろえて「危ない奴」という感想を漏らした。しかし人間のその評価というのは思いのほか的確で、西の国で教会から目をつけられて追放された彼は、まさにこの世の終わりを蘇らせるべく、恐ろしい儀式を行おうとしていたのだ。

 森の中心にある城に着いた彼は、魔法で閉ざされた地下牢への鍵を破壊した。酷く錆び付いてはいたが魔法的に強化されており、例え巨大な破壊槌であろうとも断ち切ることはできないシロモノである。彼はその魔法を解除して中に進んだ。彼がこの恐ろしい場所へ入れたのは偶然ではなく、入念な下調べによる結果である。

 男は暗い城の中をまるで自分の城のように進んでゆく。それは強大な魔力の香りをただ伝うだけであり、それだけでも恐ろしいことだが、彼には可能であった。彼が何故魔力を察知することができるのかは彼自身も解っていないが、彼はそれが強大な力の源であることを直感的に理解し、ここまでやってきたのである。

 長く暗い螺旋階段を降りるとそこは城の地下であり、大きな空間が広がっている。そこには人間の作りしものとは全く思えない形状の宮殿があった。地下特有の静けさとひんやりとした空気、コウモリが群れを作って鳴いている。時折何処からか雫の落ちる音が響き、男が持った一本の松明が洞窟内を薄暗く照らしている。洞窟内の人工物はかなり老朽化しており、宮殿と言えど風化した遺跡といったほうが説明するには容易いほどの状況。時を刻んだ大理石の柱がその全てを物語っている。強大な力を求めてきた男は空間の中央で立ち止まった。そして、何もない空間に向けて問うた。

「我が名はアレクサンドル。お前の力を求めてここまで来たぞ、魔王よ!」

 一呼吸おいて暗闇から声が響く。その声は洞窟に響く風の音のようではあるが、確かに人語であった。

「人間……だと? 何故ここが判った。何故ここに来たのだ」

「力を求めてきたといっておろう。俺はお前と取引しに来たのだ」

「この封印を解くというのか? なんとまあ馬鹿なことを。貴様のような小さき者が私と取引できるとでも思っているのか? 仮にここで同意したとしても、私がお前を裏切らないという保証はない」

「いいや、お前は私を裏切りはしない。できないようにしたからな」

 アレクサンドルが手を叩いた。その瞬間、部屋の中央に黒い霧が集まり、その場所に岩塩で作られた玉座が現れた。その岩塩は酷く赤黒く、まるでべっとりして水分を奪われた血液のような質感。そこに魔王ヴェーデルハイムが具現化したのだ。余りにもあっけなく封印が解かれてしまったので、ヴァンさえも大笑いしながら驚いてみせた。

「なんと! これは素晴らしい、これほどまでに強力な魔力を集め、一瞬にして私の封印を解くとは。一体お前は何なのだ?」

 驚きを隠せない魔王。してやったりとした顔で迎えるアレクサンドル。そしてもう一人、暗がりから姿を見せた。魔王はその姿を見るやいなや、渋い顔をしながら彼を注視した。彼の姿に見覚えがあるのである。

 ストレートの長い黒髪。全身を真っ黒な布で作られた衣で包み、対照的に背中には白い翼が生えている。しかしその翼の片翼は無く、それが堕天使であることを表していた。どう見ても胡散臭い風貌だが、魔王の記憶にある限り、ここまで陰鬱な雰囲気を持つ天使というのは一人しか心当たりがない。

「おはようございますヴェーデルハイム。私が彼を支援しました」

「お前は確か……地の底の館の堕天使、鉄の心臓と青銅の心を持つ者だったか」

「ええ、私がタルタロスのタナトス。大いなる神の命によって、このアレクサンドルと共に貴方を復活させにきました」

 役者が揃う。彼はここまで来た経緯をアレクサンドルと共に説明した。

 魔王が封印されて以降、世界に平和が戻った。しかしそれは天使と悪魔の糧となる感情エネルギーの需給バランスが崩れてしまったことを意味しており、人は際限無く幸せになりつづけ、その数を急激に増やしつつあった。一方で天界はエネルギーの枯渇問題に直面してしまった。何故なら人は十分に幸せであり、これ以上の幸せを与えるためには更に多くの労力を費やす必要があった。やがて人の望みは愚かな欲となり、神にすらその願いを叶えてやることはできなくなった。やがて信じても救われないと悟った人々は信仰を捨て、科学にその望みを託すようになった。故に天使への感情エネルギー供給は激減し、消滅する天使が続出したのだ。

 そこで神は救世主を人間界に送った。その救世主は特別に大きな魔力を扱うことを許され、高い知性と共に強欲さを持ち、かつて世界を手中に収めたヴェーデルハイムの力を欲した。それがこの男、アレクサンドルである。通常であれば善意を持たせてそれを使命にするのが救世主というものだが、この救世主は負の感情が強く生まれ、結果的に前代未聞の救世主として生まれたのだ。

 神の作戦通り、アレクサンドルはその高い知性と悪魔的な性向によって魔王の封印を解く術式を作り出した。しかしその術式には膨大な魔力を必要とし、人よりも遥かに大きな魔力を扱える彼を持ってしても、その術式は発動できなかった。そこに現れたのがこのタナトスである。

「ほう。で、どの様に魔力を確保したのだ?」

「半島部分にある東ローマ帝国の領民を全員生け贄に捧げた。タナトスの協力でな」

 恐ろしい行いをアレクサンドルは既に実行していた。東ローマ帝国がバルカン半島に持っている領地はいくつかあるが、それを全て術式発動のための生贄にしたのだ。それも誰にも許可を取らず、一夜にして。

 感心しながら話を聞く魔王。このアレクサンドルという男は想像以上にイカれているようだが、同時に魅力的であり、少しは望みを叶えてやるに値すると判断した。

「お前は私を復活させる代わりに何を望むのだ?」

「俺を悪魔にしてくれ。そして共に未来へ向かい、お前がこの世を一つに収めた時の興奮を味あわせて欲しい」

 彼は人間を超越し、人間から搾取する存在へ生まれ変わることを望んだ。ヴァンはこれを快く承諾し、これ以降、アレクサンドルと魔王ヴェーデルハイム、そして死の神タナトスは共同歩調を取ることになったのだ。

 アレクサンドルはまず無人となった領地を奪い、そこに新たな王国『セルビア王国』を作り上げた。国王は勿論彼自身で、新たな家系ということでエンキュリオールという遠くの家名を名乗ることにした。すでに10代は続く名家であると国民に信じこませ、諸外国の代表者も偽りの国家に騙された。

 領民は西の方に居た貧しい人々、宗教的に虐げられてきた人々を迎え入れた。彼らにとってはその国は理想郷であり、すぐに国民は確保された。一部の優秀なものは、勇者の足取りを調査する秘密結社の団員となった。

 これが忌まわしきセルビア王国の成り立ちであり、終わりの始まりである。

 時は変わって現代。エルサレム攻略戦から一週間後のことである。

 地下都市べチケレクの怪しい酒場、オルギアン・パブにはいつだって悲鳴とか喘ぎ声だとかが響いており、一般人は勿論で魔術師でさえ近寄らない場所である。何故ならそこは黒魔術の本家であるベスディーロイヤ式魔術の本拠地であり、悪魔と人間が共存する恐ろしい場所である。しかし、そこには不釣り合いな人物が最深部へ続く階段を降りてゆく。その少女の髪は人間とは思えない青色であるが、顔はまだあどけなさが残る。しかし右目は眼帯で隠されており、単なる少女ではないことは明らかである。問題なのは彼女の後ろに続くように歩く女である。彼女は全身を整然としたRHKの制服で、腰まである長い髪を三つ編みでまとめており、かぶっている帽子はつばの広いとんがり帽子、その上には金色に輝く王冠がある。それは魔界の領主としての象徴であった。

 魔王ヴェーデルハイムと魔女フランシスカは、ことに囚われているある人物に用があった。彼女らは最深部の拷問部屋に監禁されており、情報を聞き出すための拷問を毎日与えていた。しかしながら彼女らは拷問に耐えるための特殊訓練を受けているのか、知りたい情報をなかなか吐こうとしないのだった。だから暫くの間は下準備としての拷問のみを与え、これから総仕上げというわけだ。

 鉄製の扉を開く。魔王の目の前にあるのは、彼にとっては心躍る楽園だった。対して人間にとっては目を背けたくなるほどの惨状が広がっていた。

「ぐくっ……あがあっ! 無理! 絶対無理だからぁっ! そんなのはいらない……いぎぃ!」

 アメリア=アモルスは目から体液を噴出させながら悲鳴を上げた。ブロンドの髪は臭い体液でぐしょぐしょに濡れており、その四肢は跡がつくほどに強く鎖で固定されている。彼女の局部は酷く充血し、その穴には余りにも大きすぎる鉄球が無理やり詰め込まれていた。

「……経過は?」フランシスカがズタ袋を被った女に聞く。

「開始から五日間、24時間体制で犯し続けています。媚薬を常に打ち続けていますので、ちょうど今が絶頂のタイミングでしょう」

 アメリアはまだ人としての尊厳を失っていない。大した精神力だが、それも今日で終わりである。度重なる性的暴行、生かさず殺さずの絶妙な栄養摂取。精神が壊れる寸前の維持。その状態をしばらく続けた後、情報を聞き出すタイミングで一気に畳み掛ける。しかも拷問の対象者が2人いる場合、その拷問は一方だけに強く与えるのだ。

 部屋の隅で歯ぎしりをしながら見ているのは姉のアマリアである。

「よう、元気かアモルス姉妹」ヴァンが気さくな挨拶をする。

「ふん、お陰様で死ねないわ。何をしようと吐かないわよ」

「妹だけがこんなにひどい扱いをされているというのに、まだそんな口を叩けるのだな。素晴らしいぞ」

 ヴァンはジャケットをフランシスカに手渡し、していた手袋をポケットにしまった。

「フランシスカ、ここで一番強い媚薬を持って来い」

「……はい、ここにあります」フランシスカは注射器を手渡す。

「ほう、どの様な効能があるのだ?」

「全痛覚を快感に変換します」

 ニヤリと笑う。ヴァンは受け取った注射器の針をアメリアの胸に深く突き刺した。その注射器の針は特別に長く作られており、薬剤を直接心臓に撃ちこむことができるのだ。アメリアは酷く苦しい悲鳴を上げる。

「いやあああああああああああやめてえええええええええええええええいたいいいいいいい」

「いい声で泣けよ雌豚。すぐに気持よくしてやるぞ」

 ヴァンは道具置き場にあった斧を持ちだした。それを大きく振り上げ、その刃でアメリアの右腕を切断した。

「いがああああああああああいもちいいいいいいいいいいいいいさいこおおお」

 切り落とした右手を拾い上げ、ヴァンはそれにかぶりついた。肉汁が白いシャツを汚す。むしゃむしゃと口を動かして噛み潰す。

「うまい。やはり若い女の肉が一番だなぁ」

「悪魔め! 外道だ外道だとは言い伝えられてきたが、本当に貴様等は外道だ! クソ悪魔め!」

「そうだ、我らは外道だ。だが私は優しいから、お前にこの美味しさを分け与えてやろう」

 ヴァンはアメリアの乳房に口付ける。その後、豪快にかぶり付きその肉を口に含んだ。よく噛んでぐちゃぐちゃになったそれを口に含んだまま、アマリアの元へ歩み寄る。そして彼女の顔にその顔を近づけた。

「何を――」と、言葉を発する間もなかった。ヴァンはアマリアの前髪を掴み、人肉を口に含んだまま彼女にキスをした。そのままディープキスへとはこび、口移しで人肉を無理矢理に食べさせた。吐き出そうと抵抗するアマリアだが、悪魔の長い舌に負けてしまい、妹の乳房を飲み込んでしまった。

「いやだ……食べ……ちゃった……」

「どうだ美味いだろう。実の妹の肉は美味いだろう。これでお前もカニバリストだ!」

 絶望に支配されたアマリア。涙さえ出ない彼女の顔面をわしづかみにして、ヴァンは特別恐ろしい声で問うた。

「さあ言え。貴様等は何処まで知っている? ベルンハルトの正体は? 天使の羽を何に使うつもりだ?」

「……大佐の言うとおりよ。あなた達の事は全てお見通し。エンキュリオール家の事も、魔王が界拘束を解くために勇者の血族を探していることも、悪魔による傭兵行為も、全世界にばらまいてやるわ」

 ヴァンは頷きながら話を聞く。どうやらセルビアが今までにしてきたことは全て漏れているようだ。しかしそんなことは既にベルンハルトの言動から察したので問題ではなく、勇者の子孫を名乗るベルンハルトの正体と、天使を捕獲しようとした理由が必要なのだ。

「天使の翼の使い道はなんだ? 貴様等の崇高な目的のために使うと言っていたが」

「お前を殺す力を作るのよ」

「ほう、私を殺すと? 具体的にどの様に殺すというのだ?」

「さあ、どうだか」

 ヴァンはフランシスカから一本の注射器を受け取る。軽く叩いて空気を抜くと、その針をアマリアに向けた。

「これはベス特製の魔法自白剤だ。別にこのような拷問を与えなくとも、この薬を投与すればお前はたちまち物のみ言う死体となる。考える器官が著しく劣化し、もはや抵抗することもできない」

「ふん……、では何故打たないの?」

「私が楽しめなくなるからだ」

 注射器の針の向く先をアメリアに変えた。ヴァンはそのまま痛みで絶頂に達し続けている彼女の胸に、その薬剤を注射した。その痛みでも再び興奮し、更に自白剤の効果が発揮されてしまった。

「あぁ……あう」もはや人語ですら無い。

「おい雌豚、天使の翼は何に使うのだ?」

 向精神薬を大量に投与しすぎたせいで、アメリアは完全に飛んでいた。自白どころか会話が成立しない。姉のアマリアはその妹の姿を見て、思わず涙を見せてしまう。さすがに訓練を受けていたとはいえ、他者の拷問を見せられ続けるなどは乗り越えるには難しかった。

「妹はもう廃人だ、役に立たない。姉であるお前が責任を持つべきではないかな?」

 アマリアは聞こえるような音で歯ぎしりをする。あまりの強さに歯が欠ける。その強さは悔しさに比例して強くなり、やがてその顎の力を弱めた。もはや生きることも死ぬこともできないのならば、ここで何をやっても無駄だろう。だがこの悪魔の手前、真実を話しても生かしておくとは思えない。だから彼女は考えることを放棄した。

「ヴェーデルハイム様、そろそろかと……」

「ああ、こいつはもう心が折れた」

 ヴァンは涙でぐっしょりと濡れたアマリアの両目に掌を当てた。心が折れてしまった彼女に出来た精神的亀裂に付け込み、マインドコントロール下に置く魔術を行うのだ。これによって自白剤では実現できない理性を保っての尋問を可能とする。

『お前は我が下僕。お前は我が食物。ある心を焼き払い、我が命に従え』

「――はい、ヴェーデルハイム様」

 瞳の光が失われた。アマリアの心は完全に虚無となり、ただ質問にのみ答える存在となった。

「天使の翼はプロジェクト・ベルクカイザー・アゲイン、以降PBAの対魔王装備のために使われます」

「対魔王装備?」

「天使の翼を触媒とした超高性能魔力吸蔵触媒を実現します。投与型魔力吸蔵触媒である”聖なる血”との併用で高い効果が得られることは、ホワイティストからのデータで実証済みです。これにより人間でも精霊級の魔力を扱うことが可能です」

 やはりホワイティストに魔力吸蔵触媒を提供したのはアメリカの連中だった。この繋がりが明らかになったことで、以前にこのベスディーロイヤ魔術の本拠地から盗まれたアリスの不死細胞調査資料の流れも鮮明になった。

「不死細胞調査資料はお前たちが持っているのか?」

「はい、PBAにおけるプロジェクト実行者の人体強化に利用されました。これにより人間の体の耐久力が大幅に向上し、年齢を最も体力のある20台に戻すことができました」

 人間はついに若さを得る術を手に入れたようだ。この内容から察するにプロジェクト実行者とは恐らくベルンハルトのことだろうが、見る限り彼は十分な体力を持っており、若さを求めることはないだろう。ということはあの姿が若さを手に入れた後のものであり、本来の彼の姿は別のものであるということが有力だ。 だが何故外見的若さにも拘ったのだろうか? 体力さえあれば姿がどの様なものであっても構わないはずだが、あえて外見も変える必要があるということだろう。

「プロジェクト実行者とはアメリカ海兵隊のベルンハルト=フォン=アーレルスマイヤー大佐か?」

「いいえ、ベルンハルトという人物は存在しません」

「なんだと?」ヴァンの眉間にシワが寄る。何かがおかしい。

「では質問を変える。プロジェクト実行者とは誰か、その名前を教えろ」

「プロジェクト実行者すなわち勇者の正統継承者は、バーグソン=アーレンス。現アメリカ大統領です」

 ヴァンは大声で、高らかに笑い出した。余りにもその答えが面白すぎたのだ。笑いながら壁をたたき、その壁にヒビが入る。余りにもおかしすぎて腹が捩れる。そう、そういうことだったのだ。

「聞いたかフランシスカ! 我が宿敵が誰か! 現アメリカ大統領だと? 最高だ、すべてが納得行くぞ」

「どういうことでしょうか……?」

「勇者の正統継承者には、戦いから無関係でいられない呪いが掛かっているのは知っているな? つまり国を率いる大統領が勇者の正統継承者である場合、国自体が戦いを回避できないわけだ。確かに昨今のアメリカを取り巻く情勢は不安定だ。そう、これが何よりの証拠だったのだ」

 最近のアメリカは戦争ばかりしている。特に最近は国防費に当てられる予算が群を抜いており、派兵先もますます拡大している状況だ。その始まりは現在のアーレンス大統領になってからであり、彼が呪いによって戦いに身を投じざるを得ない勇者の子孫であるという事は十分に納得できる。現に若返ってまで戦場に赴くあたり、通常の人間がすることではない。余程の戦闘狂いか、あるいは義務を負うものか、別の何かしか無い。

 ヴァンはしばらく笑い続けると満足したのか、拷問室のドアを開けた。

「……どちらへ?」

「この国の、真の王を呼び起こしてくる」

 フランシスカはその言葉を聞いた瞬間、その瞳孔を開いた。真の王という言葉に反応した。

「……ついに、目覚めるのですね」

「後ほど連絡が行くと思うが、まもなくセルビア国民に対して第零級厳戒令が発令されるだろう。全黒魔術師を招集し、来るべき戦いに備えるのだ」

 彼女はつばを飲んで敬礼した。ついに来るのだ、ついに彼が目覚めるのだ。

 この国には極めて恐ろしい存在が2つある。1つは魔王ヴェーデルハイム、そしてもう1つはエンキュリオールである。魔王は当然として何故エンキュリオールが恐ろしいのか。それはつまりエンキュリオールという人物が恐ろしいこととに他ならない。

 そう、初代セルビア国王アレクサンドル=エンキュリオールは、まだこの世に存在しているのだ。

 場所は変わってベオグラード城。心地よい日差しが差し込む。春の始まりよりか少し早いこの季節は、人が生きるにはちょうどいい気温だ。それもアングロサクソン系であれば少し寒いくらいのこの気候が最も良い。だがベッドに横になっている彼女にとっては、この気候は少しばかり寒すぎるようだった。

「…………」

 セルビア王国女王、ルミナス=エンキュリオール21世は疲れ果てていた。仕事に追われたというのも彼女を追い込んだ一因ではあるが、何よりも今のセルビア王国を取り巻く状況が悪すぎるのだ。

 ベルンハルトの言うとおり、ついにRHKが関わる国家的傭兵行為が国連に議題として上がってしまった。セルビアの外交官が国連の会議に出席したが、彼も余りの重圧に耐え切れず辞職したと聞く。そして国連のその会議がきっかけとなりセルビア王国には非難が殺到。EU各国からは経済制裁が決定し、環太平洋諸国からも経済的な交流は失われた。唯一残っていた東側諸国も流石に手を引き、セルビア王国は完全に孤立してしまった。このためにあらゆるエネルギーインフラも燃料の調達などで維持が難しくなり、今は限られた国内貯蓄資源で電気などをまかなっている状態だ。その孤立は経済だけにとどまらない。悪魔と契約した国民としてバッシングを受け、各宗教団体からの抗議文が殺到している。最も酷い場合は国交が断絶。国境付近ではデモ隊と国境警備隊との衝突が頻発している。セルビア人という存在が否定され、人と人との交流も失われた。それどころか、セルビア人は悪魔の子として忌み嫌われるようになってしまった。その頂点に立つルミナスは各国のメディアで取り上げられ、『狂気の魔女』として取り上げられたのであった。

「……………」

 何れこうなることは予測できた。それどころか、この運命は彼女が生まれる前より決定されていた。エンキュリオール家とヴェーデルハイムは切っても切れない関係にあり、最早この国が悪魔の国であることは周知の事実である。その場凌ぎで契約を交わしたわけではなく、一族が長期的な視点でもって契約したのだ。一般的な言い伝えで見られる愚かな契約者とは違うのだ。

 ふつふつと湧いてくる怒り。銃弾で貫かれた右肩の傷で、頭痛まで酷い。ここのところはろくな物も食べていないし、彼女は疲弊している。そう、全ては彼の存在が悪いのだと、ルミナスは完全に決めつけた。

「……出てきなさい……出てきなさいヴェーデルハイム! そこにいるのでしょう!?」

 ベッドから起き上がるやいなや大声で叫んだ。右肩の傷が開き、少しだが血が滲んだ。

「お呼びかな、ルミナス」

 ドアが開いた。黒いとんがり帽子を被った女が、ゆっくりと現れた。

「私は言いましたよね? 民を守り、国を救えと。ですがこの体たらくは何です? 状況は悪化するばかりではありませんか! それでも魔王なのですか!?」

「済まないと思っている」

 ルミナスの堅く握られた拳が解かれた。思いもよらない言葉が出てきたためだ。

「今なんと……」

「済まないと思っている、と言った。確かに今の状況は最悪だ。しかしもう少し時間をくれないか? 最終的にはこの国が立派に自立することを保証する。だからどうか、今だけは我慢していてくれ」

「策があるの?」

「いや、私には無い。だがこの状況を打破できる人物を一人知っている」

 ルミナスは奇っ怪に思う。あの魔王とあろう者が自信がないといったのだ。そして彼すらも頼るという人物が居たということに驚きを隠せない。

 するとドアが再び開いた。部屋に入ってきたのはいつもどおりの服装の執事、バトラー。彼は一礼と僅かなほほ笑みで挨拶をする。

「おはようございます姫様。体の調子はいかがですか?」

「ごめんなさいバトラー。興奮で傷口が開いてしまったので、変えの包帯を下さい」

「はい、後でお持ちします」

 違和感があった。仮にも銃で打たれたという重症のルミナスの用事を、あとで済ませると答えたのだ。いつもの気が効くバトラーならば、直ぐにでも持ってきそうなものだが。

「ごめんなさいバトラー、出来れば今持ってきて欲しいの。痛みも強くなってしまったし、起床後には消毒も必要でしょう?」

「申し訳ございません姫様。只今から姫様にはとても大切なお話があるのです」

「な……何ですか?」

 咳払いを一つ。バトラーは口をゆっくりと動かした。

「以前、姫様は私の正体について聞かれましたね? 今ここでそれにお答えします」

 グルジアでの作戦時、ルミナスは彼に正体を聞いた。しかしその時点では納得の行く回答は得られず、忙しい戦いの中で有耶無耶にされてしまったのだった。

「私は堕天使タナトス。死者が訪れる最初の世界、タルタロスを管理する死の神です」

「死の……神?」

「そして御存知の通り、私はエンキュリオール家の執事として仕えておりますが、正確にはある特定の人物にのみ仕えているのです。それは初代エンキュリオール、アレクサンドル様です」

 ルミナスは身を乗り出した。「まさか、彼は過去の人間です。現エンキュリオール家頭首は私のはず」

「いいえ、今も昔もエンキュリオール家頭首はただ一人、アレクサンドル様です」

 バトラーはゆっくりとルミナスに近づいた。雰囲気が冷たく、ルミナスは思わず身を引いた。しかし彼の速度は早く、すぐに彼女は捕まってしまった。

「何をするのバトラー! 放して!」

「儀式です。復活の儀式なのです」

 ヴァンとバトラーが協力してルミナスの両手両足を布で縛り付けた。ルミナスは身動きが取れない形となり、更にネグリジェを強引に引き裂かれ、その豊かな胸があらわとなった。思わず涙を見せてしまいそうになるが、彼女は契約で涙を奪われているためにそれを流せなかった。

 ヴァンが話しかける。その手には家宝である魔剣エンキュリアが握られていた。

「よく聞けルミナス。暫くの間、お前の魂を封印し、この魔剣エンキュリアに存在するアレクサンドルの魂をお前の肉体に憑依させる。彼の力があればこの国に希望が再び光るだろう」

「私が封印!? やめてくださいっ、私は、あなたを野放しにはできない! 私は、この国の責任者です!」

 ヴァンはニヤリと笑う。ルミナスに悪寒が走った。

「悪いがルミナス、この国の最高責任者はお前ではなくアレクサンドルだ。まあ、極悪人だがな」

「やめて……止めなさいヴェーデルハイィイイイイイイイイイイイム!!!!」

 ルミナスは体をよじらせてもがく。しかし遅かった。ヴァンは鞘から抜いた魔剣エンキュリアをルミナスの胸に突き刺し、その動きを完全に封じた。心臓を貫かれており、おびただしい量の血液が吹き出す。口から、目から、鼻から溢れる赤い鮮血が、純白のベッドを赤く染めた。瞳孔が開きっぱなしで、やがて光を無くしていった。生気が失われ、しばらくはもがき苦しんでいたルミナスの体だったが、やがてその動きを止めてしまった。

 その直後である。溢れでた血液が元の場所に集まり始めた。表現が少し複雑であるが、ルミナスの体が流れでた周囲の血液を吸い集めているという表現が正しいだろう。美しい金髪が逆立ち、同時に上半身が拘束している布を引きちぎって起き上がった。開いていた瞳孔も収束した。胸に突き刺さった剣を右手で引き抜くと、ルミナスはその刃についた自分の血液をぺろりと舐めてみせた。

「……うむ、これが我が子孫の味か。なかなかいけるじゃないか」

 目が違っていた。ルミナスにあった明るさが存在しないのだ。何処か暗く汚いものが含まれているが、それを形容することはできない。しかしそれはルミナスにも本来存在したもので、それだけが強く出た。

「おう、ヴァンにタナトス。こうやって人間として話すのは久しぶりだな」

「会いたかったぞ、アレクサンドル=エンキュリオール。お前こそ気分はどうだ?」

「うむ、良い感じだ。それも若い女の体というのが最高だ。自分で自分を犯しまくれるからな。触った感じはそうだな、これは一番犯されるのを嫌がった3番目の側室の血だな。あれはいい女だった」

「おいおい、自分の子供の母親を覚えていないのか? それは最初の側室だぞ」

「無理を言うな、術式のために666人とやったんだぞ? どの血筋がここまで来たのかなんて覚えてないね」

 裸のルミナス、今はアレクサンドルはその格好のままベランダのドアを開けて外に出た。冷たい風が吹きこむがそんなことは気にせず、アレクサンドルは両手を広げて叫んだ。

「帰ってきたぞ我が民よ、我が国よ! もう恐れる必要はない、この国に迫るあらゆる害悪はこの私が払おう!」

 くるりとヴァンの方に向き直り、その魔剣を鞘に収めた。この世で最も恐ろしい王が目覚めてしまったのだ。

「さてアレックス。何からやっていこうか」

「飯にしよう。しばらく飯を食っていなかったから、魂まで空腹だ。復活の記念に旨いものを頼むよ」

 食堂にて。巨大なテーブルの両端に座るヴァンとアレクサンドル。いつもであれば人間の使用人が忙しく歩きまわり、ルミナスの食事を用意していた。しかし、彼らの姿は無い。彼らの趣向はいたってノーマルであるため、アブノーマルなアレクサンドルの趣向には全く合わないのだ。その趣向というのは実に悪魔的なもので、つまりカニバリズム、人肉を食べるのである。テーブルに料理を運んできたのは、ヴァンが最も信頼を置く部下とされるルシフェルだ。彼女は一風変わったメイド服に身を包み、とても美味しそうな料理の数々を運んできた。その運び方も特徴的で、彼女の毛髪はヴァンと同じように触手が束になったものであり、とても長いもみあげを器用に扱って皿を持っていた。

「本日の昼食は脊髄のスープ、小腸とトマトのアラビアータパスタ。茹でた子宮とレタスのサラダでございます」

「おお、これは素晴らしい。昔は食材が貧しかったが、今ではローマの方まで行かなくとも素晴らしい食材が手に入るものな。実に素晴らしい」

 ルシフェルは目を細める。その視線の先には美味そうに人肉料理を頬張るルミナスだったものの姿。暫くの間、封印されていた彼女にとっては彼は初対面であるため、ヴァンの相棒とはいえ信用が置けなかったのと、先日まで普通の料理を食べていたルミナスの姿が重ならないのだ。ルシフェルは初めて困惑という物を知った。

「随分と美味しそうに食べるのですね、人間の分際で」

 赤ワインを片手に「とても美味しいよルシフェル。しかしよく見ると、君のその体も美味しそうな形をしてる」

 アレクサンドルは何のためらいもなくルシフェルの胸を触った。ルシフェルは悪魔なので人間と同じ羞恥心を持ってはいない。しかしこのアレクサンドル、もといルミナスから劣情を向けられるには我慢ならなかったようで、その手を掴んで自分の胸から引き剥がした。

「気安く触らないで下さいこの雌豚め。……ヴェーデルハイム様、このような者が貴方の主契約者なのですか?」

「残念ながらそうだ。これで救世主として生まれたのだから、YHVHも奇抜なことをしてくれたものだ。確かに私はこいつのお陰でここにいることができるし、ついには勇者の正統継承者も突き止めた。実に優秀な魔術師だよ」

 あまりの高評価ぶりにルシフェルは少しばかりの疑念を抱く。果たして彼はそこまで信頼の置ける人間なのだろうかと、試してみたくなる衝動に駆られた。

「止めておけルシフェル、こいつは只の人間ではない。こいつは俺と契約を結び、膨大な魔力を扱うことができる。それはつまり、我々と同じ魔法を使うことができるのだ」

「まさか、あれは人の身に余る術です。そもそも術式の理解には魔界言語が必要です」

「呆れたことにそのまさかだ。こいつは使えるのさ、魔界言語を」

「なんと……我々の言葉を理解できるのですか?」

 悪魔の使う強力な魔法は、全ての黒魔術師がその形態を真似たという魔法の始祖である。その魔法は始祖魔術と呼ばれ、人には到底扱えない膨大な魔力を必要とすると同時に、術式の理解には魔界言語を必要とする。魔界言語とは悪魔たちが本来使ってきた言語であり、極めて短い言葉の中に多くの意味を含みつつも、これらの要求能力は人間には満たせないものだが、救世主として世に生まれたアレクサンドルは、特別にそれが満たされた。つまり彼は人間でありながら魔界言語を理解することができる極めて高い知能の持ち主なのだ。

「で、勇者の正統継承者はアメリカ大統領で、俺にそいつを殺す方法を考えろと?」

「殺すのは簡単だ。総力を上げてアメリカに侵攻すればいい。しかし問題はこの国、そして契約者であるお前が死んでしまえばそれは叶わないのだ」

「そうだな、今のお前は無敵ではない。チームとしての我々は、特に無敵ではない」

「あとはお前の子孫、その娘が望んでいることだ。民を守り、国を救えと聞いた。お前に何らかの責任があるのなら、考慮してやったらどうだ?」

 アレクサンドルのフォークで人肉を突き刺し、豪快に口に運ぶ。そして、グラスのワインを飲み干す。

「ふふ……流石魔王だな。この状況で国を守れだと? 全世界を敵に回し、自国だけを守るのか? それはとても素晴らしい拷問が待っているだろうな」

 もしも自国の利益のみを優先した国があれば、その国は国際社会でどの様な扱いを受けるのだろうか。一度そのような状況になってみなければ解らないが、少なくとも良い扱いは期待できない。そのような自国民を優先する極右政治をルミナスは、国民は受け入れるだろうか?

「私は人間を知りたい。何故我々は愚かになるのか、あるいは何故我々は愚かなのか。そんな我々に与えられるべきなのはヴァン、お前の裁きのほか無い。今こそ悲願の世界征服を実現しようぞ!」

 再び注がれたワインを、2人は共に揺らして乾杯をした。2人の表情は酷くどす黒い笑みで今にも弾けそうで、ルミナスの天使の様な笑顔は何処かへと消え去っていた。そこにあるのは邪悪のみで、ヴェーデルハイムとアレクサンドルによって、世界は暗黒時代への幕開けを果たした。

「大きな戦力が必要だ。善良な市民、犯罪者問わずに人を集めてくれ。そして死神の召喚よりも強力な降霊術、『悪魔化』を実行するんだ。これで国民の生命を保証すると同時に兵士としても使える。このルミナスにも配慮した素晴らしく人格的な案だろう?」

「ああ、最高だ。NB社には既に大量の兵器を用意させている。世界大戦への準備は万端だが、今ひとつインパクトに欠けるな。軍事パレードを開催し、それを利用して世界に声明を発しようじゃないか」

「素晴らしい案だよヴァン。そしてこの城の真の姿を世に晒し、圧倒的な戦力差を魅せつけてやろう。その上で、国民に対して信を問う。一体何人が私の政策に賛成するのか見ものだなぁ」

 次々に邪悪なアイデアが浮かぶ。そのアイデアを出すたびに、2人は大声で笑った。その笑い声は城に響き渡り、邪悪な反響を生んだ。

 後日、セルビア王国は軍事パレードを開催することを世界に公表した。

「今! この世界は狂気に飲まれている!」

 本日は晴天なり。ベオグラード城の前の広場は、人集りとTV局の中継車、RHKの隊員であふれている。大量のミサイルが、装甲車が、戦闘機が並び、物々しい雰囲気だけがそこにあった。このパレードは1時間前からすでに始まっており、RHKの軍団はすでに街を練り歩き終えている。最後にこの広場にて、国王であるルミナス=エンキュリオール21世もといアレクサンドルが、世界と国民に向けた声明を発表している。彼は派手な装飾を施された魔導パワードスーツとも呼べる『肉鉄のドレス』を纏い、ベオグラード上のバルコニーから広場を見下ろす形でいた。

「終わらない経済危機、増え続ける借金、働けど働けど楽にならない暮らし、路頭に迷う失業者、広がり続ける経済格差! 我々が抱える問題は多すぎて、事実それに狂ったモンテネグロは我が国家を侵略したのは記憶に新しいと思う。だが我々は諦める訳にはいかない!」

 国民は声を上げること無く静かに話を聞いていた。だがこの中継を見ている外国の人間は、おぞましい悪魔の姿を目にして、その目を疑っているのだろう。この中継は初めて悪魔という存在を明確に放映した最初のものだろう。

「我が名はアレクサンドル=エンキュリオール、悠久の時を超えてこの世界に蘇った、この国を作りし者である。私は今、このルミナス=エンキュリオールの体を借りている。過去の人間である私が言うのだから間違いない、この世界は何も進歩していない! 人間という存在の価値は、私が生きていた時代よりも下がっていると言わざるを得ない! そこで我々が取るべき行動は、この人間という愚かな存在を鼓舞してくれる頼もしい彼らの存在だ!」

 悪魔たちが空を飛んだ。両手を広げて彼らを表現するアレクサンドル。カメラも悪魔を映し出している。その映像はインターネットを通じて世界中に配信されており、今この瞬間、悪魔とは空想の産物ではなく現実のものとなった。

「私は世界を手に入れるため、心強い友人を得た。かつて世界を恐怖の渦に落とし込んだ、魔王ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタ。私は彼と契約し、大いなる権限を得た。人間と魔王が手を組めば、この世界は我々のものだ! どうだ、世界がほしいだろう、富と安全と幸福がほしいだろう!?」

 広場に集まっている国民の声は小さい。あたりまえのことだが、世界を犠牲にして自分の幸福を得ようとすることを、素直に喜ぶのはサイコパスくらいだ。普通の善良な国民はそれを喜ばない。しかし、彼らの厳しい経済情勢から脱出する術を提示された今、アレクサンドルの意見に同調しても良いのではないかと考える人は着実に増えている。その様子を察知したかのように、アレクサンドルはマニフェストを掲げた。

「私を王として認め続けるのであれば、私は次のことを公約する。一つ、セルビア王国が世界を征服した暁には、国民一人ひとりの生活を完全に保証する。もう我々は自分のパンを得るために、汗水血を垂らして働かなくても良いのだ。その作業は植民地の奴隷にやらせれば良い。二つ、悪魔と契約し我々の剣となる者には、悪魔に匹敵する力を与える。全てを破壊し、人間を自由に殺しまわりたいと願うものは軍へ志願せよ。世界中の人間の生殺与奪の権利を与えてやろう!」

 広場の一角が非常に大きな盛り上がりを見せた。そこには刑務所で重罪人として受刑していた犯罪者達の中でも、特に殺人を犯すような残虐な人間が笑っている。彼らは王国内でも特に重大な殺人事件を起こした犯罪者であり、刑罰と称して軍に参加して貰う予定だ。アレクサンドルの軍隊に所属する兵士にとって最も重要なのは、人を殺すことをためらわず、人を殺すことを自ら進んで実行する人間だ。その点は彼らの能力が期待される。

 だが、全ての人間がアレクサンドルに同調するわけではない。むしろ殆どの国民は善良な市民であり、豊かではないかもしれないが精神的に貧相ではなかった。彼らが自分の豊かさのために他国の人間を蔑ろにできるはずがなく、世界征服を推進するアレクサンドルに敵意さえ感じた。しかし、それは彼の想定の範囲内である。

「善良な市民の反応はどうかな?」

 広場の警備員からの報告が無線で飛んでくる。「多くの国民が反発の声をあげています。そんなことが許されるわけがない、と言っています」

「ふん、正直じゃないな。知りもしない他人のことなど気にしやがって善人面か。わかった、俺が人間の本当の姿を見出してやる」

 アレクサンドルは本を手にとった。その本は地下宮殿の岩塩の玉座においてあった物で、中にはびっしりと謎の文字の羅列があった。その本の正体は生前のアレクサンドルが書き記した魔導書で、中には本来悪魔のみが使える始祖魔術の呪文が記されている。並の術者でなければ、その本自体が持ってしまう魔力に侵されてしまい、正常な思考が妨げられる。そのような危険な魔導書を開き、あるページの呪文を読み上げ始めた。

『魔王ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタの契約者、アレクサンドル=エンキュリオールが命ずる。悪魔よ、我が国民の闇に浸けこみ、其の種子をばら撒け。そして闇を力とし、その者に大いなる力を与えよ』

 呪文を唱えた瞬間、広場は静寂に包まれた。全ての国民は何かに気付かされたのだ。誰もが持つ心の闇が、悪魔が取り付くことによって増幅し、誰が間違っていて誰が正しいのかを理解することができた。全てアレクサンドルの言うとおりである、競争社会において外国人は全て敵である。自分たちに大きな力があるとすれば、それ以外の人間は足かせに過ぎない。何よりも愛する人や家族に安らぎを与えるために、全てを手に入れるのだと。

 静寂を打ち破り、一人の国民が手を上げ始めた。

「大セルビア王国万歳! アレクサンドル万歳!」

「いいぞ国民よ、皆の手で世界を手に入れるのだ! 大セルビア王国万歳!」

 大合唱だった。全ての国民が悪魔に憑かれた今、誰も彼を止めることはできない。アレクサンドルの後ろでその光景を見ていたヴェーデルハイムは、彼の行う悪魔的所業を見て心底楽しんでいた。人間誰しも心の闇を持っているものだが、このアレクサンドルは心を全て闇で満たしているに違いない。そう思った。

「さて、これからは世界に向けてのメッセージだ。恐れおののき小便を垂らすなよ? 我が盟友、魔界の領主ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタより、テレビの前の皆さんにご報告だ!」

 してやったりという顔でマイクを手渡すアレクサンドル。それを歪な笑みを浮かべながら受け取るヴァン。この2人を悪魔が回しているカメラが写し、世界中にその憎悪を振り撒いているのだ。

「愚かな人間共よ。この通り、セルビア王国は現時点をもって悪魔の配下となった! 我々はここを拠点とし、再びの世界征服を行なっていこうと思う。どうだ、恐ろしいだろう?」

 ヴァンは徐に懐から黒い箱を取り出した。その箱は携帯電話くらいの大きさで、それを開けると赤いスイッチが見えた。魔王が握るスイッチというものにどれだけの意味と恐怖が有るかはこう書くまでもない。それはとてつもなく恐ろしいことを始めるためのスイッチだ。

「ドイツ、オーストラリア、中国、イギリス、フランス、カナダ、ノルウェー、スウェーデン、インド、イラン、日本、そしてアメリカ。このボタンは先ほどの挙げた国々の各首都へ弾道ミサイルを発射するものだ。一度押せばセルビアにあるミサイルサイロから一斉に発射される」

 押した。そう述べた瞬間、ヴァンは何のためらいもなく、何の迷いもなく押した。クラグイェヴァツ方面から光の柱が上った。相当な距離があるのに、そのミサイルの弾道が光って見えたのだ。その光の筋は全方向へと伸びており、それは世界中にミサイルが飛翔したことを意味する。その映像は一切の編集もなく放映された。

「さあ人間共よ、お前たちの敵はここだ。人間同士で争っている場合ではないし、株価を気にするのも後回しだ。つまらぬ聖戦も、諍いも、戦争も何もかも止めて我々にかかって来い! 全力を国防に費やせ! 我々悪魔はお前たちの幸せを根こそぎ奪い取る! まずはそう、罪深きアメリカ合衆国、貴様等から絶望させてやろう。神にお祈りを済ませておけよ」

 禍々しい、金属を叩きつけるような笑い声が響く。その声は世界中に響き渡り、多くの人間の心を揺さぶった。揺さぶるがあまり、その心にはヒビが入るに違いない。ヴァンはそのヒビが入る音を聞き、さぞかし満足気な表情である。

 いよいよ世界は暗黒に包まれたのだ。

 パレード終了直後、アレクサンドルは玉座に着いた。セルビア上の一階に位置する謁見の間において、最も高級な位置にある椅子だ。しかしその椅子は二つも用意されており、もう一方にはヴァンが腰掛けた。これはセルビア王国が人間であるアレクサンドルの王国であり、同時に悪魔の同盟国である事を意味している。

 パレードの映像は世界中で放映された。最後の演説も同じく放映され、世界中から批判や懸念の言葉が殺到した。それは全く想定の範囲内であり、中には直接的に軍事行動に出る国もあるだろう。故にセルビアは本日を持って国際社会から完全に孤立し、輸入も輸出も為替取引も停止。多少は投資家の反感を買うと予想されたが、それに反して市場の反応は冷静だった。セルビア国内にも少なからず投資家が居るので、彼らには後日保証をしなければならないだろう。その保証がどの様な形で行われるかは決定していないが、セルビア王国は可能な限り彼らの欲望を叶えるつもりである。世界中の貨幣価値が下がることだってありえるので、金という形で与えるかどうかは判らない。

「あと一つ、我々には解決すべき事がある」

「ヴァン、その問題とは何だ?」

「間もなく血相を変えて来るに違いない。ルミナスの親衛隊がな」

 叩きつけるように扉が開かれた。そこから現れたのは生気のある人間と覇気に満ちた死体で、彼らの目にはあからさまな怒りが感じられる。そして彼らは武装しており、話しに来たというわけでもないだろう。そう、彼らは女王に最も近いRHKの親衛隊『エンプレスソード隊』である。

「どういうことですかヴェーデルハイム!」サラ=ジェンドリンが怒りに満ちた声を上げた。

「どういうこととは、どういうことかね?」

「とぼけるなよヴェーデルハイム。ついに本性を表したな。最初からこの国を乗っ取るつもりだったんだろ」

 竜騎士ベルモンド=クローディアスも黒竜の鎧を装備し、ドラゴンスレイヤーを構えている。

「この国の決定を行ったのは他でもなく、このアレクサンドルだ。私ではない」

 玉座に掛けるルミナスだったもの。姿形は同じなのに、エンプレスソード隊のメンバーには全く違うものに見えた。優しかったはずのあの姫様はそこにはなく、ルミナスだったものは冷たい冷気のようなオーラを発し、精神的な悪魔という表現がしっくりくる。涙を流しながら、サラはその変わり果てた様相を目の当たりにした。

「姫様……っ! どうか……どうか目を覚まして下さい!」

「悪いがルミナスは眠っている。暫くの間、この体は私のものだ。所で質問は何かね?」

 そして神父ヨハネス=アブラハムが問う。「では聞こう、この国をどうするつもりだ? 人間を破滅に追い込むことで、この国に何の利益があるんだ。人は社会から阻害されて生きていくことはできないんだぞ!」

「違うぞ神父よ、私が望むのは利益ではない。人類全体の進歩を望んでいるのだ。この世界を一度悪魔の手に委ねることで、それを実現するのだ」

「ヴェーデルハイムにそそのかされたのか? だとしたら哀れな王だ」

「俺がそそのかしたのだよ、神父。世界を再び魔王の支配下に置かないか、とな」

 その場に居る正常と言われる人間の目が凍りついた。何を言っているんだこいつは、という感想以外何も出てこない。このアレクサンドルという王が真に狂人であることしか理解できない。そして正義の心を持つものは、自然と銃口をアレクサンドルに向けた。

「貴方には死んでもらいます。姫様の意志を守るのが、我々の勤めですから」

「面白い。俺を殺せたら全てを中止してやろう。如何にしてこの国を作り上げたかを、身を持って教えてやる」

 アレクサンドルは玉座から立ち上がり、腰に下げた魔剣を引きぬいた。右手には魔剣、左手には魔導書。レッドカーペットで飾られた階段を下り、謁見の間にて仁王立ちした。その雰囲気は魔王ヴェーデルハイムにも引けをとらない邪悪であり、近づくことすらためらわれるほどだ。

 真っ先に引き金を引いたのはサラだった。SCARが眩しいマズルフラッシュを光らせて銃弾を吹き出す。その弾道はまさしくアレクサンドルの眉間であったが、銃弾は彼の眉間に届くこと無く、空中で消失した。その様子はまるで吸い込まれてしまったような印象を受け、サラは記憶に存在するその現象を洗い出した。その弾丸の消失は異界への転送であり、ブラックアメジストの魔法陣による完全防御結界システム『HYMEN』であった。

「HYMEN!? そうか、その衣装は……っ」

 サラは歯ぎしりをした。塗装が変えられていたので分からなかったが、アレクサンドルが纏っているのはルミナス専用の魔導パワードスーツである『ドレス・オブ・アスモデウス』、通称肉鉄のドレスであった。肉鉄のドレスにはブラックアメジストによる結界システムHYMENが搭載されているため、アレクサンドルは全攻撃を虚空に転送する結界を持つ。立場的なこともあって彼女はセルビアの軍事事情には精通しているために理解できた。このアレクサンドルという王は、考えうる最強を体現した人間である。次の手を考えるサラだったが、そのような時間は与えられず、次の瞬間に衝撃的な痛みを感じた。

 彼女の体を一本の箒が貫いた。音も立てずにサラの背後に忍び寄った青い髪の少女が、その箒を握りしめている。

「……肉鉄のドレスは身体能力を悪魔のそれにする。人間には到底勝てる相手ではないの……」

「ふ……フランシスカちゃ……ん……っ!?」

 握りしめた箒をアクセルを開けるように回転させる。するとサラの体に突き刺さった部位から黒い煙が吹き出し、次の瞬間、大きな破裂音とともにサラの体が爆散した。彼女の体がそこら中に散らばった。

「フランシスカ!? 何故君がサラちゃんを……サラちゃんを攻撃するんだ!?」

「……私はベスの魔女。私が仕えるのは他でもなく、魔王ヴェーデルハイム様」

 フランシスカは何事もなかったかのようにヴァンの下へ歩いて行った。彼女の顔はいつもどおりに無表情で、サラを不死身といえど攻撃して散り散りにしたとは、今まで共闘してきたベルモンドには理解できなかった。しかしよく考えれば黒魔術・悪魔信仰を行う者にとって信仰の対象とは魔王である。彼女等は人間でありながら人間の側にはおらず、悪魔に仕える側にあるのだ。それは今までもそうだったし、これからもそうだろう。

 銃撃が効かないことを知ったベルモンドとヨハネスは銃を下げた。代わりにベルモンドは兜のバイザーを下げ、方に背負っていたトゥーハンドソードであるドラゴンスレイヤーを構え、ヨハネスはナイフを片手に格闘の構えを取った。同時に多くの質量を転送できない小型のHYMENは、近接格闘であれば通過することができるためだ。しかも魔力吸蔵合金であるオリハルコン製のドラゴンスレイヤーであれば、そもそも結界を無効化することができる。

「剣か! 剣が世界標準兵装だった時代の人間に、剣で挑むとは見上げた根性をしている」

「うっせえな黙ってその剣を抜いたらどうだ。俺は大事な姫様を乗っ取られて、ちょいと頭にきてんだ!」

 全く無駄のない動きで剣を振るうベルモンド。しかし切り裂いたのは虚空であり、その行為は無駄であった。動体視力が非凡であるはずのベルモンドですらその動きを見抜けなかった。肉鉄のドレスは確かに筋力を飛躍的に増大させるが、ここまでの瞬発力が得られるとは思っていなかった。

「それが肉鉄のドレスの性能か!?」

 転じてアレクサンドルがサーベルを振るう。目にも留まらぬ剣さばきであったために回避するまでには至らず、強固な魔力による物理障壁でもある黒竜の鱗がその剣を防いだ。たとえ魔剣エンキュリアであろうとも、その鎧を突破することはできなかった。しかしながら衝撃だけは伝わり、ベルモンドは勢い良く後方へ弾き飛ばされた。

 受け身をとってすぐに起き上がる。迫り来るアレクサンドルだが、その後ろからヨハネスが飛び上がった。ドレスの障壁を突破したナイフが、ドレスの肉の部分に深々と突き刺さる。だが深さが足りず、アレクサンドルの肉体にまでは届かなかった。むしろナイフの刃が肉の圧力で変形し、そのドレスの発熱によって溶解。ヨハネスは唯一の有効な武器を失った。

「素晴らしい闘志だ。それだけは賞賛に値する。しかしな、結果が伴わないのであれば無意味だ」

 立ち直ったベルモンドがドラゴンスレイヤーを構え、アレクサンドルに突進する。肉の部分に突き刺すことが出来れば、中のアレクサンドルに届くかもしれないという可能性に賭けた。だがその思考こそが剣の軌道を容易に想像させたので、アレクサンドルはたやすく剣を払いのけた。絡めとるように剣は弾き飛ばされ、ベルモンドも唯一の武器を失った。立ちすくむ彼の前に、アレクサンドルは立ちはだかる。

「良い防具と良い武器だな。お前はそれに助けられているようだ」

「代々伝わる黒竜の鎧とドラゴンスレイヤーだ。どんな攻撃も弾き返し、あらゆる魔法を軽減する。俺はてめえを殺せないようだが、てめえも俺を殺せねえぞ」

「私が殺すつもりはない。しかしな、お前の鎧がお前を生かすとは思っていないのではないか?」

「なんだって……?」

 ベルモンドの身に着けている鎧の胸に、赤く光る魔法陣が描画されていた。これはアレクサンドルが剣を弾いた瞬間に、一瞬の隙を突いて描いたものだ。余りにも高速でベルモンドは気が付かなかった。そして気がついたと同時に、不吉な予感が脂汗をかかせた。この魔方陣は一体何なのかが、全く想像がつかない。

「てめえ……何しやがった」

「お前の鎧に使われている竜の鱗は、邪悪な黒い竜のものだろ? つまりこっち側の存在なわけだ」

 その時、ベルモンドは激しい痛みによって倒れた。全身を強く圧迫されるような感覚と共に、酸欠状態の様に意識が朦朧とし始めた。鎧が生き物のように変形し彼の体に食い込む。それはまるで鎧が生命を得て、彼の体を蝕んでいるようだった。彼は思わず叫び声を上げる。

「ぐああああああっ! な、んだこれは、ふざ、けんなよ糞が! おい、何しやがったって聞いてんだよぉお!」

「わずかに残った黒竜の魔力を復活させた。鎧はお前の肉体を媒介に、黒竜を復活させる。つまりお前は黒竜そのものとなるのだ」

 ベルモンドの叫びが、段々と人のものではなくなっていった。しかしながら痛覚は和らいでいく。だが意識は完全に吹き飛び、全身は強く痙攣し、小刻みに振動をしている。やがて全身が膨張を始め、手足がみるみる長くなっていった。人間の骨格は爬虫類のそれに変形し、ベルモンドの顔は硬い鱗に包まれ、竜の勇ましい頭部に変わった。その姿は紛れもなく竜である。かつて人間を襲った魔界からの侵略者、黒竜である。

「なんとも勇ましい黒竜じゃないか。名をなんという?」

「我が名は黒竜ウシュムガル。我を目覚めさせたこと、心から感謝する」

 ウシュムガルはその頭をアレクサンドルに差し出して忠誠を表した。なんという男だろう、人間でありながら悪魔的力を得たばかりでなく、この世で最も恐ろしい魔獣である黒竜を跪かせたのだ。いよいよ世界最強の人間と言われた彼の力が明らかとなってきた。

 対する神父ヨハネスは、彼に対抗する力を持っていなかった。

「どうする神父よ、何か為す術はあるかな?」

 アレクサンドルは澄んだ笑顔でヨハネスに問うた。

「理解したぞ。お前は俺たちをここに呼び、自らの私兵に変えようとしたのだな」

「正解だ。ヴェーデルハイムが集めたという強い人間たち、それは俺も求めるものだ。だがそいつらも所詮は人間で、間違いなく俺の言うことは聞かないだろう。だからちょいと魔法をかけて、俺の虜にする。そのサラというゾンビ娘も、ウシュムガルも、俺たちの配下だ」

 玉座から立ち上がり、ヨハネスの下へゆっくりと歩く。対するヨハネスは拳銃を構えてはいるが、障壁によりそれは意味を成さない。だが抵抗する意思を示すためにはその構えが必要だった。まだ諦めていない意思表示だった。

「神父よ、君のことはルミナスから良く理解している。一人の人間として尊敬しているんだ。まだ長い時を生きていない君には受け入れがたい事実だが、人間には、全ての憎悪を受け付けることのできる悪魔が必要なのだよ」

「全人類の憎悪を悪魔に向け、人と人との争いを抑止するということか」

「解っているじゃないか。例えばヴェーデルハイムの綴りを知っているか? ”Veerderheim”と書くそうだが、”Veer”とは英語で曲げるを意味する。そしてその後に続く”Vendetta”はすなわち憎悪。合わせて解釈すれば、”憎悪の矛先を曲げる者”となる」

 畳み掛けるようにヴァンが語る。

「そう、魔王である私の最大の使命は、全ての憎悪の対象を我々に向けさせることだ。我々悪魔の全行動はこの理念に基づき、規定されている。短期的に見れば多くの人間の命を奪い、種の存続において悪影響を及ぼす行為に見えるが、それは短期的な視点にすぎない。超長期的な視点で見れば、同族間の争いを抑止することで全体的な協調行為を促進し、高い人口の増加率を維持したまま平和的な発展を続けることができるのだ。人が人と争うこと無く発展できるのだぞ。平和を望むお前なら判るだろう!」

 それは正義ではなかった。ヨハネスの中に存在する、平和を望む意志とは全く異なる正義であった。受け入れがたい事実であるが、理解できる理論でもある。悪魔的行為をその理由を知った所で受け入れるわけには行かないが、協会にいる子どもたちの命は保証されるし、少なくとも身の回りに居る人間たちが殺されることもない。しかも国が行う行為は、人類の利益を真摯に考えたものだ。一人の人間としてその行為が正しいと思えてしまった彼には、もはやヴァンやアレクサンドルに抵抗する意志は無くなった。

「――わかった。俺はもうお前たちを止めない」

「ありがとう、神父よ。良ければこのまま人間部隊の指揮をとってもらいたいのだが」

「断固として拒否する。俺は今この瞬間を持ってRHKを退職し、クラグイェヴァツ教会の神父として子どもたちを守ることのみに専念する。俺は人間として、人間に罰を与えることは許されない。それは、非人間であるお前たちだけの責務だ」

 ヨハネスは拳銃をホルスターに戻し、足早にその場を去った。それは予想されていた行動で、アレクサンドルもああは声をかけたが、全くといっていいほど期待していなかった。

「ダメだったな」

「だから言ったろう、彼はそういう男だ。むしろ私にはお前が何故人間を罰する立場にいるのかが不思議だぞ、アレクサンドル」

「勘違いするなよヴァン、あくまで手を下すのは君だ。俺はその手助けをするだけだよ」

 血だらけの謁見の間。2人の邪悪は互いの顔を見て笑を浮かべた。もはや彼らの計画を邪魔するものは居なくなり、誰も彼らの歩みを止めることはできない。計画は次の段階へと移行した。

 ベオグラード城、地下宮殿。1000年以上前から此処に存在すると言われる宮殿。秘密の通路を通って地上階からたどり着くことができる。ここはルミナスとヴァンが初めてであった場所であると同時に、このセルビア王国の中枢機能を持つ空間である。以前は老朽化して崩れそうだった壁面は修復され、現在は高度に電子化されたオペレーションルームが広がる。誰もここが洞窟だったとは思えない光景だ。しかし、これこそが本来のベオグラード城である。

 総勢40名の情報処理に長けた悪魔が、コンソールの前でモニターを見ている。具体的には無数の触手がうごめく蛸の姿をした悪魔で、器用に触手を動かしてキーボードを操作する。最奥に配置された巨大スクリーンにはセルビア王国の国土全体が表示されており、それは衛星からの写真を合成して作られている。中央の高い位置にあるのは以前から存在する岩塩の玉座で、ここに総司令官であるヴァンあるいはアレクサンドルが鎮座する予定だ。

「状況はいかがかな」

「国境に展開した結界に反応有り。すでに人間共は国内へ突入する準備を済ませているものと推測されます」

「位置的にはハンガリーか。予想よりも早い」

「いえ、反応があるのは近隣諸国全てとの国境です。ハンガリーの他にブルガリア、クロアチア、モンテネグロの国境にも反応があります。詳しい戦力は不明ですが、相当な兵力がつぎ込まれているのでしょう、反応がとても大きいようです」

「敵戦力はさほど問題ではない。魔導エンジンの準備は出来ているか?」

「すでに全機が運転を開始しておりアイドリング状態となっております。命令が発せられ次第、最高出力で稼働可能です」

 ヴァンは岩塩の玉座に座った。少しばかりその椅子は赤みを帯びており、べとついている。ヴァンが指を鳴らすと地面が観音開きで開き、そこからワインとチーズが置かれたテーブルが伸びてきた。彼がワインを楽しんでいるタイミングで、側近であるルシフェルとメフィストが部屋に到着し彼の側に着いた。ルシフェルは直立し中央スクリーンを凝視しているが、メフィストは玉座の後ろからヴァンにべったりである。

「ヴェーデルハイム様、あたしはもう準備万端ですー。もう熱く疼いて濡れ濡れで、合体したくてしょうが無いのです。お願いですから、起動命令を出して下さい……」

「もう我慢出来ないのか、全くしょうが無い娘だな。良かろう、中央制御機構にメフィストフェレスは融合しろ」

 はあい、と甘い声で返事をしたメフィストは、全身をどろどろに溶かして地面に吸い込まれた。ヴァンの足元にはこのセルビア王国の情報網を全て制御するコンピュータシステムが設置されており、機械と融合し性能を向上させることのできるメフィストが融合することで、そのシステムは本来の性能を発揮することができる。

「魔導エンジンのスロットルを中央制御機構メフィストに移譲。本館館長ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタの名の下に命ずる。大陸型浮遊戦艦”Cradle of Filth”発進!」

 地面が裂け、マグマが噴出する。しかしそれは自然のものではなく、魔導エンジンが発生する火炎によって溶けた岩石が噴出したものだ。地割れは正確にセルビア王国の国境を描き、マグマは皮膚がえぐり取られた時に吹き出す血液のように赤い。国境の外は巨大な地殻変動により大地震が発生しているが、セルビア王国の領地内は至って静かなものだった。それはセルビア王国の領地と、他の領地が物理的に切り離された事を意味する。

 セルビア王国の国民を守る最も簡単な方法は、国民を敵の手の届かない場所へ物理的に隔離することである。そして国民全員を物理的に隔離する最も簡単な方法は、国土全体を空中へ浮遊させ隔離することである。馬鹿げた話に聞こえるが、魔王が全力を注げば出来ないことではないのだ。事実、この『不浄の揺り籠』の名を冠するCOF号はそれを実現した。今やセルビア王国は一つの大陸を占領する、屈強な国家となった。

 魔導エンジンは魔力によって推進力を得る機構である。数千機に及ぶ魔導エンジンが大陸の下部に配置されており、それらが垂直方向へ大陸を押すことにより大陸は浮遊している。早くも大陸は地上100メートルの場所まで上昇しており、ゆっくりとアドリア海の方へと移動している。その魔導エンジンが発する火炎で地上には大規模な火災が発生しているどころか、瞬時に消し炭となっている。森は炭化し、街は崩壊し、人は白骨化した。

「COF、軌道に乗りました。ヴェーデルハイム様、このままアドリア海に出ても宜しいですか?」

「うーむ、先程はアメリカから潰すと公言したが、このまま海路を進むと被害が少なくてつまらないな。お前たちはどう思う、優秀なオペレーター諸君」

「クロアチア方面に進路を変え、フランスを目指す陸路を提案します。移動しながら人間共を焼き殺し、歩きながら踏まれる蟻の気持ちを分からせてやるのはどうでしょうか?」

「最高にクールな提案だ。よし、進路をクロアチア方面に変えろ」

「了解、進路をクロアチア方面に」

 岩塩の玉座が紅く光り、わずかに振動している。実はこの岩塩の椅子というのは人間の体内に存在する塩分を結晶させたもので、城の力で殺された人間の塩分によって形を成している。これはアレクサンドルが組んだ魔王復活の術式の重要な物体でもあり、最初にヴァンを復活させた時に捧げられた数千万の人間の成分が、この玉座に結晶している。すなわちこの玉座は今までに殺してきた人間の数を表す指標である。これが反応しているということは、COFが移動する際に何人もの犠牲者が出ているということだ。

「CNNを受信しろ。客観的な状況を確認したい」

「了解、センタースクリーンにCNNのニュース番組を表示します。これは……特別番組が組まれているようです」

 CNNの女性アナウンサーが緊急のニュースを報道している。セルビア王国の動きは極めて大々的であり、報道管制のたぐいは敷かれていないと見える。ヴァンはこれをワインと共に鑑賞することをとても楽しみにしていたので、この時の彼の目は生き生きとした子供のようなものだった。

『引き続き特別番組を放映します。セルビア王国の浮遊空母が突如浮上した問題で、ドイツ首脳は先程、浮遊空母の予測移動ルート上の住民に避難勧告を発令しました。こちらがその映像です』

『彼らが最初の攻撃対象とするアメリカ大陸への最短ルートはアドリア海を通過するルートですが、彼らが悪魔である以上、最も人的被害が大きくなるルートを選択してくると予想しています。よって通過するルートの国民は速やかに退去して下さい』

『欧州各国は緊急の対策会議を開催。ギリシャ、スペイン、イタリアで続いていた紛争も、対立陣営が一時的な停戦を発表。住民の避難に全力を注ぐ模様です。そして先程、我がアメリカ大統領も会見を開きました。ワシントンから中継です』

 テレビでは見慣れた顔、星条旗の下に立つのは現アメリカ大統領バーグソン=アーレンスだ。年齢は50歳で、昔は結婚していたが妻を病気でなくし、子供が2人居るのみだと聞く。米国民主党の長であり、政界入りしたのは40の頃。海兵隊の将校を止めて選挙に出馬した経歴を持つ。経済政策でも一定の評価を受けており、特に国防に冠する政策に関しては評判がよく、イラン戦争を迅速に収束させた軍事的手腕には光るものがあった。

『国連の安全保障理事会にて、セルビア王国に対する攻撃が決定されました。これを受けて我が国も全力を注ぎ彼らを撃退します。これより世界は一つとなって、人類共通の敵を打ち倒す次第です』

『敵は強力な軍事力を保有しているようですが、どの様にして迎撃するのでしょうか?』

『具体的な作戦は公表できないが、敵が目的としている場所は特定することができる。現在全ての兵力をそこに集中させているところです。ここで私は世界中に一つの希望を提示したい。まず、すでに敵側には知られていることなので公表するが、我々は対悪魔兵器の技術を持っている。実際に海兵隊には対悪魔特殊部隊AESFを組織し、幾つかの戦闘で実践してきた。そして諜報員の活躍により、彼らが真っ先に我々を狙ってくる理由が分かっている』

『その理由とは?』

『魔王ヴェーデルハイムは1500年前、大体欧州の暗黒時代と呼ばれる時代に世界を征服した存在だ。その際に立ち上がった勇者ベルクカイザーは、多くの犠牲を払いながらも魔王ヴェーデルハイムを現在のセルビアの地下深くに封印したのだ。一部の封印は解けているが、まだ完全に封印が解除されているわけではない。奴はその封印を解除するために勇者ベルクカイザーの末裔を殺そうとしているのだ。そしてそのベルクカイザーの末裔というのがこの私、バーグソン=アーレンスである』

 バーグソンはおもむろに取り出したネックバンドを首に巻いた。するとどうだろうか、みるみる肌のしわがなくなっていき、まるで若返るかのような変貌を遂げた。いや、彼は若返ったのだ。驚くべきことに、バーグソンはネックバンドを巻くことによってその肉体的年令を若返らせたのだ。それだけではない、ヴァンはスクリーンに釘付けとなる。何故ならその若返ったバーグソンというのが、アメリカ海兵隊の将軍であるベルンハルトと全く同じ顔をしていたのだ。これはまさにアモルス姉妹を拷問して得られた情報の通り、ベルンハルトこそがバーグソンであり、すなわちアメリカ大統領こそが勇者の末裔なのだ。CNNの中継で記者たちが驚きの表情を見せ、ホワイトハウスで大きな反響を生んでいる様が放映された。

『私はこれより勇者ベルクカイザーの末裔の責務を果たすため、東海岸の基地に向かう。魔王ヴェーデルハイムを抹殺するためには、封印が掛けられた上で私自身がとどめを刺さなければならない。そうだろう、魔王ヴェーデルハイム?』

 敵の作戦を自らが決定する。つまりは最終目的であるバーグソンがいる場所にヴァンが向かうのであれば、あえて自らが目的であることを宣言するのだ。そうすれば自分がいるところに敵は向かってくる、そして兵力を集中すれば万全の体制で戦争ができる。とても単純なアプローチだ。

――そうだ、ベルクカイザーの末裔よ。

 ヴァンの答えはその一つだけである。ヴァンが自らの封印を解くためには勇者の末裔を殺さなければならないし、魔王を殺すことができるのは勇者の末裔のみである。いや、殺す権利があるという方が正しい。

 中央スクリーンの映像が再び国土の状況を表す映像に切り替わった。会見はこれで終わりのようだ。COFはすでにハンガリーの中心部を超え、ドイツの国境にさしかかっていた。待っていたとばかりに哨戒中の戦闘機が周辺に張り付き、オープンチャンネルで通信が開かれた。部屋全体にドイツ空軍のパイロットの声が響く。

『こちらドイツ空軍。貴艦はドイツ国境を無許可で超えようとしている。このまま進めば重大な領空侵犯と見なし、貴艦を撃墜する』

 撃墜すると吹いているが、間違いなく不可能である。大陸の大きさを持つ飛行物体相手に対して、空対空ミサイルなど痛くも痒くも成り得ない。そもそも飛行するメカニズムを理解していない時点で撃墜することはできない。ヴァンは同じくオープンチャンネルで戦闘機に対して返答した。

「こちらセルビア王国軍所属、クレイドル・オブ・フィルス号。我々はこのままの進路で飛行し、ベルリンを焼きつくす。出来るものなら全力で撃墜してみせろ」

『貴様等…………』

 言い返す言葉もない。何故ならパイロットもCOFに対して為す術がないことを理解しているからだ。一応はミサイルを発射しようとロックオンを始めるが、熱源が無いため誘導が無効であるためロックオンできない。よってパイロットはノーロックでミサイルを発射した。しかし魔法障壁が存在するため、そのミサイルも全く意味を成さない。

「対空魔法、邪悪な光。発射」

「対空魔法、サーペント・オブ・ザ・ライト発射します」

 COFの野外に待機している悪魔たちが、黒魔術師とともに作り出した鉛の砲台。魔法陣が描かれた硝子板が砲身に装填され、発火魔法によって火薬に点火される。爆発的な化学エネルギーとともに放出された魔力が、その形を維持したまま発射された。その様は一本の赤い光の筋であり、その光がドイツ空軍の戦闘機を貫いた。空対空魔法『邪悪な光』。その光は魔力を持ち、照射された物体に強力な劣化魔法をかける。すなわち、金属であれば瞬時に酸化し、脆くも崩れ去るのだ。

 戦闘機は一瞬にして赤錆に包まれた。本来であれば稼働する部分が何年間もメンテナンスを怠っていたように錆び付き、戦闘機はコントロールを失った。中のパイロットは無事であったが、脱出装置を起動することは出来ない。何故ならばその機構すらも、劣化し正常に機能しないからだ。よって戦闘機は墜落することになる。

 SOTLを次々に発射する。COFを包囲していた戦闘機は撃墜され、今や1機も残っては居ない。

「レーザーミサイル迎撃システムからヒントを得た新しい魔術だ。光に当たりさえすれば、結界が張られていない限りその物体は劣化する。絶対的な命中率で、現代兵器を駆逐できるすぐれものだ」

「凄いぞヴァン! 俺が居ない間になんてクールな物を作ってくれたんだ!」

「驚くのはまだ早いぞ。ルシフェル、対地魔法・地獄の門を展開せよ!」

 甘い声で返事をしたルシフェル。その後、轟音とともにCOF下部の土が剥がれ落ちた。そこから現れたのは巨大な円形のハッチで、土埃を起こしながらその扉が開かれてゆく。そのハッチの向こうにはどこまでも続く暗いトンネルで、それは異空間に繋がる道であった。地獄から伸びたそのトンネルから真っ黒な霧が排出され、それをCOF直下の街に吹きつけた。COFはちょうどドイツ・ベルリン市街の上空を飛行しており、あっという間に街全体がその黒い霧に覆われてしまった。

 その街はどうなるのか。この黒い霧はベスディーロイヤ魔術にも存在する強力な劣化魔法『エメトフィリアの霧』と呼ばれ、SOTLと同じく物質を劣化させる。ただ劣化というのは曖昧な表現であり、SOTLが主に金属に有効な酸化現象を促進するものであるならば、この霧は生物に対して有効である。霧には魔法で強化された細菌が含まれており、その細菌は人間の細胞膜を分解する。すなわち人間の皮膚の細胞壁の構造を破壊し溶かしてしまうのだ。この霧を吸った人間は時間をかけて細菌に消化され、やがては肉が溶け出し、骨だけになってしまう。

「実験結果によると、連続して霧を浴び続けた成人男性が白骨化するまで4時間ほどらしい。即死するわけではないが、広範囲にばらまくことで接触時間を増やすことが出来るだろう」

「道中、この霧をばらまいて人間を溶かし殺すと? そんな簡単に行くかね」

「まさか、ヨーロッパを全て覆い尽くすためにはCOFが何機あっても足りんよ。単なる示威目的さ」

「ああ素晴らしい。想像するだけで疼くよ。俺達の下で人間たちがもがき苦しみ溶けてゆくさまを想像するだけで、満月の夜に馬で走りだすような清々しさを覚える」

 アレクサンドルは手に持ったワインの瓶を豪快にグラスへ注ぎ込み、注がれたそれを一気に飲み干す。彼の依り代であるルミナスは生前の彼と同じく酒に強いため、浴びるように飲み続けていても全く様子が変わらない。

「さあ行こう、大西洋へ! 幾多の国を踏潰し、そいつらが如何に無力化を知らしめろ。悪意の前に震え上がらせろ! 絶対的な悪とは何かを教えてやるのだ!」

 悪魔の決起から数時間後、国連加盟国の首脳による緊急会議が特別回線を用いて行われた。緊迫した状況であり、人類共通の敵に直面した今、全ての人間は団結する必要があると判断したのだ。

「我が国の被害は甚大である。ベルリンの首都機能は失われ、死者は少なくとも350万人とみられる」

「ドイツ空軍は何をやっていたんだ? 自分の街が焼かれるのを黙ってみていたのか?」

「そうだ、我々は為す術がなかった。悪魔連合軍の空中戦艦は余りにも巨大であり、浮遊する原理も不明で、破壊する方法は今のところ見当たらない。フランス軍が核兵器を使用したとの報告もあるが、効果はあったか?」

「核弾頭を搭載したIRBMを空中戦艦に向けて発射したが、着弾したという反応がない」

「着弾していない? それはどういうことだ」

「IRBMは確かに目標に達した。だが着弾しなかった。目標に達した瞬間、IRBMが消滅したのだ」

 ざわつく仮想会議室。そこに大きく通った声が響いた。

「発言宜しいかな? こちらはアメリカ合衆国大統領バーグソン・アーレンスだ」

「アーレンス、貴国は何を知っている」

「我々は悪魔に対向するための活動を30年前から続けている。2ヶ月前、セルビア王国のRHKはイスラエルに派兵したが、その際に我が国は共闘していた。その際に魔法結界の説明があったのだが、奴等はあらゆる物理的な攻撃を遮断する手段を持っている。弾道ミサイルは無効だ」

 ざわつく会議。抑止力として機能してきたはずの弾道ミサイルが、セルビアには通用しないのだ。故に抑止力を無視出来るセルビアは行動を制限する足かせを外されたも同然で、あらゆる国の静止も受けることはない。もはや誰もセルビアの進撃を止めることは出来ず、残された道は目的地とされるアメリカ合衆国で迎撃することのみだ。

「合衆国政府は超法規的措置によって、兵力の全てを東海岸に集中させた。複雑な形状を持つニューヨークを砦とし、そこに奴等を誘いこみ、全力で迎撃する。可能な限りの兵力を持って、各国の協力をお願いする」

「何故セルビアがニューヨークに攻めてくると?」

「魔王ヴェーデルハイムは私の命を狙っている。奴は私をその手で殺さなければ自らの封印を解くことが出来ない故に、直接私と接触するだろう。私がニューヨークで待機しているという情報をリークすれば、奴等はニューヨークに必ず現れる」

「それを陽動とし、別働隊が魔王城に攻め入ると? そのような解りやすい陽動に乗るかね?」

「いや、これは陽動ではない。実際に私はニューヨークで待機する」

「馬鹿な!」と、フランスの軍事顧問が発言した。

「ニューヨークで真っ向からセルビア軍を迎え撃つというのか?! ドイツ空軍が、我々の空軍が全兵力を投入しても歯が立たなかったのだぞ!」

「敵の城壁を越えられないのであれば、こちらの門を開けるのみだ。奴等は必ず私を殺しに来る故に、必ず防護障壁HYMENの外に進軍する。必ずだ!!」

 全ての発言が止まった。バーグソンの発言には強すぎるほどの意志が込められており、全ての人間を黙らせた。

 そして全ての人間は選択を迫られた。EU随一の戦力を持つフランス軍も敵わなかった敵は、人間のような政治的駆け引きも通じず、全く違う倫理観で動く、全く別の生命体だ。敵の城壁は核兵器も通らず、いかなる物体も通すことはない。それはつまり、すでに万事休すに等しく、最後の悪あがきだけが勝利をつかむ最後の希望であることを意味していた。人間に与えられた選択肢はたったの二つ、正面から対するか、諦めて服従するかだ。

「決を取りたい。私に付いてくるか、否か」

 その場に参加したすべての国が、異議なしと判断した。意義を申し立てるにも、他の選択肢がなかった。全く最悪の手段でありながら、他に為す術がなかったのだ。

「よし、決定だな。これより人類連合軍を結成し、セルビア王国撃退作戦の概要を説明する。各国の軍事顧問は画面をよく見ておくように」

 仮想会議場に数枚のスライドが映し出された。ニューヨークを中心とした大陸図で、大西洋上に紫色の点が存在する。これは現在のセルビア軍勢力の位置を表しており、赤い勢力が人類連合軍を表す。

「カナダ軍、メキシコ軍はニューヨークに集結。ニューヨークのビル群に兵を配置して、そこを大規模な要塞都市にする。複雑な形状をしているから、敵の進行速度を押さえることが出来る」

「ビルを破壊されたら?」

「ヴェーデルハイムはビルを壊さない。何故なら私が下敷きとなって、奴の手で直接殺せず、私の体を食べることが出来ないからだ。奴に掛けられた拘束封印を解除するためには、私の心臓を食べなければならないのだ」

「なるほど、故に奴等は大量破壊兵器を使うことが出来ず、歩兵による慎重な侵攻をしなければならないのか」

「そうだ。対してこちらは考えうる限りの戦力を投入することが許されている。EUやその他各国の軍隊は、大西洋側から、航空機を敵浮遊戦艦に体当りさせるんだ」

「ミサイルが効かなかったのだぞ。HYMENを超えられないのであれば、あらゆる攻撃は無効なのだろ?」

「HYMENのデータを集めて解析した所、一度に防げる物体の質量には限りが有るようだ。ジェット航空機10機を同時に衝突させれば障壁をオーバーフロウさせることが出来る」

 そのデータはエルサレムにおける、サムエルと肉鉄のドレスを装備したルミナスの戦闘から得られたものだ。ルミナスが回避した攻撃の質量を、COF号に展開されているHYMENの出力に適用すれば、障壁が転送できる物体の最大質量を求められる。例えHYMENであろうとも、最大出力を超えた運用をすることは出来ない。

「セルビア軍浮遊物体、COF号は大西洋上に浮上している。EUは特攻する飛行機が途中で撃墜されぬよう戦闘機による護衛を頼む。太平洋に面する各国は、可能な限りの兵力をニューヨークに集結させてくれ」

「……本当に勝てるのか?」

 疑問であった。これが人間の兵隊であれば、物量の差と地形の差で勝利は確実である。単純な作戦ではあるが、実現できるとしたら最高の作戦である。自軍の有利な場所で、可能な限りの兵力を注ぎ込み、都合よくその場所で敵を迎撃する。だが敵は悪魔であり、今までの常識が一切通じない。

「勝つしか無いのだ。我々にはもう選択肢は残されていない。人類が考えうる最高の戦術を駆使しても負ければ、他に勝つすべはなく、破滅有るのみだ」

 会議が終わり、バーグソンは直ぐ様大統領専用機に乗り込み、ホワイトハウスから軍の秘密基地へ向かった。SSが淹れた熱いコーヒーを口にして、自らの手札を今再び確認した。

 先ずはアメリカ大統領であること。混迷を極める現在において、人類のリーダーシップを取っているのは彼であり、先ほどの会議で承認されたとおり彼の司令によって世界が動く。だが、魔王を殺すためには組織的な権力だけでは不十分である。もっと原始的な優位性が必要だ。それは純粋な力である。

 彼は50歳でありながら、ベスディーロイヤの魔術結社から奪取した不老の遺伝子情報を用いて、その肉体年齢を20台まで若返らせている。それだけではなく、最新メカトロニクスと魔術を融合させた戦闘用パワードスーツ「スタースパングレッドアーマー(SSA)」を持っている。これにより人間を超えた挙動を可能とし、圧倒的力を持つ悪魔にも対抗できると考えている。

 ドアを何者かがノックした。バーグソンは「入れ」と即答し、入ってきたのは大柄な黒人。真っ白な軍服に身を包んだ彼は、海兵隊第7小隊対悪魔特殊部隊AESFの隊長であるボビー・ブラッティ大尉だ。

「大統領、例の剣の準備が整いました」

「やっとか! やはり、あれがなければ始まらないよな!」

 ボビーが手に持っていたのは鈍く光る金属製の鞘に収められた剣だった。ちょうど人の腕の長さと同じくらいのそれをバーグソンは確かに受けとった。

「その昔、我が先祖ベルクカイザーは撤退直前の魔王を不意を付く形で封印することに成功した。お陰で私の一族はあらゆる戦闘行為から逃れられない呪いをかけられてしまった。それを知った時私は、心底ベルクカイザーを恨んだよ」

「では何故彼の意志を受け継いだのですか」

「ベルクカイザーはとても狡猾な男だったようだ。呪いをかけたのは魔王ヴェーデルハイムではなく、ベルクカイザーが自身に対して呪いをかけたのだ。その時点では封印することしか出来なかった魔王を、次の世代にその抹消の任を強制的に受け継がせるために、戦うことから逃れられない”戦神の呪い”を一族にかけたのだ」

 ベルクカイザーが魔王を封印した時、彼はすでに虫の息だった。魔王は強力な界拘束により人間界から脱出できなくなり、その力も効力を無くした。だが自身を維持するためだけの魔力は蓄えていたため、満身創痍のベルクカイザーは魔王を抹殺することまでは出来なかったのだという。

「私には愛する妻と娘が一人いる。父としてこの辛い宿命を負わせる訳にはいかない。必ずや魔王ヴェーデルハイムを抹殺し、自由の身となってみせる。私は君が思っているような崇高な理由では戦っていないよ」

「いえ、十分な理由だと思いますよ。少なくともDARPAの人間よりか純粋です」

「いいのだ、それが人間だ。彼らには天使の体細胞と悪魔の生体情報という餌の代わりに、多くの事を成してもらった。SSAの開発も、この若返りの薬もあって初めて私は魔王に対抗する事が出来る。天使を傷つけたことに関しては若干の後悔があるがね」

「嘘がお上手なようで」

「はは、判ったか? そうだ」

 バーグソンは椅子から立ち上がり剣を振った。

「我々人間は、我々の利益を最大化するために行動する。天使も悪魔も知ったことではない。魔法の力も、感情エネルギー変換の技術も、不老不死の秘密も、我々人間が手に入れる。我々は欲するものを手に入れるのだ!」

 星条旗の鎧を装着し、伝説の剣を持った。彼はこの時点で人類最強となる。人類の命運は彼の手に託された。

「決着をつけようヴェーデルハイム、我が宝剣”カイザークリング”で滅ぼしてやる!」

 彼女は胸を自らに刺された。彼女は苦境の中で自分が選んだ選択を後悔したが、すでに時は遅かった。

 あの時、執事に言われるがまま契約をしなければ。

 あの時、悪魔の提言を却下しておけば。

 あの時、国家の反映と人類の尊厳を天秤にかけなければ。

 こうやって血の海で溺れることはなかったのだろう。そう彼女は思った。

「っ!?」

 彼女は口の中に流れ込んだどす黒い血液を吐き出した。錆びた鉄のような味が口の中に広がる。そして真っ黒な砂の上に涙と血液をぶちまけて、やっと呼吸が出来るようになった所でその意識をはっきりとさせた。

「ここは!? そうだ、ヴェーデルハイムは!?」

 あたりを見回した。海岸のような景色であるが、全く違う。海の水は真っ赤、空は燃えるように真紅、砂は炭のように真っ黒で、肉が腐ったような腐臭が漂う。海岸線には多くの死体が漂着し、その多くは屍蝋化していた。

 ルミナスは布一枚無く、裸で見知らぬ場所に居た。ここは明らかにセルビアではない。もはや人間の住む世界ですら無く、形容するのならば最も近いのは地獄だ。人間が想像してきた地獄の世界だった。

「たしか、私はバトラーに押さえつけられて、ヴェーデルハイムにエンキュリオールを突き刺されて……」

 彼女は思い出した。意識がはっきりとする前に、アレクサンドルを復活させる儀式によってルミナスの意識が彼女の体から奪われたのだ。皮膚を強くつねっても目覚めないあたり、この世界は覚めるはずの夢ではないようで、ルミナスは意識だけが別の世界に来てしまったようだ。

 とにかく彼女は立ち上がり、海岸線を歩いた。向こうに小屋らしきものが見えたのでそこに向かって歩いた。道中には屍蝋化した人間の死体が転がり、幾つかの死体はウジが湧いて腐っていた。腐臭の原因はこれだろう。

 やっとの思いで小屋にたどり着く。だがその小屋には扉がなく、中に入ることは出来なかった。中に入ることのできない建物に何の意味があるのか、それを考えてもこの非日常的な世界では無意味である。

「おい」

 背後から声がした。他にも生きている人が居たのかと一瞬安心したが、それは全く違った。

 ルミナスよりも図体のでかい男が、背後からルミナスを押し倒した。同じくその男は全裸で、隆々といきりたった股間がルミナスの肢体をおぞましく撫でた。

「こんな所で全裸の美女に会うなんてわけわかんねえよ。でもどうせ死んじまったなら何やってもいいんだよな」

「やっ……やめてください!」

「何だ喋るのか。いいや、もうどうでもいい。一発やらせてくれよもう我慢できねえ」

 男はルミナスを強姦しようとする。まだ処女の彼女にとって、それは耐え難い屈辱である。

 ルミナスの秘部に一物が当てられたその瞬間、彼女が舌をかんでしまいそうになったその瞬間に、何者かがその男を引き離し突き飛ばした。

「ひぃ!? 何しやがる!」

「黙れ、お前は今から豚になる」

 何者かがそう言うと、男は煙を上げて豚になった。さっきまで人間だった彼が、豚になってしまったのだ。

 豚になった強姦魔を男は蹴り飛ばす。豚は悲鳴を上げながら逃走し、そのまま何処かへ消えていった。

「処女は守れたか? お嬢さん」

「あ、りがとう……。貴方は?」

 フードをかぶっていた男は、その頭部をさらけ出した。その姿にルミナスは一瞬怖気づく。その顔には肉がなく、何の生物のものか判らない頭蓋骨だけがあったのだ。

「我が名は彼岸のユーロニモス。血の海でライフセーバーをしている」

「ライフセーバー? と言うことは、ここはバルト海なのですか?」

「はは、ジョークさ。ここは血の海だぞ? 生きてる奴なんて基本いやしねえ」

「待って下さい、ここはそもそも地球なのですか?」

「ああ、地球だよ。そうか、あんたは人間か。だからここが人間界だと勘違いしているんだな」

「ではここは地獄なのですか……?」

「あんたがここが地獄だというならば、それはきっと間違いじゃない。仮にここが地獄だとして、あんたは地獄に来るような事をしてきたか?」

 ルミナスは思い出す。自国を守るために悪魔の力を借りて、悪魔を従えて世界中で人を殺す集団を作った。自国民の笑顔は確かに取り戻したが、それよりもはるかに多くの人々が犠牲となった。世界中の人間から、悪魔と契約して私腹を肥やす人類最低の卑怯者というレッテルを貼られている。思い出せば思い出すだけ、彼女は自身が地獄に落ちるに値する人間のように思えてきた。

「……はい、私は確かに地獄に落ちるに値する人間かもしれません」

「あーあー、そんなことを言う奴は久しぶりだぜ。お嬢さん、そんなんじゃこれから辛いぞ」

 ユーロニモスはその辺の死体が纏っていたボロ布をルミナスに手渡して着るように言った。血の海からふく風は人肌くらいの温度で快適だが、流石に裸だと落ち着かない。それを察したようだ。

「あんた、生きながらここに来たな? 死んでここに来た人間は屍蝋化してしまうが、お嬢さんは綺麗な体だ」

「確かに私は死んでしまったわけではありません。ヴェーデルハイムが言ったことが本当なら、私は肉体を乗っ取られ精神だけがここに来たのかもしれません」

「おいちょっと待て、ヴェーデルハイムだって?」

 ユーロニモスが両手でルミナスの肩を掴む。

「お嬢さん、ひょっとしてルミナス=エンキュリオール21世か!?」

「私を知っているということは、本当にここは地獄、あるいは魔界なのですね」

「知ってるも何もヴェーデルハイム様と対等に渡り合える唯一の人間だって有名だぜ? で、魔王は何のためにあんたをここに送ったんだ?」

「彼は人類を破滅に追い込もうとしています。我が先祖、初代エンキュリオールと共に……」

「そうか……やっと帰ってきてくれるんだな……魔王が……」

 魔王の帰る場所はここだ。彼が1500年前より、死ぬほど変えることを望んだこの世界に。そして同じく魔界の者にとっても彼は英雄であり、帰還することを願った存在である。

「貴方は悪魔なのですか?」

「そうだ、君たち人間を食い物にする存在だよ」

 顔が変わった。ルミナスは彼が悪魔であることを知るやいなや、彼の胸ぐらをつかんて押し倒し、涙が出そうな顔をして迫った。しかし彼女は涙を奪われているためそれを流すことが出来ず、赤い雫だけが流れた。

 血の涙だった。

「私はあなた達を抹殺します。私は地獄に落ちるような事を繰り返してきた人間ですが、私は人間のために戦ってきた。いつだってそうだった。だからこそ、例えあなた方が人を糧にして生きる存在であっても、いや、それゆえにあなた方を抹殺しなければならない!」

「おちつけお嬢さん。血の涙が出てるぞ」

 ルミナスは滴り落ちる赤を見て正気に戻る。ヴェーデルハイムに人間界を追い出されたあの瞬間の感情が、突如にして噴火のように現れたのだった。自分への責めと、後悔と、悔しさだけがあった。同時に、それだけでは何も変わらないことを知っている。

「私は……多くを殺しました。私は同族を守るために、その他全てを犠牲にすることを選びました。我が国を守るために他の国を滅ぼす手助けをしました。あれではモンテネグロの軍を批判する権利はありません」

「ルミナス、君は人ながらにして多くに悩まされてきたようだな」

「私は悪魔と契約してまでも自国の安定を望んだ。私にはそれがいい方法だったとは思えないのです」

「そこまで思いつめるならば、君に見せてもいいかもしれないな……」

 ユーロニモスは血に濡れたルミナスを抱きかかえたまま、そのままで空中に浮遊した。ふわりと浮いて彼女の手を取り、血の海とは反対側の方向へと向かった。見える空は夕日よりも赤い。彼らの足元には無数の死体が転がっており、その死体は浜から離れても見受けることが出来る。

 ルミナスが連れて来られた場所は海岸から離れた内陸。底の見えないような谷がそこら中に見受けられ、草一つ生えていない真っ黒な岩の台地であった。人間界で言うならば、真っ黒なグランドキャニオン。そして暗く深い谷底まで一気に降下し、2人は谷底までたどり着いた。

 そこには多くの人が居た。血の海の海岸に漂着していた死体が群れを成していた。彼らは体が屍蝋化しているのにもかかわらずその体を動かし続け、様々な部位を欠落させながら――互いに殺しあっていた。

「何ですか……あれは……」

 人々は谷底から這い上がるために、他人を踏み台にして上へと登ろうとする。しかし踏み台になる方も黙ってはおらず、自分を踏みつけた者の足を払いのけ、その足に噛み付いた。屍蝋化した肉はかなり柔らかく、噛み付いただけで簡単に引きちぎられる。それどころか掴むだけでも簡単に剥がれ、骨だけとなる。

「ははっ、今日も苦しそうだな」

「何処が笑えるのですか!?」

「ある人々は、人間界こそが地獄だと言うそうだが、私はそれを否定するよ。地獄とはね、人々の生前の世界に存在するあらゆる苦境、苦難、災難や悲劇が想像を絶する最悪の形で与えられる世界なのだ」

 ユーロニモスは一人の男を指さして笑った。

「彼なんか傑作だ。生前は厳しい競争社会の中で、自分だけ豊かな暮らしを得るために他人を蹴落とし、足を引っ張った。人としてその行いは良いのかと疑問に思いつつも、死ねばその疑問から開放されると信じていた。だが彼は地獄に落とされ、再び他者と足を引っ張り合う世界に有る」

 ルミナスは言葉を失った。ユーロニモスの言うとおり、その競争は人間界における競争そのものである。誰かがより安全な場所へ行くことを、誰かが阻止している。最終的に誰かが安全な場所へ行くことが出来ればいいが、多くの場合、両者共に堕ちるものだ。確かに人間界における苦しみが地獄でも与えられている。

「何れは私もあの内の一人となるのでしょうね。やはり、私の成してきたことは罪だったのです……」

「そう考えるのは早計だと思うがね」

 落ち込むルミナスの表情が落胆から疑問符へと変わった。

「どういう意味ですか」

「君の体は屍蝋化していない。君は現実で死んでおらず、魂だけがここに送られてしまった。それはつまり審判を受けずに来たのであって、君が行ったことが罪だとはまだ決まっていないのさ」

「私はまだ裁かれていない……。ということは、私は帰ることが出来る!?」

「ヴェーデルハイムが君をここに送ったのは、彼の領地であるここで君を保護することが目的だろう。事を終えれば君は人間界に戻れるのではないか?」

「事が終わってからでは遅いのです! 今この瞬間にも、きっと彼は悍ましい事をしているに違いない!」

 居てもたってもいられず、ルミナスはユーロニモスに抱えられながらも暴れだした。慌ててルミナスの体を抱え直すユーロニモスは、強い口調でルミナスに声を上げた。

「おい、終わりたいのか! 大人しくしていろ、落ちたら二度と這い上がれないぞ!」

「……失礼しました……。とにかく、私は帰らねばならない。どうすれば人間界に帰れるのですか?」

「一度魔界へ落ちてきた人間が帰った例は無い。俺も知らん」

「では知っていそうな者の所へ連れて行って下さい。一刻も早く彼を止めなければ……」

「とりあえず君を城に連れて行く。あんたの扱いは俺の手に余るんでな」

「城? ここに城があるのですか?」

 ユーロニモスは翼を羽ばたかせ空に上った。赤々とした地平線の向こうに、真っ黒な塊が密集している。その向こうには天空まで一直線に伸びた黒い建造物があった。六角形の支柱であるそれは微妙に傾いており、物理法則があるとは思えないような形状をしている。彼はそれを指さして言った。

「魔界の領主代行であるメルヴォレンス様が治める、ヘル城までお前を連れて行く。そこで貴方の身の振り方を決めるといい」

「メルヴォレンス……悪意……」

 生ぬるい風を切り裂き、ユーロニモスの言う城へと向かった。

 ルミナスはユーロニモスに連れられて、暗黒街の中心に位置するヘル城にまで来た。ヘル城はその名の通りこの魔界の全てを統治する者が住まう場所である。故にその風貌はこの魔界で最も邪悪で禍々しく、悪魔ですらもそのデザインには畏怖する者も多い。その形状はというと何のことはないく、六角形の柱が傾いた形であり、そのものは邪悪な形状ではない。しかし、そのような単純な形状でも、魔王の威厳を表すには十分すぎるものだったのだ。なんせそこには魔界の最高権力者であり、最高の魔力をもつ存在である魔王が住んでいるのだから。

 ルミナスは人の死体が散らばる暗黒街を抜けて、ヘル城の門前に立っていた。門前にはいかにも人を食い殺そうな異形の悪魔が立っており、馬鹿みたいに大きい金属製メイスを獲物にしている。彼らは暇そうにしながら人間の骨らしき物をしゃぶり、門前に立ったルミナスを見つめていた。

「何用だ」

 その質問にはユーロニモスが答えた。

「メルヴォレンス様に謁見しに参った。私は彼岸のユーロニモス、この者はルミナス=エンキュリオール21世……といえば解るな?」

 その名を聞いた瞬間、門番はしゃぶっていた人間の骨を放り投げ、メイス片手にルミナスの下へと詰め寄った。

「こいつが?」

 悪魔は恐ろしい形相でルミナスを睨みつけた。殺気にも似たその感覚は、通常の人間であれば余りの恐怖に失神するほどの物である。しかしルミナスはその殺気にも臆せず、逆に何か文句があるのかと言わんがばかりに睨み返してやった。

「いかにも、通して下さるかしら?」

「……通れ。謁見の間は城内の中央階段を上がって真っ直ぐだ」

 そう言って悪魔は道を開けた。別の門番が赤黒い石版に手をかざすと、重量のある金属製の門が唸り声を上げて開いた。厚さ1メートルを超す鉄板が材質であり、それが赤い光を纏っている。そして、門の向こうにはルミナスが想像もしていなかった魔王の城が広がっていた。

「これはっ……なんと美しい庭園!?」

 朱色の花が城へと続く黒曜石の道を彩る。その両端には真っ赤な水が流れる川が流れている。色とりどりの果実を実らせた樹木が立ち並び、ありとあらゆる場所に人間の背丈くらいの巨大な花が咲いていた。左手には赤い水を噴出させる、天使を象った噴水。右手には可愛らしい鳥達がさえずる、透明な壁で囲まれた屋内庭園。その中には奇っ怪であるがまるでピカソの抽象画のごとく美しい花々が自己を主張している。鼻孔をくすぐる香りは甘く、それでいて強すぎず弱すぎず。人間界における庭園とは全く異なるデザインが成されているが、人間であるルミナスにもそれは理解できた。この庭園は美しい、と。

「人間が見ても美しいとはね。流れてる水は全て血液だと言うのに」

「その言葉は聞きたくありませんでした。しかし……こんなにも禍々しい世界に、このような美しい場所があるとは驚きです」

 ルミナスは門の向こうへと足を踏み入れた。しかし、ユーロニモスは門前に立ち尽くしていた。

「私の役目はここまでです。後は貴方だけで進みなさい」

「ここまで来たのなら一緒に……」

「私は彼岸の案内人。人道を踏破した者を、魔界へと招き入れる役目を負うものです」

 ルミナスが再び質問をしようとした時、巨大な門が唸り声を上げて閉まり始めた。せっかく出会えた言葉が通じる者と別れるのは辛かったが、彼の言葉から察するに、彼の役割はとにかくここまでなのだ。何らかの義務を負う彼は、再びあの海に戻る必要があるのだ。

「ありがとうございました、ユーロニモス」

「一つ忠告しておく。メルヴォレンスは君のような人間にとっては最も受け入れ慣れない種の悪魔だ」

 ルミナスはその忠告の意味を問おうとしたが、すでに門は閉まっていた。彼女は仕方なく振り返り、庭園の奥へ進んだ。城内へと何時入れるのか全くわからない程に、その城は遠くへ見える。想像を絶する広さの庭園であるようだった。

 

 しばらく歩くと、目の前に薔薇に囲まれた広場があった。そのバラは赤や黄色ではなく、人間界には存在しない黒い薔薇であった。それらは鋳薔薇であり、茎には無数の針が並んでいる。しかもその鋳薔薇で作られた垣根には他にも惨たらしいものが存在した。血の涙を流しながらうめき声を上げる人間が、その鋳薔薇の中に埋もれていたのだ。

「大丈夫ですか!?」

 ルミナスはその人に駆け寄る。近くに来て初めて目にした光景に、彼女は言葉を失った。

 垣根は鋳薔薇だけではなかった。人間の体が積み重ねられ押しつぶされ、鋳薔薇を絡めて垣根のように整形されていたのだ。手足を切り取られ、無理な姿勢で圧縮された人の山がうめき声を上げながら固まっている。その中の一人はルミナスの存在に気が付き、涙を流しながら何かを言わんとしていた。だが、それは言葉にならなかった。

「待って、今助けますから」

 ルミナスが垣根の人に手を差し伸べようとしたその時だった。

「おやめなさい」美しい声が響く。

 その声は垣根の向こうにある真っ黒なテーブルに座っている人影からのものだった。その助成は真っ黒なドレスに身を包み、ルミナスの方をじっと見ていた。何よりもおぞましいのはその顔つきで、極めて整った美しい輪郭をしているのにもかかわらず、その目が人間のものとは違って、白目と黒目の色が逆転しているのだ。それはまるで目に穴が空いている用な印象で、あまりの禍々しさに目を背けたくなるほどだ。

「その垣根は悪人の垣根、生前に多くの人間を陥れた悪人ばかりだ。触れると何をするかわからないよ」

「あなたは……?」

「椅子に座りなさい、エンキュリオール」

 もしも彼女の行っていることが正しければ、この垣根は何をするかわからない。恐ろしくなって身を引くと、舌打ちをしながらその男は涙を止めた。明らかな悪意があったようだ。ルミナスは仕方なくその女の指示に従い、テーブルの向かいの席に座った。

「ここは悪意の庭園、ヘル城が誇る魔界で一番美しい庭よ。ここには人間界のあらゆる悪意が集約され、具現化し装飾されている」

「ということは、貴方がマルヴォレンスね?」

「いかにも、我こそは悪意の象徴、マリス=マルヴォレンス=マーカー。魔界の副領主である」

 マリスは常に口元を楽しそうにしながらルミナスを見つめている。まるでその見つめ方は舐め回すようで、その名の通り悪意を感じるものだ。ルミナスは魔王であるヴァンの前でさえ、その圧倒的な威圧感でも動じない度量の持ち主だが、このマリスの前では違った。ルミナスはその意図が全くわからないが、たったひとつの純粋な感情を受け取っていた。自分を害する意志、悪意である。

 ルミナスは純粋で強烈な悪意で、再び血の涙を浮かべていた。

「な……なんですか。私はあな……たになんか負けません……から」

「血の涙を浮かべてまで強気なことを言うお前は、ヴェーデルハイム様の言うとおり数千年に一度の逸材ね。いつまでそれを保っていられるか見ものだわ」

 マリスはどろりとした赤黒い液体で満たされたグラスを空にして、おもむろにその椅子から立ち上がった。彼女は口元を楽しそうにしながら、悪人の垣根に囚われた人々を足蹴にする。まさにそれは人間が持つ悪戯、それをより純粋に、より強力に体現していた。つまりは好奇心などではなく、純粋に悪意に満ちた悪戯であった。

「うふふ、見て、苦しそうよ。……おっとつい夢中になってしまいました。要件はどうせ人間界に帰りたいと言うのでしょう?」

「話が早いわ」

「無理よ」

 即答だった。ルミナスも悔しかったが、想定の範囲に収まる回答だった。

「アレクサンドルを降臨させ、世界を再び支配下に置く間、貴方をここで保護する。それがヴェーデルハイム様の意志であるかぎり、我らはあらゆる手段を持って貴方を人間界に戻らせはしない」

「あなた達悪魔がやっていることは人間として受け入れるわけにはいきません。同族が理不尽に殺され、国民が危険にさらされることを黙って見ては居られません」

「これは人類と悪魔にとって必要なことよ。あなた達人間は調子に乗りすぎたのよ」

 突如ルミナスは座っている椅子に熱を感じた。その感覚を覚えた時にはもう遅く、冷たい金属の椅子は鋳薔薇の形に変形し、刺がルミナスの体を貫通して身動きが取れなくなってしまった。全身を襲う強烈な痛みと強い拘束力で、ルミナスは完全に椅子に固定されてしまった。彼女は喉が潰れそうなほどに叫んだ。

「マリス! 何をする!?」

「痛みの中で話を聞きなさい。なぜ人間に悪意や憎しみがあるのか、貴方は疑問に思ったことが無いかしら?」

「あるわよ! 何千回も、何万回も、なぜ人は争うのかと疑問に思い続けた!」

「簡潔に言う。これらの感情は、必要だから備わっているのです」

「悪意や憎しみが必要ですって!?」

 僅かに動く上半身を揺らしてマリスに噛み付こうとするが、ルミナスは一向に動けなかった。

「愛憎は表裏一体よ。愛が人を増やす感情ならば、憎しみは人を減らす感情です。生物はその個体数を急激に増やせば滅亡の一途をたどる。しかし種の生産調整システムである憎しみが働くことで、弱種の自然淘汰と優生種の存続を保ちつつ、数を徐々に増やしながら発展することができるのよ」

 そんなはずはない。ルミナスは否定したが、理性で考えると合理性もある。仮にマリスの言っていることが正しいのであれば、憎しみが機能しないとなれば人間は急激な繁栄を遂げ、あらゆるリソースを食い尽くし滅びることとなるだろう。その行き過ぎた繁栄にブレーキをかけるのが、人間に備わった憎しみという感情だというのだ。

「我々悪魔は人間の感情の源泉で、人間の繁栄のために存在するのです。我が悪意は人間の社会に不条理さを与え、憎しみを増長させる。ヴェーデルハイム様の憎しみは互いを争わせ、人間の数を調整する。怒りは時に繁栄の原動力となり、悲しみは成長の糧となる。妬みは盛者必衰の理を維持するため、苦しみは他の感情の下地を作る。あらゆる負の感情は人間に備わった、繁栄のための機能なのです」

 マリスは白目をむきながら正面を向くルミナスの頭を鷲掴みにして、その顔を下に向かせた。そのまま彼女の顔を地面に強く押し付けると、赤黒い土から無数の虫が湧いた。

「ルミナス、貴方は直視する必要があるのです。次の世界を導く者として、荒れ狂う人間界を視なさい。そして我々に、強大な怒りを覚えるのです」

 ルミナスの魂は暗く深い所に拘束され、瞳を閉じることの許されない世界へ埋まってしまった。いつ終わるともしれない痛みと、体中が虫に掻き回される苦痛。そして人間界の悲鳴がルミナスを包み込んだ。

 気絶することも許されずに。

 

 COF号はアメリカ大陸東海岸のニューヨーク沖、ニュージャージーバイトに浮遊していた。アレクサンドルはアメリカがCOF号を迎撃するためにニューヨークを要塞化することは予見していたが、あえてそれの準備が完了することを洋上で待っていた。やろうと思えば準備が整う前に大西洋を渡ることも出来たが、それではあまりにもあっけなく終わってしまう。久々の戦、それも圧倒的有利な状況を楽しみたかったのだ。

「望遠カメラでニューヨークの映像を写せ」

「メインスクリーンに投写します」

 ニューヨークは見事に武装していた。摩天楼は天然のトーチカとなり、各フロアから毛が生えたように速射砲が配置されている。しかしそれ以外に視界に入る兵器は無く、強いていうならば何もないことが異常な雰囲気を醸し出している。何故ならばニューヨークとは沢山の人が闊歩する街であり、その大通りには車一台通っていないし人影もない。悪魔の軍勢がやってくるのだから人が逃げるのは当然だ。

「一見すると空っぽの街だな。しかし物陰には大量の戦車やミサイル搭載車が隠れているに違いない」

「アレックス、どう攻めようか」

「奴らは俺たちを倒すために賢い手を使ってくるだろう。そういえばヴァン、HYMENのプロモーションをアメリカの小僧の前で行ったそうだが、防御限界については話したか?」

「話していない。しかし、肉鉄のドレスの戦闘を解析すれば限界値を推測することは可能だろうから、奴らはCOF号で展開しているHYMENの防御限界を知っているだろう」

「まあそんなところだろう。であれば奴らの秘策を推測しようと思ったら、大質量の物体をどのようにしてCOFにぶち当てるかを考える必要があるな。洋上に浮かぶ城に打ち込むためには空中から持ってくるしか無い。となると、飛行機でも当てるつもりかな」

「ジャンボジェット1機では足りないだろうから、数百の飛行機をこちらに向かわせているだろう。迎撃もしたところで神風特攻されれば突っ込まれることには変わりない。妙案だな」

「ほらな、こんな完璧に見えるCOFでも穴はある。でもな、穴っていうのは陥れるためにあるんだぜ」

 アレクサンドルは侍らせていたベスの魔女たちを優しく押しのけ、玉座から立ち上がりにやりと笑った。

「高度を下げつつ全速前進、地上降下部隊は出撃フェーズに入れ。COFはこれよりニューヨーク沖に接岸する」

 動き出した瞬間に摩天楼の砲口がCOFに集中した。撃ってくることはないが、ここで降下部隊を放つことは出来ない。同時に地上にも動きがあった。続々と歩兵がメインストリートに繰り出した。出たところでどうにかなるわけではないが、戦わずして死ぬのは何としても避けたいということだ。

「レーダーに飛翔体は存在しない。ということはまだ飛行機が神風してくるまで時間があるな」

「人間の切り札が飛んでくるまでの間、そこの人間どもは我々を惹きつけて置かなければならないし、全滅することもならない。この時間をどう楽しもうか、なあアレックス?」

「人間である俺が考えうる最高に残虐な戦いをしよう! ベルゼブル作戦を開始、サラ=ジェンドリンを先頭にして悪魔兵団を投下せよ」

 彼女の母は戦乙女と呼ばれていた。

 話は遡り、セルビア王国はたった一つの重大な領土問題を抱えていた。国内のコソボ・メトヒヤ自治州の独立問題である。この問題は数十年前より続く領土問題であり、国際司法裁判所での事実上の承認を得てから事態は急展開し、セルビア王国は断固として独立を認めない意志を再表明。それに反発するようにコソボ国内に在住していたセルビア人は迫害されることとなった。これを重く見た当時の国王であるレオニード=エンキュリオール20世はコソボ国内のセルビア人を王国側に引き渡すようにコソボ暫定政府に打診。しかし、あろうことかコソボはこの数十名のセルビア人を人質に取り、独立を認めることを要求した。当然ながら受け入れることは出来ない。そこでレオニードは王国軍で最も優秀な兵士で構成された特殊部隊を編成し、コソボ国内に取り残されたセルビア人の救出作戦を決行した。その部隊を率いたのが彼女の母、ジナイーダ=ジェンドリンである。

 ジェンドリン隊は秘密裏にコソボ領に潜入し、内通者として逃走ルートを確保。セルビア人人質の居場所を突き止めて逃走を決行。人質は無事全員がコソボ領から脱出できたが、最後の人質を逃すときにジナイーダはコソボ兵の銃弾を受けて負傷し、一人だけコソボに取り残されてしまった。勿論密入国のセルビア王国軍兵士の存在はセルビア王国の立場を圧倒的不利に追い込むため、セルビア王国としては黙殺するつもりであった。しかし、ある少女はそれを知って、決して認めなかった。

 レオニードの娘、当時は高校生であったルミナスが異議を唱えたのだ。

『また一人、素晴らしいセルビア人が殺されようとしています。もう無用な争いはやめましょう、私達は国際社会の言論の場で負けたのです。これ以上コソボという狂犬を我らが領土につなぎとめていても、誰も幸せになりません。私は独立を認める声明を発表します。だからお願いです、私達の英雄を返してください』

 王女の意見は強大だった。その言葉はセルビア国内の浮動表を大きく揺さぶり、世論は独立承認へと向かった。この問題はあまりにも長引きすぎて若年層は興味がなかったが、ルミナスの演説はその彼らを特に動かしたのだ。

 コソボの独立承認声明が発表されるとジナイーダは約束通りにセルビアへ帰還することが出来た。その様子は国営放送で全国に放映され、ジナイーダは多くのセルビア人を救った英雄として賞賛された。

 だが運命は常に過酷であった。残念なことにジナイーダは負傷による出血と体力の消耗で間もない命であったため、セルビア国内の病院に搬送された時点で死亡した。あまりにも哀れに感じたルミナスは彼女のために何かできないかと考え、国内で資金を募りジナイーダを国の英雄として国葬にかけた。娘であるサラ=ジェンドリンはその国葬を昨日のことのように覚えている。

 時を経て、サラは王国軍に志願した。国営の士官学校を最短で卒業し、王国軍のベオグラード城の警備部隊に配属された。彼女は母を弔ったルミナスに仕えることを決意したのである。

 しかし、モンテネグロの侵攻により死傷を負った。

 まだ配属されて間もないというのに、彼女は死んでしまった。まだまだルミナスを守りたかったのに、まだ養わなければならない家族がいるのに。そんな悔しさに満ち溢れた中で彼女は人生最大の過ちを犯すのであった。

『死体か……いや腐ってはいない。生きてるなお前? 寝てないで早く起きろ、あの世に逝く前に戦争だ』

『私はまだ死にたくない……っ。姫様をお守りしなければ……ならないっ!』

『であれば”私と”契約しろ。悪魔の契約だがね』

『悪魔? 何でもいい、姫様を守れるなら……』

『よかろう。魔王ヴェーデルハイムの名の下に命ずる、汝逝く事を知らない骸となりて我が剣となれ』

 今思えば刹那の時の中で交わしたこの契約が、今の彼女を作ったのだ。虚ろな意識の中で選択したのは女王との契約ではなく、魔王との契約だったのだ。

 サラはその時、たった一人の大量殺戮兵器と化した。

『聞こえるか、サラ』

「はい、ヴェーデルハイム様」

 時は流れて現在。ニューヨークの地獄。

『バーグソンを除いてあらゆる人を喰いつくせ。命令は以上だ』

「承知致しました、ヴェーデルハイム様」

 真っ黒なカプセルが爆発とともに開いた。COFから射出されたそのカプセルはニューヨーク市街の中心部に投下されたもので、中から異形の人影が姿を表した。対物マシンガンが左手と完全に融合しており、右手は昆虫の手。上半身にはサラの肉体が残っているが、下半身はハエの形をしていた。その姿を一言で表すならば、サラは人型のハエになったのだ。

 サラの目の前にアメリカ兵が銃を構えていた。躊躇なく引き金を引くがその銃弾は届かない。何故ならばサラの身の回りには無数のハエが飛び交っており、そのハエの群衆が彼女をバリアのように包んでいる。銃を撃った兵士にその群れが飛び移り、骨だけを残して肉を食った。サラはコンクリート壁に隠れている兵を見つけると、大口径の対物マシンガンでその壁を粉砕し、長く伸びた右手でアメリカ兵を掴んだ。そして幾度と無く地面に叩きつけると、口からウジ虫を吐き出してそれを死体に付着させ放り投げた。サラはこのようにそこら中にウジ虫をばらまいている。

「私の赤ちゃんたち……、沢山の人をお食べ……」

 COFから降下した悪魔兵団が死体の山を作り、そこにサラのウジ虫が取り付いた。ソルジャーマゴットと呼ばれるこの蛆虫は人間の脳に寄生することでその肉体をコントロールすることができる。これを敵に仕向けることで敵を殺させることができるだけでなく、戦意を大きく削いで一方的な戦いとなるのだ。ついさっきまで戦友だった人間がゾンビとなって襲い来る様は敵にとっては残酷で、どうすればいいかわからないまま殺されていくさまは悪魔にとっては必見である。この戦術は以前、モンテネグロの反乱軍に対してRHKが行ったものだが、サラが真っ先に反対して中止させた。それを彼女が今行っているのは最高の皮肉である。

 前方に戦車があらわれ、砲をサラに向けた。鼓膜を破りそうな爆音と衝撃波とともに徹甲弾が発射され、彼女の胸部を貫通した。しかし、そこに何の臓器もない彼女にとってその攻撃は無意味である。反動で仰け反った上半身を素早く起こし、対物マシンガンでその戦車を蜂の巣にした。彼女の脳内には大量の快楽物質が分泌され、人を殺すことが快感となり彼女の精神を駆け巡る。

「これが……悪魔なの……?」

 理性では理解しているつもりだった。しかしヴェーデルハイムの契約による”悪魔化”により、彼女は身も心も悪魔に侵食されている。故に心は殺人を求め、繁殖の欲求である性欲がウジ虫の放出を求めることにすり替えられている。彼女はもはや人類の尊厳など忘れ、人をひたすらに犯し続ける悪魔となってしまった。

 ニューヨークのビルは全て要塞化され、空中を飛翔する悪魔たちに対抗すべくスターリングシルバー製の砲弾を発射する対空砲が配備されていた。COFから飛来する無数の悪魔たちを撃ち落とし、地上への被害を最小限に留めることが彼ら砲兵の任務である。

「10時の方向、撃て!」観測手が砲手に悪魔の位置を伝えた。

 20ミリのスターリングシルバー砲弾がガーゴイル型の悪魔に命中し、それは力なく地上へ墜落した。砲手の使っている対空砲は最新式のもので、ある程度標準を合わせてしまえばレティクルに最も近い物体に対して砲身を自動調整する。動く物体であれば移動速度と方向から偏差射撃を行うことができるので、極めて高い命中率を期待できる。このような対空砲がビルのあちこちに配備されている。

「敵の数は大量だが……戦うことはできるぞ! 人間は勝てるぞ!」

「よーし! どんどん弾を持ってきてくれ、この指が擦り切れるまで撃ち落とし続けてやる」

 オリハルコン砲弾の有効性を見て戦意が奮い立った兵士たち。その後も順調に悪魔を撃ち落とし続けたが、しばらくすると別の部隊から不穏な報告が飛んできた。

『こちら2-3ブロック部隊! 全部隊警戒せよ、ドラゴンが来るぞ!』

 観測手は双眼鏡の中に黒い何かを見た。ガーゴイル型の悪魔たちも黒色であったが、それは黒いだけでなく飛び抜けて大型のものであった。それは太く長い腕に翼膜をはためかせ、長い尻尾と全身を鎧のような黒い鱗で覆っている。その形状はまさにドラゴンである。

「まるでお伽話だ。ブラックドラゴンとはな……」

 しかし恐れることはない。古来より伝わる魔法生物であるドラゴンだが、その荒い気性から人間にとって害獣とされてきた。故にドラゴン殺しなる職業が過去には存在した。

 人間は自分の体の数倍はあり、しかも並みの生物では考えられないような生命力と破壊力をもったそれを討ち滅ぼす術を持っている。それがこの魔力吸収効果がある銀の弾丸であり、ドラゴン殺しが自らの名前をつけた切り札である。

 しかし通信網から驚きの情報が舞い込む。

『こちら1-1ブロック部隊、畜生ダメだ、このドラゴンに砲弾が効かない!』

「なんだって!?」

『黒い光が……迫ってくる……。うわあぁあああああああああああああああああああああああ』

 断末魔が通信網にこだまする。兵士が1-1ブロックを見ると、巨大なドラゴンが高層ビルに体当りして数フロアが破壊されていた。ビルを支える支柱は完全に壊れてしまったようで、ドラゴンが突っ込んだフロアの上の階層が倒壊し始めていた。轟音上げ、と大量の埃を舞い上がらせながらビルが潰れた。その様はまるで911のワールドトレードセンタービルにアルカイダのジェット機が体当りした時の映像を思い起こさせた。そんな壮絶な状況で、普通の生物であればあの中で生きていない。しかしその黒く光る蜥蜴は岩雪崩が発するような声を上げ、その生命が有ることを示した。

「我が名はウシュムガル。勇姿を魅せよ、小さき者よ」

 彼の名はウシュムガル。古代東ヨーロッパの伝承に伝わる黒竜であり、魔法神としても言い伝えられてきた。

 東欧の魔術流派ベスディーロイヤにおいてはレオナールの次に尊敬される悪魔の一つであり、多くの生贄を捧げる代わりに多くの魔法をその者に伝えたとされる。黒魔術が黒という名前を冠するようになったのも彼の影響が多きく、その黒く雄々しい姿に憧れた人々が自らが使う魔術を黒い龍が使う魔術として黒魔術と呼んだのだ。

 レオナールが伝承した魔術は主に人体破壊系であり、現在のベスディーロイヤ魔術の中核を構成している。しかしウシュムガルが伝承した魔術は同流派の中ではマイナー魔術とされる劣化系である。

 ウシュムガルは深呼吸をした後に、大きく息を吐いた。その息は紫色の煙であり、その煙に触れた鉄筋コンクリートは急激に劣化してしまった。鉄筋はまるで数千年の月日が経ったかのように錆びて、コンクリートは中性化して粉となってしまった。

 劣化魔法が魔術において主流ではない理由はその難易度に有る。劣化とは人間主観の化学反応であり、その物質が使用する人間にとって都合の悪いように変質することである。微生物の動きに例えるならば、有機物の腐敗は劣化であり、発酵は有益な変化である。無機物であれば最も一般的な劣化は酸化であるが、これはその物質がより安定した状態になろうとする動きが成したもので、人間にとってそれが都合が悪かったというだけで自然なものである。劣化魔法は物質を常に”人間にとって都合の悪い”状態にしてしまう魔法なのだ。必要であれば物質に別物質を反応させ、あるいは還元する。

「畜生、対空砲が効かない!」

「徹甲弾がダメなら成形炸薬弾だ。ランチャーを持ってこい」

 兵士はHEAT弾頭を持ったロケットを発射できるランチャーを用意した。対戦車用の大型のもので、一人が標準を担当し、もう一人が長い筒の後方を肩に乗せて支える。幸いウシュムガルの図体は大きいので、弾を当てること事体はそう難しいことではなく、狙ったとおりに命中するはずだった。しかし、発射されたロケットは命中し爆発したものの、その黒い鱗に何一つ傷をつけることは出来なかった。モンロー・ノイマン効果で鱗を貫通するはずのメタルジェットが、鱗に触れた瞬間に酸化してしまうことで流体としての性質を失い、本来の貫通力が失われていたのだ。

「全く効果が無い……。悪魔の劣化魔法とはあんなにも強力なものなのか……」

 ウシュムガルはロケットを発射した兵士を見つけると、その大口を開けてみせた。口内まで真っ黒なその口に黒い光が集まり、耳をつんざく高音を放ちながら魔力が集中する。そして真っ黒な粒子が兵士とそのビルのフロアを直撃した。しかし、粒子の直撃を受けた人間や建造物は、なんの劣化も起こらなかった。

「おい、今何があった!?」

「黒いブレスの直撃を受けちまった。畜生、でも、何も起こらねえぞ!?」

 何も起こらないことが更に不安を呼び起こした。確実にウシュムガルは人間に危害を加えたはずだった。

 変化は一呼吸遅れて現れた。黒い粒子を浴びた兵士の体が、どろどろに融けだしたのだ。黒い粒子は人間の体を構成するタンパク質を分解し硫酸を生成する酵素だったのだ。

「体があぁあああ! 体があぁあああああああああああああああああああああ」

 人体のタンパク質が分解され失われ、更に硫酸がタンパク質に反応して溶かす。酷く臭う煙を上げながら、人間たちは骨すら残さず硫酸と水と分解できない灰となって消えてしまった。

 ウシュムガルは雑音ばかりのかすれた声で叫ぶ。

「闇に包まれて腐るが良い」

 ニューヨークが阿鼻叫喚地獄となっている時、それを一歩引いたCOF号の障壁内で見ている一団があった。彼らは次の暗黒時代で人類の主人として君臨する、ベチケレク魔法学校の黒魔術を学ぶ生徒たちである。

 ヴァンの計画では世界を征服した後に、下僕となる人間たちのマスターとして彼らを育成することになっている。そういう彼らには人間を超えた力が必要であり、今日はこの戦乱の時を使ってより実践的で強力な魔術を学ばせる必要があった。

 ベチケレク魔法学校の生徒の成熟は早い、と言うよりか直ぐに実戦投入されるのが特徴だ。攻撃性の高い黒魔術は実際に戦ってみないことにはその腕を磨けないので、座学で理論だけをいくら成熟させたところで実際に使えなければ何の意味もないのだ。特にセルビア王国古来より伝わるベスディーロイヤ式黒魔術は人体破壊が真髄であるため、幾多の人体実験のために幾多の命を奪わなければならない。そのためには国内の犯罪者だけでなく、必要とあらば戦地へ、あるいは新しい死体をこさえるべく国外の非合法な暗殺にも手を貸す。しかしながらおおっぴらに活動できない分、本当の意味で一人前に慣れるベスの魔術師は限られるものだ。

 そしてこのセルビア王国以外の人類に対する戦争行為である。これの次は何時起こるかわからない世界大戦レベルの戦争こそ、人殺しを行うための黒魔術にとって最も望ましい状況である。

 何よりも貴重なのは、その魔術師たちに教える教師というのが悪魔信仰系黒魔術流派の始祖とされる彼、アレクサンドル=エンキュリオール1世であることだ。彼はルミナスの体を乗っ取っているので、その姿はセルビア王国民に取っては見慣れた姫様だが、着ている服は彼女の清楚なイメージとは違うものだ。

 体型がくっきりと浮かび上がる黒いレザーの上着。黒いガーターベルトが覗くスカートと、黒いレザーのオーバーニーブーツ。それは風俗街のSMクラブにおける女王様という出で立ちである。

「若き黒魔術師諸君、君たちは非常に恵まれた世代に他ならない。何故ならば人類最強であるこの私の講義を受けることが出来るからだ」

 成績と実戦評価においてトップクラスの魔術師たちが、ベオグラード城のほぼ頂上に位置するテラスへと集まっていた。彼らの年齢や性別は様々で、身につけているものも流派によって様々である。

 その優秀な黒魔術師の中には勿論、RHKでの実戦評価において最上位とされるフランシスカ=ヘクセンが居た。彼女はその半開きの目をアレクサンドルに向けているが、驚くべきなのはその隣に白魔術宗派であるナロードナヤ式の魔術師が立っていた。端正な顔立ちの美少年はロシアからの留学生であるミロン=アファナシエフである。

「そこのお前は白魔術師だな? 此処で何をやっている。何故正気でいられるんだ?」

 本来であれば悪魔に王国を委ねることを反対する国民は、精神干渉魔法である悪魔化によって、悪魔という存在を強制的に受け入れさせられているはずである。しかしミロンの目は常にアレクサンドルに対して疑いの混じった視線を送っており、彼にミロン意識させるに至った。

「僕は悪魔が憎い。でも愛するフランシスカは僕に悪魔が正しいと語った。常に人間が正しいとは思っていないから、僕は僕の愛する彼女が信じることを見届けることにしたんだ」

「そうか、お前はフランシスカから”この戦争の本当の目的”を聞いたんだな。白魔術師としては聞き分けのいい奴だ。しかし本当のところは違うんだろう? 君はもっと動物的本能からそれを合理化したんだ。ベスの魔女のセックスは最高にうまいからな」

 周りの黒魔術師からどっと笑いが起こった。ミロンは顔が真っ赤で今にも燃えてしまいそうだったが、その指摘は本当に的を射ていた。

 彼はフランシスカから”恋の魔法”をかけられ、性欲が理性を上回っていたのだ。

「……アレクサンドル様、彼のことはいいので授業を」と、フランシスカが何食わぬ顔で言った。

「そうだな、授業を始めよう」

 アレクサンドルは黒煙の立ち上るニューヨークの街を向いて語りだした。

「私は魔界言語を読めるので、悪魔と同じ原初黒魔術が使える。原初黒魔術は魔力の消費量という意味でも人間が使えるものではない。よってこの場で諸君に教えるのは魔法ではなく、膨大な魔法を調達する手段である」

 アレクサンドルが指をパチリと鳴らすと、フランシスカの妹である悪魔フリーデリケが現れた。甲冑の中を腐肉で満たしそれを操り行動する彼女は、その強力な力を使って滑車付きの鉄の檻を引っ張ってきた。その檻の中には負傷して動けなくなったアメリカ軍の兵士が閉じ込められていた。アレクサンドルはこれからこれを利用する。

「魔王ヴェーデルハイムを復活させる際に使用したエネルギーは、とてもじゃないがこの私一人が持ち得るものではない。だが考えてみたまえ。我々の周りにはうじゃうじゃと、その根源が闊歩している事を」

「それは……もしかして彼らでしょうか?」

「そうだ、生贄だ。私はこのバルカン半島に生きていた人間を全て生贄とし、魔王を復活させたのだ。数万人規模で行った生贄の術は流石に年単位の時間がかかったが、戦場において数十人の人間を生贄、つまり魔力変換することは簡単だ。そして簡単な割に、得られる魔力は膨大である」

 人間という存在を魔力に変換することは、単に質量変換するエネルギーを取り出すだけではない。その人間が抱いてきた全ての感情、その人間に他者が抱いた全ての感情も、強大なエネルギーとして変換されるのだ。悪魔たちが感情エネルギーを糧としていることが、そのエネルギーが強大であることの証だ。

 講義の途中、城内のスピーカーからアナウンスが聞こえた。

『洋上の飛行機群、まもなく射程圏内に入ります。アレクサンドルは攻撃準備を』

「では実演するとしよう。ここに居る20名の兵士を生贄に捧げ敵の飛行機を攻撃する」

 アレクサンドルは手のひらにナイフで傷をつけ始めた。しかしそれは単なる傷ではなく、傷跡で作られる専用魔法陣である。

「冊子4ページにある魔法陣を利き腕の手のひらに掘る。別にペンで描いてもいいが、効果を永続させるならば掘ったほうがいいだろう。インクだと手汗で消えるおそれがあるからな」

 次に彼はその傷つけた手で、魔剣エンキュリアの鞘を抜いた。

「術を施した手で武器を持つ。この武器で生贄を殺せば、その血液に膨大な魔力が発生する。しかし個人の魔力貯蔵容量には限界があるので、この魔力を使用する魔法の詠唱は、生贄を殺しながら行え」

 彼は血だらけのその手でエンキュリアを握り、何の戸惑いもなくアメリカ兵の喉元を切り裂いた。檻の中に詰め込められた兵士たちを、檻の外からまるで海賊脱出ゲームをやるかのように殺した。そして同時に恐るべき魔法を詠唱し始めた。

『引き寄せろ。彼の翼を溶かし、我が望む地に落とせ。燃え墜ちる天使を』

 命令形の呪文が詠唱された直後、空から雲を切り裂いて赤熱した塊が高速で落下してきた。その塊のサイズは拳ほどの大きさしか無いが、それはまさに隕石であった。無数の隕石が飛来したのだ。

 その隕石群は狙ったようにCOF号に特攻してくる飛行機軍に降り注ぎ、その全てを蜂の巣にした。燃料タンクから主翼まで全てを粉々に粉砕された飛行機が、揚力を失って力なく海中に没した。

 そう、アレクサンドルは魔法によって意図した場所の引力を操作し、衛星軌道上に予め打ち上げておいた岩石を、意図したタイミングで落下させたのだ。

「この魔法を私は”燃え墜ちる天使”と呼ぶが、その工程は複雑である。お前達が安々と使えるとは思えないが、こんなことも可能だという例を示しておこう」

 その場に居た全ての魔術師が呆気にとられていた。あの無表情なフランシスカでさえ、瞳孔が開くほどに驚いていた。生贄の魔力変換というテクニック自体はそこまで難しくはないが、それにより手に入れた膨大な魔力を使用する方法はまず真似できるものではない。人類最強と言われるのも無理はなかった。

「お前達の場合はこれほど高度な魔法を使うのは出来ないだろうが、注目すべきなのは生贄の魔力変換方法だ。つまりは君たちが今まで無駄にしてきた数々の命を、魔力として有効活用できるのだ。これが人死が多く出る戦場ではどれほどの優位性を持つか、馬鹿じゃなければ解るな?」

 敵を殺せば、より多くの敵を殺す力が手に入る。それは個人が殺せる人間の数を、加速度的に増やすことが出来るということだ。魔力枯渇を全く気にしないで魔法を使うことができることも、このテクニックの恐るべき効果である。

「ベスディーロイヤのフランシスカ、そういえば君は母親を生贄にしてフリーデリケを覚醒させたようだな」

「……はい」

「そしてお前は人間離れした魔力貯蔵量を持っている。そんなお前にとっておきの魔法があるのだが……教えてほしいかね?」

 フランシスカは迷わず首を縦に振った。それにアレクサンドルは酷く禍々しい笑みを浮かべた。

 直後、アレクサンドルは椅子に座って自身のミニスカートめくった。しかしそこにあるはずの布はなく、綺麗に手入れのされた性器が露出していた。

「舐めろ」

「……えっ」

「教えて欲しければここを舐めろ。それくらいベスの魔女には容易いだろ?」

 普通の少女であればためらうものだ。風俗街の商売女であれば、金次第で普通に舐めるだろう。しかし、それは相手が男である場合の話だ。特殊性癖も有り、普通よりも実は淫乱な彼女は、彼氏であるミロンの一物は幾らでも咥えたし、中に入れたこともある。女を慰める女というのも居ないことは無いが、フランシスカの場合はそういう趣味はなかった。

 だが、フランシスカは数秒悩んで首を縦に振った。

「フ、フランシスカ! 本当にやるつもりなのか!? もう少し考えたら……」

「……構わない。……力を手に入れ、もっとヴェーデルハイム様のお役に立ちたい……」

 フランシスカは珍しく顔を赤くしながら、アレクサンドルの前に跪く。そして、その顔をスカートの中にうずめた。

 周りの生徒が生唾を飲み込みながら、指を咥えてそれを見ていた。ミロンとてその淫らな光景から目を話すことは出来ず、両手で視線を遮ろうにも、指の隙間からそれを見てしまう。

「ああ……女の体というのも悪くない。いいぞフランシスカ、舌も入れろ。あとそこの白魔術師」

「なっ……なんですか……?」

「今どんな気持ちだ?」

 今までは言葉を失っていたミロンだが、いきなりの質問に戸惑っていた。あまりにどうすれば良いか分からなかったので、彼は素直に答えた。

「……悔しい……です」

「彼女を取られたようで悔しいか! さぞ悔しかろう! 正直に答えたお前に褒美をやろう」

 アレクサンドルは魔剣エンキュリアを、フランシスカのスカートに差し込み、鋭利なその刃でスカートを切り裂いた。下着すらも切り裂いてしまったので、今は彼女の柔らかな臀部が露出している。

「ミロン、フランシスカを後ろから犯していいぞ」

「なっ……!? 今、この場で!?」

 さっきの戸惑いとは別の次元で戸惑うミロン。流石に変態性欲魔女の彼氏である彼でも、人前で行うような太い神経を持っていなかった。しかし、本能は決してそうは言っていなかった。

「ミロンっ!!!!!」

 甘い吐息を漏らしながら、フランシスカが彼の名前を呼んだ。

「…………めちゃくちゃにして」

 少年は我を忘れて獣になった。その後どうなったかは覚えていない。

 ニューヨークの街は黒煙が立ち上り、ビルは鉄骨をむき出しにして倒壊していた。

 地上では殺戮兵器に変えられたサラが地上部隊を蹂躙し、多くの血液を垂れ流しながらその死体に蛆虫を産み付けている。そこで成長したベルゼブブの使い魔であるハエの大群が、ニューヨーク一帯に散開し、隠れているアメリカ兵をくまなく殺し回っている。

 一方、ビルに潜んでセルビアの飛行悪魔部隊を攻撃していた兵士たちは、黒竜ウシュムガルによって人としての形を失っていた。ウシュムガルは有機物や無機物、生物非生物にかかわらずそれを腐敗させ、全てを役立たずに変えていた。

 COFの防御壁HYMENを打ち破る秘策であった神風特攻飛行機群も、アレクサンドルの魔法によって全てを撃墜されてしまった。もはや人類には為す術がないように見えた。

「無駄なあがきだったな、人間どもよ」

 ヴァンは中央スクリーンに映るニューヨークの惨状を見て、かなりつまらなそうな顔をしていた。

「ヴェーデルハイム様、迎撃部隊からの攻撃はありません。殲滅したと思われます」

「本当にこれで終わりか? 大統領の確保はまだか?」

「いいえ、報告はありません」

 ヴァンもここに大統領がいるという確信はなかった。大統領が全国に向けた声明でニューヨークで待っていると宣言し、他に宛もなかったので来ただけだ。いずれにせよヨーロッパからアメリカに渡る最短の経路上にニューヨークはあるので、いずれにせよ蹂躙していく予定だった。

「これからどういたしましょうか」

「HYMENを破るにはあの飛行機群の総質量で、本当に十分なものだったか?」

「機種から算出した質量の合計は、確かにHYMENの許容質量を超えるものでした」

 ヴァンは次の一手を何にすればいいのか、彼には珍しく悩んでいた。このままアメリカ大陸を横断し、道中の人間を虐殺していくのもいいが、そのような残酷な行いをすることを見据えて罠を仕掛けているかもしれない。

 何よりも彼は楽しみにしている。それは人間が、バーグソンがどのような手を使って抵抗してくるかを。

 一方的に有利な状況であるにもかかわらず、悪魔たちは一切緊張を解かない。その中にだらしがない格好でアレクサンドルが現れた。ジャケットははだけ、膨よかな胸があらわとなっている。

「迎撃ご苦労だったな、アレクサンドル」

「いやあ、全く気持ちのよい時間だった。ベスの魔女はとても淫乱で楽しめたぞ。しかし、術を展開した時に上空の物体感知術式に違和感があったな」

「違和感? 弾道ミサイルか?」

「違うな。質量と体積からしてミサイルではないし、高度がはるか上空、そうか宇宙にあるものだな。人工物であるような感じがしたんだが、あれはなんだろうな」

「もしかして宇宙ステーションじゃないか? 国際宇宙ステーションというやつだ」

「おい、ヴェーデルハイム。それはどれ位大きい物なんだ?」

 それを聞かれてヴァンはニヤリと笑った。彼の頭脳に一つの突破口が描かれたのだ。それは人間にも思いつき得るアイデアで、数世紀に一度の戦いであればとり得る最高で最後の手段である。

 そして期待は空から降ってきた。レーダーは横方向の障害物に対しては有効だが、上方向の感度に関してはあまり重要視していなかったために反応が遅れたのだ。

「上空、直上から巨大な物体が落下してきます!」

「避けろ」とアレクサンドル。

「無理です。発見が遅すぎて、全速力で回避行動をとっても落下予測地点から退避することは出来ません!」

 セルビア領土であるCOF全体に影を落とした巨大物体が落下してくる。それがHYMEN表面に触れた瞬間、稲妻が落ちる音を放ちながら別世界へと転送されていく。それこそ今まさに話されていた国際宇宙ステーションであり、その体積はHYMENの転送許容量を超過していた。ステーション全体がHYMENに飲み込まれた段階で防壁の発生源であるブラックアメジスト結晶が割れ散り、完全防御結界であるはずのHYMENは強制的に解除されてしまった。

「HYMEN解除! 宇宙ステーションの残骸が少数落下し、領土内の被害は軽微」

「ヴァン、ここらが潮時だろう。そろそろ高みの見物はお終いにしようか」

 宇宙から降ってきたのはステーションだけではない。宇宙ステーションの影に隠れて複数の飛行物体が降下し、セルビアの領土内に着地した。

「なんだあいつらは、スクリーンに奴らを映せ」

 中央スクリーンに映しだされたのは降下した物体の拡大映像。そこには人型の甲冑のようなものが映っていた。しかし甲冑というのは昔の人であるアレクサンドルの感想であり、実際は甲冑などではなく、全身にアクチュエーターを装着して運動能力を強化するパワードスーツを装着した人間であった。

「パワードスーツか。確かに生身の人間が悪魔と対等に渡り合おうとしたら、そこに行き着くよな」

「感心している場合かな、アレクサンドル。更に新手が来た……ぞ……」

 ヴァンは珍しく口ごもった。映像に映った一人のパワードスーツが、そのヘルメットを外して顔を露わにした。その顔は彼にとって千年以上待ちわびた者の顔だったのだ。そう、あの勇者の子孫であるバーグソン=アーレンスである。

『ヴェーデルハイム、聞こえているんだろう? 今からベオグラード城に向かい、貴様を殺す!』

 彼のパワードスーツには迷彩などは施されておらず、白銀の鎧に星条旗を描いたホワイトハウスのように派手なデザインである。そして注目すべきなのはその背中に背負っている大ぶりの剣。その剣は1500年前に彼を封印した勇者ベルクカイザーが持っていた伝説の剣”カイザークリング”であると、ヴァンは見ただけで思い出した。何故ならばその剣の刀身には特徴的なルーンが掘られており、あらゆる部分に退魔の効果があるとされるトパーズの中でも本当に効果のある種類であるゴールデントパーズが埋め込まれていた。

 カイザークリング、またの名をトパーズの剣とも呼ばれる。この剣は1500年前に勇者ベルクカイザーが持っていた剣であり、彼はこれを使って魔王を抹殺する予定であった。しかしながら力及ばず、その剣は使われること無く後世に受け継がれた。この剣を持つものこそが勇者の正統継承者であることの証である。

「ルシフェル」ヴァンは指鳴らして彼女を呼んだ。

「ヴェーデルハイム様、御用でしょうか」

「合衆国からの客人をもてなしてやれ。拘束封印の第1層の解除を許可する」

「承りました」

 ルシフェルは影の中を移動する特殊能力で姿を消した。

「ヴェーデルハイム、ブラックアメジスト結晶の修復は可能か?」と、アレクサンドル。

「再使用可能になるまでかなり時間が掛かる。幸いにも地上ではベルゼブブとウシュムガルが大暴れしているお陰で、奴ら以外の戦力は押さえつけられている状況だ」

 ヴァンはまた別のスクリーンを見る。そこには周辺海域のレーダーが映像化されていた。ずいぶんと前から認識はしていたが、SOTLの射程範囲外を保ちながらピッタリとついて来ていた艦隊が見える。望遠カメラの映像では艦砲射撃をする様子はないが、ミサイルサイロのカバーが上がっているのを見ると彼らはそのうち1発か2発のミサイルを発射してくるだろう。

「タナトス」

「何かお困りでしょうか、アレクサンドル様」

「COFへの攻撃が予想される。HYMENの修復と艦隊等からの攻撃に対する迎撃の指揮をここで頼む。侵入者の迎撃は俺とヴァン、ルシフェルで行う。地上部隊への指示も頼んだ」

「御意」

 ヴァンは玉座から立ち上がり、アレクサンドルとルシフェルと共に客人のもてなす。最高の敵に対しては最高の力で迎え撃つのが彼らの礼儀である。

 ベオグラード城から100キロメートル地点。アメリカ軍の対悪魔パワードスーツ部隊は時速120キロメートルの速度でヴァンが待ち構えているベオグラード城へと向かっていた。

 COFは土地そのものを空中に浮遊させて移動する巨大な大陸であり、彼らはセルビアの首都であるベオグラードに通じる高速道路を浮遊飛行しながら移動している。非常時であるため車はなく、順調に行けば1時間はかからずに目的地に到着する。

「前方1キロメートル、敵の悪魔兵がバリケードを作っています」

「対魔法炸裂弾用意、投擲」

 放物線を描いて手榴弾が放り投げられる。導火線が反応し、内部の火薬にまで反応が行き渡り、ちょうどバリケードのあたりで炸裂。魔力を吸い取り悪魔を無力化するオリハルコンの金属片が飛び散って悪魔を攻撃した。もだえ苦しむのは山羊頭の悪魔たちだった。

 見せた隙を逃さず、パワードスーツの兵士はライフルの先に取り付けたオリハルコン製のバヨネットで悪魔を串刺しにして、そのまま勢い良く引き裂いた。悪魔の体は魔力が奪われてしまったために組織の結合が崩壊し、全身を塩にして散ってしまった。銃剣に使われているのは凡庸な魔力吸収効果しかないスターリングシルバーなどではなく、ドラゴンさえも殺しきることのできる強力な魔力吸収効果をもオリハルコンである。このオリハルコンは精製難度が非常に高く、特殊な錬金術でのみ得ることができるために非常に希少な金属で、とてもじゃないが使い捨ての銃弾として使うようなものではない。故に彼らは銃剣としてオリハルコンの得物を持ち、それを活かすことのできる重装備をしているのだ。

「大統領、まもなくベオグラード城です」

「敵の迎撃部隊が少なすぎる。やる気があるとは思えないな」

 あまりの素っ気無さに警戒さえする一行だが、しばらくはそのまま順調に移動することが出来た。しかし、その快速も長くは続かなかった。

 先頭を飛行していたブラッティ大尉。AESFの隊長である彼は隊で最も勇敢な兵士として知られているが、その彼が徐々に減速していったのだ。何故ならば彼の視線の先には一人の女性が立っていたのだ。

「大尉、どうした」

「大統領、散開したほうが良さそうです」

 次の瞬間、ブラッティの目の前に青い光が発生した。青い光は最初は点であったが、直後には大きく広がり、強烈な高音と高圧で大爆発を起こした。ブラッティは寸前でその爆発を回避したために無事であったが、もしも直撃していたら装甲が融解していてもおかしくはなかった。彼のパワードスーツの装甲が、爆発から距離をとったのにもかかわらず赤熱していたからだ。

「迎撃部隊が物足りなかったのは、やはり貴様が居たからか。大悪魔ルシフェル」

 銀色の髪に真っ白な肌。アルビノを思わせる色素の欠乏したその悪魔は、RHK指定のオリーブグリーンの軍服に身を包み、両手にはノヴィ・ベオグラード特注の50口径サブマシンガン『RM100-SMG.50AE』を構えている。大悪魔ルシフェルと呼ばれる恐ろしい悪魔が、今にも人間を撃ち殺さんとそこに立ちはだかっていた。

「待っていました、大統領殿。ようこそ我が魔王の領地、セルビアへ」

 ルシフェルは一言のみの挨拶を終えると、RM100を構えてパワードスーツ兵士に向けて発砲した。兵士たちは直ぐ様体を翻し、その弾丸を完全に避けきる。

「はん、悪魔は銃の使い方が下手なようだな」

 ルシフェルは無言で銃を下ろす。第2射があると見ていた兵士たちは拍子抜けしたが、ふと横に目をそらすとそこには鈍く光る銃弾が浮遊していた。次の瞬間、浮遊していた銃弾が同じく青い光を収束して爆発し、兵士たちは吹き飛ばされてしまった。

「爆発!? 銃弾が爆発しただと!?」

 同時にアラームが鳴った。人を不安にさせる調子のアラームが兵士たちのインカムに危険を知らせる。そのアラームは放射線を検知して被曝の危険を知らせるもので、パワードスーツが劣悪な環境でも行動できるように備えられていた物だが、何故か原子炉の中でもないのに非常に大きな数値の放射線が観測されたのだ。

 爆発によって兵士の一人が片腕を吹き飛ばされた。一瞬で作り出された高温がパワードスーツの特殊合金をも融解させ、その下の人体まで焼ききったのだ。突然観測された放射線と熱量が表すのは――

「核反応か!」

「残念ながら正解です。あなた方にはここで燃え尽きてもらいます」

 核爆発する銃弾がこれでもかとばら撒かれる。兵士たちは空中での高速移動でその弾丸を避けさえするものの、爆発によるダメージを完全に防ぐことは出来ない。回避しているうちにAESFの隊員、ブラッティとバーグソンが分断されてしまった。ルシフェルは敵の動きを読みながら分断させるように銃を撃っていたのだ。

「大統領、大尉、ここは我々に任せて先にお進みください!」

「任せるしかないようだね。ブラッティ大尉、我々は先を急ごう」

 部下たちが作ってくれたチャンスを逃すのであれば、それはきっと良い上官ではない。二人は再び空中を飛行しながらベオグラード城へと向かった。残されたAESF隊員達は再び銃を構え、勇敢にもルシフェルに立ち向かっていった。彼らこそが人類の鑑である。

「しかし二人を見逃したのは予定通りなので、あなた方は何も賞賛されるようなことはしていませんよ」

「なんだと!?」

「貴様らはただの糞が詰まった袋。私の務めは貴様ら糞袋共をベオグラード城から隔離し、掃除を楽にすることだけです」

 ルシフェルは核マシンガンをばらまくように掃射した。普通なら狙いを付ける必要があるところ、彼女の弾丸は爆発するので適当に撃っていても致命的なダメージを与えることができる。だが流石のAESFも学習したようで、障害物に隠れるなどすることによって爆発をうまい具合に避けていた。物陰に隠れながらスターリングシルバー弾でけん制し、ルシフェルの出方を見ることから始めた。しかし、その障害物もルシフェルにとっては爆発物に等しかった。

『その質量を捧げよ』と、ルシフェルが命じただけで隊員たちが隠れていた鉄くずが赤熱し溶ける。

 隊員の一人がとっさに飛び出た。もはや隠れていても仕方がないことに気がついたようで、ルシフェルに向かってまっすぐ飛び立った。ルシフェルもマシンガンで応戦するが、大口径の拳銃弾では装甲を貫通できず、ただ弾き返されるのみだった。爆発する前に弾いてしまえばそれは単なる弾丸である。

「破魔の槍を食らうがいい!」

 AESF隊員はルシフェルの胸にバヨネットを一突きした。オリハルコン製の刃は確かにルシフェルを貫き、魔力吸収の効果でダメージを与えることが出来た。流石のルシフェルも一突きされることで体がよろめく。

「存外やるようですね。そうでなければ、そうでなければ私も楽しめませんからね」

 しかしルシフェルは自分の胸に突き刺さったバヨネットを掴んだ。予想外の行為に隊員がうろたえる中、ルシフェルの体がおぞましい形へと変形した。ルシフェルは拘束封印を解除されているのである。彼女には既に人型を保っている理由など無いのだ。

 銀色の髪が全身を包む。それら一本一本はうごめく触手となり、ルシフェルの体を這うように伸びた。やがて彼女の体は無数の触手で構成され、その指に至るまで細い触手で作られてしまった。女性の象徴である乳房だけを残して、それは既に獣ですら無く、少なくとも人ではない何かになってしまった。悪魔とは感情の具現化であり、おいそれと言葉で表現できるような存在ではないのだ。

「痛みを感じるぞ、ケツメド野郎共。脳みそを引きずり出してやる」

 ルシフェルは自らに突き刺さったバヨネットを捻り潰した。そのままAESF隊員の手を引き、触手がうごめく自らの体に埋めるよう抱きついた。やがて兵士はパワードスーツ諸共その体に飲み込まれてしまった。

 それからはまるで貝を殻ごと咀嚼するように、ルシフェルは体内に取り込んだ兵士を音を上げてすりつぶした。それはまさに原始的生物の捕食のようであり、彼女は人一人を全身で平らげてしまったのだ。

「マイケェエエエエエエエエル!!」

「マイケルは死んだ。次は貴様等の番だ」

 ルシフェルは得意の影に潜り込む能力『暗部転送』で姿を消した。AESFの隊員たちはその情報も知っていたようで冷静に対処することができる。とにかく周囲の影という影に注意を働かねばならない。天気はそれほど良くはなく、物陰にも強い影はできていない。だが彼らはもっとよく考えて彼女に挑むべきだった。彼女は最高位の悪魔として語り継がれてきた所以は、まさに影に潜む力と火を生む力にある。火とは光を生むものであり、言い換えれば彼女は光と影を操る悪魔とも言える。

 ルシフェルは空気中の酸素と水蒸気から生み出した水素で、宙に浮く水素の炎による光源を作り出した。隊員たちがその行為の恐ろしさに気がつくのは、既にその火が灯った後の話である。

「光……? そうか、クソ、そういうことか!」

「アラン少尉、どういうことだ?」

「奴は光源を自由に作れる。それはつまり、障害物さえあれば至るところ自由に影を作れるんだ!」

 ルシフェルは無数の球を作り出した。黒い靄を放つその球は彼女の足元に出来た影に吸い込まれ、そこから辺り一面に出来た無数の影へと転送された。球は影の上方へと舞い上がっていき、それはルシフェルの半径500メートルの球状エリアを埋め尽くした。まずい、と本能的に感じたAESF隊員だが、既に彼らは広域大量爆殺魔法の術中に嵌っていたのだ。

『影より生まれし黒の爆弾、炸裂せよ』

 球はルシフェルの魔法により生み出された爆弾であった。それら極めて小さな質量ながら大きなエネルギーを持つ濃縮されたウランであり、それを魔法によって核爆発が起こるように設計された超小型核爆弾である。ルシフェルはそれを暗部転送により広範囲へとバラ撒き、連鎖的に爆発するように仕向けたのだ。

 キノコ雲が上がるほどではないが、必要最小限に制御された核爆発がAESFの隊員たちを襲う。超高温が彼らのパワードスーツを融解させ破壊し、中の肉体を蒸し焼きにした。溶けた鉄が皮膚に張り付き、皮膚は焼けただれ骨の見えるほどまで肉を減らした。彼らはもはや人と呼べるような状態ではなくなった。

 AESFの隊員たちは基本的に、対悪魔戦闘のプロフェッショナルである。しかし彼らはルシフェルという大悪魔には手も足も出なかったのだ。

「まあ、この姿を見せるまでに至らせたことは褒めてやるか」

 ルシフェルは死んだ男の腕をもぎ取り、ローストチキンを食べるようにしゃぶりついた。

 ブラッティとバーグソンはAESF隊員達を後ろに残し、ベオグラード城正門までたどり着いた。その景色は暗雲が渦巻いた天候では有るももの、芸術的な美しさそのものはなんら変わってはいなかった。一見すればシンデレラ姫が住んでいてもおかしくないが、実際は狂気に取り憑かれた女王と魔界の領主である。

「セキュリティはあるか?」バーグソンがブラッティに確認する。

「正面の扉が半開きです。監視カメラはありますが、もはや我々が来ることはお見通しでしょう。今更隠密行動をする意味はありません」

 二人はゆっくりとドアを開け、中の様子を確認する。ベオグラード城エントランスは綺羅びやかな装飾と明るい照明で彩られ、赤い絨毯が玉座の間へと導くように敷かれている。正面には上の階へと続く幅広の階段があり、踊り場から左右へとまた階段が伸びている。監視カメラはいくつか確認することができるが、どれも可動式であるにもかかわらず二人の方を向いていない。招かれざる客への持てなしというよりも、まるで来ることを心待ちにしていたかのような雰囲気。しかし足りないのは迎える人間だった。

「内部には警備兵が居ないのか……?」

「いや、読めたぞ。意図的に配置していないんだ。奴らは俺たちをもてなすために、わざわざここを空けているに違いない」

「なめていますな。奴らは大きな力を持ちながら、それにあぐらをかいている。腹立たしい」

 二人はそのまま警戒を怠らず、ドアの向こうのエントランスへと進む。すると、どこからともなく手を叩いて拍手をする音が聞こえてきた。ホールが広いため音が反響し、正確な位置がつかめない。だが程なくして階段をゆっくりと降りる女性が現れた。バーグソンはその美しい金髪と青い瞳に見覚えがあった。むしろここに足を踏み入れようとするものなら彼女が、いや彼が何者かは知っていて当然だろう。

「いやぁ見事なものだよ。流石は世界をリードする大国、やることの大きさも大陸級だな」

「ルミナス……いや、アレクサンドル=エンキュリオール……」

「そうだ、我こそはセルビア王国建国の王であり現行の最高権力者であるアレクサンドル=エンキュリオール。ようこそ我が王国、我がベオグラード城へ、バーグソン=アーレンス大統領」

「随分と警備が手薄なようで、しかも国王自らがお出迎えとは。これがセルビア流の国賓待遇なのか?」

「君たちはアメリカ軍の中で最も強い人間だと聞く。世界最強の軍隊の中における最強ならば、現代最強の兵士ということになるかな。それでは下級の悪魔を向かわせても相手にならないだろうし、対人魔法に特化したベスの魔術師でも無傷ではいられないだろう。それならばセルビアにおける最高の戦力で相手してやるのが最も損失が少なく、何よりも私が楽しい」

 バーグソンはライフルを構えながら問うた。

「何故貴様は人間でありながら悪魔に与するのだ?」

「何故かと?」

 アレクサンドルは声を大きく笑い出した。腹が捩れるほどに面白い質問であったようで、彼は息が苦しそうに呼吸を荒らげた。

「ヴェーデルハイムは人間の存続やら領民のためだとか高潔な動機を持っているがね、私には大した理由なんて無いんだよ」

 アレクサンドルは手に持った魔術書『原典』を開き、人間の言葉ではない魔界言語で呪文を詠唱した。

『腐肉の沼より生まれし光よい出よ。邪悪な光!』

 彼の指先から赤い光が差した。バーグソンは直ぐにそれが危険であることを察知し回避、その光があたった箇所はきれいな赤い絨毯だったのだが、まるで数千年の時がたったかのように楕円上に劣化してしまった。これはCOFが戦闘機などの迎撃に用いた劣化を促進する光線『邪悪な光』である。

「私はメシアだ。魔王復活のために、生まれながらにして悪逆の限りを尽くす事を使命として生まれたのだ。人を殺せば気分が晴れるし、女が泣き叫ぶ姿を見れば心が踊る! 私が何故悪の道に走るのかという問いに私はそれなりの哲学で答えることもできるが、詰まるところこの一言に集約される。魂がそうせよと命ずるのだ、貴様等が正義とやらを盲信するようにな!」

 邪悪な光が四方に照射される。一瞬でも照射されればパワードスーツの劣化は避けられないので、うかつに動くことが出来ない。

「我々人間は愚かだ! しかし、そう生まれたのだ! 我々人間を導くのが神の存在であるように、魔王による世界征服は長期的に考えれば人類への利益となる! その時俺は人間を嗜虐する存在となるべく、契約満了の暁には新たなる肉体を得て悪魔となり、お前たち人間を嬲り殺す」

「このクソサディストが!」

 バーグソンとブラッティは照射される邪悪な光に対して全くの無防備ではなかった。彼らは悪魔達の劣化魔法対策に、光反射用の鏡面加工が施されたシールドを持っていた。解析の結果、邪悪な光は光の性質と全く同じそれを持っており、反射することで劣化をほぼ無効化できることがわかっていた。

 アレクサンドルを角としたL時型のフォーメーションを取る。ブラッティとバーグソンはアサルトカービンでクロスファイアを行った。悪魔であればこのカービン銃など豆鉄砲でしか無いが、人間の肉体を持つアレクサンドルであれば有効である。だが、人類史上最強と呼ばれた魔法使いは一筋縄では行かない。

『我に向かう刃を退けよ』

 アレクサンドルは原典に記述された文を人間の限界とも取れる速度の超高速詠唱で展開。空気中の水分を魔力により分解し水素を発生。それを適切な場所とタイミングで爆発させることで瞬間的に強い空気の流れを発生させた。すると弾丸の軌道が狂い、アレクサンドルに向かっていたはずの弾丸は明後日の方向に着弾してしまった。バーグソン等には弾丸が自ら逸れたように見えた。

「そういえば君たちだけそのような鎧を着込んでいるのはフェアじゃないな。私も装備していいかな?」

 彼は原典とは別に構築された物理転送魔法をメモ用紙を発火させることで実行し、全身にドレス・オブ・アスモデウス、通称肉鉄のドレスを装着した。ルミナスがエルサレムで戦線に立つ際に使用した魔動パワードスーツである。

「実のところヴァンからの注文で大統領だけはここを通せと言われている。お前さえ良ければあの扉を通って最上階に行くがいい。そこで魔王ヴェーデルハイムがお待ちだ」

「随分と余裕だな。2対1が不安にでもなったか?」

「俺の手にかかればお前らなんぞ捻り潰すことができる。ここで二人同時に殺されるか、人類のために魔王とタイマンをはるか選べ」

 まさかの提案に困惑する二人だが、結論は既に出ている。ブラッティは何も言わず首を縦に振り、バーグソンは先にヴェーデルハイムの下へ向かうことを決意した。敵が道を開けてくれるというならば、それが自らな有利となるならば、それを受け入れる以外の選択肢はない。

「ブラッティ……死ぬなよ」

 バーグソンは階段を駆け上り、ベオグラード城最上階へと続く扉の向こうへ向かった。一人取り残されたブラッティはここでこの危険極まりない男を足止めする必要がある。彼はアレクサンドルに銃口を向けながら、その引き金に指をかけながらもそれを引くことが出来ずにいた。引いても当たるとは思えないからだ。

 銃弾は届かない、魔法は使えない。持っているのはオリハルコン製の剣だけだ。

「さて、ここはお前と俺の一騎打ちとなったな。せっかくの決闘なのだから名前くらいは聞いておこうか」

「私はボビー=ブラッティ大尉。アメリカ海軍対悪魔特殊部隊AESF隊長であり、今から貴様を殺す男だ」

「良い威勢だ。一応立場を明確にしておくが私は人種差別主義者ではない。私は昔、同じ牢屋に黒人と白人をぶち込んで殺しあわせるショーを開催したことが有るくらい平等な人間だよ」

 ブラッティは素直にこの人間を屑だと思った。彼の年齢は今年で30ほどになるが、今まで生きてきた中で出会った人間にもここまで外道な糞野郎は見たことも聞いたこともなかった。

「どうだ、ここは一つ剣を使って決闘しないか? 先ほどの身のこなしやその度胸から、お前は熟練した戦士と見える。人類最強の男と刃を交えたくはないかね?」

 好機だった。アレクサンドルという男は下衆であると同時に人を見下す癖があるようだ。銃弾は届かないかもしれないが剣ならば届く可能性がある。最早他に為す術がなかったブラッティは、彼の屈辱的な提案に乗ることにした。

「いいだろう、剣で決闘しようじゃないか」

 パワードスーツという現代の騎士甲冑を纏った二人。

 ブラッティは銃を背中に背負い、腰に下げていた鞘から美しいオリハルコンの剣を抜いた。

 アレクサンドルも手に持っていた原典を閉じ、怪しく光る刀身を持つ魔剣エンキュリオールを抜いた。

「いくぞおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 ブラッティの雄々しい雄叫びとともに、彼の体がアレクサンドルに迫る。パワードスーツによる運動強化によって目にも留まらぬスピードで接近。最初の一振りがアレクサンドルを襲った。しかしそれは虚空だけを切り裂いた。

「見くびってもらっては困るね。俺は人類最強の魔術師であると同時に、人類最強の剣士でもあるんだ」

 エンキュリオールの一太刀が襲う。それはブラッティが振りかぶったものの倍は素早い斬撃であり、振りかぶる前の動作すら集中していなければ全くわからないものだった。

 そもそもこれは当然のことである。アレクサンドルは元来、戦において剣や弓といった兵器が主武装だった時代の人間である。その彼が剣術を修めていないはずもなく、銃を主に武器としている現代人が彼と剣で戦うのは不利なのだ。

「そうだよ、剣と魔法の世界から来たこの俺に、銃と科学の時代の人間であるお前たちが敵うはずがないんだよ。私がなんの考えもなしに手を抜いたとでも思ったか?」

「……わかっていたさ。だがな、だからどうしたというのだ。私は国を守る軍人として一歩も引くことは許されない! たとえその戦いが圧倒的に不利でも、引き下がった先に未来が無いのならば尚更な!!」

「素晴らしい! ならばこの一太刀で、お前を一思いに殺してやろう!」

 今度はアレクサンドルの方から向かってきた。彼の太刀は極めて強力なものだが、よく見極めれば対処は可能である。剣が有効な距離でそれを回避するのは至難の業だが、剣そのものを防衛的に使うことでうまくいなすことが出来る。そして次の斬撃が来る前に彼のの一太刀を当ててやればいい。

 振りかぶられるサーベル。迫る刃。その切り方は最もわかりやすい水平薙ぎで、横方向への回避はできないが剣で防御することは出来る。剣道と同じ要領でつばぜり合いの状況に持ち込み、そこでパワードスーツの高出力を使った蹴りを入れる。そこで勝機を見出すのだ。

 ブラッティは剣を縦に構えた。しかし彼の目の前に迫るアレクサンドルは、躊躇なく剣を振りかぶった。

 

 ブラッティは一つ思い違いをしていた。

 

 オリハルコンは魔法を吸蔵する金属であると同時に、極めて硬い金属である。その硬度は炭素合金を超えており、インゴッドからの加工はダイヤモンドグラインダーによる削りだしのみで可能である。しかし対する魔剣エンキュリオールには一つの非常に強力な魔法がかかっているのだ。

 その魔法は”溶解”。その名の通り、触れたものを溶かす。しかもその魔法が物質を溶解する速度は一瞬であり、ありとあらゆる物を切断する魔法と誤解を生むが本質は溶解である。

「おぉ!?」

 ブラッティは目の前の剣が切り裂かれる一瞬を見た。科学の粋を集めたこの一振りが無残にも両断される様を見た。パワードスーツの装甲を諸共せず、その刃はさら彼の両目を切り裂いた。

「あがああああああああっ!」

「ハッハァ! よくやった方だが及ばないよ。俺の魔法は無敵、故に剣術も無敵、勇敢さなど俺の前では意味を成さない!」

 切り裂かれた両目に手を当てながらその場に崩れ落ちる。激痛と悔しさと恐怖の三重苦が襲いかかる。

「さようならブラッティ。貴様の体は細切れにして食べてやろう」

 赤く光る刀身を振り下ろそうとする。

 しかしそこに、彼の意識外からの銃弾が飛来した!

 アレクサンドルは銃声に反応し尋常でない速度で回避を試みるが、流石の彼もそこまでの反射神経はなく、銃弾を回避し切ることが出来なかった。銃弾は水素爆発による気流操作によって軌道こそ逸れたものの、兜の右頬部分を貫通し、彼の右頬の肉を傷つけてみせた。アレクサンドルは破損した兜の上からその頬を撫でた。

 更に第2射が来た。耳を澄ませば聞こえる程度の銃声に反応し気流操作を行う。しかしその弾道はアレクサンドルの想像を超えたものだった。なんと銃弾が物理に反し直進状態から突然軌道が変わったのだ。思わぬ現象に対応しきれず、再びアレクサンドルは右膝に被弾してしまった。

「貴様は……何をしているのだ!?」

 暗がりからサイレンサー付き狙撃銃を構えて出てきたのは全身を真っ黒なローブに包んだ謎の男。しかしフードから覗くその顔には見たことのある人物のそれがあったのだ。その髪はブロンド、額に正教会の十字架のタトゥーが掘られている。そう、エンプレスソード隊隊長であるヨハネス=アブラハムである。

「ブラッティ大尉、撤退するんだ。今の我々ではこいつに勝てない!」

「君はエンプレスソードの神父……。お前は悪魔の手先ではなかったのか!?」

「私は人間の味方だ。今まで悪魔共にあったのはそれが人間の、この国のためになると思っていたからだ。しかしこの様な蛮行は国のためにも人のためにもならん!」

 ヨハネスはライフルからリボルバー式のグレネードランチャーに持ち替え引き金を引いた。爆発四散する金属片を生み出す弾がアレクサンドルを襲う。アレクサンドルは再び気流操作で弾を逸らすが、逸らした先に着弾した弾が炸裂し、金属片が肉鉄のドレスのあちこちに突き刺さる。それを何発も何発も、シリンダーが空になるまで撃ち続けた。

 するとあたりが爆発による硝煙に包まれた。視界不良の中ヨハネスは身体強化の術式を用い、手負いとなったブラッティのパワードスーツを引っ張り、素早くエントランスホールから退散した。

「アブラ……ハム」

「パワードスーツを解除しろ。外にヘリを停めてあるから、それに乗ってセルビアを脱出するんだ」

「しかし、大統領が……」

「彼はヴェーデルハイムと既に対峙した。今から助けることは出来ない」

 ブラッティはパワードスーツを緊急解除し、ヨハネスに手を引かれて城外へと脱出した。

 硝煙が晴れてきた頃にはエントランスホールにアレクサンドルしかおらず、彼は二人を完全に見失ってしまった。致命傷は一切貰わなかったが不意を突かれたとはいえ自身を傷つけられたことに苛立ちを覚え、彼はエントランスのありとあらゆる美術品をエンキュリアで切り裂いた。

「ヨハネス=アブラハム……、覚えたぞ。この私を侮辱した罪を、必ず償わせてやる」

 今、このベオグラード城は全人類の憎しみを一手に引き受ける悪魔の城である。最上階にある魔王の玉座は王の玉座とは別に作られたものであり、此処こそが全ての憎しみを集める邪悪な場所なのだ。

 そこに足を踏み入れようとするのは先祖代々受け継がれてきた『戦の呪い』を受けた勇者、バーグソン=アーレンス。彼は長い長い階段を登り終え、玉座の間へと通じる石の扉の前に立った。人ならざる者の力無くしては開かないこの扉を、彼はパワードスーツの剛力を持って押し開いた。扉は低い唸り声を上げながら動き、その向こうには玉座に鎮座する彼の姿があった。その彼こそがバーグソンが倒すべき、そして人類には全力を尽くして倒すべき全人類の敵である。

 諸悪の根源は玉座に足を組んで座り、片手にワインを揺らしながら笑っていた。彼にとってもこの日、この瞬間は待ちわびたものであった。その時間はおよそ1500年。彼はその長い月日をこの瞬間のためだけに費やしてきたと言っていい。故にその笑い声は酷く禍々しく、同時に喜びに満ち溢れていた。

「ようこそベオグラード城へ、大統領」

「魔王ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタ……」

 バーグソンは背中に背負っていた魔剣カイザークリングを構え、ヴァンと対峙した。ヴァンはそれに答えるかのように、手に持っていたワイングラスをテーブルの上に置いた。普通の敵ならばそのままワインを飲み続けるところだが、バーグソンにだけは一種の敬意を払っていたのだ。

「魔王よ、私が此処に来た理由がわかるか?」

「正義を成しに来たのではないのか?」

「正義などではない、詰まるところ私は愛する家族のために来たのだ」

 ヴァンは思わず拍手をした。彼はバーグソンを高く評価したのだ。何故ならば彼は本当の意味で自らが戦う理由、その本質を若干50歳ながら理解しているのだ。

「人間とは愚かな生き物だ。種族全体のことなど考えず、自分や自分の家族、友達の事までしか想うことは出来ん。それが精一杯だからだ」

「そうだ、正義などという言葉はあっても存在しない。人間とは、そもそも生物とは自己中心的に考えていても繁栄するように出来ている。よく解っているじゃないか」

「故に我々は我々の利益を追求する。森が禿げるまで木を切り倒し、石油は枯れるまで吸い尽くし、欲望の限り金を稼ぐ。そして豊かになり、さらなる安堵を得る。程度の違いはあれどそれらが全てだ」

「そこで我々がお前たち人間の際限ない利益追求に天井を張る。お前たち人間に不幸を与え、利益の追求を抑制するのだ。このシステムでお前たちは繁栄しつつ、爆発的な繁栄によって引き起こされる過密死による絶滅を防ぐことが出来る。素晴らしいシステムだと私は思う」

「私はそうは思わない!!」

 バーグソンは巨大なリボルバー式の拳銃の引き金を引いた。対悪魔に特化したパワードスーツでしか打つことの出来ない超大口径マグナムである。銃弾は貴重なオリハルコンが用いられており、その魔力吸収性能は折り紙つきだ。しかし放たれた銃弾はいとも容易く見切られており、ヴァンはそれを首を横に反らすだけで避けてみせた。銃弾は玉座の横を虚しく貫通している。

 ヴァンは特別製対物ライフル『ハボリム』を片手で構え、魔力により爆発力を増大させた火薬を持って劣化ウランホローポイント弾を発射した。通常、ホローポイント弾は着弾時に弾頭が潰れることで対象に強力なストッピングパワー(制止力)を与える拳銃用弾頭だが、人を痛めつけることを何よりも愛する彼は、それを50口径弾頭にしてしまったのだ。放たれた弾がSSAに着弾するが、それは所詮人類の科学技術を用いて作られたもので、アメリカ合衆国の科学技術の粋を集めて作られたパワードスーツであるSSAには通用せず、僅かな凹みを残すだけに留まった。だがハボリムから放たれた弾丸の内部には恐ろしい魔術が施されていた。

「!?」

 バーグソンは明らかな違和感を感じる。本来であれば堅牢であるはずのSSAの装甲が、心なしか歪んでいるように見えた。防御態勢を取るにあたり両腕を自らの正面で組んでいる形にしたのだが、両腕の金属装甲にシワができているのを見た。何かをされたのは明白である。だがそれに気を取られていた隙に、ヴァンはバーグソンの正面で虚空で水素爆発を発生させる原初の魔法『爆発』を発動した。バーグソンはそれを回避できず爆発を正面から受けたが、所詮はグレネードのように破片を伴わない爆発、SSAの前では大した威力ではない。そのはずだった。

 だがSSAの両腕の装甲は、見事に吹き飛んでいた。

「がああああああああああああああああああああああああああ」

 生身の両腕が血だらけになる。幸いにして聞き手である右腕は重度の裂傷で済んだのだが、左腕はものの見事に吹き飛び無くなっていた。胴体の装甲も腕ほどではないが破壊されており、最早防具としての意味を成さない形となっていた。

「アクチュエータ機能停止、コンピュータ応答なし……!? ヴェーデルハイム、何をした!?」

「ふむ、中々使えるようだ。これは魔法強化ガリウム弾頭と言ってな、通常の弾頭の中に脆化作用を魔法により強化したガリウムを埋め込んだものだ。人間でも劣化魔法を使えるようにした新しい術式さ」

 ガリウムは他の金属を侵食し脆化させる作用を持つ。その作用を高速化させる時間促進系魔法を併用し、弾頭内部に入れておく。発射時には弾頭は熱せられておりガリウムは融点を超えて液化。弾頭が対象に着弾した瞬間にガリウムが飛び散り、触れた金属を脆化、即ち硬いものを劣化をさせるのだ。

「この世界で、特に我々悪魔が人間に教えてきた魔法というのは、人間でも扱えるよう予め一般化した術式として伝えたものだ。人とは脆く弱い故に大した魔法は扱えない。その鎧と同じようにな」

 バーグソンはその場に膝をつく。不老の体を手に入れたとはいえ不死ではない彼には、その腕から流れでた血液は多すぎた。大量失血によるショック死寸前まで追い込まれている。

「限りない欲望の追求の先、それは破滅。お前たち人間は化石燃料等の問題において、それをさんざん謳ってきたじゃないか。私はそれを防ごうというのだぞ?」

「人が利益を追求する先にあるものが破滅など、誰が決めたのだ。我々は我々の幸福を阻害するお前たち悪魔を根絶やしにして、不老不死の力と強大な魔力を手に入れ、さらなる繁栄を目指す。繁栄こそが、欲望こそが、愛こそが、家族を守る事こそが正義だ!!」

 バーグソンは剣を抜いた。勇者が魔王を殺しきるために用意したと言われる宝剣カイザークリングは、おびただしい魔力を吸収しているのか、白い光が刃にまとわりついている。長さは片手で振る剣としては長く、両手で持つには短い。刀身は細身で突き刺す用途にも使える先端の形状。色はこの世のどの金属でも表し得ない、金属光沢のある半透明。金属であれば半透明などありえないのだが、この剣は普通の金属ではない。それは強化ガリウムによる脆化を受けていない時点で分かった。

 カイザークリングは帝王の剣である。魔王ヴェーデルハイムにまつわる一連の言い伝えによれば、その剣は魔界を裏切り人間界へと住み着いた精霊の一人によって生み出された剣とされ、その素材は水晶と鋼の合金、クアーツァイゼンとされている。本来混ざるはずのない2つの物質を精霊は合金とすることを実現し、結晶構造の硬さと金属の柔軟さを併せ持つ。

「それが私を殺す剣か。最早満足に振るえないのに?」

「否」

 バーグソンはパワードスーツの兜と胴体部分のみをパージし、生身の肉体を露わにした。その上でカイザークリングの切っ先をヴァンではなく、あろうことか自らに向けたのだ。その切っ先が狙うのは彼の心臓。

 ヴァンは恐ろしい物が目の前で生まれようとしていることを感じ、再びハボリムをバーグソンに向けた。

『この身は剣。宿るは闘士。流れる血潮は溶岩。吐く息は炎で、瞳は水晶。鋼の皮を纏い、ダイヤの爪を持とう。我は人知を超える、人の川を渡るもの。精霊ゲレヒティグカイトの誓約の下、私は魔王ヴェーデルハイムを抹殺する剣となる』

 瞬間、光がほとばしる。あまりにも眩しい光のため、流石のヴァンさえ何も見えなくなってしまった。早急に対処する必要があると感じたヴァンは、ハボリムのトリガーを手当たり次第に引いた。発射される際のマズルフラッシュや銃声さえも、強力な魔力の渦にかき消されてしまった。

 彼の記憶の中には何人もの裏切り者が居た。精霊とは魔界・あるいは天界から追放された反逆者達であり、天使と悪魔の協定を無視した感情エネルギーの搾取を行う存在である。”仮に手を差し伸べればどのような結末になるか”を全く考慮しない人への支援により、精霊は神や悪魔を差し置いて崇拝され、多くの魔力を手にする。そのような輩は人の生態系を崩すことになりかねないので、天使と悪魔はこれを抹殺してきた。故に精霊ナロードナヤがそうであったように、彼らは自らを追放した存在を憎んでいる。

 そして勇者の一族に手を貸した精霊ゲレヒティグカイトは、数いる精霊の中でも人類に呪いにも似た概念を与えてしまった張本人であった。

 その概念とは、『正義』である。

『答えよ。火を見せよ。魔王ヴェーデルハイムの名のもとに命ずる、震え弾けよ』

 爆発を発動させる。バーグソンが立っている場所に水素ガスを発生させ、圧縮し火花を散らすことで爆発を引き起こす。普通の人間ならばこれだけでバラバラになるのだが、最早彼にはそのような小細工は通用しなくなっていた。爆発に乗じて銀白色の飛翔体がヴァンに体当りし、彼を壁に突き飛ばした。大型トラックに追突されたような衝撃で体のあちこちが変形してしまったヴァンの目の前には、最早人ではなくなってしまった”正義の成り果て”だけがあった。バーグソンが天使の翼をむしってまでそれを欲したのは、自らの肉体を精霊の憑り代とするために、魔力許容量を増大させるためだったのだ。

「なるほど、人の身でこの俺を倒せるとは思っていなかったが、やはり精霊の力を頼ったか。しかもそいつがお前とはな」

「そうだ、俺はこの正義と融合し、貴様を討ち滅ぼす。それは正義の名のもとに、我のもとで執行される。我が名は精霊ゲレヒティグカイト、正義を司る者なり」

 彼は人の心に芽生えた正しさより生まれた。人が高度な知性とそれに伴う社会を得てから、人にとってどうあるべきかが一つの命題となり、それは正しさという概念を経て、正義という概念となった。ゲレヒティグカイトはその正義より生まれた概念の具現であり、彼が生まれてからというもの、人々の闘争は食物の奪い合いではなく、思想の押し付け合いに変わってしまった。

「第2拘束封印、解除」

 ヴァンは人外との戦いに備えるべく肉体を変形させる。人の顔の形を捨てて3つの目が現れる。鋼のような爪と角が全身至るところから生え、纏っていた漆黒のコートは鎧のように変形する。背中には計4枚の黒い翼、三つ編みは尻尾へと形を変えた。自らの胸に腕を突っ込み、その中の異次元空間から魔剣『諸悪の根源』を取り出す。肉と骨で形作られた禍々しい大剣は、その切っ先をバーグソンに向けた。

 対するバーグソンも肉体を戦闘に適した形に変えていた。ヴァンは人の姿を捨てたのに対し、ゲレヒティグカイトの契約はバーグソンを更に堅牢な鎧で覆った。SSAの構成を変化させた純白の西洋甲冑は金色で縁取られ、背中にはまた白く輝く2対の翼が生えた。

「征くぞ、魔王ヴェーデルハイム」

 天使の偽物と悪魔の王が翼を羽ばたかせ一瞬で距離を詰める。魔王は諸悪の根源を、勇者は王の剣を振りかぶった。数百トンはくだらない衝撃が剣と剣の間に走るが火花すら散らない。火花や音というのは無駄なエネルギーが人に感じられる形となって溢れたものであり、力の伝達に一切のムダがなければそれは見えないものなのだ。故に二人は一切のムダがなく、火花や音も僅かである。

 つばぜり合いになる。バーグソンは足でヴァンを突き飛ばし、ヴァンは壁を貫通し外へ投げ出されるが、空中で翼を羽ばたかせて姿勢を直ぐに正した。あまりにも強力な力を静止した影響で、周囲には台風も凌駕する風が発生した。直後、ヴァンは諸悪の根源を水平に音速で振った。その衝撃波は鋭利な刃物となり、ベオグラード城の最上階ごとバーグソンを切り裂いた。正確な水平切りは城を崩すこと無く切り裂き、バーグソンは両断されていた。だが天使の力と精霊の力を身に宿す彼は既に不死身で、胴体を真っ二つにされた程度では死ななくなっていた。

「不死身になった気分はどうかね? 糞つまらないだろう」

「ああ、今までまともに生きてきたのが馬鹿みたいに思える。だが貴様を殺すためならば受け入れよう」

 バーグソンが音速でヴァンに接近する。正面から迫ってきた彼に剣撃をお見舞いしようと諸悪の根源を振りかぶるが空振り、バーグソンはヴァンの背後に回りこみ、その4枚の翼を切り落とした。浮力を失ったヴァンは地面に落下し、その落下に剣撃によってさらなる加速度が追加された。ヴァンは100メートル下のベオグラード城正門前広場にたたきつけられた。地面に敷き詰められていたレンガがまるで塵のように飛び散る。バーグソンは畳み掛けるように地面に向かって羽ばたき、ヴァンに向かってカイザークリングを突き立てようとした。ヴァンは回避できないと判断し、諸悪の根源で受け止める事を選んだ。だがその選択は間違っていたという事を後ほど思い知らされる。

 なんとカイザークリングは魔界の金属で作られた諸悪の根源を貫通したのだ。諸悪の根源は真っ二つに折れ、カイザークリングは魔王の胸に深々と突き刺さっていた。黒い血液のような液体が噴出する。

『拘束封印最終段階付与、開始。消滅の光よ、悪を照らし、消し去れ!!』

 カイザークリングが光り輝く。世界中の希望の光を一点に集め、その光をヴァンの体に注いでゆく。精霊の力によって拘束封印の最終段階が付与され、ヴァンの体は人の姿に戻り始め、あの恐ろしく威厳のある姿では無くなっていた。

「なるほど。あの時、勇者はこれを最後に行って俺を消すつもりだったが、発動する魔力が残っていなかったというわけだな。確かに魔力吸蔵触媒の進化無くしては実現し得ないことだ」

「そうだ、勇者ベルクカイザーはこれをするまでに至らなかった。だが、私は至った。強大な魔力をもってこの消滅術式を起動させることが出来る。精霊と人間が手を合わせ、貴様を消す!」

 光が強くなる。剣によりヴァンの胸に空いてしまった穴から黒く禍々しい液体が噴出する。それは鼻を突く異臭で、触れたものを尽く劣化させた。綺麗だった石畳が漆黒に染まり、美しい造形の鉄柵は錆びて折れた。精霊の加護を受けているバーグソンの鎧だけが無事であり、他は全て意味を無くした。

――やっと終わるのだ。

 バーグソンは、一族の宿命からついに開放されるのだ。望まぬのに戦いに駆り立てられる精神の呪いが、魔王ヴェーデルハイムを殺すことで解呪される。今年で16になる彼の娘は悲しい拘束から開放され、人として真っ当な道を歩むことが出来る。彼は今までに感じたことにないような達成感を感じつつ、最後の仕上げに取り掛かった。

『全ての正義の名の下に、全ての悪を討ち滅ぼす。精霊ゲレヒティグカイトよ、その力を……』

 最後にヴァンの存在を完全に破壊する大魔法を詠唱していたが、突如その詠唱を中断した。何故なら何処からともなく聞き覚えのある声が響いたからだ。その声は助けを呼ぶ声であり、徐々に音量が大きくなってくる。それは近づいてくることの証で、まさにベオグラード城の中央庭園から正門までの幅広く長い道の向こうに、見覚えのある少女が引きずられてきた。首輪を付けられ鎖で繋がれ、長い距離を引きずられてこられたその少女の膝は肉が削げ落ちて白い骨が見えている。指は10本とも切り落とされ、その上で止血のために焼きが入れられていた。彼女の周りは数名の人間に囲まれており、その中心に居るのは他でもないこの国の主であるルミナスの姿。正体は彼女の体を乗っ取った初代皇帝アレクサンドルであった。

「ヴァン、約束は果たしたぞ」

 バーグソンは彼女の姿を見るやいなや、詠唱することさえ放り出して少女の下へ駈け出した。

 その刹那、ヴァンの長い髪のような触手が動き、引きずられて来た少女の胸元に突き刺さり、その心臓をえぐった。触手はまるで得物に群がる無数のハイエナのように少女の心臓を貪り食う。バーグソンが少女にたどり着くその前に、ヴァンは彼女の心臓を食らった。

「ミシェル……ミシェルッ!?」

「お父さん、おとおさん、ごめん……」

 流血、絶命。心臓を失ったが故に血は吹き出さず、胸にポッカリと空いた空洞から紅い雫が滴り落ちる。力を失った彼女は崩れ落ち、アレクサンドルは首輪から伸びていた鎖を放り投げた。

「感謝する、アレクサンドル。お前は史上最高の人間の屑だ」

「契約を全うしただけだ。勇者ベルクカイザーの末裔を探し出し魔王の下へと連れてくると、確かに約束したからな」

 そう、本当はバーグソンを殺す必要など無いのだ。魔王ヴェーデルハイムに施された人間界から出られなくする界拘束と、真の力を封印する第3拘束封印を開放する条件は、勇者の末裔の心臓を食らうことである。つまりバーグソンに子供がいるならば、その子供の心臓を食らう必要があるのだ。

「貴様に娘が居ることは、CIAに潜伏させておいたセルビア王家直属のスパイから聞いていた。本人の特定はできなかったがために我々はこのクレイドル・オブ・フィルスをアメリカ大陸まで接岸させ、合衆国に全面戦争を挑んだ。そうすれば貴様は愛しい娘を最も安全な場所へと移動させるはずだと思ったのさ。CIAのネットワークを通じて、宣戦布告後に要人の移送計画を調べさせ、該当する要人の個人情報を調査した。そこで貴様と何処か似ている少女を見つけた。それが貴様の娘であり勇者の末裔、ミシェル=アーレンス」

 アレクサンドルは自慢気にその策略を説明してみせた。

「まさか……あのCIAが……」

「いつから身の回りに敵が居ないなどと勘違いをしていた? いつから私の配下である黒魔術師が、政府機関に存在し得ないとたかをくくっていた? 残念、正解は何処にでも居るのだ!」

 アレクサンドルは動かなくなった少女の亡骸をバーグソンに向かって乱雑に放り投げ、手についた彼女の血液をポテトスナックを食べたあとに、指についたシーズニングを舐める様に味わった。バーグソンは歯が壊れるほどに強く歯ぎしりをしている。そして、叫んだ。

「貴様等ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 バーグソンは魔王抹殺の呪文を最後まで唱える。悔しさも辛さも怒りも全て込めて、正義を執行する術式を完成させた。カイザークリングが光を纏い、バーグソンばヴァンの体を引き裂くと同時に力を開放、切り裂いた後から眩い光を伴う爆発が発生した。真っ黒な血液と共に瓦礫が飛び散る。土は抉られ砂煙が舞い、バーグソン自身も爆風によって突き飛ばされた。ヴァンの体は木っ端微塵に砕け散り、原型など留めず、無数の塵となり消えてしまった。

 息を切らせて膝をつくバーグソン。全ての思いを魔王にぶつけ、娘の命を犠牲にして、彼は諸悪の根源を断ったのだ。

 しかし、彼の目の前でアレクサンドルがほくそ笑んでいた。

「素晴らしい、あの魔王ヴェーデルハイムを粉微塵にしてしまうなんて。さすが勇者の末裔、合衆国大統領だな!」

「……次は貴様が終わる番だ。娘を殺したことを後悔させてやる」

「ああ、少し遅かったようだ。……感じないか? 恐ろしく巨大で、禍々しい気を」

 バーグソンの全身に悪寒が走る。視界に入るものすべての色が変わった。それは色が変わったのではなく、影に入ったというべきだろう。突如空の色が漆黒となり、先程まで出ていた夕日が雲に隠れ、摩訶不思議な紅い月が顔を出している。本来白く輝くはずの月が紅いなどということが今までにあっただろうか。いや、そんな事は無かった。人類史上において赤い月が出たことがほんの一度だけ有るのだ。それはおよそ1500年前、魔王ヴェーデルハイムは魔界より降臨したその日である。

『我は、魔王』

 黒い粒子が空を舞う。世界中から集められた黒い何かが、ベオグラード城上空に収束していた。

『我は偉大なる魔界の領主、諸悪の根源』

 何処からとも無く声が響く。これは鼓膜を通じてではなく、頭のなかに直接響いているようだった。そんなことも有るはずはないのに。だが、そうとしか表現できない。

『我は”争いの矛先を捻じ曲げる先導者”。全ての憎しみと争いを我の下に』

 そう、彼は争いと憎しみを司る悪魔。この世にそれが生まれた時に産まれ、それが有るかぎり在り続ける。

『我が力にひれ伏せ、恐れよ! 愚かな人間共よ!!』

 黒い粒子が一つの形を作った。現れたのは巨大な化け物で、その形は竜に近いものだが、それとは全く違うようも取れる。闇を思わせる漆黒の体。むき出しの歯茎に鋭い歯が数千本。爬虫類のような、竜のような胴体に無数の触手が蠢き、翼は左右に6枚と何故か背骨にそってもう6枚ある。腕はないが足だけがあり、奇妙なことに関節が3つもある地球上では見ない奇妙な構造をしていた。

 赤紫色に輝く瞳は3つ。それは人の心を見透かす瞳と、暗い未来を見通す目、そして見つめた者の心を蝕むものである。

 RHKの紋章にもなっているデーモニック・スワスティカは、この姿を表している。そして紋章が何を意味するのかこそ彼の正体を記すものである。そう、この巨大で禍々しい化け物こそ、魔王ヴェーデルハイムの真の姿なのだ。この世のすべての悍ましい何かの具現が彼なのだ。

 魔王ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタが、今此処に真の力を開放した。

『勇者バーグソン=アーレンス、貴様は良く戦った。死力を尽くして正義を貫こうとした事を、私は高く評価している。だが貴様の戦いはこれで終わりだ、諦めて欲しい』

「魔王ヴェーデルハイム、私は貴様を許しはしない。愛する娘を殺した敵をその生命で償え!」

『素晴らしい、それでこそ人間だ! では遠慮なく死んでもらおう』

 次の瞬間、バーグソンの脇腹に生暖かいものが流れた。挿入される異物が硬い鎧の隙間から腹を切り裂き、人間である証をただただ溢れ無駄にさせた。随分と長い刃渡りを持つナイフが、深々と突き刺さっていた。

 その刃渡りの長いナイフを持っていたのはあろうことか、まるで顔面蒼白で血を吐きながら涙する愛娘であった。

「ミ……シェル?」

「お父さんを殺した……敵……」

「待ってくれ、お父さんは此処だよ!? ミシェル、どうしたんだ!?」

「許さない……許さないからぁあああああああああああっ」

 声帯が潰れてもおかしくないような声で、突き刺したナイフで傷口をかき混ぜるミシェル。彼女は死ぬ事によって魂の支配権を魔王に剥奪され、さらに彼女の憎しみの方向が魔王ではなくバーグソンに捻じ曲げられてしまったのだ。しかもナイフには強い魔法が付与されており、傷口が普通では考えられない速度で化膿し、細胞が壊死していた。精霊の力による再生も追いつかない急速な腐敗が進み、最早死後1ヶ月放置されたような死体になりかけていた。それはまさに悪魔が使う最も強力で残酷な魔法である、急速劣化が行われていたのだ。

「ヴェーデルハイム、貴様……何を……」

『全ての憎しみは我が眷属。その人の心に少しでも憎しみが生まれたのなら、私はそれを望む先へ向けることが出来る。それが憎しみの先導者なのだ』

 ヴァンはバーグソンを第3の瞳で見つめた。瞳の中にはもう数千の瞳が映っており、それはまるで昆虫の複眼のような禍々しさを感じさせる。そして何処にも焦点のあっていないその目で、ヴェーデルハイムはバーグソンに絶対に逆らうことのできない命令を下した。

『貴様の憎むべき敵は誰だ』

「貴様……あ」

 彼の精神は今堕ちた。己の内面に有る憎しみと向き合ったその瞬間、ヴァンはその黒い感情を眷属とし、バーグソンの精神を自由意志を排除して絶対的な支配下に置いた。そして彼の憎しみの先をヴァンではなく、あろうことか愛娘に向けさせたのだ。

「ああ……ミシェル……愛……さな、い。死ねぇええええええええええええええ」

 愛しあうはずの親子がお互いを傷つけあっている。体が壊死しても力では依然として圧倒しているバーグソンが、愛娘の頭蓋骨が粉々になるまで殴り続けている。聖剣カイザークリングでめった刺しにしている。

 やがて娘の体はミンチに等しく、血だまりと肉片だけがその場に散乱していた。これほどまで酷い殺しあわせ方があっただろうか。

『貴様が憎いのは誰ぞ』

「あぁああああああああああ! 私はっ、ああ、私はぁあああああああ! 私が憎いぃいいいいいいい!」

 トドメにヴァンはバーグソンの憎しみを自分自身に向けさせ、彼の胸にカイザークリングを突き立てさせた。心臓に大穴が空き、血液が噴出すると同時に精霊の力が放出された。アレほど威勢に満ちていたバーグソンは元の50台相応の人相に戻り、まるで干からびるように生き途絶えた。

 終わってしまったのだ。

 ヴァンはその巨体を揺らし、暗雲立ち込める空を見上げてつぶやいた。

『1500年以上この時を待ち続けた。俺はこれで、やっと自分の責務を果たすことが出来る』

「そうだ、あんたは責務を果たせ。この世界を再び混沌に陥れるんだ」

 ヴァンは天空に向かって光る魔法陣を展開した。その魔法陣はやがて全ての空を埋め尽くし、それはヨーロッパ全体へ、そしてユーラシア大陸を超え、この世界の全てを覆い尽くした。それは即ちこの地球全てが魔王の手に堕ちたことを意味していた。

 オーロラが彼の象徴である『デーモニック・スワスティカ』を描く。

『全ての憎しみよ、拡散せよ。全ての悲しみを、憎しみに変えよ。愛する人よ、敵となれ。お前の敵は隣人なり。恐れるならば、迎え撃て。憎しみの統率者ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタの名の下に命ずる。憎しみよ、諸君の姿を表す時が来たのだ!』

 全世界に向けて魔王の精神干渉魔法”憎しみの連鎖”が発動された。人の中の憎しみが増幅され、本来魔王ヴェーデルハイムへ向けられるはずだった憎しみが、非業の死を遂げたバーグソンのように最愛の人へと向けられてしまった。これにより人はお互いに殺し合い、その数を大きく減らすことが出来るのだ。

『我が配下よ、集え』

 ヴァンがそう命ずると、直ぐ様ベオグラード城の周りに大小様々な悪魔達が集合した。最前列にて跪くのは彼の側近であるルシフェルで、彼女もまた悪魔としての真の姿を開放していた。瞬く間に城の周りは蠢く悪魔達によって埋め尽くされ、中心であったヴァンはその9枚の翼で空中に飛び上がり、四方八方に邪悪な意味を持つ魔法陣をまた展開した。それらは人に有る7つの罪源を司る悪魔を召喚し、あとの2つは悪意と、形容できない別の何かを表している。それが何かなど人の言葉では書き連ねることは出来ない。

 この場の全てが邪悪であった。全てが災厄であった。この人間界に降り立っている悪魔達のその全てが、終末を迎えるために集ったのだ。

『諸君、時は満ちた。この世を再び、我らの手に墜とす。そしてアレクサンドル=エンキュリオール、お前には褒美として強靭な人間の体を与えよう。この世界全てを一人の人間として統治してもらう』

「仰せのままに、魔王ヴェーデルハイムよ」

『全世界の悪魔よ、今日より3日間、人間の捕食制限を解除する。あらゆる人種をすりつぶして、腸詰めにすることを許そう』

 歓声が沸き上がる。人でない者達が獣のような声を上げ、その力は空へ響き雷鳴を轟かせた。

『我らが配下となりし悪しき人間共よ、これより貴様等は人間が作りし法律の檻から出て、貴様らが想像した、あらゆる全ての悪しく悍ましい行為を成すことを許そう。憎い人を火炙りにしても、あどけない少女を強姦しても、あるいは金持ちの脳天にショットガンを打ち込んでも良い。悪を成すのだ』

 今度は人の声が歓声として沸いた。人間の世界では悪人として封じ込められてきた人々が、悪魔の力と無法を得て更なる欲望を実現できることに歓喜した。彼らは我先にと四方散らばり、早速欲動を源にして動き出した。

『魔界の領主、ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタの名の下に宣言する。これより人間界を征服し、”暗黒時代”を開始する』

 全ての終わりが始まった。これからの10年間は人類史において”アフターミレニアムの暗黒時代”と称され、数百年続いた人間の繁栄は一時的に停滞した。悪魔達が黒魔術師など一部の人間を除いて人々を虐げる事により、人間は暗闇で怯えながら暮らすことを余儀なくされた。

 魔王ヴェーデルハイムは強制収容所における監守役として黒魔術師を、その頂点に立つ”人間を虐げる人間の王”として、悪魔に近い力を与えられたアレクサンドルを任命した。

 人間を味方につけることは1500年前の反省でもある。人間の力を認めているヴェーデルハイムは、その人間の力をもって悪魔の目的を達する事を選んだ。その悪魔の目的は1500年前と同じく、より多くの憎悪を悪魔に向けさせることで、そのための手段は問わない。ただ今回の計画には1500年前に無かったものが盛り込まれていた。

 それは彼女の存在。

 彼女にはまだ、魔王と踊ってもらわなければならないのだ。