episode5

 彼女は部屋の隅でうずくまっている。
 その部屋は豪勢なものだ。純白の大理石のテーブルは金で縁どられ、その上にはまた金の食器が並べられている。
 食器の上には世界中からかき集めてきた色とりどりの高級フルーツが輝き、テーブルの下を見れば金の刺繍が美しい絨毯が一面に広がっている。ふかふかのソファーは本革性で触り心地は抜群。天井にはこれまた金色に輝くシャンデリアが強く自己主張しており、このように部屋は眩しいくらいの富を感じさせている。だけども彼女はとても暗い顔をしていた。白いジーンズの上に「I LOVE NEWYORK」のTシャツを着て、その上に白い布で作られているゆったりとした服。それは古代ギリシャで着られていたキトンのようなものだ。
 顔立ちは美しく、そして幼い。髪は部屋の何処よりも明るいブロンドで、極め細かい光を放つ金の糸である。何よりもその背中には人にあるはずのない物が生えている。それは白い翼。羽ばたき空をとぶことの出来る、巨大な白い羽が生えていた。そう、彼女は天使である。人の幸せを糧とする、天界の住人である。本来であれば人間界に居るはずのない天使がここでうずくまっているのには訳がある。それは大体3時間前のことだ。
 彼女は天界に暮らす善良な市民である。彼女その日も下界から取り寄せた『ジャパニーズ・コミックス』を読みながらバカ笑いし、ジャンクフードをつまみながらスナック感覚で下界の人間に些細な幸せを与えていた。全ての天使が下界に降りて直接的に人間を幸せにすることは無い。大多数の天使は雲の上で、優雅で暇でしょうがない生活を送り、時々思い出したように適当な人間の願いを少しだけ叶える。現代は宗教が多くの人間に広まったことによって、天界には『幸せ』が安定供給されているので、このように適当な生活が送れるのだ。彼女もその一人で、今日も一日暇を持て余す予定だったが、その予定はゲームで遊んでいた深夜で終了した。下界で何者かが大掛かりな天使降臨の術式を成功させたらしく、彼女の足元にある雲に突如穴が開き、体は重力に従順に落下していった。その先は天界とは違う次元にある下界、すなわち人間の住む世界である。
 落下した先で彼女は気を失い、気がつくとこのソファーで寝かされていた。突然見ず知らずの場所に連れていかれることを不安に思うのは、何も人間だけではない。彼女も状況を飲み込むまで混乱していたが、現在は状況をよく整理し、ゲームの途中経過をセーブすることを忘れていたことに絶望した。用意されたフルーツもワインも手を出す気がおきない。そのまま彼女は眠りにつき、今は朝である。
 あくびをしていると人の気配がした。ドアノブが音を立て、その向こうから大柄の男が現れる。男は顔を白い布で覆い、その表情を読み取ることは出来ない。薄汚れた迷彩服を着て、カラシニコフを肩にかけている。さっきまで戦争をしていたかのような物騒な格好をしていた。
 男はゆっくりと彼女に近づいてくる。彼女の瞳孔は開き、緊張状態。生死の瞬間が迫る。思わず目をつぶった彼女だが、足音は目の前で止まってしまった。恐る恐る目を開けてみると、男は彼女の目の前で深く跪いていた。
「私はアル=フワーリズミーと申します。数々のご無礼、申し訳御座いません」
「は……?」
 彼女は頭の中を整理すると、自分がとんでも無い思い違いをしていたことに気がついた。
 天使降臨の術式は複雑な術式であるが、根底に必要なのは術者の願いである。つまりは召喚者であるこのフワーリズミーという男は、何かを願って天使である彼女を呼んだのである。だから彼は彼女に危害を加えるはずがない。
 そう判った瞬間に彼女は立ち上がって腕を組み、堂々と、偉そうに振舞った。
「貴方が私を召喚した者ですね? 私は天使、アンゲロス=アルメルス。天界からの使者である!」
 彼女は最も低い階級である『アンゲロス』であるが、後光を放って、それを見る者を幸せな気持ちにする特殊能力を持つ。後光を目にしたフワーリズミーは自然と幸せな気持ちになり、思わず涙腺が崩壊してしまった。嬉し涙が滝のように滴る。
「なんという美しい姿でしょうか。心が洗われるようでございます」
 男を目の前にして鼻が高いアルメルス。階級は下でも神通力には自信があり、YHVH主催の神通力選手権ライト級の優勝カップを手にしたことがあるだけに、人間への効き目は抜群だ。
「ところで、貴方は何を願うのです? 私を呼び出したからには何かを願っているのでしょう?」
「願い……というよりも、これは質問と言いましょうか」
 男は深呼吸をしている。そして口から飛び出た言葉にアルメルスは度肝を抜かされた。
「私に、悟りを授けてくれませんか?」
 アルメルスの口があいた。そのまま塞がらない。閉めようと思っても紙でも詰めなければ塞がらない。
 この男はなんて馬鹿なことを言っているのかと思った。数千年前に大天使ジブリールが某男に悟りを授けたことは有名だが、これはその男が悟りを求めたからではない。天使は宗教を作るために、教祖足りえる男に悟りを授ける。それはつまり種を撒くことであり、後々になって人々の信仰を幸せとして収穫するための一作業なのだ。
 現在の宗教は飽和状態であり、ただでさえ異宗教間の闘争が耐えないというのに、これ以上宗教を増やしてしまえば、世の中には不幸が蔓延することになるだろう。だから悟りを授けるにはそれなりの階級が必要であり、それ相応の神通力が必要だ。善良な天界の市民でしかない彼女がそのような権限と力を持っているはずがない。
 だから彼女はフワーリズミーの願いを叶えることが出来ないのだ。
「えーあー……悟り? ああ、悟りたいのね。ええ、わかります、悟りですね」
「授けていただけないでしょうか?」
「そんなわけ無いでしょう!」
 第1の失敗、彼女はプライドだけは高いゆえに見栄を張ってしまった。素直に出来ないと言えばいいものを、彼女は出来ると言ってしまった。もう引き下がれない。
「では授けていただけるのですね!?」
「ええ、も勿論。ですが悟りを開く為には多くの術式と時間を要します。ですので時間をいただけますか?」
「勿論! そのためならば1年でも2年でも待ちましょう!」
 舌打ちをしそうになったが思いとどまった。この男は悟りを開く為ならば何時までも待つつもりだ。これから何年もこの下界で暮らすと考えると、立ちくらみが襲ってきた。男を部屋から出るように言い、彼女はソファーに飛び込んだ。
「誰か助けてくんないかな……」
 第2の失敗は、漫画でも買ってくるよう頼んでおけばよかったことだ。

 日差しが強い日中。アスファルトは焼け、蜃気楼は登る。車に載せられて何時間経ったのか、時計がないので解らないが、相当な時間が経っているだろう。ピックアップトラックの荷台にテントが作られ、そこに1人の女性が両手足を縄で縛られ、且つ目をガーゼで塞がれていた。彼女はイスラエル国内に仕事で滞在していたセルビア人女性。西エルサレムのダウンタウンで歩いていたところ、偶然にも人通りが少ない場所を歩いていたために、スタンガンで気絶させたあとにこのトラックに載せられた。
 というのは語弊がある。このトラックで彼女をさらったのは、かの有名なテロ組織「アイン・ハー・ラーア」の構成員。そしてさらったセルビア人の女性というのは、RHKエンプレスソード隊のサラ=ジェンドリン軍曹である。
 これは作戦行動だ。この作戦を考案したルミナスが言うには、「ただ叩くのではなく、奴らの戦意を大きく削ぎ、世界中の恥さらしにしなければならない」らしい。指南役であるヴァンの性格が出始めている。方法は単純にして最悪だ。
 まずアインが彼女を連れ去るように仕向けたのはルシフェル。彼女は先日イスラエルに帰国し、アインの構成員と接触。当のアインは未だに彼女が神の使いであることを信じて疑わず、ルシフェルの情報を鵜呑みにした。ルシフェルが直接アインに手を下したほうが早いのは事実だが、ただそれでは面白みに欠ける。ルミナスの言うとおり、ただ、叩くだけでは意味が無いのだ。
 ピックアップトラックはエルサレム市街を南下し、アインの本拠地へと向かっている。本拠地のある場所は古代イスラエルにおいて、ヒノムの谷というゴミ捨て場の谷だった。またの名を、ゲヘナ。土埃が酷く、住みよい場所ではない。西を見れば高層ビルが並ぶというのにベッドタウンすらも外れ、この場所は寂れた場所だ。そんな場所だからこそ隠れ家としては最適というわけだ。トラックはそんな場所で停止した。テントの入口が開かれ、彼女は足の縄だけ外されたあとに銃を突きつけられながら歩かされた。ここまで作戦は極めて順調である。
「おい、ここに座れ」男が低い声で命令する。しかし彼女はアラビア語が判らない。
「何を言っているのか判らないんですが……」
 座らないでそのまま立っていると尻を叩かれ無理矢理に座らされた。
 ようやくここで目隠しが外される。今まで目隠しされていたのは本拠地を知られないようにするためだが、屋内に来てしまえばその必要はない。彼女は自由になった目を存分に動かして周囲の状況を確認した。
 自分が座っているのはビニールのシート。目の前にはノートパソコンと、それに接続されたウェブカメラ。背後にはアインのトレードマークであるらしい、手のひらに目が開いた紋様が描かれた赤い絨毯。周囲にはカラシニコフで武装し、顔を隠した男たち。何処かのニュースで見たことあるような光景だ。
 そう、サラはセルビアとの交渉に使われる人質である。彼女に銃を突きつけ、ビデオで撮影しながら要求を突きつけるのだ。アインの要求はセルビアが派遣しているRHKインターナショナルの、イスラエルからの完全撤退。これが飲まれなければサラを銃殺するというものだ。
 早速カメラが起動し、サラの姿が画面に映る。この映像はインターネットで世界中に配信され、凄惨な映像と、政府がテロ組織に折れる様を公開することが出来る。秘匿された回線を使用し、直接交渉が行われる。
 この部屋に一人、銃を持たない男が入ってきた。この組織を束ねるリーダー「アル=フワーリズミー」だ。
 フワーリズミーはセルビアと通じている受話器を取り、交渉を開始した。
「映像は見えるか?」
『良く見えますわ。ええ、はっきりと』
 電話に応答しているのは女性である。しかしその声はルミナスのものではなく、酷く禍々しさに溢れている。彼女は書類上RHKのCOOである「ヴェンディー=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタ」、ヴァンが女性に化けたものである。
「我々はRHKインターナショナルが派遣する兵隊を、即座にイスラエル国内から撤退する事を求める。さもなくば……」
 男たちがサラに向けて銃を突きつけた。引き金に指をかけ、撃てるということをアピールする。
『その女を殺すか?』
「そうだ。要求が飲まれなければ、このセルビア人女性を殺害する。今、この場所で」
 作戦は今、集大成を迎える。この場で”YES”と言うか、あるいは時間をくれと、人間の心を持つ者であればそう答えるだろう。しかし、彼女は違う、彼女も違う。絶望的状況であっても彼女自身がそれを解っていたので、心のなかでは笑いが止まらなかった。
 この交渉は成立しないのだ。何故ならば、サラが真っ当な人間ではないからだ。
『笑わせるな、腐れ人間ども。彼女を殺すだと? もう一度言ってみろ』
「ハッタリは止めておけ、彼女の生殺与奪の権は我々にあるのだ。この女を殺すことは簡単だぞ」
『やれるものならやってみろ。彼女を本当に殺せるのなら、世界中にそれを示せ。私に証明してみせろ。貴様等が腰抜けではないことを証明してみせろ。さあ早くその引き金を引いて見せてくれ、さあ、早く!』
 全く予想外の反応。今までこの手の取引は全て成功させてきた彼だけに、この反応は非常に屈辱的だった。
 フワーリズミーは受話器を叩きつけ、仲間にサラを撃ち殺すように指示した。
「撃ち殺せ。交渉は決裂だ。我々が本気だということを、彼らに証明してやれ」
 即、引き金を引いた。脳天がはじけ飛ぶ。何発も、何発もの銃弾がサラの体を打ちぬき、蜂の巣にし、皮膚を切り、血液を吐き出させ、雑巾のように引き裂く。凄惨な光景が広がった。これはネットを通じて世界中に配信される。これでアインが本気であることを証明できた。
 しかし、彼らは気がついていない。本気の証明が出来たとしても、彼らの安全を証明することは出来ない。その二つの要素には何の関係もない。電子音が部屋に響いた。まるで終わりの瞬間が近づいてくるような、等間隔に訪れるカウントダウン。
「何だ、この音は。死体から出ているぞ」
「リーダー、死体の腹の中に箱状のものが……」
 フワーリズミーは見覚えのある箱を目にし、瞳孔を開きながらそれを凝視した。それは何だ。それは、その箱は紛れもなく、アインが武器商人から買い付けたプラスティック爆弾。大きさからして相当な爆発力を持つものだ。受信器と思われる機械が装着されており、遠隔操作、あるいは時間により爆発するだろう。
 何故それが底に埋め込まれているのか、考える暇もなく指示を出す。
「伏せろ!」
 彼は即座に指示を出し、障害物の陰へ飛び込んだ。まさにその瞬間、プラスティック爆弾は起爆した。
 爆風でノートパソコンはテーブルからたたき落とされ、銃を構えていた兵士は爆風で吹き飛ばされ、後方のコンクリート壁に叩きつけられる。慣性で肋骨が折れ、排骨もずれた。血液と臓物がばらまかれたが、鉄片などは飛散していない。単なる爆発だけだった。アインの構成員達のほとんどは吹き飛ばされただけで、打撲等の外傷だけで済んでいる。こま肉ひき肉にされたのはサラの近くで銃を握っていた男だけだ。
「なんて奴等だ! 爆弾を詰め込んだ人質を我々に取らせるとは、非道にも程があるぞ!」
 難を逃れたフワーリズミーは無傷で立ち上がり、負傷した仲間を立ち上がらせた。しかし、作戦は終わらない。地獄はこれからだ。
 飛散した肉片が中央に集まりだした。音もなくそれは移動しているために、周りの人間はそれに気がつかない。肉片は中央でさらに大きな塊となり、血と肉は人の形を取り、皮膚や目、各種器官を構成。ぼろぼろになった服をはおり、彼女はゆっくりと立ち上がった。
 気がついたときには遅かった。男の背後から近づき、首を締めつつ手に持っていたカラシニコフを奪い取り、男を盾にする形でそれを構える。構成員は目を疑った。
「動くな。動いたら首をへし折ります」
「おい、これはなんだ、ふざけるな。この女は先程死んだはずだ、爆散したはずだぞ!」
 サラはカラシニコフを天井に向けて3発撃つ。銃声が広く響き渡る。合図だ。
 その瞬間、窓ガラスを突き破って薄暗い服を着た人間が突入してきた。薄暗いオリーブグリーンのBDU、右肩には龍のような形をした紋様「デーモニック・スワスティカ」。
 妙に体の大きい兵士たちは顔を漆黒の布で覆い隠し、その暗がりに光る目は赤く輝いていた。そう、彼らである。
 RHKの最大にして最強の戦力、魔王ヴェーデルハイムに仕える悪魔兵達だ。
『チーム・アモン、突入開始。人間共を床に叩きつけろ』
 悪魔兵、詳細に言えば大型のガーゴイル達は熊よりも重量があり強大な力を持つ。そんな彼らが人間を取り押さえようとする。人間は恐怖のあまり銃を乱射するが、単なるライフルが悪魔に有効であるはずもなく、それらを物ともせずに接近され、頭を鷲掴にされて地面に勢い良くたたきつけられた。
 追随して人間の兵士も突入する。彼らが真っ先にとりかかったのは、吹き飛んだソートパソコンの再起動だ。先程までインターネット放送をしていたソフトを立ち上げカメラもセットする。そのカメラの先にあるのは意識が朦朧としたアインの構成員達。
 人間の部隊の後ろからゆっくりと歩いてくる男がいた。黒い鎧を纏い、幅広で腰のあたりまである刃渡りの剣を持った男。竜騎士ベルモンド=クローディアス。
「サラちゃんご苦労! 爆弾を腹に詰め込んだ気持ちはどうだったよ?」
「思い出したくないです……。ところでベルモンドさん、頼んでおいた服の換えは?」
「おう、持ってきたよ。水着なら」
「水着!? なんで水着を持ってくるんですか!?」
「BDUはかさばるんだよ。そうそう、かさばるのさ」
 にやにや笑いながら水着を差し出すベルモンド。言い分はまともだが、考えていることはそうまともではない。下心を隠す気がないままに彼は行動する質だ。
 渋々それを受け取ったサラは部屋の奥に行き、セパレートタイプのビキニを着用してきた。サイズが何故ぴったりなのかと彼女は疑問に思ったが、途中で考えるのが怖くなったので止めた。
「裸で放送されるよりマシですけど、この恥ずかしさは半端じゃないですよ」
 作戦は遂に最終段階。これからアインにとって最高に屈辱的なショーが始まるのだ。この作戦はこのためにあると言っても過言ではない。
 アインの構成員を縄で縛り拘束する。次に全員をウェブカメラの前で並ばせ、RHKの隊員達が銃を彼らに突き付ける。先程までサラが居た状況とは真逆の状況。PCの配信用ソフトを起動し、インターネットへ映像を配信し始めた。
「皆さんご機嫌いかがでしょうか? 本日はRHKインターナショナルのプロモーション番組を御覧いただき誠にありがとうございます。司会を努めさせて頂くこの私、RHKエンプレスソード隊切込隊長のクローディアスです」
 ベルモンドがマイクを取ってカメラの前に立つ。後ろで拘束されているアインの構成員は悔しさのあまり、音が聞こえるような歯ぎしり、あるいは唸り声を上げていた。そう、これがやりたかったのだ。
「我々はつい先程、このアイン・ハー・ラーアの本拠地を制圧! 拘束されていた彼女はこのとおり無事保護し、水着を着てしまうくらい元気です。今の気分はどうですかー?」
「は、はい! RHKの皆さんが助けに来てくれたおかげで助かりました。悪いテロリストもイチコロで、とてもカッコよかったです!」
「ははーん、カッコいいって? 照れるなぁお嬢さん。まあ俺たちRHKの手にかかれば、この程度のテロリスト共はちょろいもんだぜ。RHKのモットーは『最強・最速・最安値!』。クライアントの要求に即応答! どんな問題も一網打尽! 派遣するスタッフは2人から派遣可能! 邸宅の警備も承っております。お金が無い? 大丈夫です、今なら新規契約のお客様に限り派遣費用40%OFF!」
「ええーっ! 40%OFFですか! でも弾薬費は別なんでしょう?」
「いいえ、戦闘で使用される弾薬および諸費用も込みでございます」
「えーでもそんなに安くで信用できるんですか?」
「ご心配ありません。そういうお客様のために、1週間派遣費用無料キャンペーンを実施しております。あなたも雇えば違いを感じていただけるはずです」
 まるで通販番組のようにRHKのプロモーション番組が進められた。RHK公式ウェブサイトからもアクセス出来るこのリアルタイム配信動画の視聴者は、世界中で既に10億人を突破しており、とんでも無い反響を及ぼしている。
 途中でアインの構成員の一人が拘束されながらもベルモンドに飛びつこうとしたが、とっさに抜かれた剣の腹で膝の皿を砕き、一瞬でおとなしくさせた。
「ご契約のご相談はお電話、あるいはRHK公式ウェブサイトへどうぞ! インターネット契約なら簡単な手続きで、迅速に派遣を行うことが出来ます。命を狙われている貴方も、部下が皆殺しにされて戦力が足りていない貴方にも! RHKは平等に、そして真摯なサービスをご提供いたします!」
 後ろの兵士たちが用意した楽器類によるセルビア国歌の演奏をし、この動画配信は終了した。
 すると同時にベルモンドに無線の通信が入る。
『おい、クローディアス。その中にフワーリズミーは居るか?』ヴァンの声が聞こえる。
「部屋に居た奴等は全員拘束したはずだぜ」
 すると無線から聞こえるこれが別の女性のものとなる。
『こちらルシフェル。先程までの映像では、フワーリズミーの姿は確認できなかった。撮り逃したようね』
 ベルモンドは「まじかよ!」と叫んだ後、アインの構成員に剣を構えて問いただした。
「おい、フワーリズミーは何処行った! 答えなければクビが飛ぶぜ」
「リーダーはお前たちなど相手にしない。もっと崇高な目的のために我等は犠牲となるのだ」
 崇高な目的。それは新たな宗教の創造。フワーリズミーは召喚した天使を連れて脱走する気なのだ。エンプレスソード隊がここに派兵された目的は報復だが、それは所詮ついでのようなものだ。本当の目的は拘束されている天使を奪還することである。勿論部隊が突入した時点で建物内の捜索はしている。しかし、未だに目標は確認できなかった。隠し部屋がある可能性が高いが、建物の全方位を部隊が包囲しているから、少なくとも天使を連れて建物から簡単に出ることはできない。
 しかし、その予想は外れてしまった。
『こちら東包囲部隊! 何者かの攻撃を受けている。視認が出来ない!』
「引っかかったか馬鹿め。天使とやらを傷物にしないように野郎を捕らえてくれ」
『駄目だ、見えない。悪魔が殺気を感じているから存在を確認することは出来るが、見えない。どこからとも無く銃弾が飛んてくる。まるでプレデターを相手にしてるみたいだ!』
プレデターはハリウッドのSF映画で、透明で見えない宇宙人が登場する。悪魔達は人の殺気を捉えることが出来るために、そこに殺気を持った人間がいるということは判っていた。だが光を透過し、人の目には見えない何かがRHKの隊員に攻撃を加えている。
 この場はサラに任せておけばよい。ベルモンドは甲冑の兜を被り、外へ飛び出した。

 RHKの隊員達は悪魔兵とバディを組みながら、見えない敵からの猛攻に対処していた。悪魔達が殺気を感じ取り敵の位置を伝え、その方向へ人間と悪魔が銃撃する。銃弾が飛んできた場合には悪魔が盾となり、銃声の方向へ銃撃する。悪魔と人間が織り成す見事なコンビネーションだ。
 しかし彼らは手いっぱいである。敵は少数、銃声からして4人程度。それでも視認が出来ないというのはとてつもない優位性であり、倍の人数がいる部隊も防戦一方だ。
 圧倒的力を持つ悪魔達も、人間を守りながら戦うとなると思い切った行動に出にくい。そこに現れたのは黒い甲冑を纏う戦士。砂煙を舞い上げながら走るその姿は竜。両手に握るは竜をも断つ剣『ドラゴンスレイヤー』。竜騎士ベルモンドが増援に駆けつけた。
「さあ、こそこそ隠れてないで正面から来いよ。自慢じゃないが、俺は100人相手までケンカしたことあるぜ」
 銃撃を受けるベルモンド。しかし黒竜の鱗が銃弾を滑らすように受け流し、誰も彼の歩みを止めることは出来ない。剣を片手で持ち、肩にかけていたマシンガン『P90』を構えると水平にそれを掃射した。何処に居るか判らないので、銃声のした適当な方向だ。勿論こんな方法では遮蔽物に隠れられれば意味が無い。
 だが、ベルモンドは決して焦らなかった。魔獣共を相手にしても決して負けない彼が、世界中で数々の修羅場をくぐり抜けてきた彼が、こんな状況で手も足も出ないはずはないのだ。
「全員、地面に伏せろ」ベルモンドは無線で周辺の隊員に指示する。
 彼は剣で地面に自分を中心とした同心円を描いた。その線を両足で踏みつけると、ドラゴンスレイヤーを水平に構え、奇妙な言葉を発した。
『刃を、円に、遠く、周りを、断て。我が問に答えよ竜の剣。汝が切り裂くものは、切り裂けるもの全てか?』
 呪文だった。最後が疑問文で終わる呪文をベルモンドが呟くと、彼は剣を水平に、正確に360度一回転した。
 すると1秒遅れて風を切る音がした。風は剣と同じく水平に、彼の周りを一回転する。音速を超えているためか、ソニックブームが走りその姿を捉えることが出来た。半径は100メートル。
 薄く尖った風の刃は高熱を持ち、半径100メートルのあらゆる物体を切り裂いた。
 木が切り倒される。柵が粉々になる。壁は崩れる。車は燃料に引火して爆発する。あらゆる障害物が真っ二つとなり、地面に伏せていない者は斬り殺される。
 何も無い空間に血飛沫が上がった。姿を消していたアインの戦闘員が体を半分にして泣き叫ぶ。
 彼は、ベルモンドはただ剣を振るうだけでここまで生きてきたわけではない。ドラゴンスレイヤーは魔法を吸収するオリハルコンで造られているために魔力を吸収する性質があるが、吸収した魔力は一定量、剣の内部に貯蔵される。すなわち、彼は剣の魔力を利用することで魔法を使うことが出来るのだ。
「死体が3。あと1人か」
 その一人はとても怯えているに違いない。怯えて引き金を引くことを躊躇しているに違いない。黒い西洋甲冑の男に恐怖しているに違いない。だから正常な判断を失っている、あるいは欠いているに違いない。
 銃撃が来る。引き金を根元まで引いているような、全力のフルオート射撃。竜の装甲は相変わらずそれを弾き返す。黒い鎧が反響する音で笑っていた。
「五月蝿いんだよ腰抜け野郎。そんなに俺のモノで犯されたいのか? くれてやるぜ、俺のブラックでビッグなモンをよお!」
 剣を再び水平に構え、軽く横に滑らす。それだけで足りる。
 古代より続く、竜と戦いを続けた戦士たちは如何にして体長の数十倍はある竜を殺したか。勿論オリハルコンの魔力吸蔵・吸収特性を活用したのは言うまでもないが、剣が届かないところまで攻撃しようとするためでもある。
 彼らの使う魔法は大抵それを満足するためのものだ。大きなものを切るならば、大きな刃が必要だ。竜の全長を凌ぐ刃渡りを持つ巨大な剣が必要だ。しかしそんなモノは人間の扱えるものではない。だから彼らは魔法によって、ドラゴンスレイヤーの”刃”のみを伸ばしたのだ。
 先程と同じく血飛沫が上がる。見えない敵を切るために、見えない、そして圧倒的長さを持つ魔法の刃を生成したのだ。触れただけで切れる魔法の刃は、手元の小さい動きを大きくして、敵を細切れにしてしまう。
 透明人間は両足を切られ転び、そのまま三枚におろされた。いや、3分割だ。
「4人。残りは無いな」
 銃声は止んだ。予測が正しければ透明人間を全て片付けたはずだった。
 死体を確認する。写真と照合してフワーリズミーが誰かを探した。RHKの隊員達は真っ二つ、あるいはブロック肉となった死体の顔を覗き、それを確認する。しかし適合する死体はなかった。彼らは全員アインの構成員であり、リーダーのフワーリズミーではない。
『フワーリズミーは確認できない』
「確かにこいつらは建物から脱出しようとしたはずだぜ。じゃあ奴はどこなんだよ……」
 ベルモンドは苦虫を潰したような顔をして、考えられる可能性を上げてみる。するとそこに装甲車を運転する見慣れた顔が到着した。砂煙を吸い込んだベルモンドがむせる。
「ベルモンド、奴は捕まえたか?」
「ヨハネス神父か、巡回はどうした? まあいいや、この通り逃げ出そうとした奴等は始末したよ」
 ベルモンドはヨハネスに今までの状況を伝える。透明人間のこと、それらに部隊が翻弄されたこと、特に自分の活躍の素晴らしさについて。ヨハネスは最後の自慢話には興味を示さなかったが、透明人間の話には敏感に反応した。
 ヨハネスは無線で本部に連絡する。
「こちらエンプレスソード隊、ヨハネス。フワーリズミーの宗派は何処だ?」
 これについてはルシフェルが答える。『現在は改宗していますが、シーア派の何処かだったと聞いています。確か、ニザール派でしたか』
「ニザール派。なるほど、そういう事か。ニザール派のことをとある界隈ではアサシン教と言うらしいが、彼らは不届き者を暗殺により処理してきたらしい。身を潜めるための術か何かを会得してるのかもしれない」
「まじかよ。そら姿は見えないわ足音は聞こえないわ、厄介な敵に遭遇したな」と、ベルモンドは合点が行く。
「まてよ……!?」ヨハネスは何かに気がついたように言う。
 彼は気がついた。よく考えればわかるが、戦闘という極限の状況下では全く判らないことがある。
 透明人間は透明で、足音も聞こえない。だから悪魔の殺気、あるいは銃声を頼りに彼らの存在を確認していた。だが殺気を持たずに、銃も発泡しない他の誰かが戦火の中を通りすぎるとしよう。その場合どうなるか。まず存在を感知することは出来ないだろう。透明であれば、足音も聞こえず、殺気もなく、攻撃もしない。自分の存在を周囲に一切知られること無く移動できる。
 そう、このドサクサに紛れて逃げられる。ヨハネスはすぐさま上空を偵察する空挺師団「チーム・ダンタリオン」に連絡をとった。
「チーム・ダンタリオン、応答せよ。上空から見て、建物から脱出しようとする人影は見えないか?」
『こちらダンタリオン。人など見えん。野垂れ死にしている奴等なら見えるが……いや、建物東の車が動き出した』
 間違いない、フワーリズミーだ。彼は天使を乗せて北へ向かい、エルサレム旧市街へ入るつもりだ。
 ただでさえエルサレム近郊での軍事行動はグレーゾーンだというのに、旧市街へ入られてしまえば大っぴらな行動は制限されてしまう。この作戦はあくまでも秘密裏に行われるものだ。市街地に入る前にフワーリズミーを捕らえる。今からなら間に合う。ヨハネスとベルモンドは車で追跡を開始した。

 フワーリズミーの車は古臭いセダン。エンジ色のボディは土埃で汚れている。乗っているのは運転手が一人、武装したフワーリズミーと体格の良い男一人。そしてとなりにアルメルス。車は何も無いまっすぐな道を通ってエルサレム旧市街に向かっている。今日は日曜日でユダヤ人の安息日にあたり、旧市街への車の乗りいれは禁止されているが、このように追われていれば無視せざるをえない。人通りのない道を使えばうるさく言われないだろうとふんだのだ。
「ヨハネス! もっとアクセル踏めよ!」
「これ以上加速できない。重量のある装甲車が機動力に劣る」
 装甲車の装甲があだとなり、徐々にフワーリズミーの車が遠くなる。素直すぎる直線道路だったからまだいいものの、これが市街地に入られれば小回りの差で確実に見失う。
「車が重いって? 軽くなればいいのか?」
 ベルモンドがにやりと笑った。ドラゴンスレイヤーを鞘から抜き、吸蔵魔力を素に火炎魔法を使用して刀身を加熱させた。その熱は赤熱するまでになり、付着していた塵が燃えて白い煙が舞い上がる。彼は装甲車の壁にそれを突き刺し、横に滑らす。装甲は音を立てて溶断された。
 同時にヨハネスの絶叫も聞こえた。
「馬鹿が! 先週納車されたばかりの装甲車なんだぞ、幾らすると思ってるんだ!」
「引越しも追跡も身軽な方が楽だぜ」
 ベルモンドは剣で装甲車の目に付く装甲板を取り外し、車の重量を軽量化した。フロントガラスだけが残った車の風通しは良すぎて寒いが、速度計の針はたしかに右へ振れた。車間距離は確実に近付いている。
 アインの構成員の男がライフルで威嚇射撃をしてくる。すかさずハンドルを操作して回避した。数発が車のボディに被弾、1発はフロントガラスを打ち破った。正面からの風をまともに受ける。車間が開いた。
「ベルモンド、運転を頼んだ。車を囲んで結界を作る」
 慌ててベルモンドが運転席に乗り移りハンドル操作を代わった。ヨハネスは懐から新約聖書を取り出し、そこに書かれた文章の一節を読み上げた。
『あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。あなたを呪う者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい』
 単語と単語を出来る限りグルービングした超高速詠唱。最後に首から下げた十字架にキスをして式の完成。
 殺意が込められたあらゆる物体を一定範囲内に寄せ付けない、殺意遮断障壁が車全体に展開された。
 敵がライフルで攻撃してくるが、銃弾はヨハネスの目の前1メートルのあたりで移動エネルギーを消され、空中にて静止し、後に重力に任せて落下。次々に銃弾が飛来するも同じことが繰り返され、敵はそれをみて引き金から指を離した。
 神父も黙っては居ない。自動小銃を構えて攻撃に移る。殺意遮断障壁は一方通行な性質であり、術者からの殺意は透過される。フワーリズミーの車には天使が乗っている。ヨハネス達からは良く見えないが、後部座席には金髪の女性が乗っているのが確認され、迂闊には車への攻撃はできない状況だ。相手もそれを分かっているだろう。
 更に加速した。横に並んでタイヤを打ちぬきバーストさせるしかない。
「ベルモンド、横に並べ。タイヤを撃ちぬく」
 装甲車はセダンと並んだ。側面に殺意遮断障壁を展開したまま、ヨハネスは自動小銃でタイヤを狙う。しかし車は予想とは違う行動を取る。
 車が装甲車側面に急接近して激突した。衝撃でヨハネスは足を崩し、荷台に勢い良く倒れこんだ。あろうことか、車の助手席のドアが開き、中からフワーリズミーが姿を表した。時速140キロメートルの速度でだ。彼はそのままセダンの屋根によじ登り、そのまま装甲車の方へ飛び移ってきた。
「やるじゃないか、正教会の神父。銃が嫌なら喧嘩をしよう」
「望むところだ」
 ヨハネスは銃床でフワーリズミーを殴りつけようとする。しかしその場所には何もなく、攻撃は空振りになる。とっさにフワーリズミーの姿を探すが、視界には流れる景色のみが写る。フワーリズミーの姿が消えた。そんなはずはない。瞬間、ヨハネスは後頭部を強打する。後ろから殴られたようだ。直ぐに後ろを振り向くが、そこには何もない。この狭い装甲車の荷台、大きさで言うと人が4人やっと座れるようなスペースに隠れる場所など無い。見えないはずがないのに何故見えないのか。
 そう、透明で見えないのだ。
「その節穴で捉えてみろ。私を、捉えられるものなら」
 ヨハネスは歯ぎしりをしながらジャブを食らわそうとする。風が鳴るほどの勢いだったが空振りに終わる。それが仇となってフワーリズミーに腕を掴まれてしまった。見えない手が二の腕をがっしりと掴み、上へ持ち上げられる。体の主導権が剥奪され、ヨハネスは甲鈑に叩きつけられた。受身をとろうとして手を付いたが、右腕の関節が嫌な方向に曲がった。痛みが痛覚を支配した。無力な神父を前に透明なフワーリズミーは拳銃を取り出し、運転席のベルモンドに突きつけた。
「終わりだ。車を止めて追跡をやめろ」
「あ? 五月蝿くて聞こえねえよ」
「止めろと言っているんだ!」
 引き金を引く。だが、黒竜の鎧の前に鉛玉は潰れるだけで、ベルモンドの頭蓋骨どころか鎧を撃ちぬくことはなかった。フワーリズミーは舌打ちする。
「五月蝿くて聞こえねえって言ってんだよ糞野郎が!」
 ベルモンドはハンドルを急に操作し、フワーリズミーの車に激突させた。先ほどと同じく衝撃でフワーリズミーはバランスを崩し、その場で姿勢を低くした。
「無茶苦茶な奴等だ。もはや相手にしていられない。嫌でも我々を見逃してもらうぞ」
 フワーリズミーは装甲車を穏便に止めることを諦めた。AKでタイヤを狙い、パンクさせた後すぐさま元の車に乗り移った。装甲車のタイヤは変形し、速度は急激に落ちた。ノーパンクタイヤなために走行不可能な状態にはならないが、勿論フワーリズミーとの距離はかなり開けられてしまった。
 遠く、遠く、車は遠くなる。砂埃でやがて見えなくなる。ダッシュボードを殴りつけたベルモンドが、それを悔しそうに眺めた。
「クソッタレが! ふざけんじゃねえぞ、おい、ヨハネス! 手前のんきにのびてんじゃねえ!」
 切れ気味のベルモンドが後ろの荷台でのびているはずのヨハネスを罵倒するが、返事が来ない。いつもならば反論してくるところだが、今日は妙におとなしい。おかしいと思ったベルモンドは荷台に振り向くが、そこには彼が居なかった。
 ヨハネスが消えていた。

「撒いたか?」と、フワーリズミーは側近に尋ねる。
「ええ、もう追っ手は居ないようです。噂よりもあっさりとしていますね」
 フワーリズミーは一つ深呼吸をして胸をなで下ろす。そして後部座席に座る天使に微笑みかけた。
「悪魔の手先は振り払いました。もうご安心ください」
「ええ……そのようですね」
 金髪の天使、アンゲロス=アルメルスは静かに頷いた。表情には何処か憂鬱なものが伺える。やってられないといった感じだ。フワーリズミーの車はこのまま直進し、安息日のエルサレム旧市街に直行する。複雑な市街地であるために追跡は難しく、土地勘のあるものでなければまともに道も走れないだろう。第2のアジトも旧市街にあるため、そこへ逃げ込めばしばらくは安泰だ。その安泰までは、あと数十キロメートルある。彼が想像しているRHKという戦闘集団は、地獄の底まで追ってくるような強者共といった印象だったが、予想に反して諦めの早い連中だと、彼は感想を持った。しかし、それはまだ途中の評価に過ぎない。諦めの悪い奴は、本当の最後まで油汚れのように付いてくるものだ。
「リーダー、妙な音がしないか?」と、フワーリズミーの側近が言った。
「軋む音がするな。この車が古いのもあるが、こんな音はしなかった。おかしいな」
 金属が軋む音がした。車の老朽化もあるかもしれないが、先程までこんな音は聞こえなかった。まるで定員を超えて複数人乗車したような、車が悲鳴をあげる音に聞こえる。そして突如、銃声と共に後部座席に座る側近が、頭を撃たれて血飛沫を上げて殺された。銃撃は車の天井を貫通し、その上からだ。
「馬鹿な! 上に何か居るぞ!」
 すぐさまフワーリズミーはカラシニコフを天井に向けて撃ちまくる。しかし命中した感触がない。人の断末魔が聞こえない。そこには確実に誰かがいるはずなのに誰も居ない様だ。
 彼が居た。先ほどフワーリズミーにノックアウトされたはずの彼が、車の上にしがみついている。
「逃がさないぞ」一言をヨハネスは口にする。
 振り落とされないようにナイフをボディに突き立て、運転席の窓を蹴破る。ガラスが散って運転手が動揺し、車の動きが大きく乱れた。間髪入れずに運転手を撃ち殺そうとするが、フワーリズミーもカラシニコフで迎撃する。
 しかし、殺意遮断障壁の前に銃弾は無力。ハンドルを急に操作して車体を揺さぶり、ヨハネスを振り落とそうとする。運転手が殺される最悪の状況は回避できたが、ヨハネスは相変わらず車にしがみついて離れない。何度も何度も揺さぶった。しかしヨハネスは顔色一つ変えないで、車から手を離さない。常人であれば握力の限界が来てもおかしくないのに、だ。
 苛立ち始めたフワーリズミーはカラシニコフを放り出し、ナイフを取り出し応戦する。天井に向けて歯を突き立てる。しかし、刺せた感触がない。殺意遮断障壁がナイフという殺意の塊を遮断したために、ヨハネスを傷つけることは出来ない。彼を倒すためには殺意遮断障壁の有効でない肉弾戦をする必要がある。ではヨハネスの優勢かと思いきや、決してそうではない。彼が運転手を殺してしまえば車のコントロールが失われ、車内にいる天使の安否も怪しい。フワーリズミーを殺そうにも、彼の体術はヨハネスと互角。そもそも格闘をする空間がここには無い。
 ヨハネスは死なないが、フワーリズミーも殺せない。両者一歩も前に踏み出せない。そんな中、両者は風をきる轟音の中で更に大きな轟音を耳にした。文字通り風をきる金属板か回転し、浮力を生み出すそれはヘリコプターのプロペラだ。車を一台のヘリが追跡していたのだ。しかしそれはRHKの物ではない。機体は黒いブラックホークで、何よりもボディに描かれた国旗が違う。
 星条旗だった。
『ヨハネス=エイブラハム神父、肉と骨を犠牲にしても天使を守りなさい。神の御加護があるのでしょう?』
 無線通信がインカムに入る。恐らくはそのヘリからのものと思われるが、そんなことを考えている暇はない。サングラスをした金髪の女性兵士が、車の前面に回ったブラックホークからライフルらしきものを構えている。銃身が長く、スコープがついているあたり狙撃用と思われる。女性兵士はスコープを覗きながらそれを車に向けて発射し、見事にその弾丸はフワーリズミーの車に命中。運転手の頭部に命中、即死。血糊がフロントガラスを覆った。次に発射された銃弾でタイヤを撃ちぬいてバーストさせた。ヨハネスは車にしがみつきながらもらす。あいつらはなんて馬鹿な事をやっているんだ、と。だが次に瞬間にその意味を理解し、彼は使命感と生存本能にまかせて後部座席のドアを開けた。バーストしたタイヤが摩擦により発火して炎上。やがて燃えるものが無くなってホイールだけが残り、車は完全にコントロールを失った。鼓膜を針が突き刺すような金属の叫び声を車は発しながら、土埃の積もったアスファルト舗装の上を横転した。車の天地が逆転し、そのまま引きずられるように、慣性で走った。
 無茶だ。ブラックホークの女性兵士はとんでも無い馬鹿をやってみせた。車内に保護対象である天使が居るのにもかかわらず、車を容赦なく破壊したのだ。事情を知らない者が首を突っ込んできた所為で、RHKの最大の目標は達成できずに終わってしまうのだ。
 しかし、彼は終わらせない。スクラップになりかけの車とは離れた場所で、彼は翼の生えた少女を抱いて立っている。上半身の服が防弾チョッキもろとも引き剥がされ、その隆々とした筋肉が露になっている。そんな彼がアルメルスを打き抱えて、その場で、90度腕が折れ曲がっているにもかかわらずその足で立ち上がっているのだ。
 ブラックホークから降りた女性兵士が口笛を吹き、笑い声をあげながら拍手する。先ほど狙撃した兵士とは別の女性だ。
『やるじゃん、セルビア正教の神父。ワンマンアーミーの名は伊達じゃないって?』
 ブラックホークが砂煙を舞い上げながら着陸する。無線通信で話しかけたと思わしき彼女が、その砂煙と共にヨハネスの前に現れた。プロペラによる風で金色の首丈の髪が靡く。彼女は黄土色、砂漠迷彩のBDUで身を包み、肌は白人の白で、頬にはそばかすが目立つ。ヨハネスは彼女の姿をじっと見つめた後に、アルメルスを地べたにそっと下ろした。
「何者だ」ヨハネスは問う。女性兵士は礼儀正しく敬礼をして答えた。
「あたしはアメリカ合衆国海兵隊第8海兵遠征軍所属、アメリア=アモルス准尉。イスラエル政府の命により、アル=フワーリズミーの身柄を拘束しに来た」
「私はセルビア王国王立傭兵騎士団、陛下直属武装親衛隊エンプレス・ソード所属、ヨハネス=エイブラハム。ライフルでタイヤを撃ちぬいた馬鹿は君か?」
 険しい目付きをしてアメリアを見つめるヨハネス。しかしそれを前にしてアメリアはニヤニヤと笑ってみせた。馬鹿にしているのかと、ヨハネスは当然思った。
「ああ、アレをやったのは姉貴だよ。礼なら姉貴に言いな」
 アメリアの後ろからもう一人、全くと言っていいほどに同じ容姿をした女性兵士が歩いてきた。身長、骨格、顔共に同じで、違うところといえば前髪が水平に真っ直ぐ切られているところだ。確かに彼女は肩から長物のライフルを掛けており、タイヤを撃ちぬいたのは彼女と思われる。
「私の生命を無視してタイヤを撃ちぬいたのは君か?」
「決して貴官の生命を無視していたわけではありません。優先順位が低かったことは間違い有りませんが、そもそも貴官は再生法術でその程度の傷では死なないのでしょう?」
 ヨハネスは眉間にシワを寄せてその言葉を聞いた。
 再生法術。それは正教会法術の得意とする『守り』においてもっとも重要な法術で、いつまでもその場で立ち続け、戦い続けるために、自らの身体にある再生能力を神の力によって増幅する。これによって部位が欠損さえしなければ、骨折、内臓破裂、脳震盪とあらゆる外傷をカバーできるのだ。しかも運動することによって筋肉に発生する乳酸をも取り除くため、エネルギーのある限り体を動かし続けることが出来る。疲れない、そして倒れない体によってセルビア正教会の戦闘神父は際限無く戦い続けることが出来るのだ。現にヨハネスの折れた腕は徐々に元の形状を取り戻しており、体のあちこちにある深い傷も治っている。
 よく見れば彼の体、全身の皮膚には刺青による術式が記述されている。奇妙なことにその内容は、新約聖書の最後に配置された書物『ヨハネの黙示録』から抜粋されたものが中心だった。
「再生法術なのに黙示録とは、一体どんな式の組み立て方をしたのか興味深いですわ」
 問題なのは、その秘術の存在を彼女が把握していることである。普通の、真っ当な世界に生きている者が知り得ることではない。ヨハネスはそれが不可解だった。
「君は一体……」
「これは失礼、私はアメリカ合衆国海兵隊第8海兵遠征軍所属、アマリア=アモルス准尉です。作戦遂行のために失礼を働いてしまったことを謝罪しますが、積もる話はヘリに彼を乗せてからでも遅くはなくて?」
 アマリアは横転した車を指さした。とりあえず収穫はできそうだ。

 ヘリは離陸する。拘束具でがんじがらめにされたフワーリズミーと、怯える天使アルメルスを乗せて。
 アモルス准尉はヨハネスにもヘリに乗るように言った。全く関係ないはずのアメリカ海兵隊に合流するのは疑問だったが、行き先は同じくイスラエル陸軍基地であった。念の為にHQへ確認をとると、同乗しても問題はないとの回答が帰ってきたために、ヨハネスもアルメルスを乗せて同乗することにした。それでも彼の疑念は晴れない。
「質問その1、何故君たちアメリカ海兵隊が我々に加担する?」
「イスラエルは合衆国にとって最も重要なパートナーの一つです。そこに危険なテロリストが潜んでいると判れば、我々は黙っているわけには行きません。そこで私達が本国から派遣されたのです。そもそも、あなた方RHKが派遣される前から我々はフワーリズミーを追っていたのですよ」
 依頼主であるイスラエルは2つの手段を持っていた。激化するガザ地区での戦闘を収拾するために雇われたRHKと、それ以前からある中東の平和維持活動の拠点となるアメリカ軍イスラエル駐留軍基地の海兵隊。そもそもRHKがこの作戦に踏み切ったのは、セルビアでテロを画策したアインに対する粛清及び掃討が理由ということになっている。本来であればこの役は平和維持活動を目的とするアメリカ軍の仕事だろう。そう考えると筋が通る。
「そうか。我々に加担したというよりか、我々が後から首を突っ込んできたようなものだった。これは失礼した」
「いいえ、所属は違えど目的は同じです。同じものを守ろうとする者ならば、誰もが友ですよ」
「質問その2、彼女を知っているのか?」
 ヨハネスはアルメルスを見た。意識が戻ったものの、未だに自分の置かれている状況を把握出来ていないようで、髪をいじったりうずくまったりと挙動不審だ。しかし、相変わらずその背中に生えている翼は美しく、何よりも彼女を見ているだけで幸せな気持ちが湧いてきた。
 彼女は天使だ。今回の作戦においてRHKが最も重要とする要人だ。むやみやたらに人前に出していいものではない。そんな彼女を、海兵隊である彼らはどこまで知っているのだろうか。場合によっては何れ消す必要があるかもしれない。
「天使……でしょう? フワーリズミーが天使を召喚したらしいということは我々も知っているけど、実物を見るのは初めてです。貴方達の目当ては専ら彼女のようですが、目的は何なのですか?」
「詳細は話せないが、少なくとも悪用ではない。在るべき者は、有るべき場所へ返す。それだけだ」
 アルメルスはその言葉を聞いた瞬間、うつむいていた顔を上げ、目を光らせながらヨハネスを向いた。
「その言葉はマジですか!? ゴホン、失礼、本当ですか?」
「ええ、本当ですとも。我々は全力で貴方を天に帰す所存です」
 ヨハネスが笑顔でそう答えた瞬間、アルメルスは嬉しさのあまり顔を酷く歪めて泣いた。それはもう涙腺から流れ出る涙が砂漠に緑を取り戻すのではないかと思うくらい、彼女は感動のあまり泣いた。それくらい彼女はこの世界に連れてこられたことに、この世界に一人ぼっちでいた事に大きなストレスを感じていたのだ。やっと帰れるとわかった瞬間にそのタガが外れ、人前であることも忘れてしまった。
 当のヨハネスもここまで喜んでくれるとは思わずに顔がほころぶ。だがそれもここまで、妹のアメリアが口を挟んできた。口うるさい女だ。
「ふーん、あんたらRHKは天使を上に返しに来たのか。てっきりその力を利用するのかと思ったよ」
「そういう風に力を利用する奴がいるから、我々は彼女を返すんだ」
「傭兵風情が正義臭いことを語るんだね」
 姉のアマリアはおとなしい雰囲気だが、妹は妙に突っかかってくる。RHKのイメージが良くないのでこのような事を言われるのは想像に難くない事なのだが、真正面から言われると良い気分がしたものではない。アマリアが妹に落ち着けと言ってなだめるが、それもあまり意味はないようだ。
「君はカトリックか?」
「ああ、由緒あるローマ・カトリックの出だよ」
「君は私達が嫌いか?」
「金次第で人殺しを請け負うあんたらを誰が好くんだい? 常識でモノを考えてみなよ」
 ヨハネスは安心した顔で答えた。「そうか、ならいいんだ」
「何がいいんだよ」
「いや、君たちが単に宗派の違いで私を軽蔑したというなら残念だが、そうではなくて安心したよ。同じ神を信じるのに争うなんて、とても悲しすぎる」
 アメリアはバツの悪い表情をした。どうもこの男とはソリが合わないと感じたのだ。誠実で、自虐的。挑発にも応じないので喧嘩を売る相手としては不適格。姉と違って喧嘩っ早い妹は早々に退却する。
 しばらく時間が経つとヘリのパイロットがアメリアに対して指示を求めた。
「准尉、このまま北上するとエルサレム旧市街の近郊を通過しますがどういたしましょう?」
「別に、通過すればいいんじゃないか?」
 アマリアが補足する。「アメリア、今日はユダヤ教の安息日なの。彼らの安息日は全ての労働を禁じられていて、旧市街にいたっては乗り物の乗り入れも禁止されているのよ。無視したら超正統派(ウルトラオーソドックス)が黙ってないわ」
「ウルトラオーソドックスの連中が五月蝿いって? 大丈夫だって、近所を通るだけでしょ? 空を飛ぶジェット機だって街の上を飛んでるじゃん」
 アメリアはパイロットにそのままのルートを飛ぶように指示した。その方が駐屯地への道のりも短い。現在地から旧市街を避けて飛行すると、横に弧を描くような大きい回り道をする必要がある。それは効率的なものではないし、フワーリズミーに注射された薬物も、いつ切れるかも判らない。出来ることなら早く基地へ帰還したい。アメリアの理屈のとおり、流石に上空に飛行機が飛ぶことすら許されない事はないだろう。と、誰もが思った矢先だった。フワーリズミーが突然目を覚まし叫んだ。
「……やめろ、それだけはやめておけ。いくらヘリだからといって許されない。特に奴は許さない」
 それを聞いたアメリアがドスの利いた声で問う。
「ああ? 突然目を覚ましたと思ったら警告をくれるとはねぇ」
「問題なのは地に足が付いているかではない。高さが足りない。ヘリが飛ぶ程度の高さでは”奴”の射程からは抜けられないんだ」
「奴って誰だよ。何処かの馬鹿がヘリに喧嘩でも売るのか?」
 真剣な表情で警告を発する彼の額には汗が垂れていた。それは彼の焦りを現しており、一同は彼の警告がただならぬものと認識した。だが、時は残酷な形相を見せる。既にヘリは旧市街を目の前にしていた。
「奴は黒鉄の……黒鉄のサムエル。パレスチナ最強の、超正統派『ネトゥレイ・カルタ』グループのガンスミス。一人で1個旅団の敵を10分で殺す、パレスチナの歩く大量殺戮兵器……」
 ヘリの前方には旧市街に続く一本の道路。その道路には検問が敷かれ、車両の通行は完全に止められている。その検問にある通行止めを表す赤いポールの隣りに、前身を真っ黒な装束で包んだ帽子の男と、黒い塊がどっしりと構えていた。
 黒い鉄の塊は戦車ほどの大きさを持っており、下部には無限軌道が見える。形状を形容するには余りにも複雑であるが、例えるならばガラクタの山に近い。男はその塊の上で立っていた。「あれは何だ」とヘリのパイロットが呟いた時には時遅く、黒い鉄の塊は複雑な変形をして、その形を巨大な砲台に変えた。鉄の塊には巨大なスピーカーが付いており、そこから超大音量で雑音のようなヘヴィメタルサウンドが轟いた。
「今日は何の日だ? 今日は何の日だ? そうだ今日は安息日だ。全ての労働を禁じる日だ。朝の飯から夜の飯まで作りおきする日だ。此処いらにいたっては乗り物も禁止だぜ。戦闘ヘリなんてナメてるだろ? 宣戦布告と受け取っても相違ないよなぁ? なぁ? なあ!」
 ブラストビートの中から一際重い爆音が轟く。それは巨大な砲台から発せられる発射音であり、筒から音速で飛来したAPFSDS弾(装弾筒付翼安定徹甲弾)は、ヘリのテールローターを一瞬でガラクタへ変えた。安定を失うブラックホークが回転しながら失速する。パイロットはやっとの思いで高度を下げて不時着を試みる。アスファルト舗装にヘリの底がつくが、速度が殺しきれていない。引き摺られるように機体が滑り、火花を散らして転がる。燃料にそれが飛んで引火した。ヨハネス等は重要人物を連れて、類稀なる運動能力で墜落直前の機体から脱出した。間髪入れずに燃料は爆発し、その爆風で数十メートルの距離を吹き飛ばされた。
 帽子の男はうずくまるフワーリズミーのもとへと駆け寄って、その額に人差し指を向けた。手で銃の形を作って人差し指を向けている。フワーリズミーはその顎髭を伸ばした帽子の男を見て恐怖した。その目には光がなく、ただただ真っ黒なもので満たされている。それに吸い込まれて粉々となる感覚を覚えた。
「アル=フワーリズミー、喜べ。君の召喚した天使を迎え、我々はシオニスト共を海に突き落とすことが出来る」
「やめてくれサムエル氏。私は貴方に抵抗しない。この際ハマスもファタハも関係ない。同じパレスチナの市民じゃないか! 共にシオニストを殺す仲間じゃないか!」
「ああ、なんてこった。俺の同胞をヨルダン川に沈めておいてそんなにナメた口を利くのか。よし、わかった、オーケー。手前には殺される際に使われる銃の選択をする権利をやろう。一つ、IMIの糞拳銃デザートイーグル。2つ、我等がPMIの最新型マシンショットガン。3つ、超小型ロケット砲で爆散。自由に選べ。他にリクエストがあれば答えるぜ」
「貴様に天使は渡さない。彼女は私のものだ!」
「おっとっと、そんなにデカイのがほしいか。ならくれてやろう、手前のケツの穴にHEAT弾を入れてやる。炸薬をたっぷり詰め込んだやつでアナルファックしてやる。きばれフワーリズミー!」
 サムエルは手のひらを合わせ、その後にイディッシュ語で呪文を唱える。
『設計図49ページより、1型成形炸薬弾を生成する』
 すると合わせた手のひらの間から真っ黒い煙と共に、まるでマジックのように巨大な徹甲弾が出現した。魔法というよりか錬金術に近い。サムエルはフワーリズミーの尻の穴にその徹甲弾を無理やり突き刺し、終いに蹴飛ばして体内の奥深くまで入れた。フワーリズミーはあまりの激痛にその時点でショック死したが、サムエルは構わずその体を思い切り蹴飛ばして空に舞い上がらせた。ほぼ同時に徹甲弾が爆発し、空に汚い花火があがった。まるで糞のような光景だった。その光景を目の当たりにしたヨハネス、アモルス姉妹は前身を強打しており、まともに動くことも出来ず、それをただ見ていることしか出来なかった。今この場で天使が奪われるというこの状況で、だ。
 サムエルはアルメルスの体を軽々と持ち上げ、そのまま黒い塊の下へと歩いて行った。黒い塊はその形を二枚貝のように変形させ、アルメルスの体のみを、その中に格納した。残ったサムエルは黒い塊の上へよじ登り、改めてヨハネス等に向き合った。そして彼は指を指しこう言った。
「帰れ! シオニストの手先共、あるいは金の奴隷。この地は手前等が踏んで良い場所じゃあない」
 蠢く黒い塊が旧市街へと去ってゆく。自己再生を使ってやっと立ち上がったヨハネスは黙っては居ない。焼けるような痛みをこらえて、その喉を震わせた。
「待て! 天使をどうするつもりだ!」
 彼はライフルの引き金を引き、サムエル目がけて射撃した。だがこの距離では一発もかすらない。
「自己再生法術か。どうやらただの兵士ではないようだな? カトリックか? プロテスタントか? まあどちらにせよろくなもんじゃないな」
 サムエルは再びイディッシュ語で呪文を詠唱する。
『設計図70ページより、装弾筒付翼安定徹甲弾を生成する』
 そして右手で黒い塊に触れる。すると黒い塊は砲台の形状へ変形し、ヘリを撃ち落としたときのようにAPFSDS弾を高速で射出した。攻撃されることを事前に予感したヨハネスは懐から聖書の1ページを開いており、噛むか噛まないかの限界速度で文を読む。最高位に強力な殺意遮断障壁を前方に展開し、砲弾を空中で制止させた。衝撃波で砂煙が舞い上がり、アモルス姉妹の体が吹き飛ばされた。
 サムエルはニヤリと笑ってみせる。予想以上に面白い敵と出会えたことに興奮を覚えた。もっと、もっともっと強力無比な銃火器で一斉射撃し、展開された障壁の強度限界を実験してみたい衝動に駆られた。更に複雑な術式を展開し、黒い塊は更に複雑な形状へ変形する。彼はヨハネスには解らない『錬金術らしい何か』を使って、砲身・銃身・弾頭・炸薬その他機械部品を黒い塊から作り出し、数百はあるカノン砲、重機関銃、グレネードランチャー、対戦車ライフル、対戦車ミサイルを製造した。
「我が力、我が錬金術、我が分身ネールターミードによって果てろ。燃え尽きろ、ファッキンクライスト!」
 一斉射撃。地を揺るがし鼓膜を割く爆音が響いた。殺意遮断障壁は強度を越える殺意を受け崩壊する。
 ヨハネスは死を覚悟した。だが、神は彼を見捨てなかった。力と呼ぶ神はヨハネスを確かに守っていた。後方から全速力で追ってきていた彼らが、人に化けた悪魔たちがその魔力を使用して第二の魔法障壁を展開していたのだ。
「またせたなヨハネス。無事か?」
「遅いぞベルモンド。危うく消し炭になるところだった」
 魔法障壁に衝突し起爆した数十発のミサイルが爆発し、周囲の地面をえぐった。土が舞い上がり、アスファルト舗装が溶けた。障壁の前は視界ゼロで何も見えない。弾薬が尽きたのか知らないが、攻撃が止んだところで障壁展開を中止し、悪魔たちは煙の中を駆けてサムエル確保を試みた。だが、彼らは直ぐにヨハネス達の下へ帰ってきた。
「お調子者は捕まえたか?」ベルモンドが聞く。
「駄目だ、逃げられた。上空からも姿がない。やられた。ファック」
「噂通りの猛者だな。パレスチナ最強の名前は伊達じゃねえのか」
 ベルモンドは悔しかったが、舌打ちはしなかった。この状況で生き残れた事自体がすでに十分な奇跡だった。現代戦闘において個人の力がもたらす影響はたかが知れているというのに、サムエルが『パレスチナ最強』と言われるということは、彼はそれ程の所以のある兵士なのだろう。10分で一個旅団を潰すという噂が本当ならば、彼は大悪魔に匹敵する戦闘能力を有するとしか言いようがない。もしもそれが本当のことだとすれば、今この編成で生き残れただけでも運がいいほうだ。あと数分、いや数秒でも悪魔兵の到着が遅ければ、ヨハネス達の命はなかった。
 ヨハネスがベルモンドに聞く。
「奴を知っているのか?」
「フルメタルキチガイってことしか知らねえ。とにかく、生きていられただけでも運が良かったくらいだ」
 天使を奪われ、フワーリズミーも殺された。手土産無しの成果ゼロ。エンプレスソード隊らしからぬ失態を犯してしまった。それもこれも何の配慮もなくヘリで旧市街に突っ込んだ海兵隊のバカのせいだ、とヨハネスは嘆く。
 負傷したアモルス姉妹を車に乗せて、一同は意気消沈して本部へ帰った。「ふざけるなファック」と呟きながら。

「……で、貴様等はこの様で帰ってきたわけですか。どうしようも無いクズですね。四肢を切り落として粗大ゴミに出してしまいましょうヴェーデルハイム様」
 赤く光る瞳でルシフェルが見下す。頭を抱えて沈んでいるエンプレスソード隊の面々を。それはもう扱いの困る粗大ゴミを見るような目付きで。
 ヨハネスも、ベルモンドも、サラも、更には同行していた悪魔たちも、何も彼女に言い返すことが出来ない。指揮官として指揮していたルミナスも責任を感じ、表情を険しくせざるを得なかった。なんて様だ、と皆が思っているだけに誰も口にする言葉がなかった。皆が思っていることをルシフェルからストレートに言われてしまったために、更にその意気は消沈する。出てくるとすれば後悔の念だけで、もう溜息をつくしか無い。
 だが魔王ヴェーデルハイムは懐が深い。その深さはマリアナ海溝を凌ぐ深さがあり、余程のことでも腹だてることはなく、むしろこの状況で興奮が収まらないくらいだ。
「まあそう落ち込むな、酒でも飲んで忘れよう。そうだルシフェル、城から持ってきたシャンパンを出せ。ドン・ペリニィヨンが数本有ったろう?」
 ルシフェルはお辞儀をすると地面に吸い込まれるように消えた。そしてすぐさま床から浮き出て、ドン・ペリニィヨンの瓶をトレーに乗せて持ってきた。足元の黒い影に手を突っ込み、その中からグラスを人数分用意する。次に影の中から各種チーズを取り出し、食べやすい大きさにカットした後、これまた影の中から取り出した皿にチーズを盛り付ける。彼女はまるでヴァンの召使かのように働いた。彼女はグラスにドン・ペリニィヨンを注ぎ、真っ先にヴァンへそれを手渡した。
「今日は初めて作戦を失敗した日だ。乾杯しよう」
 だがグラスに口をつけたのはヴァン一人。かってに盛り上がっている彼のペースに誰もついていけてない。堪らずルミナスは思っていたことを口にだした。
「喜んでいる場合では無いのでしょう? 天使を奪われた挙句、重要な情報を持つフワーリズミーを殺されたのですよ? これでは天使の居場所も検討が付かなくなります。我々RHKとしては既に依頼を達成していますが、あなた方の問題は解決していません。それでもいいのですか?」
「勿論我々もこのまま黙っているつもりはない。しかし、誰にも頼まれていない我々がパレスチナに積極的な姿勢を持つことは、セルビア王国がパレスチナ非認証国であると宣言するようなものであり、好ましくはない。我々傭兵は常に誰かの戦争の道具である必要がある。だから極端な話、イスラエルとパレスチナの間に戦争を起こさなくては、我々の立場を曖昧にしたままの行動はできないだろう」
「はぁ……、つまり貴方が言いたいのは、私に戦争を起こせと?」
「流石ルミナス、察しがいいな」
「貴方は極端なことが大好きですからね」
 ヴァンはニヤニヤとルミナスを見つめる、それも舐めるように。その視線は官能的かつ、嗜虐的で、美しい。
 放たれた言葉は彼にとって余りにも魅力的な内容である。人間からすれば気が狂っているとしか思えない。正常な人間が「戦争を起こす」などと聞いたら悪魔のようだと非難するだろうが、非難するも何も、彼は元より悪魔である。悪魔が悪魔的な考えを持つことは至極当然のことである。
 一人は納得しなかった。ヨハネスはこの期に及んで戦争はしたくないと抜かしたのだ。
「姫様、それはなりません。その案は余りにも非人間的、悪魔的です! 戦争を起こせば兵は動くし、ドサクサに紛れて天使も救出できますが、その代償として何人死ぬと思っているのですか? 本来死ななくてもいい人間が死ぬのですよ?」
「天使救出のために貴方方がエルサレムに潜入するとでも?」
「やってやれないことはないはずだ。市街地での隠密作戦なら、事を大きくせずに天使を助けられるはずだ」
 だがそこに、ヴァンが追求する。
「神父、一つ聞こう。お前は何故、我々がこうまでして天使を助けたいか解るか?」
「明確なアイドルは宗教対立を加熱させる。そんな存在を一つの宗教が独占すれば、パワーバランスが崩れて闘争が始まる。そもそも、天使が帰りたいと言っているなら帰すべきた」
「わかってないな神父、前半部分は正解に近かったが。いいか、天使は天界から力を供給され神通力とする。その力の供給を受ける権利を儀式により人間が得ることが出来るとしたら、もっと直接的なパワーバランスが崩れると思わないか? あの不抜けたフワーリズミーはいいものの、あの強力な錬金術を使う男にそれが渡ればどうなると思う?」
「所詮個人だ、いくら力があっても限界がある。私はそう思う」
 ヴァンが怪しく光るロイヤルバイオレットの瞳をヨハネスに向ける。同時に不敵な笑みを浮かべ、そのまま彼を見つめた。まるで人をあざ笑うかのように、いや、ヴァンは確実に彼を嘲笑っている。それが何を意味するのかヨハネスは理解できなかった。
「お前がそう思うなら、お前はそうなんだろう。だが、お前が心から成したいと思う事があるとき、たとえ一人だろうとその問題に立ち向かうか? 諦めずに戦うか?」
 ヨハネスは迷わず答えた。「私は決して諦めない、神に誓って」
「奴も同じなのだよ、奴も諦めなければ道が開けると信じているに違いない。人間の信じる力は時に、人間の信じる常識を覆す結果をもたらすのだ。そこに天使の加護が加われば不可能なことなど何も無い。たった一人でこの国を滅ぼすことも可能だ」
 不屈の闘志こそが最強の武器であると、ヴァンは断言した。人間の持つそれの恐ろしさは、魔王自身が最も良く理解している。何故なら彼は1500年前に勇者によって封印されたからだ。ただの人間であるはずの勇者によって、あの強力な魔力と部下を持ち、人間を恐怖のどん底に陥れた神にも等しい力を持つ、魔界の王が打ち倒されたのだ。
 人間は時にそれ程の力を持つ。だからこのRHKは悪魔だけで組織されてはおらず、少数ではあるが人間の隊員が在籍しているのだ。ヴァンはその人間の力を認めているからこそ、その力を利用しようと考えたのだ。だから例え敵が人間一人だろうと油断してはならないし、舐めてかかってはならない。天使の加護による魔力の強化が加われば、人間でも精霊と同等かそれ以上の力が出せる。サンクトペテルブルクで精霊を憑依させて戦ったヴァレンチナのように、人間でも悪魔と渡り合うことが出来る。
「報告書のとおりであれば、そのサムエルという男は相当優秀な錬金術師らしい。聞くところによるとイスラエル軍でも有名な奴らしいじゃないか、なあ、ルシフェル」
 ルシフェルが書類を手に持って答える。
「サムエル=ゴールドマン。ユダヤ教超正統派の中のアンチシオニズムグループ『ネトゥレイ・カルタ』に所属する活動家で、パレスチナ自治政府の政党ファタハ派の兵士。古典的な錬金術を用い、銃火器類の錬成に長け、現代戦闘では無類の戦闘能力を持つ。通称『黒鉄のサムエル』」
「そこはいい、重要なのは奴が何をやらかしたかだ」
「了解しました。ファタハは前主流派であるイスラム原理主義派のハマースの支持率低下を期に自治権奪還を実行し、サムエルはその際、ハマース本部の制圧を行う部隊に同行していたそうです。戦況はイスラエル政府が衛星を使って観戦していたようですが、サムエルが錬金術により生み出したゴーレム『ネールターミード』を召喚し、それから短距離弾道ミサイルを発射し、ハマース中核指導者たちを本部ごと消し去ったことが確認されています。これを見てイスラエルはサムエル個人を、国家を揺るがす存在として認識しています」
 信じられない事実だった。この一室にいる人間は目を大きく見開いて動揺していた。そんな馬鹿な話はないからだ。サラが真っ先に質問をする。
「それはつまり、何時でも何処でも、たった一人で弾道ミサイルを発射できるってことですよね?」
「ええ、彼は時と場所を選ばずに何処にでもミサイルを落とせます。どの様なテクノロジーを使っているかは知りませんが、もしも天使の加護によって彼の魔力が強化された場合、ミサイルの射程はより長距離となるでしょう」
 爆撃機よりも迅速に敵本国へ攻撃を加えられる弾道ミサイルは、多くの国が抑止力として配備している。その射程は様々だが、近年は中距離弾道ミサイルが増加傾向にある。それよりも射程の短い短距離弾道ミサイルとなれば戦術核兵器として利用される。短距離弾道ミサイルの射程は1000km以下だが、イスラエルとパレスチナ自治区の間には距離がなく、その程度で足りるのだ。何時、何処で撃たれるか解らない兵器は驚異的だ。
 だがそこに天使の加護が加わって射程が伸びるとなれば、その兵器はより戦略的価値の高いものとなる。仮に錬金術によって大掛かりなミサイルサイロ等の設備を錬成できるとすれば、それが何時でも何処でも出来るとすれば、そして有効射程が5500kmを超える大陸間弾道ミサイルを発射できるとすれば、どんな大国だろうとその力にひれ伏すことになるだろう。そう、シオニズムを肯定する国家を黙らせることが出来る。
 ヴァンはヨハネスの目の前に歩いてゆき、その恐ろしい瞳で彼の顔を凝視した。
「いいか神父、戦争だ。我々は戦争を欲している、戦争で飯を食っているんだ。客が戦争を欲しているならば、我々に拒む理由はない。お前がどう思おうと、イスラエル政府はパレスチナとの全面戦争を望んでいるのだ。正規戦争の口実となる、都合の良い理由を求めているのだ」
 国際社会からの非難を避けるための、正当な理由をイスラエルは欲している。サムエルの件はとても都合が良く、RHKが告げ口してやれば直ぐにでも戦争を始めてくれるだろう。こんなに美味しい果実を目の前にして涎だけを垂らすなど、誰も望んでは居ない。イスラエルも、RHKも。
 ヨハネスには選ぶ権利はないし、止める権限もない。戦争をしたい奴が居て、とても戦争をしたい奴が居て、とてもとても戦争をしたい奴が居るのだ。穏便に済ませる方法があるとしても、彼らには関係がない。どんな些細なきっかけでも戦争に持ち込んで、武力によって滅ぼしたいと思っているのだ。

 シオニストはパレスチナ人を消し去り、イスラエルを完全なものとしたい。
 パレスチナ人は押しかけてきたシオニストを海に突き落としたい。
 両者の願いを叶えるためには、どちらかが消える必要がある。消すためには戦争だ。

 所変わってエルサレム某所。正統派ユダヤ人居住区は黒尽くめの人で溢れている。
 超正統派ユダヤ人は黒い帽子と黒いスーツに身を包み、暑かろうが寒かろうがこの格好だ。髭も伸ばしているし、怪しいの一言に尽きる。それらの風貌は主にその宗教的思想から来るものだが、乾いていて日差しの強いこの国の気候からすると合理的でもある。
 彼らはとても敬虔な信者である。キリスト教のように信じれば救われるなどと甘い考えは持っていない。神によって救われるためには、その意志を示すために、行動で示すのだ。そのむさ苦しい服装もその意思表示である。
 石畳の美しい街の中、ある男は紙袋にパンを入れて持ち歩いていた。夕食のためだろう。決して高級なものではないが、味は決して悪くない。彼の行きつけのベーカリーで焼いたものだ。
 彼、サムエル=ゴールドマンはパレスチナ最強の男である。だが一般的な市民でもある。彼は軍事行動さえなければこの地で平穏に暮らす、ただのユダヤ人だ。飯も食うし、妻もいる。笑うこともあるし、泣くこともある。
 彼がネトゥレイカルタの構成員であることを除けば、たいしたことはない、普通の人間だ。
「おかえり、サム。パンは買えた?」玄関でサムエルの妻が迎えた。
 その名前をエスティと呼ぶ。サムエルと同じくミズラヒムで、黒い髪をもち、肌は白いというよりか蒼白に近い。御世辞にも健康そうには見えず、髪は痛んで枝毛が目立ち、目の下にはうっすらと隈が見える。薄幸の美人という表現がぴったりの女性を、サムエルは妻として迎え入れている。
「ただいまエスティ。焼きたてを売り切れる前に何とか買えた。彼女の様子はどう?」
「元気……ではないわ。お茶を淹れても飲んでくれる気配がないし、ずっとソファーで塞ぎこんだままだし……」
「無理もない。俺がもしも天使だとして、いきなり下界に引きずり込まれたとすれば、とても気が気じゃないだろ。いきなり異国に飛ばされるようなもんだ」
 サムエルは買ってきたパンの袋を妻に渡し、階段を登り2階のゲストルームへ足を運ぶ。ドアを開くとそこには召喚された天使のアルメルスが塞ぎこんでいた。相変わらずブルーな心境である。
「あのう……なにか食べますか?」
 エスティが彼女に歩み寄る。取り敢えず夕飯時が近付いているので、飯を食べるのか食べないのかを確認する。勿論天使が食事そのものをする習慣あるいは必要性があるのかなどは解らない。解らないからエスティは素直にそれを確認した。
「あなたら、何が目的?」アルメルスは上目遣いで尋ねた。
「目的って言われても……ねえ? サムは何か理由があってこの子を連れてきたの?」
「天使召喚の術式を勝手に行なった馬鹿と、おこぼれに与ろうとしたイスラエルの糞野郎を始末したら、貴方というおまけが付いてきた」
「願いでもあるの? 叶えてあげるから天に返してくれない?」アルメルスは不機嫌そうに聞く。
「何も言われなくても私は貴方を帰すつもりですよ。願い事を叶えてくれるのはとても魅力的だが、私は神の僕である限り貴方の望みを優先しよう」
「私を帰してくれるの!? ……あれ、ヘリに乗ってた人達も同じことを言ってたような……」
「シオニストが貴方を帰してくれるわけがない。どうせ力が目的だ、ろくな扱いを受けないだろうね」
 アルメルスはショックを隠せない。あの温厚そうな神父が、神の使徒である私の力を利用しようと企んでいるなど信じられない。けどもそんなことを言ったらこの男も信用できない。信用できる材料が誰にもないので、アルメルスはもう誰も信じることは出来ない。だが、ここで何も信じなければ助かる見込みは一つもない。これも何かの縁だと思って、アルメルスは目の前の鬚男を信用するしか選択肢はなかった。
「しかし……、私は貴方を帰す方法を知らない。エルサレムの各所に刻まれた『天使召喚の術式』をフワーリズミーが起動して貴方を呼んだということは把握しているんだが……。迎えはこないのですか?」
「私が地上に”意図”せず下りたということを誰かが知っているのであれば、何らかのルートで迎えが来ると思います。決して空から翼の生えた裸の赤ん坊が迎えに来るわけではないです」
 世の中そこまでファンタジーではなかった。流石にアルメルスの居場所を特定して、直接その場に迎えが来ることはないということだ。迎えは時に天使とは限らず、運命を操作されて天使を助けるように行動を仕組まれた人間かも知れないし、また別の何かかも知れない。アルメルスは誰が迎えに来るかなど知る由もない。
 彼女を天界へ帰すためにサムエルが出来ることは、その迎えに彼女を確実に引き渡すこと。迎え以外の別勢力には渡してはならない。
「了解しました、私は貴方を迎えに引き渡すまで護衛します。邪な目的を持った輩には手を触れされません」
「ありがとうサムエルさん。私に出来ることがあったら言って下さいね」
「はい」
 サムエルは長いヒゲを揺らして笑顔を見せた。台所の方からエスティが彼を呼び、彼はアルメルスに背を向ける。
 ふとアルメルスは気がついた。サムエルはどの宗派に属するのかを聞き忘れていたのだ。
「ちょっとサムエルさん、貴方はどの様な形で神を信じているのですか?」
「形? その質問の意図が読み取れませんね」
「貴方の宗派は何処なの? ユダヤ教徒だとは思うのだけれど、間違っていたら失礼かと」
「私はユダヤ教を信じる、真性のユダヤ人です。人は我々を超正統派の『ネトゥレイ・カルタ』と呼び、私はこの地をメシアによって再建する日を夢見て戦っております」
 アルメルスは若干頬を引きつらせてしまった。天使である彼女も少しばかり引くくらい、深い信仰を持つ男だ。
 一つ気になることもあった。彼がメシアの到来を信じているという点だ。
「へぇ、貴方はメシアの到来を信じているのね」
「救世主無くしてこの国の救済はありえない。もはや銃と火薬で済む状況ではないのです。神頼みと行ってはなんですが、もう、この国の抱える問題は人の手には負えない。そうだ天使様、貴方はメシアがこの地に来るかどうか知っていますか?」
「いいえ、私にはわからない。メシアは神のある目的のために生み出され、力と目的を与えられた人間のことを指します。私ども下級天使には最高神の考えていることなどわかりません。実際にメシアはこの世に生まれていますが、それが何時、何処で、誰で、どんな人間なのかは知りません」
「生前から目的と力を与えられた人間、それがメシアなのか……。我々の教義が更に固いものになったな」
「確率で言うなら、貴方が生きてきた今までにメシアを見た可能性は低くない。それどころか、あなた自身がメシアである可能性もあるのよ?」
「私が…………メシア!?」
 サムエルは自分の手のひらを見て唾を飲んだ。目の前に居る抽象的ではない天使に、あなたもメシアかも知れないと言われたのだ。ユダヤ人である彼にとってこれほど夢のある話はない。興奮していた。
「もしも、私がメシアだとするなら……私はどうすればいいのでしょうか?」
「貴方が成すべきことを成してください。普通の人間と同じですよ?」

 所はイスラエル軍司令本部。空軍基地と隣接する、妙に埃っぽいこの基地で、女に化けたヴァンと制服姿のルミナスは従者のバトラーを引き連れてとある区画に足を運んでいた。
 ガラスの自動ドアの向こう、受付のロビーには銃を持った警備兵が立っている。3人はその間を素通りして受付の兵士に声をかけた。
「RHKインターナショナルの代表、ルミナス=エンキュリオールとヴェンディー=V=ヴェーデルハイムです」
「お待ちしておりました。中で将軍がお待ちです」
 兵士が自動ドアのロックを解除した。3人が進むとドアが自動で開いて、広い応接間が目の前に広がる。その真中に大きな机と革製のソファが置かれており、机の上は何枚かの書類で散らかっている。その椅子で待ち構えていたのは隻眼で白髪の男。彼はこの軍の中枢を司る、国家に続いて強大な権力を持つ将軍。その名を「ベッテルハイム将軍」と呼ぶ。
「御機嫌麗しゅうございます、エンキュリオール殿下。そしてRHK代表のヴェンディー氏」
「お世話になっております」
 将軍は立ち上がりルミナスへ敬礼をした。立場としては雇い主と雇われだが、女王という立場に対しては対等とは考えていないようだ。少々腰が低い印象。
「素晴らしいですな、RHKの兵士たちは。先日のガザ地区での戦闘でもファタハの一派を拘束したそうで」
「当然の結果です」ルミナスは自信満々に答える。
「しかもその恐ろしい軍団のツートップがこんなにも麗しい女性ときた。実にファンタジーだよ」
「ありがとうございます。早速ですが要件の方をお願いします」
「お茶を出す暇も与えてはくれないという噂は本当だね。いいだろう、本題にはいる」
 ルミナスとヴァンはソファに腰掛ける。ルミナスは両足を揃えているが、ヴァンは短い丈のタイトスカートを履いているくせに足を組んでいた。誘っているとしか思えない挑発的な座り方だ。思わずベッテルハイムも視線を泳がせてしまうが、所詮枯れた男なので今更どうこうではない。
「近々パレスチナ自治政府への大規模な攻撃を行うつもりだ。目標は東エルサレムに潜伏していると思われる、大量破壊兵器に相当する人間、サムエル=ゴールドマンの排除、及びエルサレム地区の奪還」
 ヴァンは思わず笑をこぼした。全ては計算通り、予想通り、思惑通り。ルミナスがイスラエル軍にリークした情報を受けて、イスラエル政府はその男を完全に『大量破壊兵器』として定めたのだ。
 実はイスラエル軍は過去に何度かサムエルの排除を試みた。たった一人でミサイルを撃てる男を放っておくわけにはいかない。しかも東エルサレムにおけるユダヤ人入植者向けの住宅地開発に反対するネトゥレイカルタは、政府にとっても煙たい存在であり、組織の中で最も影響力の強い彼を消すことが出来れば、彼らの士気を大幅に削ぐことが出来るだろう。それら諸々の期待をして秘密部隊を何度か旧市街へ送り込んだが、ことごとく返り討ちにされてしまった。
 だがそれもこれまでだ。RHKが介入したからには、サムエルは必ず仕留める。仕留めて天使を奪還する。
「これを実現するためにRHKの増員をお願いします。予算の方はそちらの書類に詳細を記しておりますので御覧ください」
 ルミナスは封筒を開けて書類を確認する。桁数を数えるのが面倒なくらいの額が印刷されていた。国家予算に匹敵する額だが、一国の国防費と考えれば驚くほどのことではない。RHKにはそれだけの価値があるのだから。
「喜んで引き受けます。2日もあれば空輸によって全ての戦力を揃えることが出来ますので、空港の受け入れ準備の方はお願いしますわ。ところで……」
 ルミナスは一つ疑問に思うところがあった。書類の中に妙なことが書かれている。作戦に参加する組織一覧の中に、見覚えのある集団の名前が書かれていた。アメリカ海兵隊である。
「アメリカ海兵隊も共同戦を張ると?」
「近年の中東情勢を鑑みて、あちら側から協力の申し出が有ったのですよ。リビア情勢も安定してきたようですが、エジプト経由で逃亡してきた軍幹部の潜伏先と思われるパレスチナの安定化が急務と考えているようです。まるでエクソダスですな」
 エクソダスとはモーセ率いる脱エジプトの移民を指す。古代イスラエルの地に定住したユダヤ人のルーツと言われている。
「練度の高い海兵隊と共闘できるとは心強い。そうである以上、一度顔を合わせておく必要がありますね」
 ヴァンはベッテルハイムにそう要望した。将軍もそう言われることは想像していたようで、直ぐに首を縦に振った。
「そう仰ると思いまして、既にこの場にお呼びしているのです。……ちょうどお見えになったようです、登場していただきましょう」
 ルミナス達が入ってきたドアが開く。入ってきたのは海兵隊の制服を着た黒人の男と、姿形がそっくりな金髪の女性2人、ヨハネス等を救出したアモルス姉妹だった。
 最後に続いて同じく金髪の男性が現れる。彼の制服には多くの勲章が付いているところを見て、彼が海兵隊の代表者といったところだろう。よく見ればまだ若いようなので大したものだ。
「おっと、ひと足遅かったようだ。時計が狂っていたのかな、大尉」と金髪の男。
「ノーサー、大佐が花を選ぶのに手間取っていたからであります」
 大佐と呼ばれる男はついうっかりといった感じで被っている帽子を叩き、後ろに忍ばせておいた左手をルミナスに差し出した。その左手には真紅の薔薇の花束が握られており、強烈なその色がルミナスの視界を遮った。
「はじめましてエンキュリオール女王陛下。私はアメリカ海兵隊所属、ベルンハルト=フォン=アーレルスマイヤー大佐であります。中東イスラエル総軍のヘッドを努めておりますので、以後お見知りおきを」
「え……ええ」
「貴女に相応しい薔薇とは何かを悩み続けた結果、このようにお会いする時間が遅くなってしまったことを深くお詫びいたします。女王の気品と見たままの美しさ、そして時に刺のように鋭い強さ、全てにおいて貴方に匹敵するような薔薇を選んできたつもりです。どうかお受け取り下さいませ」
 ルミナスは戸惑いながらも大佐から花束を受け取った。素晴らしい香りのする薔薇で、形も良く、色も濃い。
 アーレルスマイヤー大佐の印象は、少々型破りだが陽気な男といったところか。イタリア人のような情熱を持っていそう男ではあるが、名前から察するにゲルマン系の血筋だろう。
 年齢は30代いくかいかないかの若い容姿。この若さで大佐になれるものなのだろうかという疑念もあるが、大佐だと言ってるのだからそれを信用するほかない。
「先日のミッションではお世話になりました。ヘリの巡回飛行中に我々の隊員を見つけたそうで?」
「ええ、ちょうどこの二人、アマリア准尉とアメリア准尉が基地から数キロ先まで巡回中のところ、そちらの兵士が車にしがみついているのを見たそうです。そうだな? 大尉」
「イエスサー、その通りであります。その後イスラエル軍を通じてそちらにご報告させていただきました」
 黒人の男が答えた。ふとルミナスが彼に向かって言う。
「失礼、彼は?」
「私は海兵隊第7小隊所属、ボビー=ブラッティ大尉であります」
 そこで大佐が一つ咳払いをすると、自信満々に胸をはって第7小隊のことを語りだした。
「彼が率いる第7小隊は今回の作戦のために組織された特別チームなのです。アモルス姉妹はグリーンベレーからの転属で、凄腕のスナイパーコンビ。ブラッティ大尉はアフガン・イラク・リビアと渡り歩いた海兵隊の要人捜索チームのヘッド。その他プロフェッショナルを集め、一人を殺すために生まれた最強のチームです。彼らとRHKが力を合わせれば、この世に殺せない人間は居ないでしょう」
 彼の楽しそうな説明を聞いていたヴァンがニヤリと笑う。ルミナスは笑顔のまま大佐の話を聞いていたが、ヴァンの笑を見た瞬間に悪寒を感じた。正直、黙っていてほしいのだ。
 だが彼は黙っては居ない。口を挟まずには居られなかった。
「自己紹介が遅れた。私はRHKのCOO、ヴェンディー=V=ヴェンデッタ。殺せない人間は居ないと豪語するとは恐れ入りましたわ。しかし今回の作戦、一人でミサイルを打ち上げてしまう摩訶不思議な男を相手にするのですよ? もはや人間かどうかも怪しいというのに、人間しか殺せないようでは役に立ちませんね」
 ルミナスの営業スマイルは崩壊寸前、堪忍袋も爆発寸前。それをよそにヴァンは大佐を見ながらニヤニヤと薄暗い笑いを続けている。だが大佐は動じない、それどころか、彼も頬を引きつらせるほどの笑みを見せた。
「流石RHKの女社長、指摘が鋭い。鞭のようだ。言葉に語弊があったようです、我々に消せない敵など存在しない。貴方の想定する敵のビジョンに対抗出来る手段を、我々も持っているのです。言ったでしょう? 第7小隊はプロフェッショナルを集めていると」
「ほう?」ヴァンは眉間にシワを寄せる。彼の顔から笑顔が消えた。
「第7小隊は別名があります。”Anti Evil Special Force”、略称AESF。あらゆる超常的現象を想定した戦闘を専門とする特殊部隊です」

 夜、イスラエル軍と海兵隊そしてRHKの会議が終ってから、ヴァンはパソコンのビデオ通話である人物と話していた。回線は専用回線が使われており、通常の人間ではアクセス出来ない。彼は携帯電話で天界と直接更新できる方法を知っているが、今回もその回線である。
「聞こえるか? おい、ヤーヴェ」
「ヴェーデルハイムか! おお、素晴らしい技術だなこれは。ビデオ通話とは凄いものだな」
「頼んでいた天使召喚術式の解析は終わったか?」
 本来であればフワーリズミーを尋問して術式の内容を知るつもりだったのだが、サムエルに殺害されてしまったので術式を知る術が無くなってしまった。なので天界にその解析を依頼していたのだ。
「ああ、終わったよ。全く人間風情が余計なことをしてくれる。天界のゲートを強制開放して天使を召喚するだけならまだいいものの、この術式はお前に掛けられている『界拘束』に似たものも含まれている。これはたぶん、意図しないものなんだろうな」
「『界拘束』とな、この世界から出れないということか。全く余計なことをしてくれるな」
 ヴァンの1500年前に掛けられた封印の術式に、界拘束が含まれている。魔法的に魔力の流れを制限することによって、下界から天界、あるいは魔界へ移動することが出来ないようになるものだ。
 詳しい説明は長く厄介になるので省くが、これがあると悪魔だろうが天使だろうが自分の世界に帰れない。
「つまり、天使をそちらに帰すためには拘束術式を解除した上で、天界のゲートを開放し、そこに放り込むのか」
「そういうことになる。問題は術式の媒体なんだが……これがまた厄介だ」
「エルサレム旧市街か?」
「そうだ。しかし厄介だ、どうも都市全体が魔方陣の役割を果たしているらしく、特に重要な3つの建物を破壊しなければ術の解除は望めない。いやぁ、これはまいった」
「3つ。まさか、3宗教のアレか」
「嘆きの壁、岩のドーム、聖墳墓教会。これらの建物を木っ端微塵にする必要がある」
 エルサレムはアブラハムの宗教、ユダヤ・イスラム・キリスト教の聖地として有名で、この都市にはそれぞれにゆかりのある建築物が存在する。かつてヘロデ大王がイスラエルを収めていた時代の、エルサレム神殿の外壁『嘆きの壁』。3宗教に置いて重要な意味を持つ聖なる岩を祀る『岩のドーム』。キリストが処刑されたと言われるゴルゴダの丘に建造された教会『聖墳墓教会』。これら全ての建物は各宗教の信者にとってかけがえの無いものであり、この地が戦火の中心にある所以でもある。そんな重要施設が魔方陣に置いても重要な位置にあり、これら全てを跡形もなく破壊しなければ、天使を天に帰すことが出来ない。もし破壊するとすれば、世界中すべての信者から想像を絶する非難を受けるに違いない。主要3宗教の信者とはすなわち、ほぼ全ての人間である。
「こんなモノを破壊したら君の率いる人間達は全世界を敵に回すことになるね。出来るか、ヴェーデルハイム?」
「俺は誰が敵に回ろうが構わないが、連れは避けたいだろうな。しかし、出来ないことはない。誰が壊したか解らない、有耶無耶な状態にしてしまえばいいのだ」
 目的は達する必要がある。破壊した責任および非難は御免被る。セルビアの国営企業であるRHKが行動する以上、対面的には国際ルールに基づいた行動が求められる。だから国際社会が納得する理由で、この目的を達成する。
 しかしそれは不可能だ。天使の存在を人々が認めるだろうか、いや、仮に認めるとしてもその存在を大っぴらにすることは非人間にとっては好ましくない。特に人々を救う立場にある天使族が表面化した場合、人間達はつけあがるだろう。救いの手が差し伸べられるかどうかは、曖昧にしておきたいのだ。
 道はいくつかある。一つはRHK、言い換えればセルビア王国がエルサレムを破壊する正当な理由を作ること。RHKが傭兵である以上、雇い主であるイスラエル政府がエルサレムを破壊することに賛同する必要があるが、ユダヤ教徒が多数を占める政府の人間が聖地を血まみれゴーストタウンにしたいとは微塵も思わないだろう。だからセルビア王国政府自体がエルサレムに侵攻することになるが、これも現実的ではない。
 二つ目、非正規戦闘部隊を編成して秘密裏に建築物を破壊する方法もある。国際法上では完全にブラックだが、知られなければ誰にも咎められない。何故なら誰にも知られないからだ。
 しかし、これに反対する勢力に少しでも非正規戦闘が知られればセルビア王国は国際社会からの非難を強く浴び、最悪のケースでは制裁攻撃が本土に加えられるだろう。戦闘狂のヴァンにとっては最高のシチュエーションだが、国民を危険にさらす事になりかねない。それはエンキュリオール家との血の契約に反する。
 あるいはこういう方法も考えられる。神か何かの頂上的な力を使って奇跡を起こし、隕石でも落としてやればいい。そうすれば半径数十キロメートルじゃ跡形もなく更地に出来るだろう。偶然を操作して、人的ミスによって、建築物が壊れてしまったというオチでも良い。とにかく壊れれば良いのだ。
「策はあるのか?」
 ヴァンは片手で揺らすワインに口をすると、一呼吸置いてその質問に答える。
「上手くやるさ。葉巻でも吸いながら、そこで楽に見ていれば良い」

 ベト・シェメシュから山中を抜ける道を、鉄の塊が列をなす。イスラエル軍のパレードかと思うほどの勢揃いぶりで、装甲車・輸送車・架橋車・戦車が砂煙を軽く舞い上げながら走行する。数キロ先まで聞こえるような轟音だ。
 そのパレードにはイスラエル軍の国旗以外にも幾つかの国旗が見える。一つは星条旗、碇のシンボルが海を表す海兵隊のエンブレム。そしてセルビアの赤青白と王冠の国旗、横にハーケンクロイツとも龍とも取れる奇怪な形をしたRHKのエンブレムである『デーモニック・スワスティカ』。3国連合軍が隊列を成す。
 作戦名『Return to Zion』。目標はかつてパレスチナ自治区に実効支配を奪われたエルサレム地区の奪還、そして大量破壊兵器相当人物『サムエル=ゴールドマン』の殺害。イスラエル・パレスチナ間において、ここ100年で最も大規模な戦闘が繰り広げられるだろう。
 数年前までエルサレム地区はイスラエルが実効支配していた。パレスチナ側も領有権を主張していたが交渉は平行線で、イスラエルはパレスチナを無視するように市街地の開発をやめなかった。それでも大きな争いには成らなかったのは、当時パレスチナ自治区はパレスチナ解放人民戦線を前身とする勢力『ファタハ』と、イスラム原理主義者を主とする勢力である『ハマス』の内戦が勃発していたからである。
 その内戦は長きにわたり続いていたが、ある時を境にして状況は一変する。劣勢だったファタハ側に救世主とも呼べるカリスマ人物が現れたのだ。それが今回の目標でもある男、『サムエル=ゴールドマン』である。
 彼は超正統派ユダヤ教徒で過激派と言われる『ネトゥレイ・カルタ』の構成員であった。本来であれば対イスラエル政策で政治的アドバイスをする有識者集団という立場であったが、対ハマスの内戦に置いては実際の戦闘にも関わっていたとされる。その動きがサムエルの登場によって活発化したのだ。
 サムエルの何が救世主と呼ばせたのか、それは彼の率いる錬金術師たちによる、最新兵器の大量生産だった。
 彼らは他国にも存在するネトゥレイカルタの構成員と連絡を取り、戦争に必要な兵器の技術を手に入れた。その技術を元に錬金術を駆使して、それらの兵器を大量に製造した。歩兵の使う銃から手榴弾、装甲車や戦車、ミサイルに代表される対物兵器、戦闘機から爆撃機などの航空兵器、とにかく戦争で使うありとあらゆる兵器をコピーし、湯水のごとく使用したのだ。
 ファタハは今までにない協力な武器を手に入れた。たとえるならば弾切れのない機関銃だ。反撃するために弾切れを待とうにも、マガジンに錬金術で延々と銃弾が送られてくる。こんなことが実際の戦闘でもあったらしい。
 長期化していたガザ地区の戦闘はファタハの優勢に傾く。かの有名なSRBMによるハマス基地の破壊で、内戦は収束した。ネトゥレイカルタの錬金術師達の尽力で政情不安は解消され、ファタハはパレスチナの第一党に昇格、勢いづいたパレスチナはその慣性を殺さずに念願のエルサレム奪還に動き出した。
 馬鹿げた戦いとして有名となっている、いや、もはや戦いではなかった。エルサレム市街に侵入した錬金術師部隊が大規模な術を実行し、領有権を主張する範囲の土地を囲むように70メートルの岸壁、通称『喜びの壁』を発生させ、インフラと交通を遮断した。その後制空権を確保するために高射砲を設置し、イスラエルからのあらゆる軍事的干渉を受け付けない体制を整えた後、エルサレム市街に移住してきたシオニストを強制退去させる。一日にして行われた前代未聞の侵略だった。
 しかし、今日この日を持ってその屈辱を晴らす。イスラエル国民、すなわちシオニストが本当の意味で帰還するのだ。千の兵と、万の兵器を持って。敵はそれだけの相手だ。
「間もなく20キロ圏内に到達する。全員、衝撃に備えろ」
 RHKの精鋭部隊『エンプレス・ソード』とアメリカ海兵隊第7小隊の特別チーム。それのメンバーが一堂に会するトラックの車内で、第7小隊の隊長であるボビー=ブラッティ大尉がそれを指示した。
「まったくよお、半径20キロは地雷原だなんて。イスラエルは怖い国だな」ベルモンドが嘆く。
「ただの地雷原ならまだいい。1平方メートルあたり1個の密度で配置されている、地雷の敷き詰められた石畳だ。しかも金属探知には反応しない。厄介なものだ」
 喜びの壁から20キロの広範囲にわたって地雷原がある。ネトゥレイカルタの錬金術師部隊がこれでもかというほどに地雷を配置した結果、前述のとおり1平方メートルあたり1個という驚異的な密度で地雷が敷き詰められている。地雷の構造がかなり特殊で、セラミックの塊の中に黒色火薬と圧電素子を埋め込んだ錬金術ならではの物だ。そのため金属探知機に反応しない。ご丁寧にも等間隔で配置されているので発見は容易だが、その尋常でない数を処理するのは手間がかかるため、車列の先頭に地雷処理戦車を置き、踏んで爆発させながら安全な道を作っていく。
 多数の爆発音が地雷原に入ったことを知らせた。鋼鉄のシールドを施された地雷処理戦車が、地雷の絨毯をかき分けてゆく。兵士は全員衝撃に備えていたのだが、余りにもその衝撃が強すぎるためによろけてしまう。何かに掴まっていないと座っていることも出来ない。まるで巨大な地震のようだ。
 1時間経って爆発が収まる。地雷原を抜けることが出来たようだ。突然の襲撃に備えるためにエンプレスソードの隊員はトラックの荷台から外に出る。そこに広がる光景は、今までに見たこともない奇妙なものだった。
「あれが喜びの壁か。万里の長城をそのまま現代に写したような防衛設備だな」
 ヨハネスは白いコンクリートで塗り固められたような巨大防壁を目の当たりにする。敵の侵入を許さないためという目的はそのまま万里の長城に通じるかも知れないが、そのスケールは比較にならず、まるでダムのようだ。
 そう、ダムの壁が万里の長城のように延々と続いていると表現するのが正しいだろう。右を向いても左を向いてもその壁が延々と続いている。一体どの様に攻め込めというのか。
 幸いにして壁は門がある。ちょうど車列が目指す先に巨大な門が見えた。資材搬入用として作られた、エルサレム市街に通じる唯一の通り道だ。分厚い金属製の重い門だが、これを超えなければ何も始まらない。
 地雷処理戦車は役目を終え、次に先頭にたったのは奇妙な形をした車だ。中央に巨大な金属製の円柱を備え、そこに戦闘機のジェットエンジンがついている。これはイスラエル軍がこの門をこじ開けるためだけに開発した現代版の破城槌だ。
 喜びの壁にある門は厚さ10メートルにもなる観音開きの構造で、爆薬では満足に破壊することもできない。そこで同等以上の質量を持つ物体を高速で衝突させ、無理やり突破する。イスラエルの科学者が計算して編み出した、単純だが最も確実な突破方法だ。
 ジェットエンジン点火。地雷処理戦車が予め踏み固めた即席のドラッグレース会場を、巨大な自走破城槌が動き出す。やがてその速度は目にも留まらぬほどとなり、門を破壊するには十分な加速度を得た瞬間、破城槌は爆音にも似た音を上げて門に衝突する。膨大な運動エネルギーに負けた門は悲鳴をあげながら変形し、その奥へと追いやられた。作戦は成功したのだ。
 だがこれは序章に過ぎない。この戦争が始まる瞬間は他でもなく、今といえよう。門の向こうには偵察衛星からの映像で2台の戦車が待ち構えていることが分かっている。それを排除しなければならない。
「先行部隊突入せよ。11時と1時方向に戦車2台、無反動砲用意」
 ブラッティ大尉からの無線連絡で、前列の車両に乗っていた兵士たちがHEAT弾を装填した無反動砲を持って、自走破城槌の後ろに付く形で突撃する。破城槌が門に衝突したことにより運動エネルギーを失い、ちょうど兵士たちの盾になる形で停止した。兵士は無反動砲をその影から構え、視界に見える戦車を狙った。
 バックブラストが土埃を舞い上げる。推進薬を燃焼させ、戦車目がけて飛んでゆく対戦車榴弾は想定通りの軌道を描き、戦車の装甲に着弾する。爆発、それはもう大量の火薬で大爆発した。メタルジェットが装甲を貫通し、そしてまた爆発。戦車は再起不能となった。
 2台の戦車を破壊。兵士は破壊したことを後衛の舞台にジェスチャーで知らせる。後衛の部隊が喜びの壁を通過し、エルサレム市街に侵入を開始した。
 一方、後衛部隊のさらに後方、イスラエル軍の保有するアメリカ製自走榴弾砲『M110 203ミリ自走榴弾砲』が榴弾の発射体制をとっていた。使用される榴弾は発射後も遠隔操作によって着弾地点を調整することができる最新式のもので、うまく操作すれば超超遠距離攻撃が可能である。これによって高射砲の4台を破壊する。サムエルの戦車隊を破壊するためにガンシップを利用するため、制空権を確保するためだ。
 喜びの壁の内周に配置された高射砲は衛星写真で確認できる限り8台あるが、榴弾砲で全てを破壊する事はできない。なぜならば直線距離で最も近い高射砲は、喜びの壁の高さに阻まれて、放物線を描く榴弾砲では攻撃できる位置にないからだ。そのために地上部隊が喜びの壁を突破し、攻撃不可位置にある高射砲を破壊するというわけだ。
 轟音を上げて1発目が発射された。放物線を描きながら飛行し、遠隔操作で尾翼を調整しながら機動を調整し、見事北部の高射砲に着弾した。それを偵察衛星が捉え、高射砲が破壊されたことを伝える。
 市街突入部隊のほうも今のところは順調だ。装甲車が突撃し、マシンガンを派手に撒きながら警備兵を処理する。敵の司令部に情報が伝達されるまでの短い時間の間に、何とかして高射砲を破壊しておきたい。そのために障害となる敵という敵は全て処理するのだ。
 高射砲を破壊するのは爆弾で、工兵がそれを取り付ける役を負う。その他の歩兵が工兵を守るために行動する。敵の警備部隊の待機所であるバリケードからの攻撃に応戦するのだ。
 RHKは警備兵に応戦している。しかし、いつものように人間の能力を超えたダイナミックな行動は行わず、イスラエル軍や海兵隊のように、ひたすら銃撃に銃撃を重ねて威嚇するばかり。何故か。
 今回はRHKとは別の軍隊との合同であるため、悪魔の存在を知られる恐れがある。本来であればRHKの部外者全員に呪いをかけることによって、悪魔の存在を思い出せなくする処置をとるのだが、今回はヴァンがルミナスにそれをなるべく使わないように、使うとするなら様子をみるようにと指示されている。
「もどかしい、一人でも死んでほしくないのに、悪魔兵を使えないなんて」
 ルミナスが最後方に位置するトラックのコンテナの中で、HUDに映る偵察衛星からの映像を見てそうつぶやく。
 彼女はヴァンの開発した魔法パワードスーツ『肉鉄のドレス』を装備して、薄暗いコンテナで待機している。いつもならば不死の悪魔兵と人間のバディを組んで無敵の行動ができるのだが、呪いが使えないとなるとそれは叶わない。いつ流れ弾で隊員が死ぬかも解らないこの戦場で人一人の死を恐れるというのは過敏な反応かもしれないが、実は戦死者無しというとんでもない前提でRHKは成り立っている。
 死の危険を伴うということは、兵士にはそれなりの待遇が求められる。だから退役軍人は恩給で生活保証したりするのだが、RHKは隊員にそのような保証を行わない。死亡保険もない。そうすることによって兵士一人にかかる人件費を極限まで抑えることができる。他にも生命を保証することによって入隊希望を増やす目的もあり、このRHKでは戦死者の数が非常に重要視される。道徳的な事柄もあるが、このような雇用形態ならではの心配がある。
 いざとなれば悪魔兵が盾になるが、死ぬ確率は低くはない。
「チーム・アモン、状況を報告せよ」
「こちらチーム・アモン。新鮮な気分だ、人間は人を殺すのにずいぶんと手間を掛けるのだな」
「状況を報告して」
「……敵の待機所は火が付いてる。監視兵に応戦しているが、弾薬の使い方からして無限にあるというわけでは無い。時間の問題だと思う、あいつらを黙らせるには」
「了解、作戦を続行せよ」
 ルミナスはチーム・アモンとの通信を終了。空挺部隊チームD、チーム・ダンタリオンからの報告も問題なかった。作戦は順調だと聞いている。このまま何事も無く行けばいいが、まずそうはならない。本命であるサムエル率いる戦車隊が到着していないのだ。その際になれば順調に行くとは限らない。なんせ個人でありながら大量破壊兵器と言われている男なのだから。
 爆弾の設置が完了したとの報告が入る。起爆の指示は現場のブラッティ大尉がするのでルミナスが手を煩わせる事なない。悪魔的魔法の塊である肉鉄のドレスを表に出すことは出来ないので、コンテナの中に入ったまま作戦は終わるということも考えられる。しかしそれは無いと考えたほうがいいだろう。敵がサムエルである限り、一般的に考えられる現代戦闘では勝ち目がないのだから。
 様子を見る、何の様子を見るのだ。対象はなにか、戦況か、イスラエル軍や海兵隊の動きか、はたまたRHKの隊員自体のことか。確かなのは悪魔の力を借りずに戦うことで、ヴァンが情報を得ようとしていることくらいだ。
「高射砲の破壊に成功した」と通信が入る。爆発音がしたので無事に破壊できたようだ。
 それと同時にチームDの偵察部隊から連絡が入る。
「東方向に戦車10台、その他装甲車10台が接近中です」
「対戦車部隊用意、戦車は砲撃体制に入れ。サムエルの戦車隊が来たぞ!」
 通信が慌ただしくなる。衛生からの映像が切り替わり、土埃を上げて邁進する戦車と装甲車が見えた。通常では考えられない戦車の台数に驚いたが、こちらにはそれに対抗する準備がある。遠距離から戦車を一方的に攻撃できる長射程の砲撃がイスラエル軍の戦車には出来る。そのようにカスタムされた砲を備えているのだ。
 対戦車ロケット弾を連続発射できるミサイルランチャー車も全面に出た。正面から突撃してくる猪のような敵だが、恐れることはない。圧倒的な火力を先手で使うのだ。
「多段ロケットランチャー車準備完了。攻撃を開始する」
 戦車とロケットランチャーが戦車隊に向かって攻撃を開始した。地獄の業火にも勝るとも劣らない一斉砲撃と数十発のロケットの嵐が吹き荒れる。それは全て高速で飛来し、戦車隊の全体に着弾した。連続した爆発が続く。
 装甲の破片が爆散する。同時に土が舞い上がる。そんな中を運良く着弾せず突撃した戦車が砲撃をしてくるが、走行しながらの砲撃は精度が悪く、こちらの戦列には一つも着弾しなかった。勿論その戦車を見逃すことはなく、徹甲弾で撃ち落とす。気がつけば全ての敵戦車が黒煙を上げて停止していた。
 ――馬鹿げている。弱すぎる、あまりにも、あっさりとしすぎてはいないか?
 ルミナスは妙な予感を感じた。簡単ではないはずの物事がスムーズに進みすぎているときは、第六感というべきか、このまま進めていいのかと疑問に思う時がある。そういう場合は何か重要なことを見逃していたり、危機が迫っていたりと様々なことが考えられる。
 ――このままでは良くない。
 そんな事に気づきだしたときには既に手遅れである事が多い。そして、事は既に手遅れとなった。
 空を飛行する謎の物体。Dチームからの偵察報告を待たずして、その飛行物体は喜びの壁を超えて外周部に飛んでいった。その直後に爆音。その音によって気がついたのは、その飛行物体がミサイルだったということだ。
「自走榴弾砲大破。ミサイルによる攻撃だ、発射地点を特定しろ」
「偵察衛星からの映像出ました。エルサレム市街、こちらの部隊から東に5kmの廃墟、呼称不明物体1とトラック2台。ネトゥレイカルタ錬金術師部隊の本隊のようです」
 ルミナスも偵察衛星からの映像を確認した。黒く巨大な鉄の塊と人影。それはあまりにも戦場では目立ちすぎる風貌で、色あせた背景の中ではその灰色が浮いている。まるでブラックホールでも存在しているかのような、異様な存在が確認された。黒鉄のサムエル、パレスチナ最強の男。歩く大量破壊兵器。
 時を待たずしてサムエルの操る魔導戦車『ネールターミード』はミサイルランチャーから変形し、巨大な砲台の形となった。その兵器は大2次世界大戦ナチスドイツの遺物、列車砲『クルップK5』だった。
 砲身の角度が広がってゆく。それが意味することは榴弾による超長距離榴弾爆撃だ。その方向はイスラエル軍の基地がある所と同じだ。ルミナスの汗腺から冷や汗が出る。それをあざ笑うかのようにネールターミードの巨大スピーカーからサムエルの挑発的な言葉が発せられる。
「方向良し、角度良し、天気良し。ナメるなよシオニスト共、我々パレスチナは即座に報復攻撃を行う準備があるのだ。せいぜい基地が燃えるのを眺めていればいいさ」
 腹をたたくようなずっしりとした低音、爆音。地震のように地面を揺らしたその砲撃によって、車くらいのサイズがある砲弾が高速で打ち出された。目標がサムエルの言ったとおりであれば、エルサレム攻略用のガンシップが停泊しているイスラエル軍の基地だった。
 ブラッティ大尉は直ぐ様基地にある司令部へ連絡をとる。しかし、手遅れだ。着弾まで何分もない。その間に基地から避難するように指示しても、避難が完了するわけがない。だがせめて、ガンシップだけも基地から離脱させたかった。
「こちらアメリカ海兵隊所属、ボビー=ブラッティ大尉だ。只今サムエルが列車砲でそちらに砲撃をした。着弾まで時間がない、速やかにガンシップを離陸させろ。繰り返す、ガンシップを離陸させろ」
 ――駄目だ、間に合わない。
 誰もがそう考えている。しかし、RHKの隊員たちはむしろ笑っていた。ルミナスも例外ではなく、これで考える時間が増えたと喜ぶくらいだった。その様子は周りの近況状態にある兵士から見れば気味の悪いものだったろう。
 今この場で最強の戦力は兵士でもなく戦車でもない。肉鉄のドレスを纏ったルミナスだ。彼女だけなのだ。
 では恐ろしい彼はどこで何をやっているのか。ヴァンはここにはおらず、基地で待機している。その目的は基地の護衛で、ブラックアメジストによる魔界式完全防護結界『HYMEN』の魔力供給だ。RHKはサムエルによる自陣への直接攻撃を予想し、核兵器も無力化出来る防護結界をイスラエル軍基地全域に即席で展開していたのだ。
「ヴェーデルハイム、そちらの様子は?」ルミナスが念話で話しかける。
「砲弾は届かなかったよ。人間どもは何事かと慌てていたようだが、心配には及ばない」
「そうですか、私もその慌てぶりを拝見したかったわ」
 ニヤリと笑うルミナス。トラックの運転席にいたバトラーに合図を送ると、コンテナの上部が機械音と同時に動き出した。
「もういいでしょう? 事後処理なんて幾らでも出来るのだから、ねえ、ヴェーデルハイム」
「ああ、魅せつけてやれ。RHKの本当の恐ろしさを、死を持って覚えさせろ」
 ルミナスは強く地面を蹴って大空へと飛び上がり、そのまま隊列の最前線に着地する。赤く光る魔剣『エンキュリア』を鞘から取り出し、サムエルへその鋒を突きつける。それはまるでジャンヌ・ダルクのような勇敢さで、サムエルの登場で引いた自軍の士気を高揚させた。
「RHK全部隊へ連絡。呪いの使用制限解除、これより悪魔的戦闘を許可する。恐怖という病をこの戦場に開放しなさい」
 魔剣の鞘を取り、その切っ先を使って地面に魔方陣を描画する。2重線のペンタグラムにRHKのシンボルである『デーモニック・スワスティカ』を重ねる。それは魔王ヴェーデルハイムの権力を一部譲渡されていることの証明だ。
 星を覆うように正方形を描いた後、彼女はそのまま無線機をRHK隊員専用チャンネルに合わせたまま呪文を詠唱する。
『暗黒より生まれし死神の息を受けし者達よ、我が友と共に戦い、敵の顎を食いちぎりなさい。死神の鎌を思うように振りかざし、我に鮮血を見せるのです。奴等を生きて帰してはなりません』
 次の瞬間、自軍の兵士達の一部が発狂したような奇声を上げた。その一部の兵士とは他でもない、通信を聞いていたRHKの隊員である。彼等に魔界より呼び寄せた死神を憑依させ、戦闘意欲・残虐性の増幅と、心理的ストレスからの解放を実現する。これによって人間の限界を出し切るどころか、若干超えさせることができる。
「私の誇れる騎士達よ、この剣が指す先に何が見えますか?」ルミナスが士気を限界まで引き上げるために問いかける。それにRHKの隊員達は叫んで答えた。
「敵だ! 殺すべき敵だ! 蹂躙すべき敵だ! 泣いて許しを請わせるべき敵が見えるであります、クイーン・エンキュリオール!」
「我々の敵となったことを後悔させなさい。今日というこの日が人生の最期であるということを告げてください。許しを乞う暇も、家族を思う時間も、仲間を思う瞬間も与えてはなりません。RHK代表取締役社長ルミナス=エンキュリオール21世として王立傭兵騎士団に命ずる。友に仇なす敵を殺してください」
「イエス、クイーン。我が母国、我がセルビアの栄光のために!」
 兵士が一斉に飛び出した。悪魔は黒い翼を曝け出し、人前であることにも構わず空を飛んだ。その場にいたRHK以外の部外者達は口を魚のように開けたまま、その異様な光景を眺めていた。薬でも決めてしまったジャンキーのようにも見えるRHKの兵士たち、恐ろしい形をした悪魔たち、それらの非人間的要素が幾多の戦場を戦い抜いてきた普通の兵士にさえも恐怖を感じさせた。このリアルな戦場で、想像を絶するリアルを突き付けられたイスラエル軍と海兵隊隊員は驚きの声を上げる。
「何だこいつらは……こんな狂った奴が味方だって言うのか?」
「アレはなんだ? 悪魔なのか? さっきまで人間だったんだぞ!?」
「畜生、俺達はとんでもない奴らと手を組んじまったみたいだぜ」
 廃墟と化した市街地に散開するRHK隊員。地上部隊は悪魔と人間のバディを組み、人間の生存率を高める。空挺部隊は魔法の杖の代わりに重火器を触媒にして、それにまたがって飛行する。人間とバディを組まない悪魔は足かせを解かれたも同然で、黒い翼を羽ばたかせながら猛進する。有効な遠距離攻撃の手段を持たない悪魔たちは、悪魔が使用することを前提とした巨大銃器を持っている。その武器の大きさは、見ただけで人の恐怖心を駆り立てる。見ただけで、だ。
「チームAは地上より市街地に潜む錬金術師部隊を叩け。チームBは最後方から来る戦車隊の増援を阻止してください。チームDは超低空飛行からのピンポイント爆撃でチームAの支援、対戦車兵器を駆使してサムエルへの牽制攻撃を忘れないように。ですが、サムエルの注意をひくことが目的であり、殺す必要がないということを念頭においてください。彼は私がやります」
 廃墟にはサムエルを護衛するように錬金術師部隊が展開している。サムエルを相手にする前に彼らを処理しなければ、いつかのようにエンプレスソード隊を以てしてでも悲惨な結末が待っているかもしれない。その許されない結果を避けるために、まずは敵の体制を完全に崩すことから始めた。
 悲惨な結末はRHKの物ではない、彼らの物だ。

 空を舞う青い光。人間とは思えないターコイズの蒼をした色、ウェーブの掛かった伸ばしっぱなしの髪をなびかせる少女フランシスカ=ヘクセンは、箒にまたがって飛行している。典型的な想像上の魔女とそのままの形ではあるが、箒の柄の先にリボルバー式グレネードランチャーが装着されていることと、服装はとんがり帽子ではなく、RHK指定の軍服の上に腰まで裾のあるパーカーを羽織っているあたりが、お伽話とは若干異なる点である。
 彼女の直下には廃墟が広がる。廃墟から絶え間なく銃声が響く。よく聞くとその銃声は途切れずに続いていることが、この戦場が特殊であることを示している。錬金術師部隊の兵士が使用しているアサルトライフルの装弾数はせいぜい30発程度だが、明らかに銃弾を装填する行為をしていない。つまりは銃弾が切れないのだ。
 勝利のためにはそのメカニズムの解析、すなわち術式の解析を必要とする。RHKの一般部門A・B・Dは錬金術師部隊と交戦するが、特殊部隊エンプレスソード隊の彼女はその特別任務を任されている。魔王であるヴァンのほうが術式の理解は格段に深いのだが、この場に赴くことはできなかったので人間としては格段に深い知識を持つ彼女が適任だったというわけだ。
 彼女は敵と交戦している隊員の所へ降り立つ。銃をとって牽制攻撃をしながら、敵の出方を見た。
――資源は無限ではない。魔力も無限ではない。それはすなわち、銃弾も無限ではないはず。
 銃弾が飛び交う中、彼女は思考を巡らせる。だが考えるには情報が少なすぎるため、先に交戦していた隊員に状況を聞くことにした。だが、彼女の声は戦場の喧騒ではノイズに過ぎない。
「状況は?」投げられたグレネードが爆発する。
「ああ? 聞こえないぞ、もう一度言え!」
「状況は?」グレネードが爆発する、2投目。
「駄目だ、全く聞こえない。地面に書け!」
 フランシスカはバツの悪い顔をして地面に銃で文字を書いた。状況は、と。
「敵の攻撃は熾烈を極める! 敵の装備は軽装だが、軽機関銃でも撃っているのかというくらい銃撃が激しい! 遮蔽物に一切隠れず、バースト射撃もマガジンリロードも一切してこないから、所持している弾薬がどれほどの量なのか検討もつかない! おまけにしょっちゅうグレネードを投げてくる、なんだあいつ等は!」
 噂のとおり無限の弾薬を持っているらしい。勿論その弾は幻影のたぐいではなく、命中したら確実に死傷する実弾である。ただここまでは情報の通りで、術式を解析するためには足りない。
 答えは簡単な話だ。術は敵の銃にかけられていると仮定すれば、その銃を奪ってやればいいのだ。
『アガル・マト・フィリア。御前に来い、フリーデリケ』
 地面に描いた魔方陣が黒く発光し、巨大な騎士甲冑が出現する。灰色の煙を上げながら現れたそれの左腕部に戦闘機用のガトリング砲が無理矢理に装備されており、給弾ベルトは得体のしれない黒い物が蠢く甲冑の隙間に吸い込まれている。右腕には炎のように波打つ刃をもつ大剣フランベルジュ。”彼女”の正体は魔神長レオナールによって生み出された神経だけの悪魔であり、そしてフランシスカの姉である悪魔フリーデリケが寄生した腐肉のゴーレムである。以前まではその甲冑をフランシスカが遠隔操作していたが、フリーデリケが寄生したことによって完全な自律行動が可能となっている。
「我が怨敵はどこぞ、愛する我が姉妹よ」
「前方の敵対勢力5名のうち、4人を殺して一人を捕縛。特に銃を奪って」
 フリーデリケは全身の触手を嬉しそうに靡かせ、その命令を受諾した。金属音が響く、決して軽くない足取りで銃撃をくぐる。いや、くぐるといった表現は適切ではない。浴びると言ってもいい。人間ではない彼女の前には銃撃など意味をなさず、銃弾では彼女の加速度を殺せないどころか、傷一つつけることは出来ない。
 動揺する敵を笑いながら突撃するフリーデリケ。全ての攻撃が彼女に向けられているのを確認すると、フランシスカはグレネードを敵陣に発射。爆発。一人が爆散した破片に飲まれ死亡。仲間の死亡と迫り来るフリーデリケによって正気を失った敵は叫ぶしか無かった。逃げようとしたが無駄だと思った。立ちすくむ兵士をフリーデリケは大剣で切り裂き、上半身と下半身を分断する。飛び散った内蔵が他の敵兵を汚した。
 逃げ出そうとした敵兵をガトリング砲で撃ちぬく。秒にも満たない時間で大量の銃弾が打ち込まれ、人間の体は赤い霧となって散ってしまった。正気を失った敵兵のうち一人は死を覚悟し、グレネードのピンを外してフリーデリケに突進し、自らを犠牲にした自爆行為に走る。だがフリーデリケはもう結構とばかりにその兵士を殴り、廃屋の向こうへと吹き飛ばした。その数秒後にグレネードは爆発し、土埃と色々なものが爆散した。
 フリーデリケに銃を構えて立つ敵兵が居た。無駄だと頭では分かっているのだろうが、体が言うことを聞かないのだろう。膝も肘も笑っている。銃口は小刻みに震えている。唇を噛み締めて血が出ている。その怯えている姿を見てフリーデリケは不気味な笑い声を上げる。
「ああ、我が怨敵よ。何がそんなに怖いのだ。私か、私なのか? 私が怖いのか?」
「化け物め! なんなんだお前たちは! 悪魔か、悪魔なのか!?」
 フリーデリケは大剣フランベルジュを振りかぶる。するといつの間にやら近づいていたフランシスカが、グレネードランチャーの銃口で甲冑を叩いた。
「……一人は残しておいてって言ったよ」
「すまん、間違えた」
 フリーデリケは敵兵の持っている銃を取り上げると、その兵士の体を地面に押さえつけて身動きが取れないようにした。すかさずフランシスカは背負っていたバッグから注射器を取り出し、同じく取り出した瓶から薬剤を吸い上げる。その薬剤は即効性の魔法自白剤であり、人間の精神から全ての柵を取り去り、あらゆる質問に答えてもいいという精神状態を作り出す便利なものだ。
 それを兵士の首筋に注射器で打ち込む。もがき苦しんでいた兵士の体は数秒でおとなしくなる。
「……どうして銃弾は無限なのか答えろ」
「むむむ。む、無限に作りだされる。作りだされる」
「……それは誰が作っているのか答えろ」
「エステー様エステー様、エスティー様」
「……エスティー? 誰なのそれは」
「エスティー様だ」
 初耳の人物の名前が出た。――銃弾を供給しているのはサムエルではないのか?
 サムエル等の使う錬金術には幾つかの疑問点があった。それは錬金術を使うための魔力供給源と、物体を生成するために必要な金属等や火薬等の材料である。人間の持ち得る魔力は無限ではない。錬金術は一般的に生成する物体の質量と生成する距離に比例して魔力の消費量が多くなる。サムエルのネールターミードのように巨大な兵器や、数百発の銃弾ならば相当量の魔力を必要とするだろう。しかし、彼らはそれらをまるで自己の吸蔵魔力量を気に留めていないかのように、湯水のごとく錬金術を使う。
 次に生成する物体の材料だ。銃弾であれば真鍮と鉛、火薬のための硫黄や硝酸が必要になってくるだろうが、彼らはそれらの材料を十分に持っているとは思えない。材料が有限であることはつまり、銃弾が有限であるはずなのだ。もしも錬金術師部隊の兵士自身が銃弾を生成しているのではなく、別の場所にいる誰かが生成しているのであれば、兵士一人一人が材料を所持していないことに説明がつく。材料を大量に貯蔵し、離れた別の場所から錬金術を実行し、銃弾等を兵士に供給する。これが可能であれば銃弾は有限であることには変りないにしろ、湯水のごとく銃弾を垂れ流せるに説明がつく。
 錬金術師の持っていた銃を手に取るフランシスカ。その銃はイスラエルの兵器メーカー『IMI』が2000年頃にイスラエル国防軍と共同開発した次世代型突撃銃『タボールAR21』だ。元々はイスラエルの正式採用だった物だが、何らかの経緯でパレスチナにも流出したのだろう。光学ダットサイトにグレネードランチャー付きと高級だが、これも錬金術でコピーしたものに違いない。銃器の錬成は彼らの最も得意とするところである。
 何も無い地面に向かって引き金を引いてみる。反動が全身を震わせる。肩にあてて銃撃の体制を取り、引き金を引き続けてマガジンを空にしようとした。しかし、一向にマガジンが空になる気配がしない。
「何……これ……ありえない」フランシスカは驚きの言葉を口にする。摩訶不思議としか言いようがない。
 マガジンを取り外して見る。これまた不思議なもので、中には銃弾の代わりに真鍮の棒が詰められていた。棒にはヘブライ語らしき文字の呪文がエンボスで書かれている。理屈は分からないが、間違い無くこれが無限マガジンの術式だ。別の場所から銃弾が転送されてきているとするならば、この術式は転送する座標をマガジン内に固定するものだろう。彼女はそう結論を出す。
 問題となるのは銃弾の供給元だ。このエルサレムの何処かに銃弾を錬成し、兵士たちのもつマガジンに転送する役を持った錬金術師がいるはずだ。長時間継続的に銃弾を供給するための必要魔力を考えると、数十人は居ると考えていいだろう。果たして彼らは何処に居るのだろうか。
「上空解析班応答せよ……。こちら地上解析班、旧市街全体の魔力の流れを教えて」
 上空で戦況を偵察する部隊に連絡をとる。その中の解析班であるルシフェルが応答した。
「すっげー面白いものが見えるわ。ちょうど旧市街のど真ん中を中心として魔力が放射状に拡散してる。無数の魔力線が束になって、市街全域が円形の魔力に覆われてる形ね」
 フランシスカの推理通り、銃弾を供給するための敵が存在した。その魔力線の中心に居るのがそれだろう。しかし、その居場所というのも悪い意味で予想通りだ。旧市街中心というのは戦線から最も離れた場所であり、最も安全な場所である。敵にとって安全ということは、攻め落としに来たこちら側からみれば、最も手の出しにくい場所だ。
 中心を制圧するためにはサムエルを押さえる必要がある。サムエルを押さえるためには銃弾の供給を止める必要があるのだが、供給を止めるには中心を制圧する必要がある。この矛盾が問題だ。
 彼女はこの矛盾を解消する手段を持っていない。
「……解析班より報告。敵の無限弾薬供給を停止させるためには、旧市街中心を制圧する必要あり」
 無線連絡で総司令官であるルミナスへ報告した。

 肉鉄のドレスを纏ったルミナスは、たった一人で戦場の真ん中に佇んでいた。
 この戦場における最高の権限を持つ彼女は総司令官であり、同時にサムエルと対峙しうる力を持った戦力である。本拠地を守るヴァンに変わる戦力は彼女以上に存在しない。空中を飛行できるように術式を施したマントを靡かせながら、市街地を超低空飛行する。その先に居るのはただ一人、サムエルだけである。魔導戦車ネールターミードは戦艦に搭載されるような速射砲を作り出し、高速で飛来するルミナスを撃墜しようと火を吹いた。ルミナスはそれを避けることもなく直進する。ドレス全体に展開された完全防護結界が、彼女の生命の安全を確かに保証する。
 ルミナスは高速飛行状態から直接、地面へと急降下してサムエルの眼前に着陸した。
「我が名はRHKインターナショナル代表取締役社長、ルミナス=エンキュリオール21世。パレスチナ最強と謳われる貴方に最高の敬意を表して見参いたしました」
「ご丁寧にどうも。しかし気に食わないな、貴様等。部外者が嬉々として我等の戦いに首を突っ込んでくるその姿勢が気に食わない」
「申し訳有りません、こちらも仕事ですので」
「主義無く戦う戦争屋風情に負けるわけにはいかない。シオニストよりも手厚く葬ってやる、ビッチ」
 サムエルはネールターミードを無数の銃器に変形させ、それらの引き金を同時に引いた。鼓膜を破る強烈な銃声が何重にも重なって響き、一つの大きな爆音となって押し寄せる。その様は銃弾の雨と言うには強すぎる。より的確な表現をするならば、銃弾の台風といったほうがいい。
 しかし完全防護結界がルミナスに襲いかかる無数の銃弾を全て魔界へと転送し、ただの一発も彼女まで届くことはなかった。サムエルはヨハネスとの戦闘以来2回目の物理障壁を目の当たりにした。
「……何だ貴様は……その力はなんだ。その禍々しい鎧の力なのか……?」
 サムエルに考える時間は与えられなかった。ルミナスは地面を勢い良く蹴り、サムエルの懐まで一気に距離を詰める。彼はネールターミードを全面に出して盾とするが、ルミナスの振ったエンキュリアの恐ろしい刃によって両断される。隙を見たサムエルは至近距離から榴弾砲を3発ほど同時発射し、すぐさまネールターミードと共に後退した。ルミナスは向かってくる榴弾を人間離れした反応で、エンキュリアを振ることによって両断し、完全防護結界への直撃を避けた。先程のように真っ向から受け止める事ができるように思えるが、これには完全防護結界の制約が問題となる。
 サムエルはその動作を見た。銃弾の雨は避けないのに、何故榴弾は避けずにやり過ごしたのか。それは肉鉄のドレスに搭載されたブラックアメジスト結晶が微小であるため、その性能も固定型のものと比べて劣るためだ。
 魔界へ転送する物体の質量に比例して結晶の魔力が必要となるのだが、ドレスに搭載された結晶では、一定以上の質量を持った弾頭を無効化することが出来ないのだ。
 刹那の出来事であったがサムエルは見逃さなかった。ネールターミードと共に体制を立て直した彼は、その行動の意味を考察した。彼はその優秀すぎる頭脳から、先程の例に挙げた防護結界の欠点を導き出す。
『設計図89ページより、投石機』
 サムエルはイディッシュ語で呪文を唱え、両手の平をネールターミードに押し付けた。変化は即座に発生し、巨大な魔導戦車は巨大な投石機へとその姿を変えた。ネールターミードはショベルカーのような腕を形成し、それによって地面をえぐって土の塊を作り出し、それを投石機にセットする。それらの作業を一瞬にして完了し、ルミナスに向けて塊を投げつけた。
 ルミナスはとっさに回避する。サムエルの導出した答えは正しいことが証明された。防護結界は無敵ではないことが証明されたため、サムエルはルミナスを殺すための新たな手段を試すことにする。
『設計図1ページ、巨像』
 ネールターミードはまた形を変えて、今度は巨大な人型の物体へと変貌する。それはまさに巨像と表現するのがふさわしく、特に巨大な腕部が印象的である。全長10メートルはあるだろうか。一番上に立ったサムエルの動きをトレースして動くようで、その巨大な腕がサムエルの動きにより、ルミナスの体を鷲掴みにしようとする。そう、この大質量でルミナスを掴む事によって防護障壁を無効化しようという魂胆なのだ。
 彼の腕の動きをトレースして動く、その長く巨大な腕の速さは相当なもので、激しい銃撃と並行してルミナスをその手に掴もうと襲いかかる。彼女は飛行用の翼だけでは回避できないと判断し、防護障壁を応用して、魔法の壁を蹴る形で急激な進行方向の転換をしていた。その動きは蜂のように素早く、サムエルがいかにネールターミードを巧みに操るとしても、彼女を捕まえることは容易ではない。しかし、ルミナスも掴まれれば終わりだ。
 両者一歩も譲れない状況。力関係は互角と言ってもいい。しかし互角では前に進むことはできない。それでもルミナスは諦めずに戦い続けていた。まるで時間を稼ぐかのように。
「Aチーム、西ブロックを確保。敵3名確保」
「Bチーム、北ブロックを制圧。敵2名確保」
「Cチーム、東ブロックを確保。敵4名確保」
 次々にRHKの隊員から無線連絡が飛んで来る。サムエルにはこうやって手こずっているものの、他の錬金術師部隊の兵士はそれ程強力なものではない。弾が無限であるということは人間相手であれば驚異的なものだが、所詮それは人間相手の話だ。そもそも銃弾が効かない悪魔に対しては、そのアドバンテージは何の意味もなさないのだ。
 RHKは既にサムエル率いる錬金術師部隊を掃討していた。非常に強力な力を持っていたのは結局、サムエルだけだった。後は彼を殺して旧市街への道を確保してやれば、この戦いは勝ったことに等しい。
 ルミナスは彼を倒すために作を講じていた。それはエンキュリオール家に代々伝わる兵法の一つであり、ヴァンの受け売りでもあり、常識からするとあまりに非人道的な方法だ。ルミナスは無線連絡をして部隊全体に指示を送る。ルミナスは信号弾を空に向けて放つ。強力な力を持つ敵を、力を使わずに屈服させるこの戦法に名前をつけるとすれば、それは「人質を取ること」だ。
「作戦コード”Remenber Muenchen”。指示ポイントに人質を収集せよ」
 街中から黒い影が飛び上がる。翼を持ったガーゴイル型の悪魔たちが、暴行を受けて無抵抗になった錬金術師部隊の両肩を掴み持ち上げ、ルミナスの場所へと集合する。それらは比較的高い場所で静止し、その高さは人間が飛び降りれば確実に死ぬ高さだ。ルミナスはドレス付属の拡声器を使ってサムエルに警告する。
「降伏しなさい! 貴方の仲間は全て我々が屈服させました。武装を解除し降伏すれば仲間の生命は保証します。降伏を拒否すれば仲間の生命は……お判りですね?」
 サムエルの動きが止まった。ゴーレムがぴくりとも動かない。まるでテロリストが人質を取るように、RHKは屈服させた錬金術師部隊を人質にとったのだ。これはアイン・ハー・ラーアが行った事へのあてつけでもあり、サムエルの神経を逆なですることは間違いない。恐ろしく残酷な手だ。
「セルビア王国王女、エンキュリオール……。欧州随一の外道とは聞いていたが、まさかここまでとは……」
「貴方は選択する権利があります。貴方が死ぬか、貴方以外が全員死ぬか、貴方は選ぶことが出来ます」
 この状況が転ぶ先は2つ。サムエルが街を守るために全ての仲間と自分自身を犠牲にするか、街を見捨てて仲間と自分を助けるか。戦士としては勿論前者を取るだろうが、戦略的撤退をするならば後者を取る。生きていれば挽回するチャンスは発生する。この状況でサムエルが一人で戦い続けたとしても、失うものばかりで得るものが無い。
 残酷ではあるが、成功すればより少ない血を流すだけで済む。ルミナスはそれを期待していた。
 だが、サムエルは戦士だった。
「私は決して屈服しない! あらゆる犠牲を払ってこの街を守る! 『都市の護衛』を舐めるなよファッキンビッチがぁあああああああああ!」
 ネールターミードは変形し、異様な形になる。ハリネズミのトゲのように銃口が全方向を向いた。前後左右360度全方位一斉射撃の体制をとった。射線には彼の仲間を含む全てが存在する。ルミナスの思惑は失敗したのだ。
 彼女は下唇を血が出るほど噛んだ。悔しさのあまりに。思い通りに行かない。何故人は合理的でないのか、何故諦めてくれないのか。それを考えた瞬間に彼女は気がつく。自分が国を守るために悪魔と契約したように、彼もまた、諦めたりはしないのだ。人間とはなんて強い生物なのだろう。
 ルミナスは立ちすくむ。銃弾の雨が降り注ぐが、障壁が無効化してくれる。だけども何れそれも効かなくなる。解っていたのだが、足を動かすことが出来なかった。
 そんなところに無慈悲な声が響く。テレパシーがルミナスに届いた。
「ああ、なんて情けない。貴方はやることが甘いのです」
「誰!? 貴方はヴァンじゃないわね?」
「私はヴェーデルハイム様の忠実な僕。人間だから人間をよく理解しているという傲慢な考えを持つ貴方に、本当の人間を見せてあげる」
 ルミナスは見ていた。上空より急な角度で急降下する物体を。その物体は飛行機の形であるが、戦闘機にしては大きすぎる。その形状をルミナスは見たことがある。それは基地に待機させていた海兵隊のガンシップだった。ルミナスはそれが出撃したという報告を受けていないことにも疑問を持ったが、最も問題なのはそのガンシップの尾翼が上がりすぎており、このままの角度で飛行すると旧市街の中心に墜落するのだ。
「こちらRHK総司令官、ガンシップ応答せよ! 尾翼が上がりすぎています!」
 しばらく経っても応答がなかった。後方で待機していた海兵隊員もざわめきだす。これは異常事態であると、その場に居た友軍の兵士たちは認識している。このままだとイスラエルが取り戻したいと考えている街が、ユダヤ人にとっての憧れのシオンの街が、ガンシップが墜落することによって廃墟となる。取り返しの付かないことになる。
 サムエルもその光景を目の当たりにして一斉射撃を停止する。彼にもその行動は理解出来ない。ユダヤ人であれば宗派問わずこの街を破壊することは望まないのに、何故このような破壊行為に走るのか、彼だけでなく誰も理解出来ない。
「奪われるなら壊してしまえ、ということか? 貴様等はユダヤ人ですら無くなってしまったのか!?」
 地対空ミサイルを生成したネールターミードは数発を発射する。だがガンシップはそれに対応するためにミサイルの誤誘導をするフレアを巻きながら堕ちてくる。数発は命中したようだが動じない。黒煙を上げながらも、何がなんでも堕ちるつもりだ。
「刮目せよルミナス=エンキュリオール。天使が落ちた街に、黒煙の翼を広げた悪魔が堕ちるのです。この地をゲヘナにするために」
「ルシフェル! 一体何をしたのですか!?」
「ガンシップが堕ちるよう、クルーを洗脳しました。この極限の状況でサムエルの選択肢を奪い、最も分かりやすい行動を誘発します。解りますか? 人にとって一番大切なものは何かを見出すために、悪魔はその人間の全てを奪おうとするのです。そうすれば人は一番大切なものだけは守ろうと行動するのです」
「そのために街を灰にするつもりですか。この作戦の目的を忘れたというのですね……?」
「作戦の成否にかかわらず、報酬は振り込まれます。全ての責任は海兵隊にあるとすれば、RHKは何も咎められることはありませんよね?」
 堕ちる。黒煙を上げた、悪魔の息を受けた天使が堕ちる。この地を地獄に変えるため、罪人の滅びの場所となるゲヘナとするため。その場に居た全ての人間が叫び声を上げた。作戦どころではない、敵味方共通の守るべき対象が台無しになる。だけども彼らは何も出来ない。堕天使を止めることは出来ない。
 サムエルはルシフェルの行動予測どおり、ネールターミードと共にエルサレムの中心街へ全速力にて後退する。墜落するガンシップは洗脳された操縦士が操縦桿を握っており、サムエルを追いかけるように軌道を調整する。こうして行けばサムエルが一番守りたいモノの在り処が判るというものだ。それを見てサムエルは更に更に焦り、理性を忘れて後退し続ける。
「クソッ、ファック! 天使様とエスティーだけは守らねば、守らねば終わる!」
 サムエルは旧市街の一軒家の前で足を止めた。錬金術を駆使してガンシップの墜落からその家を守ろうとした。
「設計図4ページ、リアクティブアーマー。設計図10ページ、複合鋼板。周囲に展開!」
 建物をガンシップから守るために、考えうる全ての防御用障壁を展開したサムエル。戦車で使用する複合装甲の上を、本来はHEAT弾等の対策に用いられるリアクティブアーマーを配置。周辺の建物への被害は考慮されておらず、ただ自分の家を守るために全力を尽くしている。その必死さなど露知らず、ルシフェルはRHKの空挺部隊にサムエルの位置を記録するように命じる。遠方の音を拾うことの出来る地獄耳を持った悪魔が、彼の言葉を捕らえた。彼の本当に大切なものの在り処の特定に成功した。後は派手に、見えるすべてを破壊するだけだ。
「クラスター爆弾の安全装置を解除、発射体制。さあ、全てを塵に帰すのです」
 ガンシップは墜落しながらもクラスター爆弾を投下するためのハッチを開く。開いたハッチから次々に投下される爆弾は空中で分解し、無数の爆弾となって四方へと散った。面での爆撃がよりによって民間人の住む場所に行われてしまった。ガンシップは空き缶のように潰れながら複合装甲の壁に激突し、金切り声を上げながらその形を崩壊させてゆく。リアクティブアーマーの爆発によっても被害が発生し、一帯は火の海、あるいは土埃が舞い上がった。しかし鋼板とリアクティブアーマーだけで超重量のガンシップが止められるわけもなく、その鋼鉄の防御用障壁がひしゃげる音をあげると共に、燃料などによる大爆発でそれを締めくくった。
 あ然とするルミナス。その耳に入る、連合軍の共通周波数でかわされる無線連絡は混沌を極めた。
「こちらイスラエル軍後方部隊、市中から黒煙が上がっている。先ほどのガンシップが墜落したのか!?」
「米軍のガンシップが墜落した。エルサレム旧市街に甚大な被害! 畜生、なんてことをしやがったんだ!」
「おい海兵隊! 状況を説明せよ!」イスラエル軍の指揮官さえも感情的になる。
 海兵隊の指揮官が応答する。焦りを隠せない。
「ガンシップが基地から離陸して直ぐ、通信が途絶えた。通信機器が途絶え、推進機構が何らかのトラブルを起こしたのかも知れない。とにかく情報が少なすぎてこちらでは何も言うことは出来ない」
 聖地を破壊されて怒り心頭のイスラエル軍。その破壊行為が敵のものだとすればまだ良いのだが、これが味方の機体が墜落したことによって引き起こされた事態なものだから問題だ。クラスター爆弾まで墜落直前に発射しているのもあって、もはや単純な墜落とは見て取れない。海兵隊がサムエルを殺すために神風特攻を実行したようにも見えたのだ。実体はそうなのだが、そうさせたのは海兵隊でなくルシフェルである。これはRHK以外の誰も知る由がなかった。
 だが、サムエルを撃退することが出来た。確認が出来なければ安心することは出来ないが、少なくとも敵の戦力はほぼ無い。後は残党狩りをこなしてゆけば良い。煮え切らない思いを秘めながらも、イスラエル軍の司令官は全軍にその旨と、一時作戦中止伝える。目的を達せたのに士気は下がる一方で、これ以上の作戦続行は不可能と判断したのだ。

 直後、エンプレスソード隊の面々は残党狩りと称してサムエルの排除、及び天使の救出を続行した。魔術解析を担当しているフランシスカを除いたヨハネスとベルモンド、そしてサラは慎重に旧市街の中心地へ進行している。敵が何処に潜んでいるかも分からない、おまけに地の利は敵にある。もしも奇襲されれば大火力によって打ちのめされることは必須だ。故に精鋭である彼らがこの任を負う。イスラエル軍と海兵隊もエルサレム中心部に向かって進行を続けているが、悪魔たちと大火力の錬金術師部隊を警戒して、その歩みはゆっくりとしたものだ。
 現在、チームが向かっているのはガンシップがちょうど墜落したあたりの地点。黒煙が狼煙のように上がっているのでその場所の視認は容易だ。そこに行けば体制が崩れたサムエルと遭遇、うまく行けば天使も確保できるだろう。歯ぎしりをしながらこの命令を与えたルミナスのためにも、なんとか目的を果たさなければならない。この場では誰もが、こんな状況に仕立て上げた悪魔を呪っている。だがこのチャンスをみすみす見逃すわけにはどうしてもいかなかった。
「モンテネグロの時を思い出しますね」サラはつぶやく。
 モンテネグロの軍事政権を倒す『蛆の鼓動作戦』を3人は思い出した。ヴァンが作戦の要としていた切り札は、列車に詰め込まれたモンテネグロの捕虜をソルジャーマゴットによってゾンビ化し、モンテネグロ軍とで共食いをさせるという、合理的かつ残酷極まりない作戦だった。これに反発したサラとヨハネス、そして最後にルミナスが自分の命をかけることによってこの作戦を中止させた。この時はヴァンにすぐ止めさせることができたが、今回はそんな暇もなく残酷な手を使われてしまった。これにどうしてもサラとヨハネスは我慢ならない。特に聖職者であるヨハネスは、無駄な被害を作り出したことにも怒っているが、キリスト教の聖地でもあるこの場所を廃墟にしたのも気に入らなかった。それでも彼等は前に進まなければならない。
「これが終わったらヴァンに鉛玉をぶち込んでやろう。そのあとウォッカで乾杯だ」
「いいアイデアだぜヨハネス。言っとくけど給料日前で財布は空だからな」
 そんな会話をしていた矢先、生き残りの敵兵が前方を通りかかる。負傷しているようだが普通に歩いているところから見るに、戦闘は可能と思われる。その兵もこちらの存在に気がついたようで、すぐさまアサルトライフルの銃口をこちらに向けた。無論こちらも同様に銃口を向ける。が、背後に別の気配が。
「周囲を確認しろ、サラ」
「ヨハネスさん、囲まれました! どうやらこちらの動きが読まれていたようです」
「想定の範囲内だ」
 敵は外縁から進行するイスラエル軍とは別に、サムエルへ一直線に向かう戦力を想定していたらしい。あれだけ派手にガンシップを特攻させて狼煙をあげたら、サムエルの命が狙われていることは判るだろう。つまりこの事態は想定の範囲内である。臨戦態勢姿勢を取るヨハネスは聖書を開いてからロザリオを握りしめる。ベルモンドは兜のバイザーを下ろし、魔剣ドラゴンスレイヤーを鞘から引き抜く。サラは軽機関銃を両手に構えた。
「牽制はサラに任せた。私がバックアップする、ベルモンドは各個撃破してゆけ!」
 ベルモンドは珍しく無言で頷くと黒い甲冑を揺らしながら敵に突進する。勿論そんな状況で敵はベルモンドに銃撃を行うわけだが、無論ドラゴンの鱗をライフル弾ごときが貫通するわけもなく、ベルモンドは一気に懐へ潜り込む。ドラゴンスレイヤーでライフルを切断、その勢いを殺さないよう体を一回転させて剣を振りかぶる。鈍い音が背骨を割り、敵を両断する。別の方向からヨハネスに向かって銃撃をしてきたが、彼は法術を使って前方に殺意遮断障壁を展開しているため、その銃弾が彼に届くことはない。彼は努めて正確に、撃ってきた敵の脳天を撃ちぬく。
 障壁が展開できない後方はサラが守っている。影から出てきた敵めがけて惜しみなく弾丸を浴びせるため、迂闊に敵は近寄ることはできない。しかも彼女は不死なので被弾の心配をする必要が無いことが心理的に影響し、かなり正確な射撃がなされている。
 再び敵の方向に一直線に突進するベルモンド。敵兵もカービン銃で迎撃するのだが、超硬質の黒竜の鎧は一切の銃弾を受け付けない。よって彼は敵の懐に入ることになり、瞬速で振られた剣によって敵の体は両断された。
 ヨハネスはベルモンドを狙って銃を構える敵兵に対して銃撃を行う。大体の兵士はベルモンドの派手で豪快な戦いぶりに圧倒され、恐ろしい彼ばかりを狙ってくる。そんな彼には銃撃は効かないものの、RPGロケットランチャー等のHEAT弾を撃たれれば、流石の黒竜の鎧も破損するという。現にその可能性に気がついた敵兵がロケットらしき兵器を使用する動きが見られたので、ヨハネスはその弾頭目掛けて射撃。爆発したHEAT弾が敵兵の体を焼く。勿論狙われるのは派手なやつだけではない、ヨハネスとサラも攻撃される対象だ。
 しかし恐れることはない。この3人には恐ろしくも頼もしい、凶悪な悪魔がついているのだ。彼らは肉を貪り繁殖し、生死関わらず人間に襲いかかる。彼らが繁殖するためにはほんの少しの肉、そして成虫へとなるためにはほんの僅かな火があれば良い。彼らは地下世界の子どもたち、大悪魔ベルゼブブ率いるソルジャーマゴット達だ。
「サラ、一気に片付けるぞ。蛆虫を召還しろ!」
「了解!」
 サラは銃を地面に置き、BDUをまくりあげて自分の腹部を露出した。そして徐に抜いたナイフでその柔肌を切り裂き、内蔵を外に取り出した。小腸を握りつぶし、その中身を吹き出させる。通常の人間であれば小腸の中は消化中の食物が詰まっているものだが、彼女の場合は違う。体内に寄生したソルジャーマゴットが、気味の悪いウジ虫が滝のように溢れでた。その白く蠢く塊を手に一握り、それを負傷して瀕死の状態となった敵兵に投げつける。
「ミスターベルゼブブ! 新鮮な肉よ!」
「やっと出番だな嬢ちゃん。我が名にかけて敵を食い散らかしてやろう」
 ウジ虫の大群が敵の傷口に入り込む。彼らは中から敵の体を貪り尽くし、その肉を契約者であるサラ、そしてサラの体内で隠居生活を送っているベルゼブブに魔力として供給する。その魔力を元にベルゼブブはウジ虫たちを魔界より召喚し、サラの斬り裂かれた腹から生むように出した。はたから見れば帝王切開をしてみたらウジ虫がたくさん生まれたような凄惨な光景だ。サラの兄弟が見たら泣いて喜ぶだろう。
『我が内に凄む蝿の王ベルゼブブよ。骨肉の契約の下に、我に地獄の業火を繰る術を示せ』
 サラはフランシスカに教わった魔法「発火」を使って、足元に燃え盛る炎を作り出す。その炎に次々とウジ虫が飛び込み、熱によって成虫へと変態した。蠅の大群が敵兵全員に襲いかかる。敵は生きたまま蠅に体をついばまれ、表皮、筋肉、骨、内蔵を失う。その死体に卵を産み付けて更に仲間を増やす。敵が一人殺されるたび、蠅達の仲間は数万と増えていくのだ。
 そこで勇敢な敵兵が満身創痍ながらも銃をサラに向けた。銃を置いた無防備な状態で、彼女自身が大丈夫でも後ろに居るヨハネスは危険だ。しかし、彼女に抜かりはなかった。
「蠅さん、シールドフォーメーションを取って!」
 蠅の大群がヨハネスとサラを包む。虫の雲が防御障壁の役割をして、放たれた銃弾を防いだ。敵兵の絶望に満ちた顔。そのまま蠅の大群は敵に襲いかかり、骨も残さない。見渡すかぎり何もない。囲んでいた全ての敵を食い尽くした。
「いやー相変わらずサラちゃんはグロいね。うわ、蠅が口に入っちまったぜ……」と、ベルモンド。
「よし、このまま蠅の大群を引き連れて前進だ。逃げられる前に全速力で行くぞ!」
 ベルモンドの掛け声で3人は狼煙へと直進した。

 狼煙の麓は酷い惨状だった。
 そこら中に金属片やら木片やら家屋だったガラクタが散乱している。勿論それらは燃えており、ビニールが焼けているのだろうが黒い煙を挙げており、そして臭い。鼻をつく異臭は恐らく有毒で、長時間この場に人間が入ればただでは済まないだろう。だが、この場にはまだ人間が残っている。
「動くな」
 ヨハネスは銃を突きつけた。彼だけでなく、サラ、ベルモンドも同様に。突きつけられたのは他でもなく、自分の家を守るために盾となった錬金術師のサムエル。彼は盾となったはいいが耐え切れずに崩壊したネールターミードの下敷きとなり、一命は取り留めたものの左手と左足を切断することになった。瓦礫に挟まれたためである。よって彼は満身創痍で、右手に銃を持つだけの、ただの的であった。
「貴様等……RHKめ……」
「君の雄姿には感動した。敵ながら勲章を送りたいくらいだが、それは無理だろうな。もうじき逝くだろう」
「だろうな。我が人生もこれで終いだ。悔いばかりだが、そんなもんだろう」
「逝く前に天使を返してもらう。君がどういうつもりで彼女を保護したのかは知らんが、我々は彼女を天界へ返す任を負っているのだ」
 その言葉を聞いた瞬間、サムエルの瞳孔が開いた。
「なんだと……? 貴様等は俺を殺しに来たわけじゃないのか!? 天使を迎えにきただと!?」
「君は殺す予定だが、天使は空に返しに来た。決して彼女を悪用しようなどとは考えていない。君こそなにか良からぬ企みをしていたのでは?」
「そう言う奴に限ってなにか企んでるだろ。失礼な、俺は天使を有るべき場所に返したいだけだ」
 ヨハネスも動揺する。二人の目的はまったくもって同じであり、両者が善意だ。流石に状況が読めなくなってきたヨハネスは、一旦銃を下ろしてサムエルに接近する。
「来るな! いずれにせよ、この街を破壊した罪は大きい。都市の護衛の名にかけて貴様を殺す!」
 銃を向けたサムエル。その時、サムエルの守った家から車椅子の女性と、金髪碧眼でTシャツの女性が出てきた。サムエルの妻エスティーと天使アルメルスである。
「あなた、もうやめましょう」
「エスティー! 何故逃げていなかったんだ!?」
「逃げる必要がなくなったからです。銃を下げて、サムエル。この人達は敵じゃないわ」
 よく見るとエスティーの肩には白い鳩がとまっている。こんな所にどうして鳩がいるのか全く不自然だがその通り、彼がこの場にいるのは自然ではない。ヨハネスもまさかとは思ったが、彼が下界に降りていたのだ。
「銃を降ろせ聖職者たちよ。私はアルファでありオメガ。空の創造主、天使の王、全ての人が神と呼ぶそれ、YHVHだ」
 ヨハネスとサムエル、そしてサラとベルモンドに衝撃が走る。彼らが空想上、とは言わないものの、誰もが信じてやまないが、誰もが存在を疑う存在に対面してしまったのだ。魔王が居るのだから神もいるのだろうが、会ってはいないので信じていたといえば嘘になる。
「貴方が……神か?」
「ええい、そうだ。私が神だ。だからとりあえず、ヨハネスはサムエルを治療せよ。このままでは死んでしまう」
「しかし……」
「つべこべ言わずに治療するのだ! 死んだらどうする!」
 ヨハネスは慌てて聖書を取り出し、再生法術を使ってサムエルの治療を始めた。おびただしい出血はあっという間に止まり、傷口はみるみるうちにふさがってゆく。YHVHが力を貸していることもあるが、その傷はあっという間に治ってしまった。しかし、術の限界で欠損した手足はどうしてもそのままだった。
「よろしい。さて、火を消すために雨を降らせたから、話は中でゆっくりしようじゃないか」
 ぽつぽつと音がしてきた。ありえないことだが、YHVHが言った途端に雨が降ってきた。それも直ぐに強くなり、もはや土砂降りとなっていた。年間を通して乾いているこの地でこれ程の雨が振ることは異常気象にもほどがある。しかし、現実はこうだった。
 急いで家の中に入ってゆく面々。歩けないサムエルはヨハネスが肩を貸してやる。天候を操作する程の力を持っているので神というのは本当のことのようだった。
 そして屋内、全員が状況をよく解っていない中、YHVHがテーブルに留まって話し始めた。
「ゴールドマン夫妻、そしてRHKの隊員達よ。君達には天使のために奮闘してくれて感謝している。これからはお互いに手をとりあって協力して欲しい」
「お言葉ですが神よ、彼らは聖地をためらいなく破壊しに来ました。許するまじ行為です」
「まあ聞けサムエル。聖地など所詮君たちが勝手に設定した場所にすぎん。イエス等のメシアが降臨した地が聖地だというなら、パプアニューギニアだって聖地だ」
「キリストはメシアだったのか!?」
「そうだ。メシアとは荒んできた人間の世界に一石を投じる、生まれながらにして救済の使命と権限を持った者たちである。イエスだけではない、モーセ、アブラハム、ムハンマドやノアもメシア。ちなみにお前の妻、エスティーもメシアである」
 さらっと重大なことを言ったYHVH。当のエスティーは口をパクパクとさせながら、目を丸くして驚いている。彼女が無限とも取れる魔力を持って錬金術を行えるのはそれが理由だったというわけだが、他の人間の追求をされる前に次の話題に入った。
「しかし今は歴史の授業ではない、私は君たちの協力を仰ぐために顕界したのだ。彼女、天使アルメルスが天界へ帰るためには、彼女に掛けられた界拘束を解かなければならない」
「我々の使命はそれを解くことと? 何をすれば良いのでしょうか?」と、エスティー。
「エルサレムに住んでいる君等には大変申し訳ないが、その術式は街の至る所へ施されている」
 サムエルは街中に書かれた呪文を思い出してしまった。
「まさか全部破壊しろと?」
「悪いがそうだ。君等の書いた落書きは全て消す必要がある。つまりこの旧市街を更地にする必要が有るのだ」
 全員が唾を飲む、そんな雰囲気だ。まさか天使を返す為にこれほどまでの代償が必要とは、誰も想像していなかった。だがこれでルシフェルがためらわずに市街地を破壊したこと等の説明がつく。しかし、この街を灰燼に帰すことに抵抗がないわけではない。それはここに居る全ての人間、信徒である彼らはそうだった。
「術式の施された建築物だけを破壊すればいいのではないでしょうか……?」と、サラが提案する。
「岩のドーム、聖墳墓教会、嘆きの壁を破壊すれば呪文の消去は可能だ。しかしこの街の構造自体が複雑怪奇な魔方陣として機能しているため、呪文の消去だけでは不十分だ」
 3宗教が代々受け継いで記述してきた天使降臨の術式は、エルサレムの宗教建築に壁画などの形で記述されている。壁画なら消すのは簡単だが、中には壁画に上塗りされて描かれたものもあり、単純に消すことはできないし、そもそも数百年続けてきたことで、何処にどの様に術式が施されているか把握している者は居ない。
 残酷な現実が突きつけられている。全員、椅子に座ったままでしばらくの沈黙となった。敬虔な宗教家であり神の僕であるヨハネスとサムエルさえも、この神の意見に賛同することに躊躇している。結局のところ神の意見など二の次で、人間は自分たちに有益である行動しか取ることができない。神の意見に賛同するにはまだ材料が必要だった。
 そこでYHVHは言う。「西暦以前、荒廃したユーラシアで悪行が横行した頃、それら全てを消し去るために私は強硬手段を取った。有名な話だろうが知っているだろうか?」
「ノアの方舟。旧約聖書に載っていた」
「そう。我々神は行き過ぎた流れが人間界に横行する時、その流れを調節する役割を持つ。あの時は大陸全体が対象だったが今回は違う。君たちの問題はここを破壊するだけで済むと思うのだ。最近はアブラハムの宗教間で対立することが増えている。それどころかユダヤ人に関しては同じ宗教で対立している有様だ。まだ宗教対立ならいい、現代はその宗教対立を建前として、経済的利益を求めたりする輩まで居る。だからここで一石を投じるのだ。理解できるか?」
 ヨハネスが答える。「争いの種であるこの街をメシアが破壊し、争う理由を喪失させるのか」
 だがここで一つの疑問が浮かぶ。「我々が破壊しては、立場的に危うい。それはRHKにとっても同じであるし、ユダヤ人であるサムエルにとってもそうだろう。我々が破壊することは難しい」
「全ては演出次第だ。つまりはこの街を”神の意志”によって破壊されたかのように演出してやればいいのだ。人間が壊したとは全く思えないような、壮大かつ神秘的なやり方によってな。この辺は専門家に聞いたほうが手っ取り早いだろう、なあ、ヨハネスよ」
「まさか……その専門家というのは魔王の事を指しているのですか、神よ!?」
 ヨハネスは声を荒らげて驚いた。無理もない、神を信仰している聖職者が、神が悪魔に頼れと答えたのだ。
 ルミナス等はヴァンとYHVHの会話を聞いていたりして神と魔王の関係を知ることが出来たが、ヨハネスはそんなことを知るよしもなかった。ヨハネスは失望感に襲われたが、それは人間の勝手な思い込みによるものである。所詮人間は神にとって、食料を生産する存在にすぎない。搾取の対象である。
「魔王だと……? 邪悪な存在と貴様等RHKはどんな関係だ!」と、サムエル。
「魔王ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタは悪魔の王だ。我等RHKは、セルビア王家と契約した魔王の名の下に結成された傭兵部隊なのだ」ヨハネスは悔しそうに説明する。
「神よ……貴方は本当に神なのか? 本当は人をたぶらかす悪魔ではないのか?」
 YHVHは首を横に振る。「疑うのも無理はないが、事実だ。正極があって負極がある、それが理りである。君たちの感情を考慮して、私は都市の破壊を君たちに強要しない。罪のない人々が避難することを手伝ってくれ。この街を一旦リセットすることに賛同するものだけが、破壊工作に協力してくれ」
 人が超自然現象に近い存在を目の当たりにした時、それがまさに今である。この一匹の鳩は本当に神なのか、実は悪魔なのか。既に悪魔という存在に触れているRHK隊員達でさえ、この判断を下すことは簡単ではない。
「私は住民の避難を手助けします。ソルジャーマゴッツは死体が居ないと効率的ではないですし、どう考えても悪魔的過ぎて神聖なイメージは出せません」と、サラは言った。
「俺は剣術ってのが派手すぎて身元が割れちまう。こう考えると非正規作戦は難しいな」
 協力できる人間が限られているため、必然的に悪魔の力が必要だった。ヨハネスは決していい気分はしなかったが、YHVHの提案は確かに魅力的である。この悪魔的手段を取ることが出来るのは他でもなく悪魔だけだろう。そう考えた彼は本部のある基地へと連絡をとる。

 イスラエル軍基地に帰還したルミナスはヴァンとルシフェルを呼び出した。その目的は明らかなため、ここでは書かない。あえて書くとすれば、彼女はキレていた。サイレンサーを付けたサブマシンガンを用意している。ドアを開けて部屋に入ってきた二人に向けて、有無を言わさずそれの引き金を引いた。ヴァンの盾となったルシフェルが蜂の巣になる。
「ヴェーデルハイム、ルシフェル。……あれは何ですか」
「丁寧に説明したでしょう? 2度同じことは言いません」
 ルシフェルは平坦なトーンで憎たらしい言葉を吐く。ルミナスは思わず拳を握りしめるが、無駄だということを言い聞かせながらその手を開いた。人間的な感情を押さえる。マシンガンをテーブルに叩きつける。
「……これからのプランはあるのですよね?」ヴァンを睨みつけながら聞く。
「天使の居場所は把握できた。それを救出した後、その天使を天界へ帰す儀式を行うのだが、そのためには幾つかの術式を破壊する必要がある。それは旧市街そのもの、あるいは宗教的建物全てだ」
「天使を帰すためにこの街を破壊する必要があるのですか? ちょっと待ってください、そんなことをRHKはすることは出来ません。明らかに侵略行為としてみなされますよ」
「理解している。そこで我々はこの作戦を正規のものとして見ない。後は解るな?」
「非正規作戦を……しろというのですね」
 RHKインターナショナルは正規に受注した正規戦争の一環として行動せずに、全く単独の、しかも雇い主が望まない破壊を行う。発覚すればRHKの信用にも関わるため、並大抵の覚悟で行うことは出来ない。しかもこの作戦を行う主な目的が人間側の都合ではなく、悪魔や天使といった非人間側の都合によって行われるものなのだ。これを人間に協力を求めることは筋違いとも取れる。少なくともルミナスにとってはそうだった。
「この作戦に参加するかは人間の意志を尊重しよう。ただこの作戦は文字通り『神』の意思によるものだ。もしもお前たち人間が神に対しての信仰を持つならば、この栄誉ある作戦に参加させてやっても良い」
 ルミナスは表情を変えずに答える。
「私は決して参加できません。女王自身が非正規作戦に参加することは出来ませんので」
 その言葉を発したとき、旧市街に潜入していたエンプレスソード隊の通信が入った。その声の男はある意味、この場に居るべき人だった。
「こちらエンプレスソード隊のアブラハム。エルサレムの破壊作戦、私にも手伝わせてくれ」
 思いもがけない提案であった。この悪魔のような所業に手を貸すなど、聖職者としては本来有り得ない。しかし彼はこの作戦に参加する意思を表明したのだ。正直な所、ヴァンは人間の協力など期待していなかったので、これは予想外の展開である。
「どうした、気でも狂ったか神父。貴様等人間の協力を得なくとも、我々は勝手にやるつもりだったのに」
「神に事情を聞いた。お前たち悪魔だけにこのような重要な問題を任せるわけには行かない。どうせたくさん殺して、壊して、全てを灰燼に帰すような手段をとるのだろう? それならば事を起こした人間に尻拭いをさせてくれ、もう少しまともな解決策が導き出せるだろう」
 ヨハネスは何でもかんでも残酷な手段をとる悪魔に、このような破壊行為を任せるわけにはいかないと言った。
 確かに人間が力を加減してこの作戦を実行すれば、少なくとも悪魔よりも残酷ではない方法が取れる。人間は殺すことそのものに喜びを覚えるものではないとヨハネスは考えている。それは血の通った心があるからであり、手段と目的が曖昧となった鉄の心臓を持つ悪魔よりも、人道的になれるはずだ。
 ヨハネスは理解していた。彼らは、悪魔たちはそのような倫理で動く存在ではない。ましてや彼にはルミナスのように契約上の強い拘束力を持っていない。これはあくまで提案でしか無く、これを強制する権限はない。
「破壊することに関しては一流の魔王だろ? こっちには黒鉄のサムエルと、天然のメシアがついてる。人間と神と悪魔が手を組めば、不可能はないはずだ」
 ヴァンは考える。期待していなかった要素が期待できるようになった。神の協力は折込済みだが、少数ではあるが強力な人間が力を貸してくれるという。何よりも人間が作ったツケは、人間自身で払いたいというヨハネスの言葉に関心していた。とは言え、やることはほぼ変わらない。
「いいだろう。人間共の意見も汲み取ってやる。要は殺戮を最小限に抑えればいいんだろ?」
「そうだ、殺すべき対象を限定するんだ。間違ってもエルサレム市民やイスラエルの非戦闘員を葬ってはならん」
「で、誰を殺してよくて誰を活かすべきなのかね?」
「人間がどの人間を殺しても良いと判断することは傲慢ではないだろうか? 私はむしろ、お前に問いたい。神の立場として、誰が罪人なのだ?」
 ヴァンはエルサレムに巣食う問題について自信の見解を述べだした。それは人間視点ではない究極の客観的意見であり、人間が言うよりか遥かに信頼できる話だ。ヴァンは「人間すべてが罪人」と言いたい気持ちを抑え、魔王に寄る有罪判決を言い渡した。
「そもそもの問題はシオニストにあるだろう。ユダヤ人は故郷を追い出されたわけで、帰りたいという思いを持つ権利は存在する。しかしユダヤ人とは何だ? サムエルを見れば判るだろうが、彼らは違う人種だ。どうして白人のユダヤ人が居る? キリストはユダヤ人だが、白人ではない。今のユダヤ人はユダヤ教徒の人間であり、彼らの故郷はエルサレムではない。宗教家なのだから聖地に赴きたいという思いはあって当然だろうが、故郷でもない土地を故郷だと言いはり、金にモノを言わせて占領するのは善い行いか? 無駄な争いを起こさないことが人間の正義ならば、これは正義に反するだろう。同じ神を信じる者同士、仲良くやってればいいのだ。その和を乱すもの、互いの宗教を否定する者共が、この世界の悪であろう」
 ヨハネスはそれを聞いて反論はしなかった。ルミナスも同じく、異論を唱えない。全ての人間が理解しているはずの単純なことだった。違うものを否定し、消してやろうとする奴が消えれば済むのだ。ヴァンの言う罪人を具体的に言うと、先ずはイスラエル正規軍、それを肯定し援助するアメリカ軍、エルサレム内部の反シオニズム勢力、つまりは戦争のすべての役者である。もちろんこのままではサムエルも死ぬべき存在である。
 ヴァンはヨハネスに、サムエルに受話器を向けるように命令した。
「聞こえるか、サムエル」
「貴様が魔王か、しかし、話は聞いていた……」
「そこにヤーヴェが居るんだろ? どういう訳かヨハネスとお前の手を取り合わせたようだが、それは何を意味するのかもう解るな?」
「争わず、手を取り合え。神はそう望んだ」
「正解だサムエル、解ってるじゃないか。ヨハネスとサムエル、お前たちには神罰の代行者となってもらう。自らの意思で神と契約し、争う者共を駆逐するのだ。その時のお前たちは人間的感情を捨て、聖者として戦う。私は神の友人として、お前たちを後方から支援しよう。湯水の如く魔法を使ってやる」
 ヴァンは殆どを彼らに任せることにした。人間は神の代理人としての仕事を引き受けた。まさにこれは人間と神の傭兵契約である。

 翌日、サムエルとエスティーはRHKの護送により、イスラエル軍基地に収容されることになった。2人はこのエルサレム制圧作戦の最終目標であり、これにてRHKは期待される役割を全うすることになる。RHKに仕事を依頼することを決めた将軍からはこれ以上ないほどの賞賛を浴び、RHKは更にその名声を高めることになった。だがこれもヴァンの手中にある出来事である。
「指定額の入金、確かに確認致しました。これにてRHKの作戦行動は終了いたします」引渡しと同時に入金を確認したルミナスは、領収証にサインをした。それを将軍に手渡す。
「正直言って信じられない。海兵隊のやらかした失態をまるであざ笑うかのように、完璧に任務を遂行するとは……。1国を脅かす存在とされたあのサムエルを、隻腕といえど生きたまま拘束し、しかも隠された切り札であるその妻まで……。一体あなた方は何者なのですか?」
「何者もなにも、我々はセルビアが誇る最強の兵隊です。与えられた任務は確実に遂行します。生活がかかっている我々は、国軍よりもずっと真剣ですからね」
 ルミナスは海兵隊のアーレルスマイヤー大佐の目の前で、挑発的な言葉を口にする。今回のガンシップ墜落によりアメリカ海兵隊は大恥をかくことになったため、このように嘲笑されるのは屈辱である。屈辱だけならまだしも、今後の信用問題にも関わるため、彼らにとっては看過できないであろう。しかしアーレルスマイヤーは努めて冷静である。
「今回の失態により多くの戦友を失ったことが何よりも悔しい。結果としてはガンシップ墜落によりサムエルが負傷したとはいえ、とても心残りだ。……悪魔に取り付かれたとしか思えない」
 ルミナスはその言葉にひやりとしたが、記憶の消去は万全であるため動揺はしない。災厄が悪魔の仕業と捉えられることは多々あるのだから、気にするほどのことではない。
 ペンを胸ポケットに閉まった彼女だが、3人はまだ立ち去る様子は無い。彼らは今回の作戦の勝敗以上に気になる事があった。それはRHKの提供する戦力以外の商品であり、核保有国である彼らにとってこれほどまでに重大な商品はなかった。切り出された話の内容は案の定、魔界式完全防護結界『HYMEN』の商談だった。
「先日頂いたパンフレットを拝見させていただきました。半信半疑ではありましたが、作戦中に飛来したサムエルの砲弾を相手にした実機デモを見まして、非常に興味がわきました。是非我々も配備したい」と将軍。
「あれは本当に弾道ミサイル防衛にも使えるのか?」何時になく真剣にアーレルスマイヤーは聞く。
「はい、使えます。保護区域に対するあらゆる攻撃を無効化します。それはもちろん核弾頭にも有効です」
「失礼を承知で聞くが、あんたは正気か? これを使えば核抑止力が意味を成さなくなる。それが世界に与える影響を考えていないなんてことは無いだろうが、わかっているんですよね? これが、どういう意味か」
 アーレルスマイヤーは直接言葉にすることを避けているが、つまりはこうだ。「敵性国家に利用されると核保有国であるアドバンテージが失われるのだが、まさか自国以外に契約するなんてことは無いだろうな?」ということだ。
「平和への第一歩だと考えていますが、それ以上の何があるのでしょうか」
 ルミナスのこと一言がどれほどの矛盾を孕んでいるか。それはもう三千世界を埋め尽くす程である。殺しを生業とする傭兵部隊が、平和だの何だのと馬鹿げている。しかし、RHKの腹の底は黒すぎて彼らには見えない。RHKがわざわざ手間をかけてデモンストレーションをしたということは、「敵に使われたくなければ契約しろ」ということである。RHKは世界唯一の殺傷力のない抑止力を持っているに等しいのだ。
「……契約条件は?」迷いなく、単刀直入に聞くアーレルスマイヤー。だがここでヴァンの悪魔的契約方法が顔を出すのだ。ルミナスはヴァンの教えどおりに進める。その、悪魔の契約を。
「我々が希望する契約条件はこちらの冊子にあります」彼女は冊子を2人に渡した。アーレルスマイヤーは目を丸くして驚くと同時に、大口を開けながら笑い出した。
「はっはっはっ、何かの冗談だろ? 年間使用料がGDP比1割に相当する額で? 対セルビア債権の無条放棄? その他輸出入関税の調整に入国ビザの緩和? またまた失礼を承知で聞くが、女王陛下は正気でしょうか?」
「私は正気ですよ。核攻撃を防げるのですから其れ位の条件は妥当かと思います。人の命は何よりも優先されるべきことですからね」
「1万歩譲って債権取り消しやFTA関係の法整備は議論の余地があるでしょう。しかしこれほどまでに我が国が不利な条件を聞いたことがない。核兵器から実を守る術を得る代わりに、セルビアの奴隷になれというのか? 我らが自由の国が?」
「別に無理して契約していただかなくとも結構です。そう……他にも契約を名乗り出ている国は沢山あります。私たちは報酬さえあれば誰とでも契約しますので」
 とは言うものの、他の国々にはここまで厳しい条件は提示していない。ボッタクリもいいところだが、今回のRHKは報酬を得ることが目的ではないので、あえてここは法外な値段を請求している。
 しかしその条件を飲もうと考える馬鹿がいた。イスラエルの将軍である。
「前向きに検討させていただくよ、時間をいただけますか?」と時間的猶予を求める将軍。しかしルミナスはその足元のみを見ている。まるでヴァンのようにその男を、釣れた魚のように見ていた。
「ええ、しかし直ぐに返事をいただけない場合はGDP比8割にさせて頂きます。只今セール期間ですので、過ぎた場合は通常価格に戻させて頂きますわ」
 追い込みをかける。これぞ魔王直伝、悪魔の契約。譲歩したらそこに漬け込むのだ。
「あんたは契約させる気があるのか?」
「ありますよ。貴方方がセルビア王家に忠誠を誓うのであれば、我々の強大な力の加護の下に置きましょう」
 ルミナスの余りにも高慢な態度に、将軍とアーレルスマイヤーはパンフレットを返却した。
「悪いがとても飲める条件じゃない。常軌を逸している」将軍は基地の何処かへ去っていった。
「これを売る相手はよく考えたほうがいい。私が言う言葉の意味をよく考えることだ」
 まるで捨て台詞のようなものを吐いて去るアーレルスマイヤー。ルミナスは直後、念話によってヴァンに話しかけた。
「これでいいのですか、ヴェーデルハイム」
『ああ、これで交渉は決裂。イスラエルを守る物はなくなり、あとは”爆弾”が起爆するのを待つばかりだ。お前も早く基地から離れろ』
「殺戮はさらなる殺戮を呼びます。皆殺しが平和につながるなど、到底信じられないのですが」
『だから特別に派手な皆殺しをするのだ。到底人間がやったとは思えない程に、芸術的な殺戮をな』

 イスラエル軍基地の地下にある独房に、サムエルとエスティーが収容された。一応は拘束具によって身動きが封じられ、猿ぐつわもされており呪文の詠唱はできない。しかしそんなことは些細な問題である。
 僅かにある独房の影から浮き出る人影。その影は人の姿を取り、ゆっくりと監視員に近づいた。蛍光灯の明かりのせいではなく顔面蒼白であり、人とは思えない銀色の髪はアルビノを彷彿させる。監視員は銃を向けた。
「なんだ貴様。いつからここに居た」
「知っているか人間よ、今貴様等が使っているその銃は、炎で意味を成していることを」
「こちら独房、侵入者だ。警戒態勢をとってくれ」
「無駄だ人間、その無線機の回路は既に焼いた」
「何を言っている……ん? 通信できないだと、おい、応答しろ」
「知っているか人間よ、火の力を与えたのは誰か」
「宗教の話か? 知らん、俺はユダヤ人だ。聖書は読んだことがない。とにかく手を頭の上に乗せ……」
「ふざけるなよ畜生が。地獄の業火でアナルファックしてやる」
 ルシフェルは何の動きも見せないままに魔法を発動し、男のケツの穴から火柱が伸びた。あっという間に監視員は火に包まれ、ひどい臭いすら発する暇もなく炭化した。本来は”光を与える者”として火を扱う彼女にとって、火炎制御は世界で一番の腕を持つ。その力は魔王の許可さえあれば、1国を火に包むことなど造作も無い。彼女はその火を使って独房のドアを溶かし、中のサムエルとエスティーの拘束を解いた。
「約束通り拘束を解いた。感謝しなさい人間共よ」
「堕天使ルシフェル……まるでお伽話だ」
「ありがとうございますルシフェル。これで私達は使命を果たすことができます」
 ルシフェルは腕を組みながら二人を見下す格好を取る。その瞳の奥には地獄の業火が渦巻いており、直視しただけで二人は心の底から恐怖を覚えた。先日、ガンシップをサムエルに向けて落としたのはルシフェルであることを知らされた二人だったが、ひどく納得がいった。あんな所業を人間が出来るとは思えなかったのだ。
「貴様等はこれからどうするつもりだ?」ルシフェルが聞く。
「この基地を木っ端微塵にする。我が錬金術を持ってすればこの程度の基地、ましてや内部から破壊できるとなればいとも容易いだろう」
「その動機は、やはり憎しみか?」
 その問いにはエスティーが答える。
「今の世界はアシュケナジムが強い権力を持ち、アメリカを始め、多くの国がその権力下にあります。我々は元々この地に住み続けているにも拘らず、彼らはエゴイズムにも等しいシオニズムを掲げ、力によってこの土地を手に入れようとしています。武力に寄る帰還、それが最も許せないことなのです」
「我々ネトゥレイ・カルタは偽りの故郷に群がるシオニストを追い払いたい。武力に対して武力を持って制することは最適解でない事は理解しているが、我々にはもはやそれ以外方法がない」
 ルシフェルは鼻で笑った。
「所詮は人間のやることですね」
「悲しいが事実だ」サムエルは苦虫を噛み潰したような顔をしながら答える。
 エスティーが錬金術によって、手元にチョークを生み出す。そのチョークを使って独房の床に魔方陣を描画し始めた。現代兵器のゴーレムであるネールターミード召喚の陣である。
「所で貴方方はどの様にしてここを破壊するつもり? また銃やら爆薬やらでつまらない花火を上げるのか?」
「つまらないとはなんですか。この程度の基地であればネールターミードで事は足ります」
「貴方はヤーヴェの話を聞いていたの? 我々は非人間的とも言える力で敵をねじ伏せることにより、エルサレムは不可侵と教育することも目的なのよ。まだ対処できると思わせるようなやり方では、いつかまたエルサレムをシオニストは盗りに来る。もっと刺激的なプランが必要よ」
「そんな事言われても……ねぇ」
 エスティーとサムエルは顔を見合わせて疑問を表情に浮かべる。その姿を見てルシフェルは表情を変えずに溜息を付く。そして、手元に赤々とした炎を舞い上がらせた。
「私は人間に火を与えたことがある。そいつらの頭はピーマンに等しかったが、生命力は強かった。先進文明とのバランスを取るために、私は魔法として火炎を御する術を与えた。私にはその権限がある」
「俺達に火の使い方を教えると? バカにするな、我々は既に知っている」
「ええ、知っている。しかし人間でさえ手に余るあの力を自在に、且つ安全に使う術があるとしたら、ほしい?」
「手に余る力?」
 ルシフェルは手元に黒い石のような物体を生み出す。それを握りつぶすと、赤熱しながら融解、地面に滴り落ちてゆく。冷えて固まったその形、象の足には見覚えがあった。
「核反応。我々はこれを地獄の業火と呼ぶ。これは燃焼とは異なる化学反応だが、我々悪魔にとっては延長線上にある。あらゆる物質を核反応させ高温を得る術を教えてやらんでもない、しかも、安全にな」
 ルシフェルの手元にある石は、適当な場所にあった石であった。しかし悪魔の手にかかれば火を扱うかのごとく、それを核反応させることが出来るのだ。いわば燃えないものでも燃やすことが出来る魔法であり、弾道ミサイル等の技術を持つ二人にその術があれば、多くの大国と渡り合うことが出来よう。
「この世の全てを燃やし尽くすこの力が欲しいか? 欲しいでしょう?」
「いらん」サムエルは即答した。
「何を言っている。もっと派手な殺戮を必要とするのだろ? 皮膚がただれて逃げ惑うシオニストを見たくないのか?」
「俺達は人間だ、悪魔じゃない。悪魔の所業が出来るほど心は侵されていないんだ。いいかルシフェル、俺は聖職者として悪魔の施しは受けない!」
 立ち上がるサムエル。召喚される黒い鉄の塊、ネールターミード。天井をぶち抜いて現れたそれに乗ってサムエルとエスティーが外に出た。警報が鳴り響く。
「俺達はRHKと違って自らを偽る必要がないんだ。俺はエルサレムの民として、ユダヤの司祭として、この地を守り続ける。決して他を侵略することはない」
 非人間的な破壊を行うのは、それが人間の仕業とは思われないようにするため。サムエルはあくまで基地に囚われたイスラエルの敵であって、かつての盟友などではない。だから彼が牢屋を出て破壊活動をすることは至極当然のことであり、彼らが基地で暴れた所で何の問題はない。
「だからルシフェル、手前は神父の手伝いでもしていろ。地獄の業火は俺が作る、今、此処でな」
「……判った。しかしその前に、私の役目を果たさせろ」
 黒鉄の塊から眺めるイスラエル軍基地。ルシフェルは地平線に向けてその細い腕をかざし、魔界の言語で炎の力を呼び覚ます。基地を囲む円周上が、沈む夕日よりも赤く染まりだした。溶岩の噴出である。
『赤く滾れ、我が炎よ。愚かな人間どもを取り囲み、共に宴を開こう』
 人間からすれば全く聞き取れない速度で口ずさんだ呪文。ネールターミードに立つルシフェルを中心とした、地平線の円周が溶岩の噴出とともに陥没する。それは基地を囲む溶岩の溜まった渓谷となり、この基地を孤立させた。ルシフェルはこの基地を文字通りの陸の孤島へ仕立てあげたのだ。
「もう誰もこの基地から逃げ出せない。愚かな人間は空へ飛ぶだろうが、お前なら簡単に撃ち落とせるでしょう」
 その言葉を残してルシフェルは影に消えた。黒く光るネールターミードには、サムエルとエスティーのみが立っている。そして彼らは目立ちすぎており、多くの兵士に銃を向けられた。
「エスティー、君はいつもどおり魔力の供給と弾薬の供給を頼む。今日は家じゃないから、ネールターミードの中が一番安全だな」
 しかしエスティーは首を横に振る。「あなたは一つ順序を忘れているわ」
 サムエルはほんの一瞬考えた後、笑顔でエスティーを見つめた。車椅子の彼女に合わせて屈み、両肩に手を下ろして距離を詰める。
「行ってきますのキスがまだだったな。ああ、愛しているよエスティー」
「私もよサムエル。お互い無事でね」
 軽いくちづけを交わした後、エスティーは車椅子に乗ったままネールターミードのハッチを開けて内部に潜った。
 サムエルはすぐに立ち上がり、懐から設計図を取り出す。慣れた手つきでページを開き、そのページと兵器名を口にした。
「設計図555ページ、短距離弾道ミサイル。弾頭部、ニトログリセリン。数量、10発。発射装置は586ページ参照」
 サムエルは服に取り付けられた無線機を通じてエスティーに連絡する。時間のかかる錬金術は彼女に任せ、彼自身は比較的簡素な兵器を生成し、強力な重火器を多数搭載したネールターミードとともに戦うのだ。
 ネールターミードの全身から砲塔が伸びた。全てが榴弾砲であり、ありったけの炸薬を詰め込んだ榴弾が装填されている。サムエルが足元に生成されたボタンを踏むと、それらは全て一斉に発射された。基地前面が火に包まれる。建物は破壊され、全てが灰燼に帰す。同時に兵士たちも消し飛んだように、さっきまで銃を向けていた輩は姿を消していた。
 ネールターミードの頂上部分より伸びる鉄筋コンクリート。それらはまさにロケットの発射台であり、みるみるその箇所にはミサイルらしきものが生成されてゆく。エスティーが設計図通りにミサイルを組立てているのだ。これほどまでに大きい兵器を作るには相当の魔力が必要で、サムエルでは手に負えない。そこでメシアである彼女が巨大兵器の生成を担当するのだ。
『生成完了』エスティーが無線連絡をする。
「目標、イスラエル国会議事堂。テルアビブ、アメリカ大使館。それぞれ5発づつぶち込んでやる」
『発射します』
 轟音を上げてミサイルが空へ向かった。連続して10発が発射された。これだけ発射すればミサイル迎撃システムの妨害があっても、少なくとも1発は届くだろう。仮に全て迎撃されたとしても、また打ち上げればいい。これが黒鉄のサムエルと恐れられる所以である。彼は個人でありながら、弾道ミサイルを何発でも打つことが出来る数少ない人間なのだ。
「さあ、もっとミサイルを作るんだ。まだまだ潰さなくてはならない施設が山ほどあるからな!」

 サムエルが暴れているその頃、エルサレムを一望する丘の上に人影があった。偵察の悪魔が持つカメラからの映像を、手元のタブレットPCより伺うのは魔王であった。彼は火の海となっているイスラエル軍の基地を見ながら、酷く禍々しい笑みをうかべている。口元が大きく歪んでいた。
「ああ、懐かしい。我が故郷の業火を思い出すようだ。なあ、ルシフェルよ」
 彼の隣に現れた影から浮き上がる人間の形をしたもの。ルシフェルがトレーを持って現れる。トレーには赤ワインとブルーチーズのスライスが乗せられており、彼女はそれをゆっくりとヴァンの座っているテーブルに降ろした。ヴァンがグラスを手に取ると、ルシフェルがワインを適量注ぐ。
「さてと、久々にあの魔法を使うかね」
 テーブルの上に1枚の地図が広げられた。その地図は単なる紙ではなく、羊皮紙であった。その紙に描かれている地図の線は弱い赤色の光を放っており、何よりもその地図はこの周辺、すなわちエルサレム旧市街を表していた。地図上には既に幾つかのバツ印が記入されており、それらは岩のドーム、嘆きの壁、聖墳墓教会の位置である。
『雷雲よ、我が呼びかけに応えよ。この地に群れをなして、この空を覆いつくせ』
 ヴァンは人間には聞き取れない魔界言語によって空に命令を下す。その瞬間、エルサレムの中心に向かって強い風が吹き始めた。周辺の雲を一点に集めているのだ。死海から蒸発した水蒸気によって発達した積乱雲が、魔力によって作られたジェット気流によって旧市街に運ばれる。たちまち旧市街の上空は黒く、分厚く、禍々しい暗雲に包まれてしまった。
『雷雲よ、よく集まってくれた。悲しきこの大地において、その涙を落とすことを許可する』
 集まった暗雲より極大粒の雨が降り始めた。その雨は激しさを加速度的に増していき、この地方では考えられないほどの雨量によって、やがて土は水を吸いきれず、乾いた大地に川を創りだした。
『雷雲よ、我が示すこの場所に、その雷を落とせ。愚かな人間の作りし物を、完膚無きまでに破壊するのだ!』
 嘆きの壁にある印を指さしながら詠唱した。すると天から目が焼けるほどに眩しい光が、嘆きの壁に直撃した。絶縁破壊によって壁は粉砕された。これにより天使を拘束する術式の一部が解除された。雷は次々に建築物を破壊し、岩のドーム、聖墳墓教会も粉々に砕けた。その様子を飛行する悪魔がビデオカメラに納め、その映像をヴァンが確認する。
「どうだルシフェル、この壊れっぷりは。嘆きの壁は木っ端微塵で、もう誰も嘆くことはできない。聖なる岩は小石となり、崇拝するにも値しない。宗教家は泣いて喜ぶだろう」
 ヴァンは子供のように無邪気に笑いながら、タブレットPCの画面をルシフェルに見せた。
「お見事ですヴェーデルハイム様」
「雷雲による破壊活動は継続するとして、次に天界のゲートを開く必要があるな。何処がいいと思う?」
「ゴルゴダの丘、現在の聖墳墓教会が適切と思われます。いかがでしょう」
「そこにしよう。ヨハネスにアルメルスと聖墳墓教会跡地に来るよう伝えておけ」
「彼らに天使の護送をやらせるのですか? 人間にそのような重要な仕事を任せてしまうのは危険かと。この私が参りましょう」
「いいのだルシフェル。奴は宗教家としてでなく、一人の人間として我々に協力することを選んだのだ。俺は部下である奴の意見を尊重し、その任務を彼に任せた」
「一人の人間として? 彼はただ神を信じる宗教家として天使を送りたいと考えているだけかと」
「信じれば救われるとは限らない。神は悪魔を許さないなんてことはない。神は人間を救うとは限らない。人が神に抱く多くの幻想が幻想でしか無いということを理解した上で、あの男は聖書を手に、天使を救う。その理由を知りたいとは思わないか?」
 全ては幻想である。神と悪魔は切り口こそ違うものの、人間を食い物にして生きる存在である。神父ヨハネスはその事実に気がついているはずなのに、まだ戦い続けている。ヴァンはその理由に興味があった。
 葛藤しているような状態では、このような危険な任務に身を投じることはできない。神を信じることでその力を発揮する法術を使用するためには、まっすぐに神を信じる必要があるためだ。神の存在について疑念があるようでは法術をまともに使用することは出来ない。それはすなわち任務を全うできないということを意味する。しかしヨハネスは戦うことを選んだのだ。彼の中にある結論は何か、ヴァンはこの任務を与えることで知ろうとしている。それを知ることはつまり、人間の新たな側面を見ることである。
「俺は俺を倒した人間という存在を深く知りたい。人は我らに搾取される存在だが、我らは彼らを見下すべきではない。殆どの人間は取るに足らない愚かな存在だが、中には足る者も居る。事実、我らは一度敗れた。だからルシフェルよ、先ずは彼の戦いを見てみよう。いつかまた人間を使役するその日のために」

 同時刻、エルサレム旧市街。廃墟の真ん中に佇むゴールドマン亭には、天使アルメルスとヨハネスが待機していた。ヨハネスの任務は天使を天界まで護送することである。破壊工作については悪魔たちが行うことになっており、界拘束の術式を解除し次第、聖墳墓教会に開かれるゲートを通じてアルメルスを送還する。それまでの時間、ヨハネスはある術式を準備していた。
「これでいいでしょうか?」と、アルメルスはペンの蓋を締めながら確認する。
 おぞましい姿であった。上半身裸のヨハネスの体は傷もなく、軍人にしては綺麗な方だ。しかし彼の肌にはびっしりと刺青の呪文が施されており、普段は服を着ていて露出しない部位全てがそれで覆い尽くされていた。ペンで書き足された部分は天使が書いたということが強い意味を持ち、魔力の供給量を飛躍的に増大させている。これならば滅多なことで死ぬことは無いだろう。ヨハネスはそれらを鏡で確認する。
「これらの呪文……読んでみましたけども全てイエス・キリストの言葉ですね。これはどうしたのですか?」
「セルビア正教会に伝わる再生法術です。人を癒すために必要な言葉を全て人の体に書き写すことによって、魔力の供給がある限り人を癒し続ける。人体が欠損する程の重症には対応しないが、銃創から骨折までの幅広い負傷を、自然治癒力を増幅させることで高速に回復することが可能です」
 グールであるサラや悪魔たちと違ってヨハネスは人間であり、己の命を軽視するような戦い方はできない。しかしこの再生法術があれば、彼らと同じとは行かなくとも人の限界を超えた力を発揮することができる。これにヨハネスが得意とする殺意遮断障壁を展開すれば、向かうところ敵なしであろう。しかしヨハネスはこの術式を単なる回復には使わない。それは回復という意味を突き詰めた利用方法だった。
「さらにこの術式は疲労を無効化する事ができます。神の加護にある限り空腹は無く、集中力も切れず、全速力でいつまでも走り続けることができる」
 ヨハネスは所詮、単なる人間である。サラのように魔力の限り再生し続けるような体ではないから、本来であれば疲労に寄る集中力の低下、射撃精度の低下は避けられない。しかしその弱点を、全身に術式を施すことによって補うことが出来るのだ。
 ヨハネスは服を着て外に出る準備を始める。防弾チョッキは足かせになるだけなので必要はない。必要なのは銃弾と銃、そしてナイフと聖書だけである。
「天使よ、先程ヴェーデルハイムから連絡がありました。ゴルゴダの丘に天界のゲートを開くそうですので、我々も早速向かいましょう。外は地獄絵図となっているようなので、私からはぐれないようについてきて下さい」
「地獄絵図?」アルメルスはヨハネスと共にドアの外の光景を目の当たりにする。
 全ての建築物は瓦礫と化した。アルメルスの記憶にある数時間前のエルサレムはもう無い。道は焼け焦げた木材が散乱し、集中豪雨の所為か酷くぬかるんでいる。比較的乾燥しているこの地方としては信じられない気候だ。そのせいで燃えた建物は既に鎮火しており、炭もわずかに暖かいだけだ。石造りの建物は単なる石の山となり、歴史ある建造物はその意味を失っていた。しかし、その光景を見たアルメルスの反応は、ヨハネスにとってはショックなものだった。
「酷い光景です。やはり悪魔のやることというのはいつ見てもおぞましい物です」ヨハネスは嘆く。
「いいえ、あなたは理解していません。これでも魔王は手加減をしているのです」
「なんですって?」
「地獄はもっと酷いのです。此処には首輪を付けられた人間が徘徊していないでしょう?」
 ヨハネスは眉間にシワを寄せてその言葉を聞いた。やはり天使とは悪魔と同じ次元の存在であると再確認した。
「早く行きましょうヨハネス。流石に私でもここは居心地のいい街ではありません……」
「ええ」そう、踏み出した瞬間であった。
 銃弾が通る、ソニックブームが飛来する。張っていた殺意遮断障壁に1発の銃弾が突き刺さる。ライフルの弾頭は確かにヨハネスの脳天を向いており、明らかに殺すための銃弾であった。死は免れたものの、障壁を張っていなければ確実に命を落としていただろう。ヨハネス等は直ぐ近くの車の陰に隠れた。
「どこからの狙撃だ!? 街は完全に封鎖したと聞いていたぞ……?」
「あらあら、そりゃあ大きな勘違いよサタニスト」
 ヨハネスの目の前に修道女が銃を向けて立っていた。なぜ彼女がシスターであるとわかるか、それは格好が修道服であるからである。ただし普通のシスターはアサルトライフルは持っていないし、スカートの下には迷彩柄のズボンは履かないし、防弾チョッキも着ない。
 フルオート射撃。ヨハネスの障壁が全ての銃弾を受け止める。効かないことが判った彼女はナイフを取り出し突き刺そうと組んでかかる。対するヨハネスもマウントポジションを取られつつも、シスターに向かってライフルを撃った。確実に当たる距離だった。しかし、銃口の先に立っていたはずの彼女は、忽然と姿を消していた。
「なっ、消えた!?」
 ヨハネスはあたりを見回す。何処にも居ない。しかし彼の脳天に銃口が突き付けられた。車の中からである。
「無駄な抵抗は無駄な軋轢を生むだけ。おとなしく武器を捨てなよRHK、いや、ヴェーデルハイムの手下」
「その声何処かで……そうか、お前は海兵隊の」
「マジで? 覚えててくれたの? そう、あたしはアメリア=アモルス准尉。アメリカ合衆国海兵隊第8海兵遠征軍、またの名を対悪魔特殊部隊AESFの”使徒”さ」
「対……悪魔だと?」
 ヨハネスは驚きのあまり言葉を失った。これまで厳重に守られてきたはずの秘密が、この女にはお見通しだったということなのか。悪魔の魔法によってエルサレム攻略の記憶については忘れさせたはずだが、何故か、何の理由かは知らないがこの女は悪魔の存在を覚えているのだ。しかも魔王の名前を知っているあたり、RHKの実質的支配者である魔王ヴェーデルハイムの存在をも把握しているようだ。
「お前……記憶は消したはずだが」
「あんたらの手口は把握してるのよ。さんざん悪魔を暴れさせておいて、都合が悪い記憶をすべて消して機密を保持するなんて。多くの魔法使いや法術使いが事後処理に悩まされているのに、悪魔ったら膨大な魔力でそれをどうにかしちゃうのよね。不公平だと思わない?」
 RHK設立以来、初めての出来事である。悪魔の存在を知らない側の人間が、悪魔の存在を肯定し、更にはRHKと悪魔間の関係さえ見ぬかれたのである。いつ何処でボロが出たのかは解らない。しかしヨハネスはそんなことを気にしている余裕はなく、アルメルスにゴールドマン亭に戻るよう叫んだ。
「天使よ! 中へ!」
 しかしアルメルスは逃げなかった。
「貴方がたは私に用があるのでしょう? その格好から察するに、ヨハネスと同じく神に使える者とお見受けしました。争うことはありません!」アルメルスは無視して説得する事を選んだ。
 しかし、アメリアはためらいなく天使に飛びついた。瞬間移動である。アルメルスを地面にうつぶせにさせ、左手でじたばたともがく翼を押さえつけながら、右手のナイフで翼の根本を切り離したのだ。あまりに一瞬の出来事でありアルメルスも状況が読めなかったが、時間差で溢れる痛みと聖なる血液が彼女に強烈な苦しみを与えた。悲壮感溢れる叫び声が瓦礫の街に轟いた。あろうことか、神に仕え天使を敬うはずの修道女が天使の羽をもぎ取ったのである。ヨハネスはすぐさまライフルのフルオート射撃を浴びせるが、銃弾はアメリアの体に届く前で静止したのである。法術による結界が張られていたのだ。
「ふざけるなよシスターアメリア。それは法術使いである貴様がやって良い行いではない!!」
「法術は聖職者でなければ使えないと思ったの? 悪魔の軍団に属するお前が法術を使うことが出来ることが何よりの証明だ。解っているのだろう? 信仰とは魔力の供給源の選択であり、神を信じるか悪魔を信じるか精霊を信じるかという選択は、広義での”魔法”を行使することの妨げにはならない」
 ヨハネスはアメリアの胸に下げられたロザリオを見る。それは金でもなければ銀でもなく、金属光沢はあるのだが赤い色を放っている。この素材はベルモンドの持っているドラゴンスレイヤーと視覚的に酷似しており、これらの材質が同じであるとするならば、高性能な魔力吸蔵素材であるオリハルコンだろう。
「我々が信じるのは己の力のみ。己の力に我々は服従する。力を得るためにあらゆる手段を取り、それを有効に活用する。神とか悪魔とかっつう人間ではない化物を、あたしたちは信じない」
 アメリアは翼から滴る天使の血液をすすった。ヨハネスは信じられない光景を目にしている。こいつらは修道服を着て神を信じるふりをした、犬畜生かなにかであった。
「あーうめぇ、天使の血液は最高だね、力がみなぎるわぁ。悪いがこの天使は我々AESFが保護する」
「天に返せ……。彼女は在るべき世界に返さねばならない。お前たちは一体彼女をどうするつもりだ」
「普通に考えればわかるでしょ? 天使とか悪魔が持ってる膨大なエネルギー知ってしまったら、人間はどうすると思う?」
 天使と悪魔が持つエネルギーとはつまり魔力である。彼らは人間が抱く感情から魔力を発生させ、魔法によって高エネルギーを得る。この力を知った人間は、間違いなくその利用を試みるだろう。天使たちが人間に対して自分たちの存在をあやふやにしておきたいのは、その間違いを起こさせないためでもある。過去に使いとして出したイエスキリストもそうだが、彼は結局のところ人間の勝手な想像で処刑された。今この時も、天使アルメルスは人間の勝手な行いで命を落とそうとしている。
「じゃあね神父。生きて帰れるといいわね」
 アメリアは魔法障壁を発生させたまま、アルメルスを担いで去ろうとした。しかし、そうは問屋がおろさなかった。
「修道女よ、聞け」
 突然放たれたその声は開所であるにもかかわらずエコーが掛かっており、何処か壮大なイメージを与えた。立ち去ろうとしたアメリアも流石に立ち止まり、声のなる方へ顔を向けた。そこには白い翼の生えた人間が浮かんでいた。その体には服などなく、生まれたままの姿である。しかし局部の特徴的な形状は無く、性別を特定することができない。それは人間ではなく、人間が思い浮かべる天使のその姿であった。
「修道女よ、その天使を我らに預けよ。我らは天からの使い。すなわちそのものを迎えるものなり」
「へえ、あんたらも天使? じゃあさ、奇跡を起こせるんだよね? 例えばこのライフルで撃たれても、死なないんだよね?」
 アメリアは躊躇なくライフルで天使を撃ちぬいた。するとどうだろうか、その天使の胸に空いた銃創から皮膚が剥がれ落ちてゆく。内側の皮膚は酷く黒に染まっており、明らかにそれは天使のものではないことが判る。そう、彼は天使の皮をかぶった悪魔だったのだ。彼らはヴァンの命令により、念の為に待機していた。
「貴様……調子こきやがって何しやがった……あああああ」
 あろうことか悪魔が苦しんでいる。そのようなことはヨハネスも見たことがない。彼ら悪魔兵は一度足りとも苦しむことはなく常にへらへらと笑っていたのに、ライフルの銃弾を受けた瞬間から様子がおかしい。その様子を見た悪魔たちが、物陰から飛び出してアメリアに牙を向けた。しかし、彼女のライフルから放たれる銃弾を受けると、全ての悪魔たちが酷く苦しみ動きを止めた。その様子を見てヨハネスは気がつく。アメリア=アモルスという名前はイタリア系の名前であり、仮に彼女がイタリア系アメリカ人であるとするならば、カトリックである可能性が高い。そしてカトリックには古来より悪魔払いを専門とする者がいるという。そう、ここまで悪魔を苦しませることが出来るのは悪魔払い士、エクソシストである。
「気をつけろ悪魔! そいつはエクソシストだ!」
「畜生、通りでやべえと思った。てめえら、奴の銃弾に当たらないようにしろ!」
 悪魔たちは銃弾を無視することを止め、銃弾を回避することにした。彼らはアメリアの周囲を取り囲み、同時に襲いかかってアルメルスを奪還する算段だ。しかし――
「馬鹿な悪魔だな。あたしが一人で行動すると?」
 どこからとも無く飛来した銃弾で一人の悪魔が蒸発した。突然の出来事であり悪魔たちは何が起こったのか理解できなかったが、それは一瞬で襲いかかる。
「狙撃か!?」気づくのが遅かった。彼は蒸発してしまった。
 蒸発した悪魔たちの足元には何のカスも残っていない。銃弾がなくダメージが強大であることから、魔法によって作られた魔法の銃弾である可能性が高い。発射音もしないので火薬も要らないようだ。しかも銃弾が飛んでくる方向は毎回大きくズレており、狙撃手が潜んでいる位置も特定できない。アメリアと同じく瞬間移動を行なっているということだろう。しかし狙撃手に気を取られていると、今度はアメリアの魔法弾で蜂の巣にされてしまう。世にも珍しいスナイパーと前衛のバディである。
 体制を立て直したヨハネスは、その様子を見ながら天使を奪還するタイミングを見計らっていた。
「何処からの狙撃か把握できない以上、前方だけに障壁を貼るのは危険。だからといって狙撃手を潰そうにも場所がつかめない。一体どうすればいいんだ……?」
 流石にアメリアも悪魔と相手しているときはアルメルスに構っていられないようで、アルメルスは地べたで痛みをこらえながらうずくまっていた。なんとかして彼女を天界のゲートが開かれるゴルゴダの丘へ連れて行かなければならない。その時、ヨハネスの脳裏に何者かが直接語りかけてきた。
「聞け、神父ヨハネスよ。今のお前は天使の加護を受けている。そして、私の声を聞いた」
「貴方はまさか、神か?」
「お前は天使を奪還する使命を持ったメシアとなったのだぞ。だからお前の魔法はより強力なものとなる。扱ったことがないような魔力だろうが、恐れずに開放せよ」
 メシア、という言葉に反応した。そう、メシアとは使命を持った人間であり、彼らはエスティーのように膨大な魔力を扱うことが出来る。しかし彼らは魔力を自分で作り出しているのではない。人間の魔法使い全てに言えることだが、信仰とは魔力の供給源の選択であり、人は神あるいは邪神に仕えることで魔力を供給してもらうのだ。
 つまり、神はメシアに使命を果たさせるため、膨大な魔力を供給しているのだ。それは人が望んで得た力ではなく、神が望んで人に与えた力であり、その量は桁違いである。
「そうか、私は力を得たのか。使命を果たすための、力を得るのか……!」
 ヨハネスは”全方向”に殺意遮断障壁を展開した。今までは魔力が足りなかったのでそれはできなかったが、今の彼であれば可能である。
 彼の体に刻まれた呪文が光り出した。上半身の服が強烈な光によって燃え出し、すぐに灰となった。術式に使われる魔力の量が増加したため、回復効果は数倍になる。
「アメリアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」彼は走りだした。
 アメリアがその突進に気が付き銃を向ける。引き金を引いて撃ち続けるが、障壁に阻まれて銃弾は彼に届かない。ナイフを取り出して近接格闘の構えをとるが、ヨハネスはそんなことを気にせずに右腕を振りかぶった。するとどうだろうか、彼の拳は鉄製のナイフをひん曲げてしまった。そして左腕でアメリアの頬に向けて拳を叩きつけた。
「片方の頬を打つ者には、ほかの頬を向けろ!」
 彼はそのままの左手でアメリアの反対側の頬を手前に向けて、これでもかと力を込めた右の拳を与えた。アメリアは数回回転しながら3メートルほど吹き飛んだ。彼女は瓦礫の鉄骨で串刺しになり、その命を落とした。ヨハネスはそのままアルメルスを抱きかかえ、全速力でその場から逃げた。アマリアの狙撃も彼の強力な殺意遮断障壁を貫くことはできなかった。向かうはゴルゴダの丘、イエスキリストが処刑された地である。
「大丈夫ですか天使よ!」
「もうやだ……いやだよ。痛いよ……血が止まらないよう……」
 もぎ取られた羽の部分から大量の出血をしている。このままではゴルゴダの丘に辿り着く前に、天使が失血死してしまうような気がした。気がしたというように断定できないのは、彼女が人間とは違う生き物だからである。ヨハネスは追手がないことを確認すると、瓦礫の影に身を隠した。同時に、YHVHから念話が聞こえた。
「アルメルスの出血を止めるのだ!」
 ヨハネスは傷口に手をかざしながら呪文を唱える。片腕を失ったサムエルに行った法術と同じものである。その威力は凄まじいもので、殺菌と消毒と止血を同時に行える。失った部位を再生することはできないが、この法術を使えば大概の外傷は事なきを得る。アルメルスも人間のそれと同じく、危機を脱することが出来た。しかし、奪われた翼はもう戻らない。

 物陰から周囲の様子を観察する。追手は居ないようだった。ヨハネスはアルメルスを抱きかかえ、再びゴルゴダの丘へ向かった。それからおよそ30分後、目的の場所へ到着した。
 ゴルゴダの丘は、イエスキリストが処刑された場所である。現在はその位置に聖墳墓教会が建立されているが、天使を人間界に拘束している術式の一部出会ったため、やむを得ず破壊した。協会は燃えてしまったのだろう、木造部分は見事に炭化しており、石造りの部分が支えを失って崩壊していた。かつての面影はなく、そこには神聖さなど無く、単なるガラクタと化している。2人は協会の裏に当たる位置に到着し、天界のゲートが開くまで待機する必要があった。
 YHVH曰く、ゲートが開くと空にある暗雲が局所的に晴れ、そこからはしごが降りてくるのだそうだ。アルメルスはその梯子を掴んで天界へ帰還するという算段だが、彼女が完全にゲートを通過するまでヨハネスは護衛していなければならない。先ほどのアモルス姉妹がその最中に天使を狙うようであれば、必ずこれを排除するのだ。
「まもなくゲートが開きますのでもう少々お待ちください。翼の痛みはいかがですか?」
「ええ、なんとか。本当に貴方方にはお世話になったわ。死後は私の護衛として雇ってあげなくもないわね」
 笑顔で会話するヨハネスだが、彼の神経は凄まじく鋭くなっている。こうしていながらも周囲を警戒しており、アマリアが狙撃をしそうなポイントを見極めていた。
 北には低い建物が密集している。高度が足りないためこちらを視認することができないだろう。よって北の方向から狙撃されることは考えにくい。逆に南は聖墳墓教会の瓦礫が障害物となっている。よってここもない。西も同じく狙撃には適さない障害物の多い地形で、有るとすれば東のみだ。ヨハネスは特に東へ意識を集中している。
 だが、完全に予想外の事態となった。東のほうから2人の人影が歩いてきたのだ。一人は埃だらけの修道女、もう一人は血だらけの修道女である。そう、先ほど殺したはずのアメリアが生きて追ってきたのだ。
「何故だ……何故お前が生きている!?」
 その問に、狙撃銃を抱えたアマリアが答えた。
「天使の生き血さえ使えば、人一人を蘇生することくらい難しくないの。つまりね――」
「そうつまり、あたし達はお互いを蘇生することができる。どちらかが生きていれば、決して死ぬことはない」
 極めて合理的な方法であった。一人が遠距離からの支援、もう一人が近接格闘というスタイルは、両者が同時に死ぬ確率を大幅に下げる。今のこの状況も2人は一定の距離を保っており、同時に殺すためには二丁拳銃の引き金を同時に引く必要があるだろう。しかし肝心の銃弾が殺意遮断障壁で無効化されている以上、殺すためには先程アメリアを殴り飛ばして瓦礫の串刺しにしたように、2次的な被害で殺す必要がある。各自がヨハネス並みの戦闘能力を持っているので、同時あるいは連続で殺すのは難しい。不可能ではないかもしれないが、天使を守り切る保証ができない。
 だが、ヨハネスにも優位な点がある。彼は天使の血液さえ舐めていないが、神と直接の契約を結んだことによって膨大な魔力を使うことができる。そう、できるのだ。
 彼はサムエルとエスティーがエルサレムを囲んで作った巨大な塀である喜びの壁を思い出した。あの壁は外敵の侵入を防ぐために、単純に高く丈夫な壁を設置すれば良いというアイデアから生まれたものだ。膨大な魔力を扱えるエスティーがいたからこその芸当である。これと同じアイデアで、ヨハネスも空から伸びるはしごの周りを、進入不可な障壁で覆えばいいのだ。
 殺意遮断障壁は、殺意を通さない。物理障壁は、あらゆる物を通さない。あまりに大量の魔力を必要とするあまり、かつて人が使用することをためらった、最も原始的な障壁を展開する。
『全地は一の言語一の音のみなりき』

 茲に人衆東に移りてシナルの地に平野を得て其處に居住り。
 彼等互に言けるは去來甎石を作り之を善くあらんと遂に石の代に甎石を獲灰沙の代に石漆を獲たり。
 又曰けるは去來邑と塔とを建て其塔の頂を天にいたらしめん斯して我等名を揚て全地の表面に散ることを免れんと、ヱホバ降臨りて彼人衆の建る邑と塔とを觀たまへり。
 ヱホバ言たまひけるは視よ民は一にして皆一の言語を用ふ今に此を爲し始めたり然ば凡て其爲んと圖維る事は禁止め得られざるべし。
 去來我等降り彼處にて彼等の言語を淆し互に言語を通ずることを得ざらしめんと、ヱホバ遂に彼等を彼處より全地の表面に散したまひければ彼等邑を建ることを罷たり、是故に其名はバベルと呼ばる是はヱホバ彼處に全地の言語を淆したまひしに由てなり彼處よりヱホバ彼等を全地の表に散したまへり。

 瞬間、半透明な塔が出現した。それは真っ直ぐ空へのび、梯子の周りを覆っている。その形は誰も見覚えがないが、ヨハネスの呪文から察するに、その塔はかの有名なバベルの塔である。ヨハネスは防護障壁としてバベルの塔を具現化したのだ。天井からその様子を見ていた天使たちがヨハネスが考えている事を察して、その塔の中心に梯子を降ろした。既に術式は破壊されており、天使の界拘束も解除されていたのだ。
「天使よ! その梯子を掴み、空へ昇るのです!」
「ありがとうヨハネス! しかし……貴方が死ねば……」
「私は決して、神に誓って死にはしません」
 塔を維持しているのは他でもなくヨハネスである。彼が死ねばバベルの塔は消え去り、天使は完全に無防備になる。だからヨハネスは死ねない。しかし、死ななければ勝ちである。例えアモルス姉妹を退くことができなくとも、ヨハネスが死ななければ全ての目的は達せられるのだ。
「神父! てめえ……」
「さあかかってこい。私を殺せば障壁は解除される。仮にそれが出来ればの話だがな!」
 殺意遮断障壁を全面に展開したヨハネスは、魔法の銃弾と言えども傷つけることはできない。唯一通用するのは彼女ら自身の拳以外に無く、必然的に格闘戦をすることになるのだ。それを知っているヨハネスはたったひとつの銃さえ持たず、その体一つで受け流す構えをとっていた。少なくとも殴る蹴るをされたところで致命傷にはならず、しかも強力な自己再生と疲労無効法術によって無力化もできない。この時点で彼が生き残ることは確実となり、天へ続く梯子を囲む防護障壁も破壊されないことが保証された。それを察したのか、アモルス姉妹も銃を下げた。
「正教会の神父がまさかバベルの塔を具現化するとはな。あんたは神父じゃなかったのかい?」
 バベルの塔は旧約聖書の創世記に書き記された当時最高の高さを誇った建造物である。天にも迫る高さで神の怒りを買い、罰として世界の人間の言葉は複数の物に分けられたとされる。つまりヨハネスはキリスト教で一般的に聖書として読まれる新約聖書ではなく、それ以前の世界を記した本を法術の呪文としたのだ。これはキリスト教徒としては考えられない術の組み立て方である。なぜなら旧約聖書はユダヤ教徒にも聖書として認知されているものであり、その内容はキリスト教の視点ではないからだ。しかし、彼はそれを魔法とした。それはすなわち、彼が自分の宗教に対して執着がないということである。
「信仰とは魔力の供給源の選択である、そんなことは知っているさ。だがお前たちと違うのは、神を信じていることに尽きる。神は信じる者を裏切らないということを、私は会って確かめた。幾つかの不都合な真実もある、幾つかの理不尽な搾取もある、だが確かに神は人の幸せを願っていた。これだけは事実だったのだ!」
「なら何故人は不幸になるの? 何故人は神によって幸せになることを望まれながら、不幸にならなければならないのさ! 悪魔を殺して神の力を自由に使えれば、私達人間はより幸せになれるのよ?」
 
『その問い、私が答えよう』

 突如ヨハネスの目の前に雷が落ちた。あまりの眩しさにそのまぶたを閉じて、やがて見開くと禍々しい背中が写っていた。その背中は吸い込まれるくらい黒く染まっており、彼の赤黒い皮膚は脈打っている。服と肉と鉄が一体となり、この世の生物のどの様な形態もそれに似たものはない。ブーツの先には爪が、流れるような髪は全て濡れた触手で、顔に2つしか無いはずの目は3つもあり、背中には黒い翼が左右で6つ。右手に握られた銃は見たこともないような形状で、全ての視覚的情報が彼が何者であるかを教えてはくれない。だが、誰もがその周りに立ち込める雰囲気あるいはオーラを読み取って、彼が何者であるかを理解できるのだ。そう、彼は魔界の領主、全ての憎しみを集める者、魔王ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタである。
「任務ご苦労、神父ヨハネス。天使は無事天界へと帰還したと連絡があった」
「そうか、では私の任務はここまでということだな」
「まあ待て、これからこの似非シスターを生け捕りにしなきゃならん。その手伝いをしてもらいたい」
「冗談を言うなよ魔王。殺せなかった敵を生け捕りにするなんて、とてもじゃないが私の仕事ではない。か弱い人間は隅で見ていることにしよう」
「懸命な判断だな。では隅のほうでこいつらを封印する術式だけ組み立てておいてもらえるかな?」
 ヨハネスはバベルを解除し、その場所から一歩引いた位置へ移動した。ヴァンは黒く美しい翼をなびかせながら、ゆっくりとアメリアの方へ向き直る。
「ついに出てきたな魔王ヴェーデルハイム! 我らAESFが貴様を葬る前に、私の質問に答えてもらおうか」
「ああ、そうだったな」
 ヴァンは新開発の対物ライフルであるハボリムをアメリアに向けながら答えた。
「いいか、よく聞け愚かな人間よ。お前たちが不幸になるのは――…我々の所為だ」
 ヴァンは引き金を引いた。鼓膜を破りかねない爆音が発生し、その銃口から酷く大きい弾丸が吐き出された。その弾丸はアメリアに直進し、彼女の右足を奪おうとした。だが彼女の展開している殺意遮断障壁によって弾かれるはずだ。しかし、現実はそうはならなかった。
「ぐああああああああああっ!」
 アメリアの右足が血しぶきを挙げて吹き飛んだ。ヴァンが放った弾丸は、いともたやすく殺意遮断障壁を貫通したのだ。アメリアは激痛のあまり気絶しそうになるところを、痛み止めの法術を使って乗り切る。
「何が起こったっての!? 私の殺意遮断障壁は完璧なはず……なのに!」
「馬鹿な娘だな。その障壁が防げるのは殺意の込められたものだけだ。戦場においての兵士は殺意を込めるが、私は悪魔なのだぞ? 私が弾に込めるのは殺意ではない。悪意なのだよ」
 ヴァンはアメリアを殺そうとはせず、右足を排除してもがき苦しむことを期待したのだ。人間が人間を殺す場合は殺意を覚えるものだが、それは明確に殺す意思がある場合のみである。殺意遮断障壁はその名の通り殺意の込められた物を通さない障壁であり、殺意の込められていない物は通してしまう。例えば拳などは人を殺しきれるものではないので通過する。あるいは殺意ではない別の意図があれば、その物は貫通する。ヴァンが銃弾に込めたのは殺意ではなく、人間を嗜虐したいとか、その者の苦しむ顔が見たいといった悪意であった。
「ヨハネスが言っていた通り、天使はお前たちのことを常に想っている。これは魔王である私が保証する。だがそれでも人間が不幸から逃れられないのは、他でもなく、我ら悪魔の働きによるものだ」
「だからお前たちを根絶やしにするのさ。悪魔がいなくなれば、人間は皆幸福になれる」
「いいか小娘。例えば全人類が病気にもかからず、家族は円満で、子供たちは健やかに育ち続けるとしよう。それはつまり、人間はこの世界にある土地やエネルギーといったあらゆるリソースの消費を、無限に増やす事を意味するのだ。あらゆるものが有限であるこの世界で、無限に消費する存在は否定されなければならない。その否定を役務とするのが我々悪魔なのだ」
「心配には及ばないよ魔王。天使の力を使うことが出来れば、感情エネルギー変換によってあたしたちが幸せになるたびに莫大なエネルギーが手に入る。それを使えば月にもいけるから、土地だって心配無いんだぜ?」
 ヴァンは頭を抱えながら天を仰いだ。あまりにもアメリアが言っていることが愚かだからである。
 そう、違うのだ。アメリアの言っている事は素晴らしいように思えるが、実際は違うのだ。アメリアが述べたのは一種の無限機関の可能性についてだが、この世界には決して無限機関など存在しない。エネルギー保存の法則は魔力や幸福にも働いており、あらゆるエネルギーは”差”が生み出すものである。ある人間がある人間より幸福か不幸かという差によって、悪魔や天使といった人間の感情を糧にする者は満たされるのだ。
「もう良い、愚かな人間よ。もう少しお前たちは利口かと思ったが、まだそうではないようだ。良いだろう、お前に良い物を見せてやる。お前たちが言う、その不幸そのものを」
 ヴァンはハボリムを彼自身の胸に突き刺した。銃口からトリガーまで刺さったそれは、まもなく赤い血管が表面に張り巡らされた。彼はその棒状のストック部分を手に持ち直し、刺したハボリムを彼の胸から引き出す。母親の子宮から赤子が生まれるかのようにハボリムは生まれる。だがその姿形は銃とは似ても似つかぬ形へと変貌していた。冷たく堅い印象を持つ金属が、まるで洞窟内の堆積物を思わせる形状でまとわりついている。表面は脈打つ血管が張り巡らされ、それなのに金属光沢を持っている。この世のどの物質とも似ても似つかぬ質感だが、完全に引きぬかれたその形状は、人間でもそれが何かを理解できる。ヴァンの背丈分の刃渡りを持つ、巨大な剣だった。
「見よ、これが全人類に不幸をもたらす物、”The root of all evil(諸悪の根源)”である」
 ヴァンはその剣を一振りした。すると、彼はまぶたを閉じて清々しい素振りを見せた。
「聞こえたか人間よ。今この剣を振った瞬間、千人が泣き叫ぶ声を聞いた。この剣を一振りするたびに、この世界の何処かの人間に不幸が訪れる」
「ハッタリか何かか? 少なくともあたしはなんともねえぜ」
「おっともう一振りしてしまった。……これはアメリカからの悲鳴だな。おや、偶然にもお前の母が病気で倒れたようだな。持病のガンが不都合な場所に転移したようだ」
「確認しようがないね」
「ではもう一振り。次は君の友達が車に轢かれたみたいだ。うむ、死神の報告によると助からないらしい。おっと次は昔のボーイフレンドのサムが会社を首になったようだ。ああ素晴らしい、人の不幸は蜜の味だな!」
「そんな脅しは通用しないんだよ!」アメリアが魔法弾をヴァンに向けて打ち込む。同時にアマリアも離れた位置から魔法弾を胸に打ち込んだ。ヴァンの肩に風穴が開く。胸に大穴が空く。しかし彼は全く動じずに剣を振り続ける。その時、彼女らが持っているその銃から異音がした。感触がおかしいと感じたアメリアは、手に持った銃をよく見てみた。するとコッキングレバーが真ん中の位置で止まっており、薬莢が排莢口に引っかかっている。あろうことがこのタイミングで弾づまりを起こしてしまったのだ。
「どうやらジャムったようだな。ついに不幸がお前にまで及んだようだなぁ」
 アメリアは右足を失っており、銃がなければ自衛もままならない。流石にアマリアも妹を助けに行きたいところだったが、今ここで2人の距離を縮めたら一網打尽にされてしまう。蘇生法術での瀕死状態からの回復ができなければ、2人は決して不死ではない。アマリアは動けなかった。
「畜生、動けない。銃も使えねえ……っ」
 無防備なアメリアのもとに、にじり寄る禍々しい姿をした悪魔。ヴァンは惜しみなく恐怖を振りまきながらアメリアを見下ろした。対悪魔の特殊訓練を積んでいる彼女だったが、流石にこの状況では恐怖を感じざるを得ない。だが次の瞬間、アメリアはヴァンの目の前から姿を消した。決して移動したのではなく、文字通り消えたのだ。
「ほう……瞬間移動か」
 ヴァンは視線を北へ向ける。アマリアの居た方向から銃声がしたような気がしたが、そこには魔力が流れた痕跡が空間上に残っていただけ。アマリアもまたこの場所から消えていた。おそらくその魔力の流れこそが瞬間移動の正体なのだろう。彼は翼を広げ、その痕跡の残る方向へと飛び立った。

 薄暗い民家に逃げ込んだアモルス姉妹。妹のアメリアは完全に右足を失い、歩くことができない。二人共瀕死状態からの回復を行う蘇生法術は使えるが、欠損した箇所の再生は不可能である。止血は痛み止めの法術と同時に行ったために一命は取り留めた形だ。これで心臓を失っていたというのであれば、アメリアは死んでいただろう。
「畜生、くっそ畜生めが。姉貴、あいつ強すぎるぜ……」
「大佐からも正面からの接敵は控えるように言われてたわ。こうやって逃げてこられただけでも奇跡よ」
「これからどうするんだよ姉貴。とりあえず天使の翼は回収部隊に渡しといたけど、肝心の天使は空に帰っちまったし……」
「とにかく、大佐に報告しましょう」
 アマリアは腰にぶら下げた無線機の通話ボタンを押した。マイクで本部との連絡をとる。
「こちらアメリカ合衆国海兵隊第8海兵遠征軍所属、アマリア=アモルス准尉。アーレルスマイヤー大佐と至急連絡を取りたい」
「こちらアーレルスマイヤー。天使は確保したか?」
「申し訳ございません大佐殿。翼だけはもぎ取って回収部隊に渡しましたが、本体は天界へ帰ってしまいました」
「よくやった。全身を手に入れたかったが、相手があれでは辛かろう。そちらの状況は?」
「アメリア准尉が右足を欠損する重症。これより帰還しますので、回収ポイントにヘリを用意して下さい」
 アマリアがそう言うと、大佐は沈黙した。その沈黙に2人は脂汗をかきながら唾を飲む。数秒経ち、沈黙を破り発言した言葉を2人は耳を疑った。
――すまない。
「大……佐?」
「君が瞬間移動の術を発動した時、アメリアの目の前にはヴェーデルハイムがいたか?」
「ええ。確かに奴の目の前からアメリアを救出しましたが……」
「君達の瞬間移動は、移動先座標を魔法弾の着弾地点によって指定する”着弾点転送術”といったか。いずれにせよ、転送対象が移動する際は魔力の移動が発生し、それをたどれば移動先が判明するだろう」
「それでは……まさか!?」
 彼女は致命的なミスを犯していた。悪魔は魔力を視覚化できるという情報は既に掴んでいたのだが、アメリアを救出して逃げることに気を取られ、魔力の流れを全く意識していなかったのだ。これでは彼女らの足取りなど、簡単に追跡されてしまうだろう。
「残念ながら、間違いない。奴はもうすぐそこまで来ている。逃げても追いかけてくる。君たちを助けに行く人間も殺されるだろう。すまない、我々は君たちを助けることができないんだ……」
「…………了解しました、大佐。我々は最後まで任務を全うします」
「幸運を祈る。2階級特進を約束しよう」
 通信を切る。アマリアの目には決して涙など流れておらず、そこには凛とした瞳があった。
 恐怖の足音が迫る。ドアがノックされたと思いきや、返事も聞かずにドアは開けられた。簡易ではあるが閂をつけていたのにもかかわらず、それは無理矢理に開けられた。濃厚でドス黒い瘴気が雪崩れ込むように室内に充満する。気配、あるいはまとうオーラだけで人間を凍てつかせるというのだから、なんと悪魔とは恐ろしい存在なのだろう。
「もっと必死に逃げるのだ人間よ。もっと私を楽しませてくれ」
 アマリアとアメリアは、ホルスターから拳銃を取り出して自分のこめかみに銃口を当てた。
「お前に捕まるくらいなら死んだほうがマシよ。死んでもお前にだけは捕まらないわ!」
「大義のために命を投げるか、愚かな人間よ。やれるものならその引き金を引いてみろ、さあ、早く!」
「人間を舐めるなよ」
 姉妹は引き金を引いた。2発の銃声が響く。叫び声と共に倒れた2つの死体が、血をまき散らして崩れ落ちた。黒い修道服に赤い血液は目立たないが、確かにその服はべっとりと濡れている。ヴァンは顔に着いた血しぶきをその長い舌でぺろりと綺麗にすると、2つの死体に手をかざして呪文を唱え始めた。
『魔王ヴェーデルハイムの名の下に命ずる、汝逝く事を知らない骸となりて我が下僕となれ』
 部屋に立ち込める瘴気が2つの死体にまとわりついた。脈打つそれはイトミミズのコロニーと形容でき、2つの死体はその波に合わせて少しずつ動き出した。やがて彼女らがまき散らした血液や骨片は、脳天の有るべき場所へと這いまわるナメクジのように集まった。
「あ……あぁ?」アマリアが発声した。
「おはよう、シスター」
「これは……どういうこと!?」
「私はお前たちを生け捕りにする。情報を吐き出すまでは、天国にも地獄にも行かせはしない」
 ドアの向こうから手下であるガーゴイルがぞろぞろと入ってくる。10匹は居ると思われる彼らは、暴れるアモルス姉妹に無理やり拘束具を付け、ドアの向こうに連れ出した。
 魔王ヴェーデルハイムからは決して逃げられないのだ。
 
 エルサレムは廃墟になった。イスラエル軍基地は瓦礫となった。アブラハムの宗教を生んだこの土地は、ほんの数時間で最初の荒野の姿へと回帰した。そこに何の救いもなく、あらゆる宗教的象徴物は無く、果てしなく広がる瓦礫の山と、地面がまるで悲しむかのように黒煙を上げているだけだ。かつて支配階級にあったユダヤ人をイスラムの先祖が追放した時よりも、きっとこれは酷いのだろう。何故なら今日この日はすべての宗派が平等にこの地から追放されたのだ。
 テルアビブに位置するイスラエルのハブ空港であるベン・グリオン国際空港に、セルビア王室専用のジェット機が停泊していた。女王であるルミナスが帰国するためである。彼女の護衛には執事のバトラーが、そしてエルサレム旧市街での一件を終えたヴァンが付いている。ジェット機はハッチを開けて階段を下ろしていた。後はルミナスが乗り込み、政治的混沌にに陥るこの地を脱出するのみである。
「天使は無事に返せたのかしら?」
「神父ヨハネスの尽力で天使は天界へと帰還した。エルサレム旧市街も今や瓦礫の山だ、何処が聖地だったのかなど検討もつかないだろう」
「ええ、貴方のお陰で多くの人が巡礼先を失いました。しかしこれで暫くの間はこの地も安定するでしょう。こういうのも何ですが、貴方が今回しでかしたことは、人々のためになる行いであると考えています」
 ヴァンはにやりと笑う。「お前も言うようになったな。悪魔的思考が絵になってきたぞ」
 ルミナスはそう言われて複雑な気持ちになるが、いつもどおりに悪魔の言うことは真に受けず、機内へと続く階段に足を伸ばした。その時だった、ヴァンが”殺意”を感じたのは。
「機内へ逃げろ、ルミナス」
「なんですって?」
 ソニックブームを発生させた真鍮の弾丸が飛来する。目にも留まらぬ速度でヴァンは右手をルミナスを覆うように振りかぶる。弾丸が右手の手のひらを貫通し、本来であればルミナスの眉間に直撃するはずだったそれの弾道を逸らしたのだ。銃弾は急所を逸れ、ルミナスの右肩を貫通する。今まで感じたことのない痛みが支配した。
「うぐぅっ!」喉の奥から低い声が出る。ルミナスはその場に崩れ落ちた。
「バトラー! 直ぐにルミナスを連れて飛行機を離陸させろ! 大至急だ!」
 魔王が、焦った。バトラーには少なくともそう見えた。にたにたとした笑みは消えており、ただ周囲の状況を確認しているヴァンが居た。危機一髪と言っていいだろう。何故ならルミナスがもし死ぬようなことがあれば、ヴァンは契約者を失って再び封印の眠りにつかなければならないのだ。それどころか、まだ子供も産んでいないルミナスが死ぬようなことがあれば、エンキュリオール一族も途絶えてしまい、血の契約も破棄されてしまう。ヴァンは不死だが、契約者であるルミナスは有限の命を持つ者である。
「流石は魔王ヴェーデルハイム、そう簡単に封印させてはくれないか」
 何もない場所から突然に人が現れた。彼は透明なマントを脱ぎ捨てて、大型のサイレンサー付きアサルトライフルを片手にその姿を表した。恐らくは姿を透明にする魔法か何かを使っていたのだろう。問題なのはその魔法ではなく、彼が誰かということだった。
「ベルンハルト=フォン=アーレルスマイヤー大佐。そんなところで隠れんぼでもやっていたのか?」
「ああ、先程までな。しかし隠れんぼも今日でおしまいだ。やっと全ての準備が整ったんだ。私の父も、祖父も、曽祖父も、数十代前の偉大なる魂も、お前を消すことを望んできた。数世紀にわたって背負い続けた使命も、俺の代で果たすことができよう」
「お前は何者だ」
「ああ済まない、自己紹介が遅れた。ベルンハルト=フォン=アーレルスマイヤー、勇者ベルクカイザーの意志と血を継ぐ者である」
 ヴァンはそれを聞いた瞬間、腰にぶら下げたホルスターから拳銃を抜いて構えた。すぐさま引き金を引くが、バーグソンに到達するはずの銃弾は彼の掌に収まってしまった。彼は放たれた銃弾をその手で受け止めたのだ。殺意ではなく悪意が込められた悪魔の銃弾を止めるということは、何らかの術によって人体への到達が阻害されているからであろう。
「俺を魔王ヴェーデルハイムだということを理解した上で雄さのなを語るか? 今までも何度か勇者を名乗るやつを見てきたが、ここまで私を興奮させる奴はお前が初めてだ」
「それは私が宿敵であることの証明だろう。まあいい、今日はこれで挨拶代わりにさせてもらうよ。近々、セルビア王国への声明が発せられるだろう。国際法に違反する国家ぐるみの傭兵業、人間を虐げる悪魔との協力関係、これらを全て公表すれば、全世界はセルビア王国の敵になるだろう」
 ヴァンは周囲を見渡す。ジェット機を囲むように兵士が配置されており、彼らは地対空ミサイルと思しきランチャーを装備している。安易に離陸しようものなら撃墜されるに違いない。この調子だと何人かのスナイパーも配置されているだろう。引き金さえ引けばルミナスに向けて銃弾を放つこともできるだろうが、明確な殺気を感じないところを見ると、こちらが行動を起こした時に備えているだけのようだ。
「そしてヴェーデルハイム。私はお前を今度こそ殺し、この世界から災いを根絶する!」
 飛行機が加速する。揚力が発生し、機体が宙に浮いた。ヴァンは翼の上に足を張り付かせ、そのまま空へ飛んでいった。彼は最後までベルンハルトの目を直視し、彼が何者であるのかを探ろうとした。実際にここまで魔王を釘付けにさせる男は、ここ千年で初めてのことである。
 ついに来たのだろう、その時が。ヴァンは大声で笑い続けた。ここ千年で最も笑った瞬間だった。

「ああ、終わりが始まろうとしている!」