episode2

 

 赤は特別な色である。
 興奮を誘う色であり、警戒を促す色であり、採算が合わない時に使う色である。
 では朱色はどうだろうか、近い色だが何か特別な意味はあるだろうか。
 火の色を表現するときに何色が適切かどうかは、その人の主観によるだろう。

 ロシア南西部、グルジア国境付近。
 月明かりが美しい静かな夜は、山のふもとに広がる樹海に真っ黒な影を落としている。
 山々には白い綿帽子のような雪が積もっており、スキーが出来るほどではないがその寒さを物語っていた。
 夜行性の鳥達、主にフクロウがほうほうと鳴いていそうな森の夜。そんな中、上空を2機のジェット戦闘機が哨戒航行していた。
「こちら航空警備B-3。未確認の飛行物体を確認した、警告はしたものの一向に降下する様子が無い」
『こちら本部。了解、このまま反応が無いようなら撃墜を許可する』
 ロシア空軍は無許可で領内を飛行する航空機を追っていた。
 何処の所属かと無線通信で聞いてみても、まるで聞く耳を持たずに飛行し続けている。
 その姿は夜の闇でハッキリとは見えないが、少なくともジェット機よりは大型な航空機であることはうかがえる。
 ロシアの戦闘機はその航空機を追い詰めるために、さらに加速した。
「再度通告する、貴方の航空機はロシア連邦の領内を無断で飛行している。このまま着陸する意思を見せなければ、こちらには撃墜する準備がある」
 最後通告だが全く反応を見せない、それどころか速度を上げたではないか。
 進行方向はグルジアの方向で、このままだと管轄外にまんまと逃げられてしまう。戦闘機のパイロットはすぐさま撃墜するために、ミサイルをロックした。
 しかし次の瞬間、2機のうち一機が航空機の攻撃を受けて爆発炎上した。
「おい! 何があった!?」パイロットは攻撃の瞬間を見逃していた。
 爆発炎上というレベルではない、もはやその戦闘機は炎に包まれて蒸発していた。ふと正面を見ると航空機が妙に大きく見えている。
 違う、空中で静止しているのだ。
 ――馬鹿な、そんなはずは無い。
 視力には自信があるはずのパイロットがヘルメットのグラスをこすって見るものの、それに間違いは無いようだ。
 だがそれを叫ぶまもなく、静止した航空機から真っ赤な炎の束が押し寄せてきた。
「メーデー! メーデー!」
 溶岩のような光の束が、戦闘機を跡形も無く蒸発させる。
 そこには何も残らない、正真正銘の蒸発だった。

 モンテネグロの作戦から1ヶ月が立っていた。
 ベオグラードの町並みは驚くべき速度で元の姿に戻っており、あれほど荒れ果ててしまった商店街に人が群れをなすように活気が溢れている。
 それもこれもルミナスとヴァンが設立したPMC「王立傭兵騎士団(ロイヤルハイヤードナイツ・インターナショナル)」が稼いだ資金が役立っている、それは間違いが無い。
 RHK設立から1ヶ月と2週間しか立っていないのだが、滑り出しはまさに上々な物だった。
 クーデター軍を殲滅して再び民主主義の国に戻ったモンテネグロ共和国だが、軍部の大半を失ってしまったために、深刻な正規軍の防衛・治安維持力不足に悩まされていた。
 だがそこにRHKインターナショナルが6000体の兵を派遣、1ヶ月辺りおよそ20億円の傭兵契約(兵士の月給に換算すると単純計算で34万)を取り付けたのだ。
 ただでさえ大規模な派兵としては格安の金額で、東・南東ヨーロッパ諸国から注目を受けている。
 小さな物では要人警護・治安維持の補助・侵略してくる敵国への切り札として利用され始め、今では世界各国から「兵の注文」が殺到している。
 安い!・強い!・沢山雇える!・おまけに忠実! の4拍子そろった完璧なサービスが魅力で、まさに商売うなぎのぼりもいいところだ。
 某国の経済学者は「やはり派兵できる量が他のPMCと段違いなところが魅力」などと評論している。
 そんな中、今日のベオグラード城では花火なども上がったりしてお祭りムードに包まれていた。
 実は今日、ベオグラード城で「王立傭兵騎士団派兵1万突破記念パーティー」が開催されるのだ。

 すでにパーティーが始まってから数分ほど経過していた。
 会場内には人が溢れ帰り、セルビアゆかりの有名人や国営のテレビ局、さらには隣国の外務大臣などなどの面子がちらほらと。
 だがこのパーティーの目的が「ベオグラード復興記念」と言うもののため、地元の市民だけでなくセルビアのあちこちからの一般市民までもがパーティーを楽しんでいる。
 普通に考えてこのようなパーティーに一般人が参加できるはず無いのだが、所々で監視している悪魔達によって、まさに悪夢のように恐ろしく完璧な警備が成されているのだ。
 責任者のヴァン曰く、悪魔には人間の殺意などの感情を正確に察知する事が出来るらしい。
 その為に何らかの危害を加えようとしている人間は、城の検問で容赦なくあの世へ送られるだとかないとか。
「うーわー、人がいっぱい来てるなぁ。おおっ、あの人はサッカーで監督やってるミルキーノビッチさんじゃね!?」
 RHK隊員として例外なくパーティーに呼ばれたベルモンド=クローディアスは、各界の著名人を目の当たりにして子供のようにはしゃいでいる。
 いつもは軍服さえだらしなく着る彼も今日はタキシードでビシッと決めていた。
 しかし彼の性というのはビシッと決まってはいないようで――
「もしかして貴方はテニスで有名なエレナ=パンコビッチさんじゃありませんか。いやぁ僕大ファンなんですよ、ユニフォーム越しに立ってるあの乳首ってやっぱ二プレスなんですかね?」
 もはやナンパでもなんでもない、ただのエロ親父がする野良セクハラだ。
 そんな彼を生暖かい眼で見守っているのは神父ヨハネス=エイブラハム。今日の彼は軍服ではなく純白のスーツに身を包んでいるが、胸元にはしっかりと十字架が描かれたネクタイが締められている。
 髪もオールバック、全体的に清潔感が倍増していた。
「あのような軽率男は放って置いて、今日はとても楽しいパーティーになりそうですね」
「ははは、私もとても楽しんでますよー。おいしい料理が沢山あって、どれをタッパーに入れたらいいか迷っちゃいますね」
 タッパー片手に立っているサラ=ジェンドリンは、料理を楽しむと同時に家族へ持ち帰る料理の品定めに迷っていた。
 最初はパーティに来ていく服なんか無いと悩みの声を上げていた彼女だが、父親に亡き母親の着ていたドレスを渡されて感動したとか。
 母の形見であるそのドレスはクリーニングに出したものの古臭さは抜けるはずも無く、デザインも一昔前に流行った物。だけどのその確かな美しさは衰えておらず、サラの引き締まった肉体も相まってとても綺麗なレディへと変身させている。
 気にしていた腐敗臭も体内に蛆虫を飼ってからというもの、全く持って気にならなくなったようだ。
 3人以外はどうしているかというと、フランシスカ=ヘクセンとメフィストフェーレスはどうも人気の少ない料理が置かれているエリアに居るようだ。
「うーん……。猿の丸焼きって、結構人間に近い味がするのね」
 皿の上いっぱいに盛られた肉を頬張るメフィスト。
 主食が人間の肉である彼女のために、その周辺では魔族専用の食事スペースが設けられていた。
 蛇の黒焼き・ガラ○ゴスオオトカゲのムニエル・タランチュラのパスタ・エトセトラえとせとら。
 中には有毒な食材が使われている物もあり、人間が食べられるような料理は殆んど置いていない。
 普通の人間が入って来れないようにある程度隔離されているが、誤って入ってきてしまった人たちのためにビニール袋は常備している。
 だがそんな中にも数名の人間達が食事をしており、その中の一人がフランシスカだ。
「ウーパールーパーサンド……可愛くておいしいよ……」
 可愛らしいウーパールーパーがパンに挟まれており、時折もがいているのを見る限りどうやら踊り食いのようだ。
 それを一口食べてメフィストに薦める様も面白いが、今日の彼女は少しばかり面白い格好をしている。
 中世の雰囲気を纏ったドレスはさておき、注目すべきはその足元。
 なんとなんと世にも珍しいガラスのハイヒールを履いているのだ。
「ねぇフランシスカ、そのガラスの靴って何処かで見たことあるんだけど」
「これはシンデレラのガラスの靴の再現……、2代目ディーロイヤが実現したタナトフィリア死体整形術の応用……」
 彼女が言うにはグリム童話で有名なシンデレラのガラスの靴であり、それに登場する魔法使いと言うのがベスの魔女だったらしい。
 2代目ディーロイヤは人体の成分を抽出して様々な材料を得られることを発見し、白骨化した死体からミネラルを抽出、魔力によってミネラルガラスを形成することに成功。
 タナトフィリア死体整形術、それによって作り出されたガラスの靴をシンデレラにプレゼントしたということだ。
 何故2代目が人助けをしようなんて考えたのか理由は定かではないが、どうせろくなことではなかったのだろう。
「あたしの予想では12時過ぎると服の魔法が解けて毒薬に変わって、王子様その他貴族を暗殺する計画だったんじゃないっ? やっばーい、あたし天才かも」
 しかし二人は仲が良い、やはりベスの魔女と言うのは悪魔と気が合う人が多いのだろう。
 基本的に悪魔は人間に心を開くことは無いと言っていいのだが、フランシスカならばどんな悪魔でも親密になれるのかもしれない。
 と、二人がゲテモノ片手にお話中のところに色々とマズイ人が入ってきた。
「こんにちはフランシスカちゃん、メフィストさん。楽しんでいらっしゃいますか?」
 天使のような笑顔を振りまき、高級感溢れる純白の生地に金をあしらったドレスを纏う。
 この国の女性皆があこがれる気高き女王、ルミナスがシャンパンの注がれたグラス片手に立っていた。
 このゲテモノコーナーに。
「こんにちは……女王様」
 ぺこりと一礼するフランシスカ。
 最初は彼女がここにいることに何の疑問も抱いていなかったのだが、次の一言でフランシスカは我に返る。
「あら、この水槽で泳いでいるのはウーパールーパー? ふふ、小さくて可愛い子ですね」
 テーブルの上に置かれた水槽を覗いて興味深々に見つめるルミナスを見て、フランシスカは思い出した。
 ――ここは魔族専用ゲテモノコーナー、今自分が食べているコレを見たら大変なことになってしまう。
 恐らくルミナスはここがどういう場所なのかを理解していない、というか知らされていないのだろう。
 この魔族専用コーナーには前述の通り人間が食べられないような料理があると言ったが、食べては色々とまずい物が存在する。
 実はこのウーパールーパーはワシントン保護条約で保護されている絶滅危惧種であり、パンに挟んで食べていいような代物ではないのだ。
 パーティーの責任者であるヴァンの計らいで悪魔達により美味しい料理を、ということで色々と不正が働いているのだが、もちろんそれは内緒の内緒と言うことになっている。
 ――女王様がショックで倒れる前に、どうにか此処から出て行ってもらわないと。
 そう考えたフランシスカは、とっさにルミナスの両目に手を当てて視界を塞いだ。
「……フランシスカちゃん? これはなんていうゲームなのかしら」
「も……もうすぐ社交ダンスが始まる時間ですね、そろそろ移動しませんか……?」
 ウーパールーパーサンドをすぐさま頬張って、どうにか誘導しようと後ろから目を隠したまま背中を胸で押す。
 背丈が結構違うので、その姿はとても滑稽な物になっている。
 このパーティーの予定では、確かにもうすぐホール中央で社交ダンスが始まるはずだ。
 今は姿を見せていないヴァンだが、どうも何かをやらかすために色々と準備をしているらしい。
 それもそうか、と素直にフランシスカの誘導に応じるルミナス。
 社交ダンスが行われるホール中央からは人々が移動して舞踏するスペースが空けられ、音楽担当の演奏員が楽器を運び込んでくる。
 セルビア国内で活躍している交響楽団に演奏を依頼しているが、これがなかなか良い音楽を奏でるのだ。
 進行は順調、まもなくダンスパーティーが開催される。
 その時、ホール全体の照明が一斉に消えた。
「赤は情熱の色、赤は薔薇の色、赤はルージュの色、赤は鮮血の色」
 美しい女性の声が響く。
 暗闇の中、ホール中央にスポットライトが当てられたそこには一輪の薔薇が落ちていた。
 当てられた光にも負けずにそれは赤くその花びらを見せ付けており、その光景を見たすべての人がそれを薔薇であることを認識する。
「黒は闇の色、黒は黒曜石の色、黒は今宵の空の色。何より黒は――私の色」
 演奏のアコースティックギターが会場に響き渡ると同時に、スポットライトが消えたと思ったらすぐに点いたが、薔薇のあった場所には謎の女性がポーズを決めて立っていた。
 腰まで伸びた非人間的で美しい紫色の髪が流水の様に靡き、胸元どころかへその下辺りまで開けた超セクシーな黒のドレス。
 透き通るような白い肌に不似合いな刺青は、目をモチーフとしていて何処か禍々しい物を感じる。
 真っ先に反応したのは女好きのベルモンドだ。
「なっ、何だあの超絶セクシーで誘ってるとしか思えない挑戦的なレディは!」
 彼女の口には一輪の薔薇、ポーズを決めたまま顔を上げ、その恐ろしく震えるほど鋭く光る魔眼が覗いた。
「私は魔王ヴェーデルハイム。さあ、情熱の黒をご覧に入れましょう」
 軽快な音楽が演奏され始めた。
 強靱なリズム体の上に、ロマンティックな、時としてメランコリックな主旋律が響く。このリズムはタンゴ、強烈なまでに激しいタンゴだ。
 ヴァンの踏むステップは軽やかなのに、全身を使った激しいダンスはこの世の物とは思えないほど美しい。
 黒いドレスの裏地は真っ赤なビロード、あまりの激しさに中が見えてしまうかしまわないかの絶妙な動きが、これ以上ないほどエロティックかつ芸術的。
 音楽は確かにタンゴなのだが動きは違う、それどころか何処のダンスにも当てはまらない物だった。
 だがそれを見て会場にいた悪魔が感動の声を上げる。
「あれは伝説の……、魔王のタンゴだ!」
 激しい踊りは続いた。ギャラリーはその動きに釘付けで、魔法にかかったように身動き一つしていない。
 魔王のタンゴを先頭で目の当たりにしていたルミナスも、例外なく釘付けだ。
 だがそこにヴァンは、ステップを踏みながら彼女に近づいていった。
 ヴァンはルミナスの手を取ると、突如正統派なタンゴのダンスを踊りだす。
 男女で踏むようなステップを、傍から見れば女同士で踏もうとしているのだ。
「ルミナス、もちろん社交ダンスの心得はあるな?」
「えっ、あっ……ありますけどうわぁあっ!」
 ヴァンはルミナスの腰に手を当てて、体を密着させた。美しい女性2人が、綺麗なドレスを身にまとってタンゴを踊る。これもまたなんというか芸術的だ。
 だが当のルミナスは困惑の色を隠せなかった。
「ちょっとヴェーデルハイムっ。私はダンスの心得はあると言いましたが、ステップはどちらを踏めばよいのですか!」
「おおっと忘れていた。ちょっと待て」
 そうヴァンが言った瞬間、あろうことかルミナスは会場の天井近くまで放り投げられた。
 それと同時に会場には視界を覆いつくすほどの薔薇の花が舞い上がり、ヴァンの姿を隠してしまう。
 だが次の瞬間、ホール中央にはルミナスを抱きかかえる男の姿があった。
 相変わらず美しく整った顔立ちと鋭い目、まさに麗人と呼ぶに相応しい。
 右半身と左半身で黒と紫が分けられた奇妙なタキシード、美しくなびく紫の長髪は以前のままを残している。
 ヴァンは一瞬にして、女から男へ変化したのだ。
「これでいいな?」
 ルミナスの耳元にヴァンが囁く。彼のあまりの美しさに彼女は不本意にも赤面してしまった。
 周りから見たら本当に歓心するどころか驚きの連続。それを見ていたメフィストは、例の如くルミナスに嫉妬心を燃やしていた。
「キーッ! 何ナノあの糞ビッチ姫、ヴァン様とタンゴなんか踏んじゃってさ。おまけに耳元で囁かれたわよ? あぁああああああっ、マジ殺したいひき肉にしてドブ川に捨ててやりたーい!」
 まあそんな彼女は放って置いて、王宮のダンスパーティーは最高のスタートを決められた。

 何事も無くダンスパーティーは終了、パーティーは会場は再びビュッフェ体系に戻りつつある。
 そんな中ヴァンとルミナス、RHK特殊部隊「エンプレスソード」部隊一行も集まっていた。
 ヴァンの姿は再びセクシーな女性の姿へと代わっており、片手には念願のトカイワインがワイングラスに揺れている。
 彼女は常に堂々としている、王の風格と言うか威厳と言うか、とにかくそんな物に包まれているのだ。
 あのような脅威のダンスを披露したので先ほどから人々の注目の的であったが、いい加減に開放されてきた。
 だが若干一名、相当なショックを受けている男が居る。
「何故だ……、何故ヴァンがこんな美女になってやがるんだぁああああ!」
 嘆きをあげるのはベルモンド。
 無理も無い、女性ヴァンの姿を見るや否や発狂発情モードに突入していた反動が、自己嫌悪とかその類となって襲い掛かっているのだろう。
 とにかく頭を抱えながらうずくまったり、立ち上がっては嘆いたり。当のヴァンはそれを見てヘラヘラと笑って見ている。
「あら、あたしの姿を見て興奮しちゃったのかしら。それならお姉さんがイイコトしてあげちゃおうかな? ――なんてな」
 胸の谷間を二の腕で強調し、前かがみになって挑発的なポーズをとるヴァン。
 ベルモンドはそれを凝視したと思ったら、彼女が男でも女でもないことを思い出してまた嘆く。
 それを見てヴァンが笑い転げる、それの繰り返しが続きそうだ。
「もうそれくらいにしておきなさいよヴェーデルハイム。そのうち彼、気をおかしくしてしまうわ」
 ルミナスが冷静な意見を出し、とりあえずヴァンはセクシーポーズを取るのをやめる事にした。
 もっと過激な姿をさらけ出すこともやぶさかでないヴァンであったが、確かにこれ以上続けるとベルモンドが危うい方向に進路変更してしまう恐れがある。
 笑って喉が渇いたのか、グラスに注がれたワインを一気に飲み干した。
「しかしパーティーというのは何時やっても良い物だな。人間達が笑っている様は少々しゃくだが、悪魔達があんなに楽しそうにしていると、魔王としては実に喜ばしい事だ」
 人間と隔てられたエリアで楽しそうに笑い声を上げる悪魔達がそこに居た。表情が読み取れない者もいたが、彼らは一様にこのパーティを楽しんでいるのだろう。
「まさかあなたがパーティーを開こうと言い出すなんて、思いもしなかったわ」
 現時点ですでに成功していると言えるこのパーティー、やろうと言い出したのはヴァンだった。
 思い立ったが吉日と言った感じですぐさま作業に取り掛かり、彼女は殆んど一人でパーティーの準備をして、今はそれを切り盛りするに至る。
 なんとも手際の良い事で、ものの3日ですべての準備を済ましていた。
 だが先ほどのウーパールーパーのような違法食材を使った料理が、あのゲテモノコーナーに並んでいたのは秘密だ。
「RHKは成功を収めています。ですが……この幸せも誰かを殺すことによって得た物だと考えると、素直には喜ぶことが出来ませんね……」
「お前が喜ぼうがそうでなかろうが俺は国を立て直す、そういう契約だと言うことを忘れたとは言わせないぞ」
 魔王と王女の契約からもう2ヶ月経とうとしている。
 ヴェーデルハイムをこの世に復活させて国を立て直す手伝いをさせていることに対し、ルミナスは未だ疑問を抱かざるをえなかった。
 しかしこれは亡き父の遺言、そしてエンキュリオール家の宿命であると彼女は考える。
 ルミナスはヴァンを恐れると同時に信頼していた、何故なら恐ろしいほどに強力で、恐ろしいほどに頼りがいのある存在だからだ。
 魔王と聞いてもっと冷酷なイメージはあった、確かにそんな一面もあるのだが、パーティを開いて楽しんでいるくらい陽気なところもある。もしかしてこれは、悪魔と人間が分かり合えるチャンスではないかと思ったりした。
 ふと電子音が背後から響く、携帯電話の呼び出し音だ。
 後ろにいるのはルミナスに使える執事、バトラー。ルミナスは執事のことをバトラーと呼んでいるが、実は彼の本名は一切不明なのだ。年は老けてないしむしろ若いだろう、20代後半と言ったところか。
 常に近くにいるミステリアスな存在、それが彼。
「はい、バトラーです。――なるほど、わかりました。追って連絡します」
 ポケットから取り出した携帯電話を閉じる。
「バトラー。何かあったのか?」
「兵の派遣依頼、エンプレスソード部隊を指定で連絡が着たとの事です」
 通常、兵の派遣はリスクの無い悪魔達と少数の人間が派遣される。
 しかし通常とは別に特殊部隊「エンプレスソード」を指定してくる場合は料金に差がある。つまり特殊部隊が必要な状況があると言うことだ。
「クライアントは?」ヴァンが依頼者を聞く。
「グルジア共和国政府、およびグルジア魔道協会です」
 グルジアはロシア連邦南西部に隣接する共和国。
 先日グルジア領内の独立区「南オセチア自治区」が、ロシア領土になったことで話題となっていた。
 そういえば最近ロシア国内の石油パイプラインが破壊されたらしく、グルジアはその犯人として疑われて非常に危うい状況に立たされているとニュースでやっていた。
 もしかするとそれに絡む依頼かも知れない。
「グルジアか、それも魔道協会。ちょっと面白そうな依頼じゃないか?」
「魔道協会?」ルミナスはその意味を知らず、バトラーに聞いてみる。
「魔道協会とは、国内の魔法・魔術を取り締まる組織です。各国は自国の魔法使い達を保護したり教育したりしなければなりませんが、魔法の性質上表立って支援することは出来ません。だから秘密結社を通じて魔法と繋がる、パイプ役と言うよりは一つの行政機関ですね」
 セルビア王国にもセルビア魔道協会というものがある。彼等は国内の魔術を保護するために、魔法学校などを作ったりする。セルビア唯一の魔法学校、ズレニャニン魔法学校がそれだ。
 ルミナスが魔法を知らないのは、前任の王である父がそれを伝える前に死去してしまったからだ。
「グルジアですか……、ともかく話を聞いてみましょう。エンプレスソードを必要すると言うことは、それなりの状況があると言うことです」
「ああ、明日には早速飛行機に乗って会談に向かおう。ついでに国家間の交流も深められたら最高だな」
 
 パーティーが終了した次の日、一行はグルジアに向かった。
 グルジア共和国首都トビリシ、西アジア北端、南カフカース地方に位置する共和国。旧ソビエト連邦の構成国のひとつで、1991年に独立した。トルコ、アゼルバイジャン、アルメニアと隣接する。
 古来より数多くの民族が交通の要所として機能し、幾たびもの民族支配にさらされる土地でありながらも、キリスト教信仰をはじめとする伝統文化を守り通してきた。
 飛行機の窓から見える街の建物は、ヨーロッパとオスマントルコの雰囲気が交じり合ったどこか不思議な物。ルミナスとバトラー、ヴァンは王室の専用機を使って一足先にトビリシへ到着する。
 空港から政府の迎えが車を用意しており、一行はまっすぐ大統領官邸に会談へ向かった。
 官邸まではおよそ1時間で到着した。そこには立派な建物が立っている。だがそれはルミナスが住んでいる城と比べたら、明らかに差があるのだろう。
 しかし、城と比べるのはお門違いな気もする。
「エンキュリオール王女殿下、到着いたしました」グルジア政府のボディーガードがドアを開ける。
「どうもありがとう、わざわざ送っていただいて」
 いえいえ、と首を横に振るボディーガード。
 一足先に車を降りたバトラーに手を引かれ、ルミナスは車外へと出る。
 今日のルミナス服装は白のジャケット、下は膝までの丈で片方にスリットの入ったタイトスカートだ。
 同じくヴァンも車外へと足を踏み出すが、今日の姿はいつものロングコートを羽織ってとんがり帽子も被っている。
 だが性別は見た目女性になっており、コートの下にはフォーマルなスーツを着ており、まさにビジネスに行くと言った感じの身なり。彼曰く女性の姿のほうが体が小さく普段はその姿のほうが動きやすいと言うが、どうもそれだけでは無いらしい。
「ほう、この街もしばらく見ない間に変わったものだ。確かあの時はコルキス王国とか言う名前だったか」
「貴方のしばらくはずいぶん長いのですね」
「何年生きてると思ってる。少なくとも1700年以上前までは記憶があるぞ」
 懐かしいような目新しいような目で街を見るヴァン。千の時を超えて生きつづけた彼にとっては、見える物全てが懐かしく、そして新鮮に写るのだろう。
 ボディーガードは官邸の中にルミナスたちを案内した。さすがに公的機関の最高潮と言うだけあって高級なインテリアが施されている。
 しばらく進むと大統領室と書かれた札が見え、そこには少し雰囲気の違う両開きの扉。
 ボディーガードはドアをノックすると中から許可の返事が聞こえ、彼はゆっくりとそのドアを開ける。
「大統領、お連れしました」
「おお、来てくれたか。ようこそグルジアへ」
 歓迎の握手を求めて来る大統領、ルミナスはそれに答えた。
「始めまして、私はグルジア共和国大統領のミヘイル=ムガロブリシビリ。お会いできて光栄です」
「こちらこそお会いできて光栄ですわミヘイル大統領。私はセルビア王国王女、ルミナス=エンキュリオール21世です」
 ミヘイルはにっこりと笑みを浮かべてルミナスを見ている。
 彼は60を超えていると思われる初老の男性で、白髪の混じった髪をオールバックにして纏めていた。一見普通のおじいさんと言ったところだが、これでも国民の投票で選ばれた大統領である。
「最近最愛の父上がお亡くなりになられたそうで、お悔やみ申し上げます。いきなり王となられてさぞ大変でしょう?」
「お気遣いありがとうございます。確かに苦労は絶えませんが、亡き父の後をついで精一杯国を背負っているつもりですわ」
 確りとした受け応え、流石は一国のリーダーである。何かと問題の絶えない外交において、当たり障りのない、丁寧なコミュニケーションは主導者としての必須スキルである。
 だが今日はルミナスだけがこの場に来ているわけではない、護衛としてのバトラー、そしてRHKインターナショナルのCOO(最高執行責任者)としてのヴァンである。
「そちらの方は……」
「眼鏡をかけたのが護衛兼執事のバトラー。そして彼女はRHKインターナショナルCOOのヴァ――」
 ヴァンはルミナスが紹介する前に自ら自己紹介する。
「ヴェンディー=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタですわ。以後お見知りおきを」
 ルミナスはふと忘れていた。RHKの社長はヴァンであるのは確かなのだが、女性としての彼はヴェンディーという名前で通らせるようになっている。
 それのほうがビジネスでは何かと都合がいいらしく、旨く性別を使い分けていると言うわけだ。
 男女が混同してややこしいのが難点だが、美女の前だと財布の紐が緩むのかもしれない。
 バトラーを除いた二人は大統領の案内で室内中央のソファーに腰掛ける。秘書と思われる女性がすぐに紅茶をテーブルに配らり、芳しい茶葉の香りが漂い始めた。大統領はテーブルを挟んで反対側のソファーに腰掛ける。
「遠路遥遥ご苦労様です。どうです、この国は」
「まだ来たばかりで右も左も分かりませんが、とても美しい街並みに驚きました」
 うんうんと頷いて話を聞く大統領、自分の作品を褒められている気分みたいな物か。
「この後は街の視察でもいかがですかな? 温暖な気候を生かしたワインが名物ですよ」
 中々気さくな男だ、とルミナスは思う。
 グルジアといえばロシアとの関係の悪さからか、何かと物騒な噂が立ち上る国と言うイメージがある。
 事実、南オセチア自治区の問題は現在も続いており、数年前にCIS(独立国家共同体)から脱退したばかりだ。
 そこの大統領と言うのはどんな人間なのだろうと不思議には思っていたが、案外温厚な人物で安心する。
 ルミナスと大統領との間には、とても良い雰囲気が漂っている。しかし、彼女の言葉でそれは崩壊した。
「そろそろ世間話も止めにしません? 我々は依頼の相談を受けて此処まで来たのです、首脳会談はその後存分にやってください」
 足を組んで、ティーカップ片手に偉そうなヴァンが口を挟む。
「こらっ。ヴェンディー!」
 なるべく小声でヴァンに注意をするが、恐らく大統領にも聞こえている。
「ああ、そうだったな」ミヘイルは軽く咳払いをした。
 ソファーに改めて深く座りなおす。そして、本題の依頼内容に入った。
「先日、アゼルバイジャンから通っているロシアの石油パイプライン『バクー・ノヴォロシースクパイプライン 』が破壊されたのはご存知の通りと思います」
「確かにニュースでそのようなことがあったと聞きました。爆発炎上して大変だったようですね」
「はい、全くはた迷惑なことです。しかし、あろうことかロシアは犯人として真っ先にわが国を疑ってきました。南オセチア自治区がロシアに吸収されてまだ日が浅いので、報復として捉えると疑いを掛けられるのは無理も無いでしょう。しかし、我々はこの事件に一切関与していない、濡れ衣です。ロシアとの衝突は避けたい、北京オリンピックの二の舞にはなりたくありませんからね。そして我々は必然と無実の証明をしなければいけなくなりました」
「つまり、我々を呼んだのはその証明を手伝って欲しいと?」
「そうです。最初の頃はパイプラインを破壊したと言われる未確認飛行物体が、一体何なのかなど見当もつきませんでしたが、国内の魔道協会がある可能性を提示してきたのです」
 連絡を受けた際にも聞かされた、グルジア魔道協会のことだ。
「魔道協会は信じられないような事を言いました。私も一国の主導者ですから国内の魔法事情くらいは掴めていますが、それでも信じられなかった」
「その、未確認飛行物体の正体ですか」
「そう、彼等はこう言いました。ドラゴンだと」
 ルミナスは自分の耳を疑った、今確か何と言ったのだ。
 聞き返してみても帰ってくるのは確かにそれ、ドラゴンという言葉だった。
 ドラゴンとは空想上の怪物としてその名が知られている、あの空を飛ぶ羽の生えた恐竜のようなモンスター。
 火を噴いたり、人里を襲ったり、または生き血を飲むと不老不死になるとかファンタジーでは描画される。
 そのドラゴンがパイプラインを破壊したかもしれないと、彼は言っているのだった。
「竜ときましたか……これまた奇怪な」ヴァンは面白そうだと笑みを浮かべる。
「ドラゴンと言っても正確な種類は分からないと、そう魔道協会の報告があります。聞くところによると、あなた方RHKインターナショナルは戦闘に関してもプロだが、そういう魔法などの方面にも強いと聞いている。そこで依頼する内容は主に分けて2つ。まずドラゴンが何処に潜伏しているか調べること、ロシア側の報告によると未確認飛行物体は哨戒中の戦闘機2機を撃墜した後グルジア国境を越えたらしい。よって、グルジア国内の何処かに潜伏している可能性が極めて高い、これを捜索。そして目標の捕獲および無力化、ロシア側に生け捕りにしたドラゴンを証拠として見せ付けるのだ。手段は問わない、なんとしてもドラゴンを捕獲してくれ」
 人殺しではなく怪物狩り、モンスターハンティングというわけだ。
 RHKは単なる傭兵部隊ではない。王立の、そして魔王の私兵部隊。相手がドラゴンだろうがなんだろうが、殺せと言われれば殺すし、捕まえろと言われたら縄で縛って突き出すまでだ。ヴァンはその為に様々な才能を部隊に編入した、手段ならある。
 すなわちこれを受けて遂行することが出来ると、自信を持って言えるミッションだと言うことだ。
「報酬は? 出来ればユーロで頼みたい」
「100万ユーロ、経費はこちらが負担します。あなた方傭兵の事情は聞いていますから、今後の友好の印ということで比較的多めに見積もらせていただきました」
 CEOヴァンはルミナスの方に視線を向ける。彼女は首を縦に振った。
「商談成立ですね。前金として20万ユーロを指定講座に振込みを確認した後、作戦行動に入ります。作戦成功後に残り80万ユーロを振り込んでください。我々RHKインターナショナルは、確実な成功をお約束いたします」
 ヴァンはミヘイル大統領と握手を交わした。確かな人間の暖かさが伝わる。
 鋭い目つきがここでは僅かに緩くなっており、ナイフのような視線は大統領を恐怖させることは無かった。
 しかしその赤みの強い紫、ロイヤルバイオレッドに輝く怪しい瞳は、彼に異様な印象を与えていることだろう。
 ともかく商談は成立した。一行は今後の計画を立てるため、宿泊先の政府要人ご用達の高級ホテルへ向かった。

 首都トビリシ、それどころかグルジア国内有数の高級ホテル。
 地上100階に位置するVIP専用のスーパースイートルームに、一行はしばらく宿泊する予定だ。
 豪華絢爛な金銀宝石の装飾が施されたベッド、机には美しい大理石に家具はどれも高級メーカーのオーダーメイドのよう。最上階フロアの全てを使用した贅沢な広さを持っており、部屋も幾つもあるために全員が同じ部屋に宿泊することが出来る。
 性別がどうにでもなるヴァンはともかく、バトラーは男だ、恐らく。
 それでも同じ部屋に止まると言うのは単に部屋が広いからではなく、執事として、ガードマンとして彼は一緒に寝泊りするわけだ。こんな高級ホテルだ、執事の仕事などしなくてもホテルマンが何でもやってくれそうだが、王女の安全のために身の回りの世話は彼に任せなければならない。
 グルジア政府のバックアップのあるだろうが、安全性は高ければ高いほど良い。
 長旅としばしのトビリシ観光に疲れたルミナスは、シルクのソファーに深く腰掛けている。そんな時にはすでにバトラーはコーヒーを入れており、手早くテーブルにカップを置いた。
 全く気が利く執事だ、だがそうでなければこの仕事は勤まらない。
「ありがとう、バトラー」
「いえ。それよりも、初めてのトビリシ観光はどうでしたか?」
「古き良き、歴史のある街でしたね。宗教的建造物も中々多様な物がありました、イスラムのモスクにユダヤのシナゴーグ、キリスト教会も美しい物ばかり。さすが交通の要所と言われただけはあります」
 昼食には大統領紹介の最高級レストランで地元のワインを味わい、VIP待遇の観光を楽しんできた。
 RHKを作ってよかったと思える一面、いろんな国でいろんな人に会える。
 もしかしたらその人たちを殺さなくてはいけない時もあるだろうが、傭兵と言う中立的な立場から見える物もあるだろう。とても良い機会だ、国興しに参考にさせてもらおうと、ルミナスは心底思った。
「バトラー、俺のコーヒーは無いのか?」
 ヴァンはソファーとは少し離れたテーブルの上にノートパソコンを開き、LANケーブルを引っ張って作業をしていた。1700年以上生きる魔王が、人間の作り出したコンピュータと言う道具を当たり前のように使っている。
 まるでずっと流れる時代を見つめてきたかのような、あるいは単に高い知能を持っているのか。それはどうも分からないが、ルミナスはそれを見て関心する。
「要るのならそう仰ってください。私はあなたの執事ではないのですよ?」
「気が利かないな、ついでってものがあるだろう」
 執事はそっとパソコンの隣にコーヒーの注がれたカップを置いておく。
 一応はお代わりが出来るくらいの量はドリップしてあったのだ、ただ単に注がなかっただけのこと。
 ヴァンに対しては別にどういう関係もない、が、用意が無いわけでもない。
「前件撤回、まあ用意周到ではあるな。感謝する」
「どういたしまして、偉い偉い魔王様」
「フフ、様など付けなくとも良い。お前は確かに俺に仕える執事ではないからな。しかしお前は昔からそうだ、興味の無い奴にはとことんどうでもよく接する。そんな風だからわっかを取り上げられたんじゃないか?」
 わっか、何のことだろうとルミナスは会話を聞いて思う。
 それに今ヴァンは「昔から」と言っていた、バトラーとは以前目覚めていた時に会っているのか。だとしたらバトラーは一体何歳だろう、普通に考えて老人になっていてもおかしくない。
 魔王ヴェーデルハイムが以前エンキュリオールの契約で呼び出されたのはおよそ70年前、第2次世界大戦の真っ只中だ。それが今も20台の若い男、彼は人間ではないのだろうか。
「バトラー、あなたはもしかして――」
「ルミナス」ヴァンはルミナスの言葉に重ねるように言う。
「口座への入金を確認した、後でお前も見ておけ。それと、目標の正体が漠然とした物である以上調査しなければ何ともいえないが、とにかくクローディアスを先に来させろ」
「彼を? どうして」
「俺があいつを入隊させたのはその高い戦闘力だけで判断したわけではない、特筆すべき能力が他にあるからだ」
 王立傭兵騎士団の中で構成された特殊部隊は、わざわざ手紙を送って王国各界から集められたプロフェッショナルで構成されるのは周知の通り。
 だが何を持ってプロフェッショナルなのかと言うのは、ルミナスは聞かされていなかった。
 彼等が一様に強いのは分かる、だがそのほかに特異な能力があるのか。
「クローディアスは今回の作戦に必須だ、最優先でこちらに向かわせろ。それと――」
 ヴァンはパソコンの前から離れて、ルミナスの向かいのソファーに腰を下ろした。足を組んでいて、とても態度が大きい。
「ルミナス、何かおかしいと思わないか?」
「この依頼の事ですか? 別段そうは思えませんが」ルミナスは首をかしげる。
「ドラゴンは人間界と魔界の両方に生息する魔獣だ。表沙汰にはされていないが、今でも世界中のあちこちでその存在を確認されている。もしドラゴンが人間に危害を加えているなら、基本的に魔道教会がその駆除に当たるというのが通例なのだ。幸いにして人間界に凄むドラゴンは魔力が小さい、戦車で砲弾をぶち込むも良し、小さい物ならミサイルで打ち落としてしまえば殺すことなどそう難しいことではない。だがグルジア政府はわざわざRHKを雇って対処しようとしている。殺すより捕獲のほうが難しいのは分かる、だけども軍隊と連携してこれに当たれば不可能ではない。それでも我々を雇った、これには何の意図があるのか」
「単純に、軍隊を動員してもそのドラゴンが捕獲するには不足だと判断したからでは……」
 ヴァンは被っていたとんがり帽子を手に取り、付いていた塵をはらう。
 息を吹きかけ、金色の王冠をスーツの袖で拭いた。この素振りは一体何なのだろう、ルミナスが的外れな回答をしたというのか。
「そう考えるのが普通だな。では、何故彼等はそれが手におえない相手であることを知っている? まだ居場所も掴めてなければ、詳細な種類も分からないのに」
 確かにそうだ、とルミナスは思った。
 手におえないと判断すると言うことは、少なくともそのドラゴンと一度は対峙しているはず。しかしそれはありえない、何故なら居場所さえ掴めていないからだ。
 ではドラゴンの詳細な情報を最初から掴んでいたのか。そんなはずは無い、大統領は確かに「正確な種類などは分からない」と言っていた。
 すなわち、考える限りではこの依頼は、グルジア側がドラゴンについての情報を掴んでいるという前提でなければ成立しないのだ。
「罠だ、とでも言いたいの?」
「それも無きにしも非ずだが、俺達は傭兵であり、捨て駒にされる可能性もあるはずだ。さっきまでの話はあくまでも推測、このまま作戦を決行しても問題は無い可能性もある」
「でも――大統領はそんなに悪い人の様には見えなかった。それに、あなたは例え罠だとしてもそれに自ら挑むのでしょう?」
 ヴァンは驚いた、完全に図星だったのだ。例え罠だろうと何だろうと、それはさほど重要な問題ではない。
「何故俺が罠に挑むと?」
「面白そうだから……、とあなたは言うでしょう」
「ほう、分かってるじゃないかルミナス。そうだ、俺は面白くて、人間の悲鳴さえ聞ければ満足だ。楽しいと言うことはとても重要なことだからな」
 ルミナスは彼の性格を徐々に把握してきていた、召喚したあの日から彼の不可解な言動に悩まされてきたが、すべてはある行動原理に基づく物だった。
 ――自らが、楽しめること。
 彼にとってそれは死活問題であり、同時に全てだ。
 あえて困難な状況に身を置き、罠にかかったことを喜ぶ者を痛めつける。そして罠を仕掛けたことに対しての、死をもって底なしの後悔へと繋げるのだ。
「明日から忙しくなるぞ。2人共、覚悟しておけ」

 翌日、ヴァンからの要請を受けてベルモンドがトビリシ空港に到着した。
 RHKの専用物資および他の隊員が来るのは3日後、その前に一足速く彼が呼び出されたのは理由があるらしい。
 到着したのは予定通りの8時、セルビアからはおよそ4時間程度のフライト。先日、ヴァンからの急な呼び出しを受けた時ベルモンドは、歓楽街で水商売の女達と遊び呆けていた。酒もかなり飲んでいたために、今現在二日酔いの症状が続いている。
 それでもベルモンドは空港からルミナス達の宿泊するホテル目指して移動する。空港からはそれほど遠くない、10分程度で到着した。
 見るからに超高級ホテル、こんなところに宿泊するのは生まれて始めてのベルモンドは、心なしか軽やかな足取りで最上階へ向かう。
 ドアのベルを鳴らす。開いて、バトラーが出迎えた。
「やあ、予定通りに来ましたね」
「すんげー部屋だなオイ。これがVIP待遇って奴か」
 ベルモンドは飛び込むように部屋に入ると、なめ回すように辺りを見回している。どれもこれも高級な物ばかりで、何よりも部屋の広さに脱帽した。今までスイートルームなんかに縁のない普通のホテルしか泊まったことのない彼にとって、この部屋はあまりにも豪華すぎて落ち着いていられなかった。
 バトラーはそんな彼は放って置いて、自らのデスクワークを片付けに目を離す。だがそれが命取りになるとは、まだ気づいていなかった。
「ここがリビングで、ここが俺のベッドルームか。マジかよ、ベッドが金色だぜ……」
 荷物を置くやいなや、ベルモンドは部屋のあちこちを見て回った。
 リビングからベランダ、ベッドルームにいたるまで隅々に。何処もかしこも煌びやかな金細工で眩しい。
 そして、彼はバスルームの洗面所に差し掛かり、ドアノブをひねる。
 するとそこには、下着姿の女性が立っていた。
 髪は濡れている、恐らくは朝のシャワーを浴びていたのだろう。
 ちょうどブラジャーのホックを付けようとしていた所で、その色は気品のある純白、下も同様。肌は湯上りでピンクを帯びており、腰から伸びた長い足が印象的。
 絶世の美女があられもない姿で立っている。そんな彼女の肢体を見て、ベルモンドは唾を飲まざるをえない。
「え……」相変わらず目が点だ。
 ベルモンドは見とれていた自分を正気に戻し、これからどうするべきか物の数秒で考えついた。
 とりあえず出よう、それが先決だ。と、分かっていたはずなのに余計なことを口走ってしまう。
「あー……、可愛い下着ですねっ!」ナイススマイルで親指を立てた。
 背後に人の気配、頭の中に響く爆音。暗転、沈黙。意識が遠のいて真っ黒な光が視界を包んだ。

「……」光が見えない、まぶたが邪魔をしていると言うよりは神経系が麻痺しているようだ。
 やっと光が見える、そこを抜けると微かな視界が広がりかける。鼻には紅茶の香りが入る、とても良い匂いだ。
 ティーポットからカップへ注がれる液体の音、湯気とともに立ち上る香り。
 頭皮が熱い、何かを注がれているかのように。
「ぎゃぁあああああああ!」ベルモンド、絶叫。
 彼は焼けそうに熱い頭を抑え、床の上でのた打ち回った。
 仰向きで視界を開くと、そこにはニヤニヤと笑みを浮かべた女性が一人。手にはカップ、恐らくは紅茶が入っているのだろう。
「どうだ、淹れたてのジョルジを頭に掛けられた気分は」ヴァンはそう言いながら再び紅茶をベルモンドの顔面にかけてみた。
 一度はポットに移しているためにそれほど高い温度ではないのだが、火傷するかと思うほどの熱さは残っている。
 再びもがくベルモンド。ヴァンは苦しそうな彼を見て心底楽しそうである。
「やめなさい」とルミナスが制止する。
 いくらなんでも気絶している人間を起こすために、水をかけるならまだしも熱湯は無いだろう。
 脱衣所に人が居るか確認を取らずに入ってきた彼も彼だが、バトラーも背後からぶん殴るのもやり過ぎだと、ルミナスは思う。
 彼女の制止は効果があったようで、ヴァンはしぶしぶカップの紅茶を自分の口に含んだ。
「全く、デリカシーの欠片もないのかこの男は」バトラーは呆れたようにため息をつく。
「事故だったんだ、まさか王女様がそこに居るなんて知らなかったんだよ!」
「姫様の話では随分と凝視していたようですが?」
「王女様の超エロい御姿を拝めて俺超ラッキーとか思っちゃったりしたけどさ、本当は俺紳士なんだぜ。本当だって。」
「もう一度殴って差し上げましょうか、変態と言う名の紳士さん」
 バトラーはにこやかな笑みを浮かべながら指を鳴らしている、これは本気だ。それを感づいたベルモンドは、しばらく大人しくしてようと思うのだった。
 立っていたヴァンは近くのソファーに長い足を組んで腰掛け、とりあえずベルモンドと本題に入ることにした。
「まあいい。ベルモンド、お前を呼んだのは他でもない。今回の依頼に必要だと判断したからだ」
「ドラゴンだな」
 ベルモンドは一応依頼の内容について多少は聞かされていた。
 詳しい話は現地で、と言うことであったが大体の状況はつかめている。そして、何故自分が必要なのかと言うことも。
「目標の捜索指揮をベルモンドに任せる。俺は別の案件で仕事があるから、捜索はルミナス・バトラー・ベルモンドの3人で行え」
「何故彼に任せるのですか?」ルミナスはいい加減理由を聞いておきたかった。
 とりあえず本人に聞いておいたほうが分かるだろう、とルミナスはベルモンドに視線を向ける。
「まあ、なんというかね。俺はRHKに来る前は世界中を渡り歩いていたんだが、賞金稼ぎとか諸々の仕事って言うのは本業の傍らやっていた事なんだ。で、その本業と言うのがドラゴンハンター。つまりは竜専門の駆除業者さ」
 人間界に生息する竜の中には実害を出す物もあり、誰かがそれを駆除しなければならない。
 害虫退治ならぬ害竜退治とも言え、ベルモンドは世界中を渡り歩いて竜の駆除業者をやってきたというわけだ。
「俺の家は代々竜騎士をやっていたんだ。竜を飼いならし、竜に乗って竜を殺してきた。だけども最近は人間に懐き易い温厚な竜種が絶滅しちゃってね、今じゃただの駆除業者さ」
「ドラゴンも絶滅するんですね……」
 人間の環境破壊によって絶滅してしまった種は多いが、生物である竜種にもその影響が出るのは至極当然のことだった。
 かつて戦場を竜に乗って戦った竜騎士達は、今や幻想に最も近い存在。彼らにとって竜とは、猟師が相棒にする犬のようなもの。それを失った代償は大きい。
 ふとベルモンドは腕時計を見てみると、もう10時を過ぎようとしているではないか。いい加減に捜索を開始しなければ何時終わるかも知れなくなる。
 ソファーから立ち上がり、殴られた後頭部をさする。
「さぁて、早速探しに行こうぜ。車を使いたいんだが、何使えばいいんだ?」
「レンタルすればジープもありますが……、ってそんなに近くに居るんですか?」
 ベルモンドは誇らしげな笑みを浮かべる。どうも此処に来る前からいろいろと情報を掴んでいたようだ。
「此処周辺に残留している魔力から推測するに、ここ最近巨大な魔法生物が上空を飛行した。そして何よりも飛行機から見えた小カフカース山脈に、どうも怪しい痕跡が残っている」
「怪しい痕跡?」
「森の木々が所々倒されて、変色していた。それはまるで獣道のようだった。恐らくは竜が通った道だと思う、そうでなければあんな巨大な獣道は存在しないね」
 セルビアからグルジアへの飛行機は、トビリシから南西部にある小カフカース山脈山中の上空を飛行する。
 ルミナスも確かに山脈を覆う深い森を窓から見ていた。変色していた場所は特に意識していたわけではないので見ていないのだが。
 巨大な獣道、何かが通ったとされるそれが近くにあるというのあれば、行ってみる価値は十分にあるだろう。
 それに周辺には「バクー・トビリシ・ジェイハンパイプライン(通称BTCパイプライン)」の存在もあるので、一刻も早く確認する必要がありそうだ。
「早速行って見ましょう。何事もまずは行動からですからね」
 ヴァンを除いた一行は、ジープをレンタルして捜索を開始した。

 山中は深い森に覆われている。
 背の高い針葉樹が日光を遮っていたが、しばらく進むと低木も所々見受けられる樹林になった。
 静かな森だ、薄暗い中に差し込む光りの帯が美しい。鳥の声も遠く、今はただジープのエンジン音だけがその場に響いている。
 竜退治の専門家であるベルモンドの能力は素晴らしかった。残留魔力で進行方向を割り当て、地形を元に竜が好むとされる場所を特定していく。双眼鏡片手に周囲を見渡す彼はまさに猟師、これにハスキー犬と猟銃があればさらにそれらしくなるだろう。
 ジープを運転するバトラーに方向を指示しながら進んでゆく。ルミナスには特に出来ることも無く、助手席に座っているだけだ。彼女も当初は自分にも何か出来ることがあるはずだと意気込んで来たのだが、実際のところバトラーとベルモンドだけで用は足りてしまった。
 あえて理由を付け足すとすれば、ボディーガード兼執事に付いて行かなければ護衛が居なくなるという理由くらいか。まあ捜索ついでにグルジアの自然環境でも見ておこう、と思えばいいのだろう。
 と、彼女が思った矢先だった。
「あれ……なんだか焦げ臭い」
 何かが焼けた匂い。周囲を見渡すと黒く変色した木が集まる場所があった。
 黒く焦げた木は根元からなぎ倒されており、これが恐らく上空から見えた獣道だろう。
「獣道にたどり着いたっぽいな。よし、あの道をまっすぐ進むぜ」
 指を指して方向を示し、ジープはその方向へタイヤを向ける。
 まさに獣道だった、何かが無理やり通っていったような木の倒れ方がそうだ。
 しかし獣道にしてはやたらと大きいし、何よりも焦げているのが気がかりである。高熱の物体が通っていったとしか思えない。または炎を纏った何かが。
 生物が通った跡だとしたら不自然すぎる、何故なら通常の生物はそれほど高温であるはずが無いからだ。
 相手は竜だ、火だって噴くかもしれない。だけどもそれなら山火事になっていてもおかしくない。
 ならばこう考えるべきだ、熱い何かが通ったのだと。
「木が焦げていますね。目標のドラゴンというのは火でも操るのでしょうか」
「いや、どうもそれだけでもなさそうだぜ。バトラー、車を止めてくれ」
 ジープが止まる。ベルモンドはすぐに車を降りて、折れた樹木の様子をうかがった。
 持っていた両手剣を振り下ろし、焦げた木片を採取する。すると彼はあることに気がついた。
「これは焦げてるだけじゃねえな。中心部までの水気が無い」
「高熱で蒸発したのでは?」
「いやいや、そこらへんで倒れてる焦げてない木だって随分と乾いてるみたいだ」
 ベルモンドは焦げてない木も真っ二つにして、断面の状況を確認する。触ってみると確かに乾いていた。
 本来、木は完全に乾燥するまでそれなりに時間がかかる。木造建築の際に使われる木材だって完全に乾いてから使わなければならない。
 もちろん火でちょっとあぶっただけは水分は飛ばない。だからと言って、もっと高温にすれば燃えてしまうのだ。
「直接火を当てずに熱を伝える。赤外線またはマイクロ波が照射されたとも考えられますね」
「マイクロ波……っ」ベルモンドは指を鳴らしてなにやら閃いた様だ。
 彼はすぐにジープへ乗り込んだ。計器を見る、首を縦に振りながら頷いている。
 すると持ってきたバックパックから何やら分厚い本を取り出した。表紙には「竜種図解」と書かれている。
 顎に手を当てながら真剣な表情でそれを読むベルモンド。そして本を閉じ、バトラーに先へ進むよう指示を出す。
「OK、このまま獣道をたどって行こう」
 焼け焦げた獣道をジープが再び発進する。
 恐らくベルモンドは竜の正体を掴んだのだ、さっきの本にはそれが書いてあったのだろう。ルミナスはその正体について興味がわいた。しかし、あえて今はそれを聞かない。
 もうすぐ、まもなくこの道の先に現れるのだろう。そしてそれは10分ほど走った時のことだった。
「ベルモンドさん。前方に洞窟のような物が見えます」ルミナスが双眼鏡を覗きながら言う。
「ビンゴだ。きっとあの中に居るに違いない。この獣道の線上に位置するから間違いないぜ」
 ジープは洞窟の手前に止められる。
 懐中電灯や最低限の武装だけを運び出すと、ベルモンドはさっさと洞窟に入って行った。
 洞窟の入り口は広かった。戦闘機くらいなら余裕で入れるくらいの大きさ。しかし洞窟にしては少々雰囲気が違う、例えるなら「何かが掘った穴」に近い物だ。
 洞窟の岸壁は所々一旦解けて固まったような表面をしていたり、削り取られているような凸凹した所もある。
 気温は低くなかった、いや、もはや暑いといえるくらいの温度だ。
 温度計を見ると40度を超えている、さらにそれは奥に進むほど高くなってゆく。
 一行は薄暗い中を足元に気をつけながら、懐中電灯の光を頼りに進む。ルミナスの額からは一滴の汗が今にも零れ落ちそうだ。
「随分と気温の高い洞窟ですね……。まるでこの先に溶岩でも沸いているような」
「たぶん、その通りだと思う」
 洞窟に入って結構歩いてきたが、ここで奥のほうからかすかな光が漏れていることに気がついた。
 その色は赤い、まさか本当に溶岩があると言うのだろうか。一行は歩く速度を速めた、きっとその光の先にドラゴンが潜伏しているのだろう。
 光はどんどん強くなっていった、もはや懐中電灯も必要はない。温度計の値もかなり上昇している、あまり長居は出来なさそうだ。
 さらに進んでゆく、そしてついにそれ見つけた。
「おいおい、マジかよ」ベルモンドがそれを見て驚いた。
 真っ赤な光りを放つそれは、岩石のような形状をしている。しかし良く見てみるとその形状はトカゲにも似た物であることに気がつき、岩のような物はそのうろこだと言うことが分かった。
 足に生えた爪は真っ赤に光っており、口から吐く息は黒い煙となっていて、大きな翼も生えているが今は畳まれている。
 まさに竜だった、岩のようなドラゴンだ。
 ドラゴンが寝そべる地面は赤熱しており、恐らく体温が相当な高温なのだろう。
 いびきの様な声が聞こえることから、これは寝ているのだろうか。
「ベルモンドさん、これがドラゴンですか……?」
「ボルケーノドラゴン。その名の通り溶岩の中で主に生息している、地底種のドラゴンだな」
 溶岩竜、その名前は熱線を周囲に振りまくその姿を忠実に表わしていた。
 ルミナスはより近くでドラゴンを観察しようと近づこうとするが、ベルモンドはそれをあわてて静止した。
「姫様、近づいたらまずい!」
 注意が遅かったために一歩踏み出してしまった。するとルミナスの体に激痛が走り、彼女の体は大きくのけぞった。その痛みは焼けるようなものではなく、どちらかと言えば突き刺すような痛みだ。
「痛いっ!」
 ルミナスは痛みから逃れるようにドラゴンから離れる。痛みが若干治まった。
 そういえば洞窟内に入ってからというもの、特にこの場所へ近づくにつれて全身に若干の痛みがあった。
 最初はぴりぴりとしたものだったが、此処に来てそれは突き刺すようなものへ変わっている。
「目が退化したボルケーノドラゴンは、周囲を把握するためにマイクロ波の反射を利用してるんだ。恐らく50メートル近づくのが限界、下手をしたら体中の水分が沸騰しだすね」
 マイクロ波だけではない、強力な遠赤外線が照射されているために10メートルまで近づいたとしたら消し炭になるだろう。
 さてどうするかとベルモンドは考えるが、近づくこともままならない相手をどうやって弱らせろと言うのか。
 相手が鳥や鹿など普通の生物であれば、麻酔銃で眠らせることができるだろう。ドラゴンにも麻酔は効かないわけではないのだが、いかんせんその表皮が硬すぎて針が通らないし、何より麻酔薬がその高温によって蒸発してしまうと予想される。
 難儀だなと悩むベルモンド。しかしその前に自分の息がかなり上がってきていることに気がついた。
 息苦しいというわけではない、だんだん体も火照ってきている。まずいと思って温度計を見てみる。
「気温が60度を超えてる……。ダメだ、早く洞窟から出よう。脱水症状を起こすかもしれない」
「でも目の前に目標のドラゴンが。一体どうやって捕獲すると――」
 するとバトラーが車から持ってきたバックパックから銃のようなものを取り出す。それを彼はドラゴンに向け、引き金を引くと金属製の銃弾らしきものが発射された。
 発射されたそれはドラゴンの岩のようなうろこに突き刺さる、どうやら小型の電子機器を埋め込んだようだ。
「発信機を取り付けました。ひとまずここは退散しましょう、今の装備では捕獲できません」
 まずあのマイクロ波と遠赤外線をどうにか遮断する必要がある。
 近づくこともままならずに捕獲は無理だ。攻撃をするにも銃は焼け石に水、戦車でも持ってきてAP弾(装甲貫通弾)による砲撃しか通用しないだろう。
 なんにせよ今はこの場を離れなければならない、ドラゴンが目を覚ましたら3人とも昇天だ。
 だが事は最悪の事態へと移行する。
 ――轟音。地面が揺れた。
 ドラゴンの泣き声、眠りから覚めてしまったのだ。
「糞ッ、おはようだぜ」
 のそりと体を起き上がらせ、4本の足で体を浮かせる。大きな顎を開いて真っ赤な炎を吹き出した。
 目覚めたドラゴンはすぐにこちらの存在に気がついて、頭がこちら側を向く。
 大きな顎を再び開けると、赤い光が収縮しだした。
 3人は急いで洞窟の外へ避難したが、次の瞬間、赤い光の束が洞窟内から走る。
 レーザーか何かか分からないが、とにかく高熱なのは間違いない。
 赤熱する地面、光の束の周辺は草も木もすべて燃え盛る。一行は10メートルくらい離れていたのだが、一番近くに居たベルモンドの右手が高熱で火傷を負う。
 7メートルは光の束から離れていたのに、遠赤外線でやられてしまったようだ。
「あっついって! やばいぜこれは、速く車を出せよ執事!」
「言われなくてもすぐに出ます。姫様、シートベルトをお締めください」
 きっちりとシートベルトを締め、3人を乗せたジープは急発進する。大Gが体を圧迫した。
 後ろを見るとドラゴンが洞窟からはい出ている、きっとこちらを追ってくるだろう。
 バトラーはさらに深くアクセルを踏んだ、そして華麗なドライビングテクニックで木々の間を縫っていく。
 ドラゴンは翼を広げて羽ばたいた、遠くから見てもかなり大きい。おまけに凄い速度でこちらを追ってくる。
 車程度の速度じゃすぐに追いつかれる。それは消し炭になるのを待つようなものだ。
 再び赤い閃光が照射され、ジープの脇すれすれを高熱で融解する。ゴムタイヤの表面がただれた。
「おいっ、もっとスピードは出ないのかよ!」
「フルスロットルだ、これ以上スピードは出せない。どうにかしてあいつの速度を落とせないか」
 もう追いつかれる、速度を落とすしかない。ベルモンドはジープの後ろにある荷物から、大きな武器を取り出した。
 筒状の武器、地対空ミサイルだ。
 ベルモンドはドラゴンの頭に照準を合わせる。ロックオン。トリガーを引いて、ミサイルが一瞬のタイムラグの後発射される。
 ミサイルがドラゴン目掛けて飛行する、着弾。しかし爆発はせずに弾頭が頭に突き刺さった。
「やったぜ! 命中だ」ガッツポーズを決めるベルモンド。
「ミサイルが爆発せずに突き刺さった? どういうことですか」
「ミサイルの弾頭に鋭い槍が付いてるんだ。その槍は『ドラゴンスレイヤー』って言うやつで、魔法鉄オリハルコンで出来てる。オリハルコンは竜種全般に効く猛毒だ。これであいつの動きをほんの少し止めて、今のうちにトンズラってわけだ」
 オリハルコンの毒はすぐに回ったようで、ドラゴンは急に体勢を崩して失速、地面に激突した。
 距離が離れてゆく。追ってくる気配も無いのでどうにか逃げ切れたようだ。
 ルミナスは深呼吸をして、冷や汗とか脂汗を拭う。ジープもしばらく走ってスピードを落とし、バトラーも緊張を少し解いた。車のギアも一段階下げられた。
「何とか逃げ切ったな、これでやっと一息だぜ」ベルモンドはそう呟くと、ジープの荷台にミサイルを置いた。
「しかし巨大なドラゴンでしたね……。あんな物をどうやって捕獲したらいいのでしょう」
「ドラゴンスレイヤーがもっと必要だな、それに動きを拘束する物が必要だろう。しかし何でボルケーノドラゴンが地上に出てるんだよ……」
 ベルモンドのその言葉は、まるであのドラゴンは地上に居る物ではないようなことを示している。
 ルミナスはそれが気にかかった。
「地上に出てくるのは珍しいのですか?」
「ああ、あいつは本来マントルに程近いマグマ溜りや貯留層、天然ガス田で活動するドラゴンだ。さっき溶岩の中で生活するといったが、主食として化石燃料を食べるために油田でも生息してる。だから基本的に地上には出てこないはずなんだけどな」
 ベルモンドは何やら疑念のある表情を見せる、やはりどこか引っかかる点があるようだ。ルミナスには何のことか分からなかったが、とにかく今は帰ってこれからの事を練ろう。またドラゴンが飛んできて襲われたりでもしたら今度こそ命は無い。
 ジープはスピードを上げてホテルへと向かった。

 3日後。
 トビリシ市街近郊にあるグルジア軍基地に、1機のジェット機が停泊した。RHKの専用輸送機だ、作戦に必要な機材や物資を積んでいる。結構な大型だ。
 セルビア正規軍の輸送機を流用したもので、機体に描かれたセルビア正規軍のエンブレムは塗りつぶされ、RHKのエンブレムに上書きされている。
 もちろん隊員たちもそれに乗ってきたが、エンプレスソード隊員であるヨハネスが搭乗していなかった。
 彼は後から来た。セルビア正規軍から借りてきた戦闘機、ハリアーⅡに乗って。
 ハリアーⅡは、アメリカのボーイング社がホーカー・シドレー ハリアーを基に各所改良を施したVTOL(垂直離着陸機)である。
 軽空母や強襲揚陸艦、小規模な飛行場といった他機の活動が制約される環境下で近接航空支援と戦場航空阻止をこなすことが出来る数少ない戦闘爆撃機として現在もイギリス、アメリカを始め、数ヶ国で運用されている。
 セルビア軍もこれを採用することを検討し、まずはRHKでの試験運用を始める。
 パイロットの問題もすぐに解決した。ヨハネスは、セルビア正規軍時代に戦闘機での戦闘経験もあったのだ。
 一体彼は何処までできるのか、恐ろしい限りである。伝説の兵士と言うのは伊達ではないらしい。
 そして到着したRHKエンプレスソード隊員たちは、ルミナスの宿泊するホテルに集合することとなった。
「わぁ……、素敵なお部屋ですね」
 豪華絢爛な部屋に目を輝かせているサラ。あまり裕福でない彼女には滅多にお目にかかれない豪勢な部屋だろう。
 ヨハネスは特に反応も無くソファーに腰掛けている。特に興味が無いのだろう。あるいは久々のフライトに少々疲れたのか。
 全員リビング中央にあるテーブルを囲んでソファーに座っている、作戦会議中だ。
 テーブルにはバトラーの撮影したボルケーノドラゴンの写真や、ベルモンドの用意した『竜種図説』のコピー。グルジア全域の地図が広げられている。
 ドラゴンの位置は発信機から発せられる電波を衛星で捉え、二次元的ではあるがGPSによる正確な特定が可能だ。その情報は逐次コンピュータに送信されてくる。万全の準備だ。
 そして今行われている会議の議題は、そのドラゴンをどうやって捕獲しようかという物だった。
「もっとも簡単な捕獲方法を取ろうと思う。弱らせて捕まえる、内容は単純明快だ」
「何か有効な攻撃手段があるのか?」ドラゴンについてはさっぱりのヨハネスが聞く。
「オリハルコン弾頭のミサイル・ランスをハリアーに搭載して、飛行する目標に向かってこれを撃つ。うまく命中してくれれば、ドラゴン周囲約40メートルのマイクロ波と遠赤外線を減衰させることが出来るはずだ。そして最終的には飛行不可能なまでにドラゴンの体力を奪い、地面に叩き落した後、網状結界で身動きが出来ないようにしてやれば完璧なわけだぜ」
 網状結界とは、小さな結界を網のように編む高等法術である。それを作戦ではヨハネスとフランシスカが共に協力して行う予定だ。
 だがヨハネスはドラゴンが落ちる直前まで戦闘機に乗っていることになるので、すぐに術を行える体勢になるには一度地上に降りなければならない。
 だがこの問題を解決するために、ここでハリアーの特技が生かされる。
 VTOL機であるハリアーは長い滑走路が無くとも着陸できるため、目標が地上に降り次第、ハリアーは地上に降りてヨハネスは結界の準備に入れるのだ。
 VTOLとはいえ、ある程度平坦な地面が必要なのだが、ドラゴンが勢い良く墜落してくれれば、木々がなぎ倒されて天然の滑走路が出来上がるだろう。これを利用するわけだ。
 この作戦はベルモンドと、主にルミナスが考えた作戦だ。これの立案にはヴァンが関わっていない。
 実質、これが最初にルミナスが編み出した作戦とも言える。
 ヴァンは作戦内容を確認して、中々上機嫌なようだ。
「なるほど、中々良い作戦じゃないか。これならドラゴンを捕獲することが出来るだろう」
「ベルモンドさんの協力のおかげです。……それよりも何か、ベルモンドさんは気になっていたようですが」
「ああー」とベルモンドが嘆く。
 彼にはあのドラゴンについて引っかかるところがあった。
 地下で生息しているボルケーノドラゴン、それは本来地上に出てくるような生物ではない。
 そんなものが何故あのような問題を引き起こしてしまったのかと、彼はずっと疑問に思っていた。
「あいつが地上に出てくるのは多くて半世紀に一度、大陸間移動とかの長距離飛行をする時だけなんだ。食料である化石燃料が尽きてしまったり、マグマが冷えて固まってしまったりと色々な理由でさ。だけどこの辺のマグマ溜まりはまだ熱いし、石炭とかもまだまだ埋蔵している。つまり今地上に出て来る理由としては、石油の採掘で刺激してしまったか、または何らかの人為的な工作か……」
「何者かが、故意にドラゴンを地上に出したと?」
 考えられなくは無い。何者かがロシアに対しての恨みを晴らすために、ドラゴンを地下からたたき起こして石油パイプラインを破壊させた。
 今の世界情勢から考えれば、ロシアは確かに様々な国から良く思われていない面がある。経済危機を乗り切るためとはいえ、周辺の資源採掘権を各国に脅しをかけて強引に取得する姿勢は、周辺国家だけでなくEU各国からも非難が続出している。
 特にアメリカに関わる勢力はそれが顕著だ。最近ではあの冷戦構造が再び、その鉄のカーテンを張ろうとでもしているとも言われている。
 RHKは傭兵だ、誰がボルケーノドラゴンを地上に出したかと言うことは、任務遂行の是非には関わらない。しかしグルジアは親米勢力で、それは無きにしも非ず。
 ルミナスはふと思いついた、この前行ったパーティで言っていたヴァンの言葉だ。
 あのパーティが成立したのは、護衛である悪魔達が人間の「殺意」「敵意」などの感情を察知することが出来るため、危険な行為をしようと企む不審者を門前払いにするというものだった。
 ではムガロブリシビリ大統領はどうだったのだろうか?
 もしも彼が自分達に何らかの感情を持っているとすれば、あの場に居たヴァンは気づいているはずだ。
「ヴェーデルハイム。ムガロブリシビリ大統領と会った時、殺意や敵意は感じた?」
「そういえば……そのような物を察知することは出来なかったな。焦っていたという事は間違いないが」
 ヴァンは帽子の唾を指で握りながら、あの時のことをもう一度思い返してみる。
 無い、特に記憶の中に気になる点は無い。あの大統領はこちらに敵意を向けていない。
 魔王も人と同じく考え事をすることもある、だが人間のそれとは比べ物にならない処理能力で、論理的に且つ正確無比に。
 そして結論が出た。
「”kein Problem”、全て問題は無しだ。あれこれ考えていては前に進めない。もしも立ちふさがる時は、力でねじ伏せるまでだ」
 ルミナスが頷く、恐れてはならないのだ。
 RHKはいかなるクライアントからの依頼も平等に受け、いかなる対象も攻撃する。そこに政治的思惑は関係ない。
「作戦の決行は明日の0600時、各自準備を怠らぬようにおねがいします」
『イエス・クイーン』
 女王に一同敬礼した――

 翌日0600時。作戦開始。
 エンプレスソード隊員を乗せた装甲車が、朝焼けを浴びる山脈の中を走行する。
 武装は装備Lで統一、対人戦闘は重視されていないので、必要最低限の弾薬と武器だけを持っていた。
 何があるか分からない、不測の事態に対応するためだ。
 作戦指令本部はルミナスの宿泊するホテルであり、そこに必要機材を持ち込んで作戦の指揮を取る。護衛はもちろんバトラーだ。
 結界担当のフランシスカは、装甲車の荷台で使い魔のフランベルジュと共に何やら編み物をしている。それは術に使うために必要なアイテムで、水銀を練りこまれたナイロンの毛糸らしい。
 水銀は昔から退魔に使われてきた銀と同じような作用を持ち、ドラゴンにも存在する魔力を打ち消すことが出来る。本来魔女にとってこれは足かせにしかならない物だが、対魔術師戦闘も考慮されているベスディーロイヤ魔術において、水銀を使った魔術と言うのはそう珍しい物ではない。
 そして、何故彼女がそんな物を作っているのかと言うと、この水銀の糸が捕獲用のネットの代わりを成す網状結界の媒体となるためだ。
 彼女は今回のミッションで勤めるのはあくまで後方支援、ヨハネスが結界を張るための補助的な役割だ。
 そして運転席で装甲車を運転するのはサラ。通常戦闘以外特に出来ることがない彼女は、地上でフランシスカの護衛と装甲車の運転を担当する。
 装備Lでミッションに臨む為、軽機関銃などの重装備をしてきてはいない。「FN SCAR」カービン銃と、「FN57」ハンドガンのみを装備している。
 装備Lの「L」は軽いを意味する英語「Light」から取られている通り、動きやすい軽装だ。
 だが荷台で大振りの剣を手入れしているベルモンドの荷物は、軽装というわりには少し大きい物だった。
 緑色の布を被せられているためにそれが何であるかは分からないが。
「ベルモンドさん、そのでっかい荷物って何ですか? やっぱりドラゴン退治に必要な物なんですよね」
 サラは運転席からベルモンドに対してそう質問する、そして彼は剣の手入れをしながら答えた。
「そんなところさ。捕獲用のミサイルとかそんな感じのな……」
 そう言うとベルモンドは少しため息をついた、何か気乗りしない様子だ。
 たぶん休日にいきなり彼だけ呼び出されてしまった為かと、サラはそう思った。自分も早く仕事を終わらせて帰りたい、そんなことを考えるのは皆同じことだろう。
 彼女は車のギアを一段上げ、アクセルを踏んで加速した。
 
 上空を比較的低速で飛行しているのはハリアーⅡ、目標であるドラゴンを追いかけていた。
 複座式のコックピットで操縦桿を握るのはヨハネス、その後ろで策敵を担当するのはメフィストフェーレス。
 なぜこんな組み合わせになってしまったかと言うと、戦闘機に乗る訓練を受けている者がヨハネス一人だったからだ。
 戦闘機において戦闘に集中しなければならないメインパイロットは、策敵にまで気を回すのは非常に難しい。
 そのため、後部座席で策敵に専念するサブパイロットが必要である。
 しかしこのサブパイロットも戦闘機に搭乗するための訓練を受けている必要があるのだが、もちろんそんな人間は数少ない。そこで、人間よりも遥かに何でも出来る悪魔を乗せることになるのは必然なのだが、2人居る非人間のうちのヴァンが「諸用がある」と言って作戦に参加していないのだ。
 よってメフィストが策敵役として抜擢されたわけだ。
「目標との距離は?」酸素マスクが一体となったヘルメット越しに、メフィストに情報を求めるヨハネス。
「知ーらない。まだ遠いんじゃないのー?」
「知ーらないじゃない、ディスプレーを見ろ。全く……、これなら真面目なヴァンの方がマシだったな」
 苦言を呈するヨハネス、やはり基本的に不真面目で我が侭なメフィストとは馬が合わない。
 彼はヘルメットを被った頭を抱えた。
「文句言いたいのはこっちよ。あたしは羽があるから飛べるって言うのに、何でわざわざこんな狭い鳥かごの中で窮屈な思いして人間と居なきゃなんないのよ。超不快なんですけどー」
 何でこんな糞悪魔と行動を共にしなきゃならないのかと今この場で地獄に送り返してやろうかという衝動を、ヨハネスは「仕事には、時に辛い事だってあるのだ」と言い聞かせて押さえつける。
 今は作戦行動中だ、自分は職業軍人だと反芻するが、思わず操縦桿を握る手に力が入ってしまう。しかしセルビア正教会神父たるもの、一時の感情に身を任せてはいけない。
「きょりさんぜんー。もうみえるんじゃなーい?」
 やる気の無さそうな報告に耳を傾けつつも、ヨハネスは前方遠くへ意識を集中させる。
 朝焼けの空、琥珀色の雲に潜む一点の朱。
 ――居た。
 ヨハネスは真っ先に無線のスイッチをオンにして、本部にその事を伝える。
「HQ応答せよ、こちらハリアー。目標を補足した、これよりフェーズ2に移行する」
『本部了解。引き続き、地上部隊は目標の追跡を行ってください』
 ルミナスの透き通った声が響く、戦場には相応しくないくらいに。
 FCS(火気管制装置)オン、レーダーを高速サーチ、移動目標自動捜索モードに変更。熱源に自動ロックオン、加速。目標との距離が目測で800メートルまでつめられる。
 ドグファイトスイッチをオン、操縦桿のトリガに指が掛けられた。
「手始めに牽制攻撃だ。ガンでこちらに注意を引く」
 地上を走行する装甲車に意識が向かないよう、ヨハネスはまずドラゴンの注意を引くことにした。
 トリガを引く。「READY GUN」
 ハリアーの鼻先から、ガトリングガンによるマズルフラッシュが見えた。高速で連続的に響く発射音。朱色の空に曳光弾の発光による銃弾の筋が冴える。
 ドラゴンに命中、ハリアーの存在に気がついたのか首を後ろに向けてきた。こちらを意識させることには成功したようだ。
「OK、目標は釣られたぞ」
 ドラゴンの視線は地上ではなく、攻撃をしてきたハリアーに向けられた。
 驚いた様子を見せ、羽を羽ばたかせて加速する。位置的には完全にハリアーが後ろを取った形なのだが、ヨハネスはまだミサイルの発射スイッチに指をかけていなかった。それには理由がある。
 ドラゴンの口腔が赤い光を見せ始めた、これは熱線を放って攻撃をする動作だ。ヨハネスは操縦桿を操作し、右方向へロール。そのまま高度を上げて回避行動を取る。
 赤い閃光――朝の空気を切り裂いて火の柱がドラゴンの口から伸びる。
 その柱はハリアーを焼き落とそうと迫ってくるが、ヨハネスはキャノピー越しにその火柱を見ながら操作する。 彼は息を呑んだ。
 火柱がハリアーに直撃しようとした次の瞬間、機体は大きくその軌道からそれるようにロール。
 回避成功。火柱は天高く浮かぶ雲だけを切り裂く。
『グッド! いい仕事してるぜヨハネス』ベルモンドが空を見ながら無線越しに賞賛した。
 止めていた息を吐き、一度深呼吸をするヨハネス。だがそれも一瞬の安息であり、次の瞬間にはまた前方に火柱が伸びてきた。
 決して、一度も食らうことが出来ない。数千度の炎を機体がまともに受けたりしたら、まるで溶鉱炉に投げ込まれたかの如く溶けてしまうだろう。
 あの火柱は高密度に収束された「炎」で、指向性が高いとはいえその周辺温度はおよそ摂氏1500度はあると思われる。タービンがメルトダウンしたほうがマシだ。
 ヨハネスは消し炭になるのを回避すべく、火柱に意識を集中しながら操縦する。今度は急降下、コックピット内の2人に大Gがかかる。
 内臓が何処か別の所に移動しそうになるのを、鍛えられた筋肉が阻止した。もちろん、人間ではないメフィストは何食わぬ顔でディスプレーを見つめている。
 火柱は急降下したハリアーを追いきれず、再び雲を切り裂いた。
 2度目の回避成功、この時点で十分に敵の攻撃を読めるようになった。そして、後部座席のディスプレーを見ていたメフィストが、大きな双眼鏡のような物でドラゴンの方を見る。
 その機械は双眼鏡ではなく、赤外線カメラであった。
「敵体温順調に上昇中、現時点ですでに2000度を超えてるわねー。そろそろ温まって来たんじゃない?」
 十分に攻撃が出来はずの状況で何故ミサイルを放たなかったのか、それは敵体温と密接な関係がある。
 ボルケーノドラゴンは体温が高い、しかしながら今は外気にさらされているために、表皮が地下に潜っている時よりも数倍硬くなっているのだ。そのままではミサイル・ランスは歯が立たない。
 それを軟化させるためには体温を上げる必要がある。すなわち、ある程度炎を吹かせるというウォーミングアップが必要だった。
 機動力ではハリアーのほうが断然上、この戦いはつまり「熱くなったほうが負け」ということだ。
「さて、そろそろ狩りを始めようか」
 ヨハネスはそう言うと、ミサイル発射用のスイッチに指をかけた。
 計6発のミサイルを発射可能状態にする、そして、一気にドラゴンとの距離を詰めていく。
 1000、800、600、400。
 FCSがミサイルを発射するには近すぎる限界射程を警告するぎりぎりの距離まで詰める。
 距離380、ミサイル・ランス発射スイッチを押した。
「アーメン……」
 ハリアーの腹部から6発のミサイルが発射、飛行。
 数ミリ秒単位時間の後、全てのミサイル・ランスがドラゴンの背中に突き刺さった。
 悲痛な叫びを上げるドラゴンが、余りにも激しい痛みでその背中を剃らす。翼の動きが乱れ、もがき苦しむようにその体を宙で暴れさせる。
「全弾目標に命中。様子から察するに、効果覿面のようだ」
「放射魔力計測値、急激に低下。オリハルコンはやっぱ効くなぁー」
 ベルモンドは計器を使ってドラゴンから放射されている魔力を計測していた。計器の針は見る見る左に寄って行き、計測値の低下を表している。
 6つドラゴンスレイヤーがドラゴンに深刻なダメージを与え、その生命である魔力を奪ってゆく。
 このままドラゴンが飛行不可能まで衰弱し墜落させることが出来たなら、後は網状結界で動きを封じるだけだ。その時が来るまで様子を見守るベルモンド。しかし、計器の針は思ったより右で止まってしまった。
「……あれ?」
「どうしたんですかベルモンドさん?」運転席からその声を聞いたサラが気にかける。
「おっかしいなー……、あれほどのドラゴンスレイヤーが突き刺されば相当衰弱するはずだぜ」
 予想外の事態に首をかしげるベルモンドに、ハリアーからの無線通信が入る。
『こちらハリアー。どうなってる、ドラゴンは地に足を着けようともしないぞ』
「言われなくても分かってるって!」
 不測の事態だ、6つのドラゴンスレイヤーでは足りない。
 考えられる原因としては、まだまだ表皮が硬くてしっかりと槍が突き刺さっていなかったか、それともオリハルコンに耐性をつけてしまったか。
 どちらにせよ、まだまだドラゴンスレイヤーを突き刺す必要があると言うことだ。
 ふとドラゴンの様子を見ていると、確かに速度は落ちているのだが飛行の安定性は失われていない。速度的には殆んどジープと変わらない、高度も低いようだ。
『どうする、ミサイル・ランスはもう無いぞ』
 ドラゴンスレイヤーを弾頭に取り付けたミサイル・ランスは、ジープの荷台に積まれている。地対空ミサイルの発射装置でそれは発射可能だ。しかし、3発でも捕獲には十分すぎると思っていたくらいなのに、あと1発打ち込んだところで撃墜できる保障は何処にも無かった。
 もっと強力なオリハルコンの武器が必要だ、それもドラゴンに何度も突き刺せるくらい。
「しょうがねぇな。こちらベルモンド、王女様応答せよ」
『こちら本部、状況は?』
「ミサイル・ランスは全て命中した。だが撃墜させるには足りなかった。少々危険だが、これより俺がドラゴンの背中にどうにか飛び乗って直接ドラゴンスレイヤーで攻撃する」
『なんですって!?』
 ルミナスが驚きの声を上げるが、ベルモンドは自分の身を案じてくれる彼女に興奮した。
「フッ……泣かないでくれセニョリータ。俺は必ず帰ってくるから」と、かなりカッコつけて言ってみせる。
『……………………』
 無線通信がしらける。ルミナスは何も答えようとしなかった。
 ベルモンドのこの余裕には理由がある、それは荷台に積んである大荷物だ。
 ドラゴンの周囲には強力なマイクロ波と、赤外線が放射されている。通常、人間がそんな環境下で生きられるはずも無く、いくらドラゴンが衰弱しているとは言えすぐに血液が沸騰してしまうだろう。
 だがそれを遮断することの出来る、断熱性の高い物を身につけているなら話は別だ。
 ベルモンドは荷物にかかっている布を取り払うと、そこには黒い金属光沢を放つ鎧が積まれていた。
 彼は慣れた手つきでその鎧を身につけてゆく。
 運転席のサラは荷台から金属の音が聞こえるのが気になり、ふと後ろに視線をやると……。
「あれ、フランベルジュが2体?」
 しかしその黒い甲冑はフランベルジュのものとは違って一回り小さい。同じ西洋式の甲冑であったが、フランベルジュの甲冑は「フリューテッドアーマー」と呼ばれる鉄板に溝を入れて補強されたものだ。
 それに対して黒い甲冑は、「プレートアーマー」と呼ばれる平たい鉄の板をあわせてある物だった。
 しかし良く見ると、鉄板の上に無数の鱗の様なものが確認できる。スケイルアーマーのように小さい鉄片を金属の上に貼り付けているようだ。
「どうだい、俺のドラゴンアーマーは」
「その声はベルモンドさん!?」
 その鎧、その名もドラゴンアーマー。
 断熱性の高いセラミックの上に高純度のオリハルコンを重ね、その上さらに凶暴な黒竜種の鱗をびっしりと貼り付けた究極の甲冑。
 セラミックが高熱を遮り、オリハルコンが電磁波を遮断し、ドラゴンの鱗があらゆる物理衝撃を跳ね除ける。
 おまけに材質によって非常に軽い物となっており、甲冑としては驚くべき15キログラムを切っている。
 これならばあのボルケーノドラゴンに接近したとしても大丈夫だろう。
 ベルモンドは甲冑の準備を終わると、背中にトゥーハンドソードを背負って、ミサイル発射装置にワイヤー付きのミサイルを詰めた。
 ミサイルの弾頭には返し付きの銛が付いていて、これをドラゴンに撃ってワイヤーを機械で巻いていけば、めでたくベルモンドはドラゴンに飛び乗ることが出来るというわけだ。
 弱っているドラゴンは低空で飛行している、やるなら今しかない。彼はミサイル発射装置のロックオンサイトにドラゴンを捕らえ、トリガに指をかけた。
「サラちゃん、車をもっとドラゴンのほうへ近づけてくれ!」
「了解!」
 サラはハンドルを回し、低空飛行するドラゴンの傍まで装甲車を移動させる。
 直線距離距離およそ100メートル、かなり近い。
「もっとだ! もっと近づいてくれ!」
 まだ射程に十分入っていない。確実性を求めるなら、もっと近づかなければならない。
 限界の80メートル、ベルモンドはトリガを引いた。
 ミサイルの推進薬が音を立てて火を吹く、そしてドラゴン目掛けて飛んで行くミサイル。
 命中。ベルモンドはすかさずワイヤーの巻き取り機のスイッチを入れた。
「ヒャッハァ!」
 甲冑にベルトで固定された巻取り機が音を立ててうなる。軽いとは言え15キロの鎧とベルモンドの肉体が、軽々と宙に浮いた。
 しかしワイヤーが巻き取られる途中、背の高い樹木がベルモンドの目の前に現れる。
 このままでは激突する――と思った次の瞬間激突した。
「ベルモンドさん!」サラが心配して声を上げる。
 甲高い金属音がしたが、そのワイヤーの途中にはまだ人影が残っていた。樹木はちょうどぶつかった部分で折れたようだ。
「痛ぇー……。だがこの程度じゃドラゴンアーマーはビクともしねーぜ」
 中のベルモンドは強烈な衝撃を受けたが無事だった、流石はドラゴンの鎧だ。尋常ではない頑丈さがある。
 そして再びワイヤー巻き取り機のスイッチを入れ、勢い良くドラゴンへ登ってゆく。
 巻き取り機停止。銛が刺さっているのはドラゴンの左足付け根の部分だ。
 ベルモンドはベルトを緩めて巻き取り機を外し、凹凸の激しいドラゴンの表皮をロッククライミングの要領でよじ登ってゆく。
 重い甲冑を身につけているとは思えない身軽さだ。
 右足付け根から腰へ、そして背中、肩に当たる部分まで這い上がる。
 終にはドラゴンの長い首を通って頭までたどり着き、背負っていたトゥーハンドソードを片手で引き抜いた。
 その剣は高純度のオリハルコンのみで作られた究極の対竜武器、これぞ昔から伝えられる真のドラゴンスレイヤー。その刃がドラゴンの鱗に触れようものなら、たちまち生気を食らい尽くす。
 ベルモンドはその剣を両手に持ち、ためらい無く表皮に突き立てた。
「失礼っ」
 金切り声を上げて突き刺さってゆく剣。ドラゴンの悲痛な叫びが空に響き渡る。
 まだ落ちるには足りない、剣を引き抜いてもう一度別の箇所に突き刺す。
 再び響く絶叫、甲高いとも低いともいえないが、鼓膜を突き抜けそうな轟音だ。
 ドラゴンはかなり衰弱している、もう少しだ。
「大人しく……堕ちてくれ!」
 これ以上剣を突き刺したくは無かった、これ以上ドラゴンの悲鳴を聞きたくは無かった。
 何故なら彼は竜騎士、本来ドラゴンを狩るべき存在では無く、共に戦う者だからだ。
 だからこそ早く大人しくつかまって欲しかった。捕獲してロシア側に証拠として突き出した後どうなるかは分からない、少なくとも、生かしておくことは出来ないだろう。
 だが今回のミッションはあくまでも捕獲、殺してはならない。
 最後の一撃が突き立てられる。硬いものを割るような、酷く乾いた衝撃音。
 すでにドラゴンは悲鳴を上げることが出来なかった、だからそのまま堕ちてゆく。
 巨体が木をなぎ倒しながら林に墜落。轟音を上げながら、土埃を巻き上げながら自重に引きずられる。
 予定通り、林の木がなぎ倒されて天然の滑走路が出来上がっていた。
 それを確認したヨハネスが、ハリアーを減速して垂直着地体勢に持ってゆく。
「緊急着地体勢に入る。排気方向を変更、垂直着地モード。水平調整」
 ハリアーの真下から、タービンからの強烈な排気によって埃が舞い上がる。
 それと同時に後を追っていた装甲車も到着。ドラゴンのすぐ横に停車し、荷台からフランシスカとフランベルジュが降車した。
 フランシスカの手には先ほど編んでいた毛糸が輪を作っており、フランベルジュと協力してドラゴンの周りを円を書くように置いてゆく。
 そしてドラゴンを中心として、水銀の毛糸による輪が作られた。
 息を切らして到着するのは結界担当のヨハネス。手には相変わらず聖書を持ち、首からはロザリオがぶら下がっている。
 ベルモンドもそれにあわせてドラゴンの背中から降りた。
「これより網状結界の展開儀式を執り行う。神の御慈悲があらんことを」
 彼は水銀の毛糸に触れ、ロザリオを握り締める。そして、祈りの言葉を唱え始めた。
『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます』
 次の瞬間、水銀の毛糸は光を帯び、その糸一本一本が解かれて舞い上がる。やがてそれは網のように形を成してゆき、ドラゴンの全身を取り囲んだ。
 収縮する光――
 一瞬にして糸は鋼のような硬さをもち、全身にへばりつくように固まった。
「アーメン。術式終了」

 すでに衰弱していたドラゴンであったが、網状結界によって完全に動きが封じられた。
 あんな巨大で恐ろしい力を持つ魔獣が、今は数名の人間達によって意のままにされている。
 自分達人間がこれほどまでの力を有していることに、それを見ていたサラは小さい恐怖を覚えた。
 しかし驚いている暇は無い。目標を捕獲したことを、本部で待つルミナスに伝えなければならない。
「こっ……こちら陸上部隊、目標の捕獲に成功しました」
『こちら本部。作戦目標の達成を確認しました。みなさん、お疲れ様でした』
 ルミナスの優しい声が響く。その声は戦いに疲れた兵士達の心を、まるで天使のような暖かさに包んだ。
 甲冑の兜だけを外したベルモンドが、装甲車の荷台に倒れこむ。
「いやいや死ぬかと思ったぜ。熱いし痛いし疲れたぁあああ!」
「お疲れ様です、ベルモンドさん」サラがやさしく声をかける。
 結界を張ったヨハネスとフランシスカも装甲車へと集まる。運転席に座っていたサラは車を降りて、荷台に置いてあったバックパックから魔法瓶を取り出した。中には熱いコーヒーが入っている。
 同時に紙コップを取り出すと、それを皆に配った。
「暖かいコーヒーです。良かったらどうぞ」
「悪いね」ヨハネスは喜んで受け取る。
 気がつくと時間は8時を回っており、朝焼けの空もそろそろ澄んだ空色に変わっていた。
 小鳥のさえずりが辺り一帯を包む。
「しかしベルモンド、随分と無茶な真似をしてくれるな。ドラゴンにしがみ付くなんて、一歩間違えたら死んでいたぞ」
「ああするしかなかった。ドラゴンスレイヤーも予備がさびしかったからな」
「でも命を懸けてまですることか? 自分の国でもないし、依頼主はどんなことを考えているかも分からないのに」
 ベルモンドは少し口元を吊り上げて笑った。
「確かに俺達傭兵は、金のために戦うだけだ。得体の知れない奴に命をかけてやる筋合いなんてねーよ。でもな、いざ現場に放り込まれたら全ての事情は俺達の事情になる。傭兵に与えられた任務は唯一つ、生きながらえるための金を”得る”ことだ」
 金は得るもの、得るのは生きた人間だけ。
 何事も命には代えられない、だが傭兵はその命を金と天秤にかけるのだ。
 そして天秤の両方に乗った物を、全て手の内に納めれば任務成功だ。傭兵という軍隊の目標はただ一つ、生きることと与えられた目標を達成すること。
 金も命も手に入れるという強欲さが、全てを成功に導くのだ。
 ヨハネスは今までベルモンドのことを「軽い男」と思っていたが、今の彼の笑みを見て少し見方を変える事にした。――彼は傭兵だ。
 現時点でここに居る誰よりも、傭兵として達観していると感じた。
「コーヒーが旨いな……」静寂の中で、コーヒーの香りが漂う。
 だがそんな安らかな時を打ち破るように、異変は起こった。
「何だぁ、この音は」
 風を切る音、周波数の高そうな音。上空から飛来する謎の飛行物体。空気を切り裂く音を上げて飛来したそれは、勢い良くボルケーノドラゴンの表皮に突き刺さった。
 再びその叫びが木霊する。
「上空からのミサイル、いや……あれはドラゴンスレイヤー!?」
 ベルモンドは空を見上げる。することそこには一機の戦闘機が飛行していた。
 1機ではない。後を追って3機か、5機ほど飛行している。同時に林の奥から鈍いエンジン音と、金属がぶつかり合う様な音が聞こえる。しかし次の瞬間、全ての不安が現実となった。
「撃てっ」
 冷たく、聞きなれない声。無感情な声質から察するに明らかな殺意が込められている。
 静けさを切り裂いて響く銃撃音、即座に反応したヨハネスは身をかがめる。
「攻撃だと? 皆そこに屈め!」ヨハネスは大声で全員に指示する。
 幸い全員装甲車の荷台に居たために、少し姿勢を低くすれば装甲版が身を守ってくれる。厚さ5センチの鉄板はさすがにライフル弾では貫通することはできないだろう。
 敵はそれを察知したのか、直ちに銃撃を停止した。
 鬱葱とする茂みから出てきたのは、ギリースーツを身に纏った兵士達。数十名いる彼らは一様に自動小銃を構えており、銃口はもちろん装甲車に向けられている。
 林の奥から現れたのは中型の戦車。見れば国旗が描かれており、それがグルジア軍の所属であるということは容易に確認できる。
「ベルモンド、これはやはり……」
「言わなくても分かるだろ。所詮俺達は捨て駒だったのさ」
 裏切られた。全てはヴァンとルミナスの予感どおり。人を殺すにしては過剰火力の戦車も、恐らくはドラゴンを殺すために持ってきたものだろう。
 大統領は最初からドラゴンもRHKも、皆殺しのつもりだったのだ。
 サラはすぐさま無線機を手に取り、本部へ連絡を入れようとする。しかし電波状況が悪いのか、耳障りなホワイトノイズしか聞こえてこない。
「本部との連絡が取れません! ジャミングの可能性もありますが、もしかしたら……」
 もしかしたら本部はすでに取り押さえられ、ルミナスも身柄を拘束されているかもしれない。いや、すぐに攻撃してきた彼らの動きを見ると、その場で殺されている可能性もありうる。
 ルミナスの身を案じるサラは、全身の血が引くような感覚を覚えた。
「孤立無援……、敵の数は?」
「ざっと30人。5人殺すためとしてはちょっと多すぎじゃねえか。ぎゃっ!」
 兜を被って恐る恐る周りの様子を確認したベルモンドが、銃弾を食らって大きくのけぞる。
 幸い兜が銃弾を弾いたために怪我一つ無かったが、このように姿を少しでも晒せば即座に銃撃を受けるだろう。
 しかし何やら唸る機械音、戦車の砲身が装甲車に向こうとしている。
 戦車の放つ大口径のAP(装甲貫通)弾には、装甲車の鉄板では明らかに不足。まず確実に貫通するだろう。
 隙を突いて避難するしかと、思った次の瞬間。
『我は……魔王』
 森の暗がりから響く声。それと共に近づいてくるエンジン音。
 彼が来たのだ。魔界の領主、漆黒の帝王が。
 突如茂みから飛び出してきた黒い影。それは兵士達の頭上の宙を舞い、甲高い銃撃音を響かせた。
 風船のようにはじけ飛ぶ兵士達の体、まるで大口径の対物ライフル弾の直撃を食らったかのようだ。血しぶきがギリースーツを赤に染める。
 黒い影の正体は、バイクに乗ったヴァンだった。片手にはいつもの通り対物ライフルを抱えている。
「バイクでのツーリングも悪くない。これほど胸糞悪くなければな」
「ヴァンさん! 今まで何処に行ってたんですか!」
「どうせこうなるだろうと思って、そこらで暇をつぶしていた。来てみればまた面白そうな状況になっているじゃないか」
 やはりヴァンはグルジアの裏切りを確信していた。暇をつぶしていたとは言うが、恐らく何らかの手は打ってきたのだろう。
 彼の登場に驚いた兵士達だが、すぐさまヴァンに銃口を向け発砲する。無数の銃弾が彼を襲うが、鋼のように硬い皮膚が全てを弾き飛ばした。
「無駄だ無駄だ。マッサージにもならんぞ」
 楽しさに口元をゆがませるヴァン。次々に対物ライフルの照準を的確に兵士の脳天へと向け、リズミカルに引き金を引く。弾丸が頭蓋骨にめり込んだ瞬間、頭部がまるで水風船のように勢いよく破裂する。
 戦場においてあまりにもイレギュラーな「無敵」の彼が、敵の兵士たちに恐怖と死をまき散らしていた。
 誰もが彼の無敵を信じざるをえない。
 だが空気が妙だった。敵の兵士たちは驚きの表情を浮かべたものの、すぐさま冷静になって銃を構えなおした。 まるでそれが予測通りの結果であったかのように。
 敵の戦車の砲塔が機械作動音と共に回転し、方針をヴァンのいる方向へと向ける。回転停止、射撃体勢。
 次の瞬間、戦車から発射された砲弾が彼の脳天を吹き飛ばす。
「はっ!?」魔王の無敵を信じていた4人が、一斉に驚きの声を上げる。
 ヴァンの首から上が綺麗に無くなっている。大きなとんがり帽子だけが残っており、ちぎれた首に被さった。
 力なく倒れる体。生い茂る雑草の中にその身をうずめる。そして再び上空より飛来するミサイル。今度はドラゴン目掛けてではなく、倒れたヴァンの体に向かっていた。
 着弾、爆発。多量の炸裂薬が周囲の地面をえぐった。
 着弾地点は小さなクレーターのような状態になり、そこには無残な姿となった人だったような物が散乱している。
 影も形もないが、恐らく、あれはヴァンの体だ。
 4人は絶句した。誰もが無敵を信じて疑わなかった魔王が、あんなにもあっさりやられてしまうことに。
「やったか……?」兵士の一人が口を開いた。
 ヴァンの死亡を確認するために、数名の兵士がその残骸に近づいてゆく。しかしもはやその状態では確認する必要もない。木端微塵もいいところだ。
 跡形も無いといって良い、それほどの惨状。
「そんな……、ヴァンさんって魔王だったんじゃ?」
 魔王の力を最初に目の当たりにしたサラは、むしろ現実を受け入れることが出来ない。そんな、まさか、そんな言葉ばかりが頭を駆け巡る。
 だがそれも、すぐさま杞憂へと変わった。
「オリハルコンの弾頭か。なるほど、それなら我が結界も打ち破れるだろうな」
 瞬間、近づいた兵士の一人が宙に浮いた。
 首が、手首から先の無い”手”によって締め上げられていたのだ。
 そしてその手から生えるように黒い影が伸びてゆき、やがてそれは人の形を形成する。
 大きなとんがり帽子、真っ黒なロングコート、そして腰まで伸びた長い三つ網の髪。身震いするほど鋭い目は、おびえる兵士を正気から遠ざける。まさにその姿は、魔王ヴァン=ヴェーデルハイム=ヴェンデッタそのものだった。
「そんな物で私を殺せるとでも思ったか? 愚かな人間共よ」
 ヴァン、即時復活。掴んでいた兵士の首を片手でへし折り放り投げる。
 しかしそのあと彼が銃を兵士達に向けようとすると、妙に手が軽いことに気がつく。先ほどまで持っていた対物ライフルは、ミサイルの爆発によってばらばらの金属片と化していた。
 バイクも勿論木っ端微塵。150万はくだらない、ハーレイ・ダビットソンだった。
「貴様等……俺のお気に入りをよくもやってくれたな」
 ヴァンはポケットに入れていた無線機を取ろうとした、しかしそれも跡形も無い。辺りを見回してもありそうに無い。
「サラ、無線機をよこせ!」
「だめです、ジャミングが入ってて使い物になりません!」
 予想外だった。ヴァンはグルジア側が裏切るだろうとは予測していたものの、此処まで戦力を投入してくるとは思っていなかった。
 人間相手には過剰すぎる、まるでモンスターを狩りに行くかのような兵装。
 ――まさか、悪魔が相手だということを知っていたのか?
 そんな考えを巡らせるが、まずはこの状況を打破する方法を取らなければならない。
 ヴァンは目をつぶり、囁くような声を出した。
『ルミナス……応答せよ――』

 所変わって作戦司令室。トビリシ市内の高級ホテルの最上階スイートルーム。
 此処はRHKエンプレスソード隊の宿泊先でもあるが、今日は作戦指令本部として機能している。
 セルビアから運ばれた機材が持ち込まれ、即席のオペレーティング・ルームが出来上がっている。そこで指揮を取るのは勿論彼女、ルミナスであった。
 彼女の心は今、心配でうずいている。先ほどから捕獲に向かった隊員達からの連絡が途絶えてしまったからだ。
 電界強度系の針を見ると異常な数値を示しており、妨害電波が発信されていることが伺える。
「みんな……大丈夫なのでしょうか」
 バトラーも様々な方法を取って隊員との交信を試みるが、それも一向に成功しない。恐れていた事態。グルジアが裏切ったのだろう。
 今後の行動を組み立てようとするルミナスの頭の中に、聞いたことのある声が響く。
『ルミナス……応答せよ』
「その声は――ヴェーデルハイム!?』
 すぐに声の主は分かった。所用があるといって出かけていたヴァンの声だ。しかしこの脳に直接届いているような声、念話という類のものだろうか。とにかくヴァンが頭の中に直接話かけてきていた。
「ヴェーデルハイム、あなたは一体何をしているのですか?」
『さきほどエンプレスソード隊と合流した。強力な武装をした敵部隊に囲まれ、空には戦闘機が数機飛行している。はっきり言って四面楚歌だ。このままでは隊員は全滅するだろう』
「どうにかその状況を打破できないのですか?」
『可能だ。しかし、今の私では少々魔力の出力が足りないだろう。拘束封印を一段階解除して臨む必要がある。お前にそれを解除許可をしてほしい』
「拘束封印?」
 ルミナスはその言葉に聞き覚えが無かった。言われたことの内容から推測するに、魔力の出力を調整するリミッターということだろう。
 それを解除しなければならない、だが彼女はそのやり方を知らなかった。
「そうだ……、バトラー。拘束封印ということについて何か知っていますか?」
「ヴァンが拘束封印を解除するように言ってきたのですか?」
 察しが速い、何か知っているということだ。
「拘束封印は魔王ヴェーデルハイムに掛けられている4段階の封印です。1500年前に勇者によって掛けられ、魔力の最高出力を制限しています。第一拘束封印は初代エンキュリオールが解除した封印で、今のヴァンのように体と魔力の自由をある程度解いています。しかし人間の姿をとどめている限り現段階では魔力も制限されており、更なる高出力を望むのであれば第2拘束封印を解く必要があるのです」
「つまり、その第2拘束封印を解かなければならないということですね」
 ルミナスは大まかに解釈した。魔王には封印が掛けられていて、隊員の命を救ってもらうには封印を一段階解除する必要があるということ。
 選択の余地はない、迷わず解除することを選択した。
「解除方法は?」
「魔剣エンキュリアに姫様の血を染込ませ、こう唱えるのです。”我が名を表す我が魔剣よ、血の契約を持ってその姿を世に晒せ”」
 それを聞いて頷いたルミナスは、懐に差してあった魔剣エンキュリアを抜刀し、その刃で指先を切った。切り口から流れる血が、その赤く光る刀身に伝わってゆく。
 深呼吸。大きく口を開いた。
「我が名を表す我が魔剣よ、血の契約を持ってその姿を世に晒せ!」
 するとどうだろうか、光る刀身がさらに赤く輝きだした。
 しかしその輝きの中心には、ブラックホールのように黒い光の溝が出来ており、形状からすればそれは剣の形をしている。刀身が周囲の光を吸収しているために黒い溝のように見えるのだ。
 魔剣エンキュリアは正確に言えばサーベルであり、片刃の剣だ。その黒い溝は、まさにその形状をしていた。
 拘束封印、第2段階解除――。

 雲行きが怪しい。突然怪しくなった。
 雨は降っていないが雷鳴が轟き、暗雲の隙間から光が消える。森のあちこちから鳥が羽ばたき逃げてゆき、潜んでいた小動物たちもその場を離れていった。
 全ての生物が命の危機を本能的に感知したのだ。これから嵐が来るかのごとく。だがそこから来るものは嵐ではない、そんなものの比ではない。
「第2拘束封印解除シーケンス開始」
 ヴァンはそう呟くと、両手を暗い空に挙げた。吐く息が黒い霧に変わる、鋭い魔眼が白目まで赤紫に染まってゆく。
 次の瞬間、ヴァンの広い背中から巨大な黒い翼が広がった。それはまるでカラスの羽のような黒い光沢を持ち、やがてヴァンの全身を隠すように覆いかぶさった。
 後姿を見ると分かるが、2つに分かれた黒いコートの裾が変形し、さらに4本目の翼を形成してゆく。
 4本の黒い翼、視線が無くともその場の空気が凍りつく。
 その場に居た全ての人間が、全身から血が引いてゆくのを感じた。殺気が、殺意が、悪意が、恐怖が、生理的嫌悪感が波のように押し寄せてくる。
 死ねといわれていないのに死にたくなる。気を抜いたら全身の穴という穴から組織液が溢れそうなくらい。
 そして、4本の翼がゆっくりと本体を表してゆく。
『Ich bin Koenig des Boesen!』
 ドイツ語で「私は魔王」と声高らかに言った。
 晒した姿はとても恐ろしかった。兵士の何人かはガクガクと震えながらへたり込み、中には小便を垂らしながら叫ぶものも居た。
 ヴァンの皮膚は赤黒く変色し、鎧のように硬化している。顔の中央には紅色に光る巨大な瞳が、赤紫の白目を持つ目の中に納まっている。それも人間のように横向きでなく、縦だった。
 その横には左右対称に同じ目が開いており、顔面には合計3つの魔眼が存在した。
 頭にはとんがり帽子が被さっているが、その中からねじれた黄金の角が生えており、口があったところには無数の牙が規則正しく並んでいる。
 三つ編みの髪はさらに長く伸びており、その色は人間の姿のヴァンを思わせてくれる。
 胴体の形状は何処と無くコートを着ていた名残を残すが、左肩から右わき腹にかけて無数の目が開いている。
 体のいたるところから鋭い爪を生やして、特に手には恐ろしく鋭利な物が光っていた。
 どの国の人間でも誰だろうと、こんな姿は悪魔と呼ぶだろう。泣く子も黙るというが比ではない、こんな悪魔を子供が見たらショックで即死だ。
「あれが魔王ヴェーデルハイムの本来の姿……?」
 ヨハネスはヴァンを見てそうコメントするが、あれでもまだ本来の姿とは程遠いのだ。
 まだ第2段階、それでも十分に魔王の風格を醸し出している。
「貴様等人間ごときが、この俺を出し抜こうとする。それは決して許されないことだ」
 戦車が再び砲身をヴァンに向け、砲弾を発射する。
 発砲音と共に亜音速で飛来する大口径の砲弾、しかしヴァンはそれを避けようともせず手を差し出した。
 固いもの同士が衝突する轟音――。なんとヴァンはその手で砲弾を受け止めていたのだ。それだけではない、あろう事かヴァンは牙の並んだ大顎を広げ、鋼鉄製の砲弾を噛み砕いて飲み込んでみせる。
 鉄が悲鳴を上げるように砕ける音がする。
 次の瞬間、ヴァンは翼を羽ばたかせ、一瞬で戦車の上に立った。
 砲塔から伸びる砲身に手をかけて、折る。これで戦車の戦闘力は失われたが、それだけで戦車が済むはずが無い。
 両拳を大きく振り上げ、戦車の頑強な装甲板にそれを叩きつける。貫通。そのまま腕を車内へ伸ばし、その中の肉塊を掴む。ひびの入る音がして、手に掴んだ塊を勢い良く引き抜いて見せた。
「ああっ、あぁあああああああああ!?」
 それを間近で見た兵士が絶叫する。ヴァンが見せ付けた二つの塊は乗員の生首であり、首から下には長い紐が垂れていた。器用にも脊髄が引き抜かれていたのだ。
 ヴァンは再び大顎を開けて、二つの生首を旨そうに頬張る。
「やはり人間は脳髄に限る、できれば若いメスのほうがコクがあるが。しかし人の姿を取っていた時には、まともに人を食うこともできなかったな」
 冷静さを取り戻した兵士達が、死の危険を悟って銃口をヴァンに向ける。しかし戦車のオリハルコン砲弾や、特殊ミサイルでなければ効果がない。
 戦車はあと2台存在するが、容易く破壊してしまうだろう。
「貴様等も食って欲しいのか? 俺は小食だから食いきれそうに無いんだがね」
 その言葉に一瞬の余裕を感じてしまう兵士達だが、そんなものはすぐに壊された。
 突如一人の兵士が宙に待った、何か蛇のようなものに体を噛み付かれている。
 それは紫色に輝く、10メートルも伸びたヴァンの三つ編みだ。まるで三つ編みの先端が蛇のように変形し、兵士をがんじがらめにしていた。
 それはもはや髪というより、束ねられた無数の触手。兵士は声が出ない、無数の髪の毛が口の中に入り込んでいる。やがて体全身に毛がまとわり付き、雑巾を絞るように捻られて千切られた。
 周辺に居る兵士を血飛沫が赤に染める。おぞましい光景だった。
 敵はまだまだ居る、ヴァンは空を見上げた。飛行している5機の戦闘機、この調子だと爆弾を投下してきてもおかしくないだろう。
 迅速に対応しなければならない、その為にはいささか人手不足だった。
 そんな中、折れた木々の向こうからタービンの音が近づいてくる。
 ヴァンは音のする方向に振り向いた。そこには推力を真下にしてホバリング状態で近づいてくるハリアーの姿があった。しかしおかしい、コックピットのキャノピーからは人の姿が無い。それどころか、そのハリアーは異様な変貌を遂げていた。
 突然の銃撃音。秒間100発の銃弾スコールが、数十名の兵士を蜂の巣にする。どうやらハリアーが撃ったようで、バルカン砲の銃口部分から煙が上がっている。
「ヴェーデルハイム様ー! ああ、なんと勇ましいお姿なのでしょう」
 その声はメフィストの物だった。
 良く見るとボディ全体に血管のような管が張り巡らさせており、脈打つように動いている。それどころか”肉”が付いている、まさにハリアーを骨格としている生物と言ってもいい。
 ハリアーの先頭部分から大きな眼球が姿を覗かせており、辺りをギョロギョロと見回している。
 キャノピーの中には人が乗っていないが、さらに良く見るとコックピット内は無数の肉塊でいっぱいだ。無生物が生物となっているような、言うならば怪物飛行機と言った所か。
「メフィストか、丁度いい。手分けして憎たらしい豚共を駆逐するぞ」
「リョーカイしましたっ! いっぱい人が食べられますねー」
 ハリアーが嬉しそうに揺れる。メフィストはどうやらハリアーと同化し、それを新たな姿へと変貌させているようだ。
 以前ポドゴリツァ空軍基地での作戦時に使ったあの「ムカデ列車」、あれと同じような仕組みだろう。生無き物に取り付く術、悪魔にしか成せない技だ。
 ヴァンは4人の隊員を方を向いて、その鋭い爪の生えた指を向けた。
「此処はお前達人間の出る幕ではない。安全なところまで避難し、指をくわえて見ているがいい」
「ドラゴンはどうする。このまま放っておけって言うのか!?」
 ベルモンドはそう声を張り上げた。
「動きは拘束してあるのだろう? 放っておけ、私はルミナスのところへ向かう。恐らくあいつの傍にも敵が迫ってきているに違いない」
「この様子だとそうだろうな。だけど……魔王さんよ」
 ベルモンドは装甲車からその身を乗り出し、背中から剣を抜いて構えを取った。幸いにも一命を取り留めた兵士達が、すぐさま発砲して応戦する。
「指をくわえて見てろなんて命令、そりゃあ死ねって言ってるようなもんだぜ」
 ――戦わなければ、死ぬ。
 敵は本気で殺しに来ている。戦車だって用意しているんだ、歩兵だってまだまだ来るに違いない。
 このような事態を想定してちゃんと銃だって持ってきている。立ち向かう以外に助かる道は無い。ヨハネスも銃を取って応戦した。それを皮切りにサラ、フランシスカと続いて臨戦態勢を取る。
 弾を装填するレバーを引く音が勇ましく響いた。
「さあ行けよ悪魔。空の敵を蹴散らして、お姫様を助けに行って来い!」
 ヴァンはその恐ろしい形相で首を縦に振り、隊員達に背を向けた。
 黒い翼を大きく広げ、空を見上げる。
「さあ……”モンスター・ハンティング”は終了だ。”マン・ハント”を始めるぞ」
 大きく羽ばたかれる翼が、衝撃波のような風を起こして空に舞う。爆音にも似た音が響く。
 転がっていた死体が吹き飛ばされ、雑草が根こそぎ引き抜かれた。
 とんでもない加速度で離陸し、ソニックブームが発生している。すでに速度は音速の壁を破ろうとしていた。
 ヴァンは戦闘機目掛けて飛行し、それを捕まえる。キャノピーの前面に足をつけた。
 足から生えた無数の爪がボディを突き刺し、長い髪の触手が彼の体を戦闘機に固定している。コックピットのパイロットは驚きを隠せなかった、隠せるはずが無い。
 目の前にはこの世の物でない悪魔が、自分を殺そうと睨んでくるのだ。
 パイロットはヴァンを振り落とそうと機体をロールさせ、大Gをかける。しかし無駄だ、がっしりと掴んでいる。
 逃げることは叶わないし、叶えられない。
 ヴァンは拳を振り上げ、キャノピーにそれを叩きつける。貫通。その拳はそのまま前座に居たパイロットの頭に直撃。風船のように破裂させた。
 真っ赤な鮮血がコックピット内を染め上げ、後部座席に居るパイロットの視界を遮る。それからヴァンは離れるが、その戦闘機はあっけなく地に落ちてゆくのはあたりまえだった。
「私はルミナスの下へ行く。メフィストは残りの戦闘機を片付けろ」
「あいあいさー」
 メフィストの怪物ハリアーが空に上がり、同時にヴァンは雲の彼方へ姿を消した。
 4機の戦闘機パイロットは戦慄する。その怪物ハリアーのグロテスクで禍々しい姿に、目が釘付けになる。
 だが此処で引くわけには行かないと、勇敢にもドグファイトを仕掛けた機があった。
 戦闘機は見事ハリアーの後ろを付き、完全に追いかける位置となる。
「後ろを取った。……いける」
 パイロットはメフィストが一体何なのかは分からなかったが、とにかく攻撃しなければその先に待っているのは確実な死だということは本能的に感じた。
 電子標準。ミサイルを光学ロック。リレーズボタンのカバーをあげた。ロック完了、発射。1発のミサイルがハリアー目掛けて飛来する。直撃コースだ、あたらないはずが無い。
 だがそんな予想はさらに予想外な方法で吹き飛ばされる。
 ハリアー、進行方向から180度ターン。戦闘機に向かい合って突っ込んできた。ミサイルは急な軌道変更に旋回半径が大きすぎて追尾を停止。ハリアーは戦闘機と正面衝突する。
「いただきまーす」衝突する寸前、ハリアーはキャノピーをまるで口のように広げる。
 無数の牙が生えていた。それで戦闘機に噛み付き――引きちぎる。
 コックピット部分が綺麗に無くなって、戦闘機はほぼ垂直に落下した。
 地面に墜落、爆発。鉄片がばら撒かれ、黒煙が狼煙のように上がってゆく。
 ハリアーが原型からかけ離れていたのは姿だけでなく、その性能までもが悪魔のそれとなっていた。もはや戦闘機ではない、コックピットという口を持った”空飛ぶ悪魔”だ。
 メフィストハリアーは眼球で辺りを嘗め回すように見回しながら、空中で静止したまま次に食らう戦闘機の品定めをしている。残る戦闘機は3機、たぶんあっという間に平らげてしまうだろう。
 だがメフィストハリアーを警戒するように周囲を飛び回っていた戦闘機は、突如その円軌道を外れて直線的に飛行しだす。逃げるつもりだろう。だが、そんなことは許されない。
「馬鹿じゃない? 逃げられるはず無いのに」
 メフィストハリアーは空中静止状態から推力を水平状態へ戻し、逃げる3機に向かって加速してゆく。しかし徐々に離されてゆく、ハリアーでは速度が足りないようだ。
 ハリアーは垂直離着陸をするために普通の戦闘機には無い複雑な機構を有しており、一般的な滑走の必要のある戦闘機と比べて重量が増加していた。その為最高速度はどうしてもそれに劣っており、こればかりは変化したとはいえ変わっていない。しかしメフィストはそんなことを気にもしていなかった。
 ハリアーを包んでいた肉が、突如翼の辺りまで集まってゆく。そしてその肉は翼を折って空中に残骸を破棄し、新たな形を作りだす。やがて肉はコウモリの翼のような形状を作り、大きく羽ばたいた。
 急加速、速度がぐんぐん上がってゆく。逃げる3機との距離はすぐに縮まり、あせるパイロット達。メフィストハリアーはそのまま速度を上げ続け、1機に問答無用で突進してゆく。
 次の瞬間、戦闘機の翼がメフィストハリアーの翼に接触し脱落した。
 揚力を失った戦闘機は錐揉みしながら墜落してゆく、パイロットはすぐさま緊急脱出用レバーを引いた。
 キャノピーが吹き飛んで、シートごとパイロットは空中に放り出される。恐らく地上では戦闘行われているだろうが、連絡を受ければ仲間が助けに来てくれるだろう。
 安堵の表情を見せた、その時だ。
「あんたはアタシの主食なのよ? 安心してんじゃねーわよ」
 メフィストハリアーの口が大きく開き、パイロットを食った。
 パイロットの体はコックピットに生えた無数の歯で租借され、メフィストの体内に取り込まれる。悲鳴を上げる暇も無い、一瞬の出来事だった。
 空には一筋の赤が描かれる、それは血飛沫の飛行機雲。メフィストは満足そうな唸りを上げながら、また残りの戦闘機を追い始める。
 空は恐怖に支配されてゆく。

「――来ましたね」
 作戦指令本部、トビリシの某高級ホテルのスイートルーム。
 ブラインドの隙間から外の様子を覗うと、数十台の黒いセダンがホテル前ロータリーに停車した。
 ドアを開けて出てきた黒いスーツを着た、がたいの良い男達が降車する。見たところ銃器の類は確認できないが、まず隠し持ってきていることは間違いない。
 何のための銃か、それは勿論ルミナスを殺すためだろう。
「バトラー、隊員からの通信は?」
「救難信号ですが通信は入りました。恐らく全員無事でしょう」
 ヴァンがテレパシーを送ってから大体30分が経過している。
 彼が力を解放して戦っていたならば、その場はすでに地獄と化しているだろう。
 グルジアの勢力はすぐ目の前に迫ってきている、此処が地獄と化すのも時間の問題。敵の罠に自ら飛び込んで行ったとはいえ、ヴァンが居なければルミナスは丸腰に等しい。
「姫様、私が奴等を食い止めます。あなたはセルビアの本部に迎えの要請を出し、オペレーションを継続してください」
「でも、あの数相手にあなたが太刀打ちできるのですか?」
 バトラーは微笑んだ「彼らが私に太刀打ちできるとでも?」
 そう言って彼は部屋の隅においてあった布のかかった荷物に手をかける。そして布を引き剥がしてその姿を露にした。銀色のポールの先に光る手前に大きく曲がった刃、その形状は鎌だった。
 その柄はバトラーの身長より長く、刃そのものの大きさも尋常ではない大鎌だ。それは死神が人の魂を狩る時に振るうというあの鎌を連想させる。
「死神のように見えるでしょう?」
 すると突然彼の背中から何か白くて大きな物が生えてきた。その軽く毛羽立った形状から翼と見える。しかし両肩から生えているのではなく左肩からだけで、右肩には羽がもがれたような残骸があった。
 その羽は美しかった、まるで天使の羽のように。
「バトラー、あなたは一体……」
「昔は天に使えておりましたが、今ではこの通り羽をもがれて地上に居ます。人は私のような存在を”堕天使”と呼ぶのでしょうね」
 堕天使、それは神に見捨てられた天の使い。
 彼はルミナスが小さい頃から執事として王家に使えてきたが、その時から外見は全く変わっていなかった。
 小さい頃からなんとも思っていなかったといえば嘘になる、誰だって人間なら年を取るのは当たり前だ、それくらいは少し知識のある子供なら分かるだろう。
 だけども今まで誰もルミナスに彼のことを話さなかったし、彼自身何も話してはくれなかった。疑問に思って聞いたことはあるはずだが、適当にはぐらかされたことが殆んどだ。
 だがこれで全ての辻褄が合う。彼は人間ではない、神族の存在なのだ。
「私は天使でもなければ人でもない、極めて中途半端な存在に過ぎません。が、そんなことはどうでもいいでしょう? 今は迫り来る敵を処理することに注力すべきですから」
「そう……ですが、何故あなたは私の元で執事として働いているのですか?」
「理由が必要ですか?」
 バトラーは口元を歪ませて笑った。今まで見せたことの無い表情だ。
「理由なんてありません、謎が多いほうが面白いでしょう? 強いて言うならば人間観察ですね」
 彼は答えになっていないような答えを返し、廊下への扉を開けた。
 扉の向こうには数十名の黒服の男達が拳銃を構えており、すぐにでもこの部屋に突入できる体勢を取っていた。
 黒服の男達のリーダー格と見られる男が口を開く「グルジア政府の命により、あなた方を拘束します」
 銃口が2人に向けられる、明確な殺意が突き刺さった。
「グルジア政府に拘束されるいわれはありません、お帰りください」
「大人しく拘束されてください。さもなくば、射殺します」
 銃口を向けているのだ、そういわなくとも分かる。どうせ捕まえても殺されてしまうことは変わらないだろう。
 死人に口無し、口封じを躊躇わせる様な材料が無いのだ。
 バトラーはそれを聞いて、飽きれかえった素振りを見せる。何を言っているんだこいつ等は、と。
 彼はその大鎌を黒服の男達に向けて戦闘姿勢をとる。片手でその長い柄を持っていることからかなりの力持ちであることが分かった。
 銃を向けられてなお顔の表情をゆがめないバトラーに、男達は思わず拳銃を握りなおす。
「もういい、撃て」男の一人がそういった時だった。
 男は引き金を引こうとする、しかし、視界が突如しゃがんだようにガクンと下がった。
 体が地面に落ちるのを感じた、そしてすぐさまバランスを崩してその場に崩れ折れる。周りを見回すと数人の男と視線が同じ高さにあることから、落ちたのが自分だけではないことが分かった。
 しかしふと両足の感覚が無いことに気が付き、恐る恐る視線を下げてゆくと……。
「あぁああああああああああっ!?」
 両足が付け根の辺りから綺麗に切り落とされ、体が直接地面から生えているような状態になっている。何か鋭利な、そして巨大な刃で切り落とされたようだ。
 目の前には鎌を持ったバトラーが男達を見下している。5名の男達が彼に足を刈り取られたのだ。
「撤退するなら今のうちです。両手を残しておいてあげましょう」
 足を刈られた男達は拳銃を放り投げて這い蹲りながらその場を離れ、後衛に居た黒服の男達が引き金を引く。
 バトラーは廊下の壁に向かって走り、発射された銃弾を旨くかいくぐる様に壁を走った。
 重力が無いように壁を伝って走る様はまるで足裏に吸盤が付いているかのようだが、決してそんなことは無い。
 壁に向かって走った際の慣性を利用しただけだ。
 銃弾を素通りしたバトラーは鎌を男達に勢い良く投げつけてひるませ、その集団を柄ごと蹴り飛ばした。
 数名の男達がまとめて壁に叩きつけられ、人口密度の高い廊下が一気に開放される。バトラーは落ちた鎌を拾い上げ、突き飛ばされた男達に容赦なく刃を突きつけた。
「首を刈り取った場合、人は体を失ったと表現するのか、それとも頭を失ったと言うのか。どちらの表現が正しいのでしょうかね?」
 気絶した一人の首に刃をかざしてそう言うバトラー、だが反応が無いのを確認するとすぐに刃を離した。
 ヴァンと同じく違い残虐な行為を楽しんでいると思われたが、気絶してしまった人間を開放する辺り、特に楽しんでいるわけではないことが覗える。全てはルミナスを守るため、主を守れずして何が執事か。
 バトラーは廊下の先にあるエレベーターの辺りま男達を追い込む。しかし、一方の廊下から更なる増援が来てしまった。
 増援の男達は門番の手薄になったスイートルームの入り口から室内に侵入し、拳銃を構える。5人という少数だが、ルミナスがまともに相手をして生きていられるわけが無い。
 しかし男達は部屋の中を確認するが、そこには通信機など機材が置かれているだけで人影が無いことに気づく。
 慎重に室内へ足を踏み入れ、開かれた扉を通り過ぎたその時。
「はぁああっ!」
 威勢の良い掛け声と共に振り下ろされるサーベル、魔剣エンキュリア。その赤黒い刀身から繰り出される一撃が、黒服の男の背中をスーツごと切り裂いた。
 扉の陰に隠れて敵の様子を覗っていたルミナスが、隙を突いて自ら攻撃をしたのだ。
 右肩から左わき腹にかけての一刀両断、とんでもない切れ味だ。剣の性能もさることながら、剣術の訓練をしていたルミナスは魔剣エンキュリアを中々旨く使いこなせている。
 今まで実際の戦闘を味わったことの無いルミナスだが、決して彼女は温室育ちの非力な姫ではない。
 これでも彼女はエンキュリオール一族に伝わる実践的な剣術を習得しており、確かな殺人の訓練は受けているし、拳銃くらいなら下手な警察官より上手く撃てる。
「クソっ、姫様は虫も殺せないようなお優しい方だと思っていたのだが」
「勝手な憶測ですね。私はすでに姫ではなく、女帝なのです」
 強気な姿勢を崩さないルミナスだが、内心はかなり緊張していた。
 なにせ彼女はついに自分の手で人を殺してしまったのだ。いつかはこんな時が来ることくらい分かってたはずだが、それでも殺人というのは生易しい物ではない。
 しかし彼女は平常心を保ち続けた。それはヴァンに涙を奪われたからなのか、それとも彼女の決意がそれほどまで確かな物であったのか。
 どちらにせよこのような状況下で冷静に立ち回れるほど、彼女の瞳は確りと敵を見据えている。
 男が拳銃の引き金を引こうとした刹那、腰に下げたガンホルダーから拳銃を素早く抜き、ルミナスはそれを敵に向かって構えた。
 それとほぼ同時に引き金が引かれ、銃弾が男の眉間を正確に打ち抜いた。
 まるでそれは西部劇の早撃ちのように一瞬で決まり、ルミナスの高い射撃能力が覗える。残る男達も彼女の力を改めて認識し、よりいっそう強い殺意を向けてきた。
 だがこちらが不利な状況には変わりない、廊下でバトラーが健闘しているのはまず確実だろうが、生身の人間であるルミナスがこのままで無事なはずが無い。
 残り3人の銃口が向けられた。ルミナスは大きな機材の影に転がり込み、銃弾の殆んどをやり過ごす。
 しかし、陰に隠れる前に発射された銃弾が彼女の右肩辺りを僅かに掠っていた。浅く切れたように開いた傷口から、血が染み出して服を染めている。
「……このままでは芳しくないですね」
 機材の陰に隠れているが、男達はすぐに殺そうと迫ってくる。次こそ命が無い。
「姫様っ!」その時、バトラーの声が響いた。
 男達は声のする方向へ振り向く暇も無く、バトラーの鎌に首を刈り取られた。
 噴出す血液、霧のように部屋中に広がってゆく。跳ねられた男の生首がルミナスの足元に転がる。
「申し訳ございません、エレベーターからの敵の処理に手間取ってしまいまして」
「それよりもこのホテルから脱出しましょう。必要最低限の物資と重要書類だけ持って行きます」
「セルビアからの迎えは?」
「呼んでも到着は速くて今日の夕方です、空港に止めてある輸送機もグルジアに押さえられているでしょう」
「輸送機のパイロットは悪魔だそうですから運転手の心配は無さそうですので、輸送機を奪還することが出来ればすぐに帰ることは出来ますね」
 しかし空港まではホテルから歩いてゆくには少し遠く、そもそも徒歩で行く選択肢は安全性を考慮してもありえない。
「車が必要ですね。とにかく此処を出ましょう、駐車場に行けば車くらい幾らでもありますから」
 リスクの高い選択だがバトラーが居るなら大丈夫だろう。2人はとにかくスイートルームを後にすることを決めた。

 ホテルの非常階段を駆け下りて、チェックインをした広いロビーに出る。
 裏口からひっそりと出れればいいのだが、敵だってそれくらいのことは想像できるはずだ。まず待ち伏せしていることは確実である。結果、何処から出ようと敵は出てくるわけで、それならば正面玄関からチェックアウトを済ませるように出て行こうが同じだ。
 物影に隠れながら玄関の様子を覗うルミナス。黒いセダンがガラス越しに見え、黒服の男達も警察用のサブマシンガンを持って巡回している。彼らを片付けてしまえばこっちの物、鍵を奪ってセダンを奪って行けそうだ。
「バトラー、頼みます」
 小声での頼みにバトラーは静かに首を縦に振り、飛び出す機会を見極め始めた。しかし次の瞬間、玄関のガラスが爆音と共に割れて弾けた。
 一台のセダンが何かに吹き飛ばされたようにロビーに突っ込み、つぶれた衝撃で爆発したのだ。まるで自爆テロのような光景だが、運転席に人の気配はしない。無人のようだ。
 それと共に聞こえてくる強い風の音。得体の知れない黒い影が玄関先に舞い降りる。
「チェックアウトしに来たぞ、ボーイ」
 黒光りする鴉の様な翼を生やし、赤黒い仮面を被る人影。黒いコートを着ているようなシルエットではあるが、何処からとも無く漂ってくる邪悪な気配がルミナスの背筋を凍らせた。
 怪しく光る3つの目が、その場に居た男達を恐怖で氷像にさせている。まるで悪魔のようなその姿に。しかしルミナスはその美しくも冷たく自信に満ち溢れた声に聞き覚えがあった。
「ヴェーデルハイム!」
「ルミナスか、無事だったか?」
「私達は大丈夫です。それよりもドラゴン捕獲に向かった隊員達は?」
「全員無事だ、今頃敵の地上部隊と交戦しているだろう」
 ルミナスはヴァンの恐ろしい姿を凝視した。「その姿は……」
「第2拘束封印を解除した。より強大な魔力を扱うため、人の姿をとっていられない」
 あまりにもその姿が恐ろしく、見ているだけで何かに犯されそうになるルミナス。
 何にせよ隊員の生存報告にほっと胸をなでおろす彼女だが、黒服の男達は突然の刺客に驚きつつも、銃を構えてヴァンに歩み寄ってゆく。
 彼らのほうへ振り返るヴァン、束ねられた髪の触手が一人の男へと伸びていった。
 体全身に絡むように巻きつく触手は、そのまま男を投げ飛ばしてロビーの天井に頭から食い込ませる。
 物凄い物理的エネルギーが込められ、石膏ボードが白い煙を舞い上がらせながら粉砕する。人間の姿を取っていた時もすでに恐ろしいほどの力を持っていたが、今ではより一層凶悪な力となっていた。
 触手が再び別の男のほうへ伸びて行き拘束、ヴァンの手元まで体を持っていくと彼は男の頭部に大顎を開けてかぶりついた。
 溢れる血液、男の体は痙攣し波打つように震え、ヴァンが口を離したときには首から上が綺麗さっぱり無くなっている。
 黒服の男達はその悲惨な光景を見て自分の無力さを思い知り、次々に銃を放り投げて一目散に逃げて行った。
「全く情けない人間共だ、逃げるくらいなら銃など持たなければ良いのにな」
 両手を軽く広げて呆れた素振りを見せるヴァン。
 偶然にも目の合った男に、強烈な視線を刺すようにぶつけた。彼は呆れて「はい、そうですか」と見逃すような者ではない。
『魂よ、隷属せよ』ヴァンがそう呟くと、男はその場で立ちすくみ生気の抜けた表情になる。
 瞳には生きているような光が無くなり、口から涎をたらしながら薄気味悪く笑い出した。その動きもシンナー付けの薬物中毒者のように不安定で、明らかに正常とは言いがたい状態だ。
 男はそのまま笑いながら玄関先に止めてある黒いセダンの方へ歩き出した。そして運転席のドアを開ける。
「ヴェーデルハイム、一体何をしたのですか……」
「視線を通じて魂を破壊した。あの男は自我を失い、俺の忠実な奴隷となった」
「運転手にしようというわけですね」バトラーが感心しながら言った。
 ヴァンの考えていることはつまりそれで、人間の姿に一旦戻りつつ黒いセダンへと歩き出した。
「行くぞ2人とも、任務を続けよう」
「何処へ行くのですか? セルビアへ帰るなら軍の基地に停めてある輸送機を使うべきかと思いますけれど」
「確かに取り押さえられているであろう輸送機を奪還するのも大事だが、それよりもまず、今回の落とし前をつけなければ帰れないだろう?」
 落とし前、それは自分達を騙したグルジア政府対してのことだ。恐らく大統領官邸に乗り込むつもりだろう。
「――そうですね。このまま黙って帰るなんて、セルビア王国王女の名前が廃ります」
 ルミナスはその考えに同意した。自分に忠誠を誓った戦士達に予想せぬ危害を加えたのだ。個人的にも許せないし、何より傭兵派遣会社として毅然とした態度を取らなければならない。
 騎士団に嘘をついたらどうなるのか、見せしめ第1号となってもらおう。
「嘘吐きには鞭を与えて教育してやらんとな。魔王を騙そうとしたことを、生んだ母親を恨むくらい後悔させてやろうじゃないか」
 ヴァンはさぞ愉快そうに高笑いをあげる。何処までも恐ろしい悪魔だ。
 3人はセダンに乗り込んだ。ルミナスはスーツの襟を整えながら無感情に「出して」と言った。

 セダンが道幅の広い道路を通り、大統領官邸へ走行する。
 追っ手は無かった、ヴァンに恐れおののいて逃げ出したのだろう。
 街は今まで何があったのか知らないかのように明るい声がする。人々は自国政府がRHKに何をしたのかなど全く知らないだろうし、それほど興味を持つとは思えない。だがこれが表沙汰になってしまえばこの国には深刻な危機が訪れるだろう。何故ならRHKを犠牲にしてドラゴンを排除しようとしたのだから、ロシアの石油パイプラインを破壊したのは自分達だと名乗り出ているようなものだ。
 グルジア政府は血眼になってルミナスおよびRHK隊員を抹殺しようとしている。なんとしても殺しに来るだろう。
 そんな中ルミナス達を乗せたセダンは大統領官邸へ到着。ヴァンは廃人となった運転手の頭を虫をつぶすように握りつぶし、ルミナスとバトラーが降りたのを確認すると車を素手で持ち上げる。
 恐ろしい悪魔の姿となったヴァンは、ガードマンが見張っている玄関に車を投げつけた。
 爆発、炎上。火災警報器の音と共にスプリンクラーから消火用水が撒かれ、その場に居た警備員達も原形をとどめない肉片へと変わる。
 彼の行くところは何時も地獄になる。ルミナスもいい加減慣れてきたようで、最初は鼻を突く死臭に眉をひそめていたが、今ではうっかり死体の肉を踏んでも何食わぬ顔が出来るようになった。
 がら空きとなった正面玄関を3人が歩いてゆく。
 大統領の部屋の位置はルミナスが覚えていたため、彼女が先頭となって目標の居る部屋へ向かう。
 道中、物陰に隠れていた警備員が飛び出してきても彼女は冷静に対応した。時には鉛球を打ち込み、またある時は魔剣で一刀両断した。彼女は憤慨している。自分を騙して裏切ったことに、部下を危険な目に合わせたことに。
 大統領の部屋にはすぐに到着したが鍵がかかっていた。ルミナスは律儀にもノックした上で、これを空けるようにヴァンに命ずる。
「失礼します」ヴァンが重機ばりの脚力で扉を蹴り飛ばした。
 扉の向こうには驚いて間抜けな顔をしたムガロブリシビリ大統領と、そのSS(シークレットサービス)2名が居た。SSはすぐさま反応して拳銃を向けてくる。
 すぐさま反応する。1人はバトラーの大鎌に首を刈り取られ、もう一人はヴァンの髪触手で手足首をもがれた。
 大統領はワークデスクの引き出しに隠されていた拳銃を取り出そうとするが、彼がそれを手に持った瞬間にヴァンが触手で奪い取った。
 ルミナスも大統領に銃口を向ける。これにて彼は絶体絶命の四面楚歌となったわけだ。
「ムガロブリシビリ大統領、あなたは契約書第1項目『依頼者はRHK社に最低限正確な情報を提供し、RHK隊員に危害の加わる可能性のある情報操作および行動を取ってはならない』に背いた為、粛清の対象となりました」
 ルミナスは勤めて無感情に、淡々と違反した内容の詳細を述べる。
「我々が裏切っただと? 何かの間違いではないか?」この期に及んで白を切ろうとする大統領。
 するとヴァンは大統領に向かって視線を送り、中指を指して呪文を唱え始めた。
『心偽りし魔の障壁よ、我の名の下にひれ伏せ』
 ヴァンがそう唱えると、あろうことか大統領の額から魔法陣が浮かび上がった。
 色は白く、五方星の上にハートマークらしき模様が描かれている。彼は髪の触手を素早く伸ばし、大統領の頭部にまとわり付かせた。大統領が苦しそうにもがく。
 やがて触手がゆっくりと頭から離れてゆくが、見ると大統領の額からは綺麗に魔法陣が取り除かれている。まるで拭い取られたかのように。
「ぐぅっ……一体何をした!」
 ヴァンは口元を大きく歪めてと笑った。何かが分かったのだ。
「なるほど……、にわかに信じがたい話だったがトルマチョフの話は本当だったようだ」
「トルマチョフだと?」
 大統領がその名前に反応した、どうやら知り合いのようだ。
「貴様等の依頼は最初から臭いと思っていたが、我ながら確証が無かった。なんたって我々を捨て駒のように扱うのであれば貴様から殺意やら何らかの負の感情が感じ取れるはずなのに、何故か会談の時にはそんな気配はしなかった。裏を取るために首謀者の一人と思われるグルジア魔道協会のトルマチョフ議長を締上げたが、まあなんてことは無い、棒にくくり付けて火あぶりにしてやったらすぐ吐いたよ」
 彼がよく姿を消していたのはこの為だったのかの納得するルミナスだが、火あぶりの拷問とは人道的にどうなのだろうかと考えると同時に、悪魔に人道を説いてを仕方ないことを思い出す。
「まさか悪魔に心を読まれないために、精神結界を張っていたとはな」
 精神結界。それは人の精神にかける結界で、いわば心をコントロールする魔法である。
 だがこんな魔法は人間相手には全く意味が無い、基本的に人の感情を読める悪魔に対抗するために使われる物なのだ。それはつまり、彼らがRHKに悪魔が存在することを事前に知っていたということになる。これは内部機密の事柄であり、これが漏れていることは由々しき事態である。
「ふん、トルマチョフめ。言葉を漏らすくらいなら消しておけば良かった」
「ということはつまり、ロシアのパイプラインはあなた方が破壊したのですね」
「そう、全て我々が仕組んだことさ。先日我々の南オセチアがロシアに吸収され、兵隊を派遣しようと思ったらBTCパイプラインを破壊するぞとロシアは脅してきた。もう我々はロシアのわがままに付き合いきれん。そこで地底に眠っていたボルケーノドラゴンをたたき起こして、協会の専門家にロシアのパイプライン方面へ誘導させ、それを破壊させた。面白いほど簡単だったよ、やはりドラゴンは強力だ」
「では何故我々を雇ったのですか? 我々さえいなければ今このような事態にもならなかったでしょう」
 大統領はため息をつきながら答えた。
「全くその通りだ。そう、我々は見誤っていたのだ。パイプラインを破壊したドラゴンはグルジア方面にUターンしてきたが、これは想定の範囲内。しかし予想外だったのは奴が想像以上にタフだったからだ、君達も実感しただろう? 大きな軍隊を動かそうものならばこちらがドラゴンを抹殺しようとしていることを宣言しているような物だ。そこで君達のような傭兵に依頼して、ドラゴンに対してのファーストアプローチをかけて貰おうと思ったのだよ」
 軍隊を動かすというのは国際的にも大きな意味がある。敵対関係にある国に対して派兵するのは論外であるが、国内の暴動の鎮圧や武装組織の排除など、少なくとも軍隊を動かすということは何かその国にとって大きな懸案事項があったということだ。
 恐らく大統領はUターンしてきたドラゴンの処理を比較的小規模な組織である魔道協会に任せていたが、ドラゴンが偶然にも生命力の強い個体であったために討伐が出来なかったのだろう。
 そのまま放置していれば自国の火力発電所やら、山脈を通るBTCパイプラインに被害が発生する。さらにドラゴンの存在を知られてしまえば、ロシアは完全にグルジアを敵視するだろう。何故ならロシアの魔道協会は優秀と評判で、ボルケーノドラゴンという種を特定されてしまえばすぐにでもその習性を調べ上げ、ベルモンドが言っていたように人為的でなければまず地上には出てこないということが分かってしまう。
 事は迅速に処理しなければならなかった、その為に捨て駒としても戦闘集団としても優秀なRHKが選ばれたと言う訳だ。
「ご愁傷様ですね」ルミナスが怒りと苦労話を聞かされての僅かな呆れを混ぜて言う。
 しかし話を聞いていたヴァンはふと思った。大統領の口の滑りがやけに良すぎやしないだろうか。
 追い詰められた悪役が最後に素直になったあと、それは一様に別の悪あがきである。それは様々な物語において多く使われる流れであり、実際の人間が陥りやすい心理状態でもある。
 だが少しでも知恵のある者ならば単なる悪あがきはしない、予定表に記載され、計画的な策略だ。
「大統領、やけに口の滑りがいいな?」
 ヴァンはある予想を立てながら、それを待ち望むかのようにあえて聞いてみる。
「そうかね、今日はリップクリームを忘れてきたのだが」
 瞬間、大統領の表情が変わる。僅かな自信が垣間見えた。実に予想通りの展開だ。
「今更遅いのだ、今頃ドラゴンとその他証拠を抹殺しに行った部隊が全てを亡き者にしている。もはや私が死んだところで、我々の報復は成功したのだよ。これでロシアンビッチも懲りるだろう」
 死に際の高笑いをあげる大統領。しかし、破壊されたドアからこの部屋に見慣れない人物が姿を現した。
「誰が、ロシアンビッチですって?」
「なっ!?」大統領が顔を強張らせた。
 より白に近い金髪、消えそうなくらい薄い青色の目。
 髪は強いウェーブがかかっており、前髪は額の辺りで7対3にぴっしりと分けて停められている。
 高級ブランドのスーツを上下に纏い、ミンクの毛皮で見繕ったコートを羽織っている美女。色白で、彼女が北方ヨーロッパの出身であることは良く分かる。
 理知的で気のよさそうな雰囲気だ。大統領と向き合うと礼儀正しく一礼する。
「アファナシエフ、何故君が此処に!?」
「外交官としての命を果たしに来ただけですわ、許可なら下りてますわよ?」
 堂々とした態度だ。提示したバッジには確りとロシア連邦の国旗が描かれている。どうやら外交官のようだ。
「時間通りだな、アファナシエフ公使」ヴァンが携帯電話の時計を見ながらアファナシエフに言う。
「素晴らしいわ。RHKのエージェントは実に優秀ね」
 ルミナスはその光景に違和感を覚える。何故ヴァンとロシアの外交官がまるで予定通りのように頷き、顔見知りのように振舞っているのか。
 積もった疑問を解決するべくルミナスは彼女に向き合った。
「私はRHKインターナショナルCEO、セルビア王国王女ルミナス=エンキュリオール。あなたは?」
「申し送れました、私はロシア連邦特命全権公使ヴァレンチナ=アファナシエフ。首相の命により、ムガロブリシビリ大統領に会いに参りました」
 特命全権公使とは、接受国の国家元首に対して派遣される、一般的に外交官と呼ばれる官職である。その中でも特命全権公使は最高位から2番目に数えられ、接受国の国家元首に対して派遣される。
 そんな役職を持った彼女が国家元首の下を尋ねたのだ、ただ事ではない。
「まさか……図ったなヴェーデルハイム!」
 ヴァンはいつの間にやら人間の姿へと戻り、その口元を大きくゆがめた。追い詰められて焦りの表情を見せる大統領は滑稽で、この上なく愉快だった。対して大統領の顔はみるみる青ざめてゆき、頭を抱えて唸りだす始末。策略を巡らせていたのは大統領だけではなかった、話は数日前にさかのぼる。
 依頼内容を不審に思っていたが確証が取れなかったヴァンは、情報を聞き出すために魔道協会の会長を尋問したのは先ほど彼が言ったとおり。しかし策略が巡らされていた事を知ったからといって任務を中断しても、まず赤字になることは確実であり、企業としてはなんとしても避けたい事態であった。
 そこで彼はセルビアのロシア大使館を通じて連絡を取り、グルジアの愚行を報告する代わりに情報提供料を受け取った。だがそれでも予定されていた100万ユーロの内の80万ユーロは回収できず。しかし魔王ヴェーデルハイムとあろう者がそれで満足するはずも無く、さらに巨大な策略が用意されていた。
「何の用だアファナシエフ、まさか――」
 大統領が何かを喋ろうとした瞬間、彼の口元に青白く氷の塊が発生した。
 ありえない現象、しかし、そこでヴァレンチナは右手に背丈くらいの長さの杖を持っていた。
 ヴァンは魔力を感じ取る。――魔法だ。
 教養のある魔法使いが官僚になることは決して珍しいことではない、むしろイギリスに次いで魔法技術に注力しているロシアであればなおさらだ。
 杖状の魔法触媒を使って行う魔術、それは世界でもっともポピュラーな白魔術だ。
 ヴァレンチナの持っている杖の先には暗緑色のアレキサンドライトと見られる宝石が埋め込まれており、彼女が白魔術の一派「ナロードナヤ魔術」の魔女だということを表していた。
「勘違いしないでください、もはやあなたと話す必要もないのです。だって私は……グルジアに宣戦布告をお伝えに参ったのですから」
 遠くから聞こえる航空機の音、だんだんとその音は大きくなってゆきトビリシの上空を通り過ぎる。
 炸裂する音、爆音がした。人の叫びが同時に上がる。
 地響きがした、恐らくこれは航空爆撃による物だろう。どうやら戦争の口火が切られたようだ。
 ヴァンはその音をさぞ楽しそうに耳を済ませて聞いている。連鎖的に響く絶叫交響曲に心奪われそうになるほど、彼は実に愉快だった。
「俺はロシアに情報を売った。けれども我々のビジネスチャンスが今まさに生まれようとしている、この意味が分かるかな?」ヴァンは口を氷でふさがれた大統領に問いかける。勿論答えなど求めていない。
 ルミナスは彼の言動を見て恐怖を感じる、余りにも恐ろしい解答が頭をよぎった。
 彼が情報を売ったのは単に報酬目的だけではない、そうすることによってより巨大なビジネスが動き出すことを予想してロシアに情報を引き渡したのだ。
 傭兵にとっての巨大なビジネス、それはすなわち戦争である。
 傭兵派遣会社であるRHKの仕事は戦闘、つまり戦争こそが主な業務内容だ。莫大な利益を得るためにはより大きな戦争に、より多くの兵隊を派遣することによって報酬を受け取らなければならない。
 だがそんなに都合の良い戦場があるはずも無く、大抵は正規軍を派遣するだろうし、一方の勢力がRHKに仕事を依頼するとも限らない。
 つまり彼はロシアに対してこういう交渉を持ちかけたのだ。
「情報を提供する代わりに、戦闘時には是非ともRHKを利用してください」
 双方の利益になることを薦めるのが経営のの基本、これは所謂”談合”であった。
『こちらヴェーデルハイム、宣戦布告は完了した。空軍基地制圧ミッションを現1400時をもって開始せよ』
 ヴァンは懐から取り出した無線機でRHKセルビア本部から呼び出した部隊に連絡を取る。さきほどの爆撃機はロシア空軍による物だが、彼の兵隊である悪魔達はすぐそこに忍び寄っていたようだ。
 街からは一層悲鳴が上がる。爆撃ということだけあって民間人にも被害が出ているのだろう。これ以上無い仕打ちだった、まるで政府の愚行を国民が肩代わりしているようだ。
 さらにヴァンは大統領を震え上がらせるべく、畳み掛けるように言った。
「大統領には今年で二十歳になる娘が居るようだが、全く残念だな。今頃涙で顔を濡らしながら助けを求めていることだろう、悪魔達に犯されながらな……」
 大統領の顔がさらに青ざめてゆく。それに反比例するようにヴァンの表情は嗜虐心剥き出しだ。
 何をしたかなど想像するだけでも恐ろしい、一体どれだけ酷い仕打ちをしたか分からない。ルミナスはやりすぎるヴァンに対して反論しようとするが、もはや今の状況では彼に反論できる材料が無く、ポドゴリツァの時のように論破することは叶わない。
 彼は魔王なのだ、人を恐怖に陥れなければ居られない存在なのだ。
「では皆さん、私はこれで失礼いたします」
 ヴァレンチナが部屋を出て行こうとするが、帰り際にルミナスに向かった。
「これからはどうぞよろしくお願いします。ロシア政府はあなた方RHKを歓迎しますわ、エンキュリオール王女殿下」
 彼女はルミナスに握手を求めてくる。ルミナスは一瞬躊躇したが、新しい顧客に対して失礼があってはならない。
 ルミナスはその手を重ねた。
「こちらこそ……よろしくお願いします」
 笑みを浮かべてヴァレンチナは一礼をし、その背を向けて行った。
 此処ももうじき地獄に変わる、ドラゴンの捕獲に行っていた隊員達との連絡も取れ、ルミナスは現場指揮を部下に任せて帰国することにした。
 銃声がより一層響いてゆく――。

 南カフカース山脈の森の中は静けさに包まれていた。
 小鳥のさえずりも徐々に聞こえ出し、銃声もすることは無くただただ木々の葉が擦れ合うやさしい音がする。だが所々に人間の死体が転がっており、そこがついさっきまで激しい戦場であったことを示していた。
 そして森の奥深い場所を越えた林、丁度ドラゴンが地上に墜落したあたり。そこにはすでにドラゴンの体が無く、結界の跡となぎ倒された木々だけが散乱していた。すると空には太陽光を遮断する黒い影が浮かんでいる、森にその巨体の影を落としている。
 ドラゴンが空を飛んでいた。
「いやー、風が気持ちいいな」
 風を受けながらドラゴンの背中に乗る人影、ベルモンドが乗っていた。
 彼は戦闘終了後真っ先にドラゴンのところへ戻り、拘束していた結界を解除した。散々利用された挙句、結界でがんじがらめにしてしまったことに負い目を感じているのだ。
 だから彼は今こうやってドラゴンを自由にし、地下へと戻させるために火山の近くまで誘導している。
 山脈の中に丁度活動中の火山を見つけていた。すでに噴火は激しい物ではないものの、マグマ溜りへの近道としてはこれ以上のものは無い。
 自然をあるべき姿に戻す。ドラゴンと共存する竜騎士である彼にとって、これはとても大切なことであった。
 数時間後、彼とドラゴンは目的の場所までたどり着く。火口からは薄っすらと黒煙が立ち上っており、温度もそれなりに高いことだろう。此処まで誘導すればボルケーノドラゴンもどうやって居るべき場所に帰れるかは分かるはずだ。ドラゴンの背中から降りて、ベルモンドは硬い表皮を優しく撫でてやった。
 全ては人間の勝手な行動の所為、それに気づきつつも傷つけてしまった自らの業。古代より続いてきた竜騎士は今や形骸化し、彼のような単に竜の存在を追うものだけが残った。彼らは単なる狩人としてこの世界に現存し、竜の背中に乗って戦っていた者の姿はもう無い。
 今出来ることは人間達の魔の手からドラゴンを救うことであり、人間達の行く手を阻むドラゴンを駆除すること。
 相反する二つの使命が彼の中で渦巻いている。時代は変わったのだ、あのドラゴンと共に戦ってゆくことは叶わない。ドラゴンはただ火口に目を向けながら進んでいった。
 ベルモンドは見送るように手を振る。甲冑が金音を立てている。
「ごめんよ」彼はそう一言呟いた。
 火口から響く轟音だけが空気を揺らしている。これであるべき姿に戻るのだろう。岩が割れるような音と共にドラゴンは赤熱するマグマの中に消えてゆくのを確認すると、彼はそこに背を向けた。これ以上ここに居る理由は無い。
 仲間の待つ空港へと彼は向かった。