誰かを操ることができたら?
 マッキーはそんなことが出来るようになってしまった存在を何人か知っている。
 一つはアークスの中心的存在であり強大な権限を与えられた六芒均衡のメンバー。かつてのオラクル船団の危機においてはアビスを行使し、緊急事態への対応をしたという。
 もう一つはドクターペンシル。彼女自身が操られ、船団に危機を及ぼしたことは記憶に新しく、今でも彼女が引きずっていないと言えばそれは嘘になる。
 そして新たに一つ、あの修正液のようなキャスト。彼女は白い液体をキャストたちにぶちまけ、その制御を完全に乗っ取ってしまった。
 アークスの精神に干渉することが出来るということは、もはやそれだけで六芒均衡に匹敵、あるいは船団の管理者に匹敵する権限を得ているということだ。これが悪用されるとなればそれは、船団にとってまた大きな脅威となるに違いない。スヴァト、またの名をマッキーはより一層、戦いに身を投じていかなければいけないという責任感に心を焦がした。
「スヴァトさん」
「……」無言の返答。
「スヴァトさんっ、聞いていますか!」
 そんな風にゼブラのオフィスで物思いにふけっていたところ、上司のケセナイにどやされてしまった。
「失礼、少し考え事をしていました」
「スヴァトさん、貴方に頼みたい仕事があってね。ちょっとリリーパ星まで出張して欲しいんだ」
「あの砂だらけの惑星にですか? 私、リリーパ星人がちょっと苦手なんですよね」
「まあまあそう言わずに。当社はこれから、油性ペン型HBSの増産のために新たな工場をリリーパに建設することにしたんだ。つい最近リリーパでの製造から撤退した企業から工場の売却を提案されてね、そこに視察に行って欲しいんだ」
「最近撤退した企業? それってもしかして……」
「ぺんてる宇宙公社だ」
 ぺんてる宇宙公社と言えば、つい最近にマッキーが上層部の腐敗を成敗した企業である。あの一件から株価は急落し、リリーパでの文房具製造から撤退することになったのだ。取り敢えず運転資金を補填するために工場を売却することはよくある話で、その売却先が業界トップのゼブラ宇宙公社だったということだ。
「同じ文房具メーカーといえど、全ての設備が流用できるわけではない。ほぼ会社が買うことは確定してはいるのだが、価格は工場の改修費用に応じて交渉せねばならない。だから君には工場の状態を確認してきて欲しいんだ」
「……なるほど」
 彼女には少し腑に落ちない部分があった。間接的とは言え、自分が経営を傾かせた会社から工場が売却される。
 無論、ぺんてるの人間があのマッキーがゼブラの社員などというのは知る由もないので、ぺんてるがそれを意識しているわけではない。だが当人としては奇妙な意図があるような気がした。だが、何の根拠もない。1人の会社員としてこの仕事を、何の合理的理由もなく拒むことは出来なかった。
「分かりました。では日程を教えて下さい。向かいます」
 彼女は引き受けてしまった。これが悪夢の始まりだとも知らずに。

 惑星リリーパはとにかく砂漠ばかりが広がる殺風景な星だ。緑もないし、水もある場所は限られている。だが豊富な地下資源とエネルギー源がこの星の工業的利用価値を高めており、アークスがこの惑星を発見してからは、この星は非常に魅力的な産業の惑星となったのだ。現にエネルギーを採掘する採掘基地は近年急増している。同時にそれを狙ったダーカーの襲撃も発生しているので、アークスの戦いという意味でも熱い惑星に違いない。
 スヴァトは現地のぺんてる社員と合流し、キャンプシップで工場へと向かっていた。
「砂っぽい惑星でしょう? 口の中がザラザラと、不快でしょうが無い土地です。そうは思いませんか?」
「いいえ、気にしません。キャストですので」
 気を使ったぺんてる社員の意図など気にせず、スヴァトは熱心に手渡された書類に目を通していた。
「フォトンジェネレータが10基、それのエネルギーは地下資源を利用。フォトンの生成設備も有り。そこそこの設備を当社の製造ラインとして流用できそうですね。本当に、手放すのは惜しいですよね」
 手放さなければならなくなった原因を作った本人としては、これ以上ない皮肉である。だがぺんてるの担当は「全くその通りです」と、額に汗を書きながらも笑っていた。彼にしてみれば上層部の身勝手な行動で自分の給料が下がったのだから、全く不愉快な話である。
「さて、着きましたよ、こちらへどうぞ」
 スヴァトは工場の敷地内に案内され、車で5分ほど移動したところでまるで新築のように綺麗な工場が目に入った。
「建造から3年も経っていないとは聞いていましたが、本当に新築同然ですね。これを本当に売却してしまうとは、本当に惜しいのでは無いですか?」
「そりゃあもう凄く凄くすっごく惜しいですけど!! ゴホン、失礼。とにかく会社の意向ですので、では、中をご案内しますね」
 ぺんてるの担当が手の平を認証マシンにかざし、体内データ通信により認証情報をマシンへ与えた。その動作から彼が人間ではなく、人間ボディを装着したキャストであることがわかった。だがビジネスにおいて種族など区別するものではないので、スヴァトはそれほど気にはしなかった。
 だが、工場の扉が開いた瞬間、広がる光景に彼女は瞳孔が開く感覚を覚えた。
――おかしい。
 売却直前の工場がフル稼働している。多大なる赤字を抱えているはずの企業の工場が、だ。
 工場のラインは一目見ただけで何を製造しているのか解る。コンベアーで流れているのは人型のマシン、すなわちキャストであった。ゼブラのHBS製造工場がまさにこのような製造ラインを組んでいた。それはすなわち、ここはぺんてるの文房具を製造する工場ではなく、まさに人型戦闘用文房具を製造するキャスト工場だったのだ。
「こちらがぺんてるの第3工場です。デス。デスン。デデデ」
 突如ぺんてるの担当の挙動がおかしくなった。口からシリコンオイルを吹き出しながら、上を向いて奇声を上げている。スヴァトはすぐさま担当から距離を置き、隠し持っていた小型のタリスマンを装備した。
『久しぶりね、マッキー』
「その声は、まさか!?」
 声の主に一度だけ会ったことがある。修正液をぶちまけてキャストのアークスを支配下に置いた、あのキャストの声だった。スヴァト、またの名をマッキーはボディパーツを転送し、戦闘に適したキャストボディに変形した。
「貴様、私をハメたな? 何故私の正体を知っている!?」
『それはこの前へ進めば理解できるわ。さあ、私の眷属について来なさい』
 ぺんてるの担当者がおぼつかない足取りで工場の奥へ進んでゆく。マッキーは不審に思いながらも、工場の扉はすでに閉ざされており、先に進まざるを得なかった。
 工場の通路を進んでゆく。製造ラインは絶賛稼働中で、フォトンケーブルの接続から、特殊プラスティックのボディが全く同じ形状に整形されてコンベアーに流れている。そのボディはキャスト女性用の生体部分を残したもので、生体培養装置もラインの一つに存在した。何よりも気になったのはその形状が、この前の修正液キャストが装備していたボディと全く同じものであったということだ。
 操られたぺんてるの担当者は次の区画へとつながるシャッターを開き、その中へと進んでゆく。マッキーも同じくその中へと進んでゆくのだが、その先にあった光景に見覚えがあったのだ。
 そして、それが何処で見たかと思いだそうとした瞬間、彼女を頭にゾンデが直撃したような頭痛が襲った。
「クッ! 痛い、なんなの、一体ここは?」
『思い出せるかしら? 貴方はここに運ばれて、ここで生まれ変わったの』
 壊れていた記憶の欠片が集まっていく。そう、彼女は彼女はここで油性ペンとして生まれ変わったのだ。施術室と表示されたディスプレイに、各種生命維持装置。そして人工血液やナノマシンのタンクに、パーツ取付け用の電動工具と工作機械。ここは人間だったものを機械に作り変える、キャストが生まれる場所だった。
『およそ5年前、アークスシップ17番艦”キャンパス”がダーカーの襲撃を受けて陥落した。キャンパスには学園都市があることで知られ、不運なことに、そこには沢山の将来有望なアークス研修生が住んでいた。なんとか負傷者の救出には成功したものの、彼らはもはや植物人間になるしか無い運命だった。だがオラクルは彼らの才能を溝に捨てるのではなく、作り変えて再利用することにした。我々は何名かの素体の中で、特に優秀だった2体のニューマンを競売で競り落とした。その中の1人が貴方よ』
「競り……落とした!?」
『多額の資金をかけて育成した、高いフォトン適性を持つニューマンをそのまま死なせるほどオラクルは甘くない。オラクルはキャスト関連企業に死傷者を引き渡し報酬を与え、優秀なアークスを手に入れる。それがオラクルにおける”アークス・リサイクルシステム”』
 ぺんてるの担当者は全身を痙攣させながらそのまま失神し、施術室のシャッターは閉じられた。スプリンクラーから白い液体が散布され、マッキーの黒光りするボディが真っ白に塗りつぶされる。テレパイプが部屋の四隅に展開され、それぞれから全く同じ姿の白いキャストが現れた。あの修正液のような女性キャストたちは、全く同じタイミングで口を開き発現する。
『やはり、何故か貴方は制御下に落ちない』
『修正コード認証失敗。IDが違うとの回答有り』
『埋め込んだ記憶修正装置に何者かの手が加えられている。なるほど、ペンシルが上書きしたのだな』
『上位権限が私のIDからペンシルに書き換えられている。なるほど、これでは操ることが出来ないわけだ』
「貴様、まさかペンシルの同業者か!」
 マッキーはメモ帳型タリスマンを投げつけ、封入した油性フォトンインクを開放しメギドの爆発を発生させた。爆風はキャストに直撃し、白いボディは真黒なインクで染まる。だが1体のキャストに気を取られたマッキーは、他2体の性格なバレットボウの矢によって撃ちぬかれ、両膝の関節可動部分が見事に破壊されてしまった。彼女はその場に崩れ落ちる。
「まずい……っ」
『私の修正が及ばない貴方は、私の計画の邪魔になる。だが貴方を修正することが出来れば、私の計画はより一層成功することが保証される。これは貴方のセリフかもしれないけど、貴方には”私色に染まってもらいます”』
 マッキーの背後から強力な雷テクニックが放たれ、彼女のシステムは一時的なシャットダウンに陥った。

 数時間後、彼女は白い部屋で目覚めた。
 彼女にとっては何時間気を失っていたかなど解るはずもなく、今が何時なのかも判らない。一面が白い壁て覆われた正方形の部屋は、まるで精神異常者向けの隔離施設のような無機質さに溢れ、彼女の黒い肌と黒いボディがくっきりと浮いている。
 彼女の体は診療台の上に機械で固定されており、更に首の後にあるデータ通信ポートにケーブルが差し込まれ、どうやら外部から運動器に関わる信号をシャットダウンされているらしく、彼女は自身の体をぴくりとも動かすことが出来なかった。唯一動かせるのは首から上の顔と、目と、そして今思考を巡らせる自身の脳だけだった。
 白い壁が突如浮き上がり、隠されていたドアが開いた。向こうから現れたのは白衣の女性。その女は真っ白な肌に、シアンカラーの長い髪。顔にはキャストであることの特徴である頭部分解メンテナンス用の溝が見られる。
「おはようスヴァト。こうやって貴方を見るのは5年ぶりかしら」
「……何故あたしを知ってる。貴様は何者だ」
「申し遅れました。私は元虚空機関キャスタイズ部門、現オラクル研究開発部キャスト管理課の技師、ミスノン」
「ミス……ノン。そうか、貴様がペンシルと共に私を製造したあのミスノンか!」
 マッキーは自分が巻き込まれた忌々しい油性危機について前々から調査をしていた。自分を産んだのは何なのか、ペンシルはどのようにして計画を実行したのか、それらを調べることで再び同じような悲劇が起きないように準備をしていたのだ。その過程で戦闘用油性ペンの開発チームに、ペンシル以外の技術顧問が居たことを覚えていた。その名前がミスノンであり、目の前の彼女であった。
「貴方はもう少し勉強したほうがいいわね。私はHBSの開発者とは違うのよ」
 ミスノンは宙に表示されたコンソールを見ながら言う。あろうことかマッキーの思考ログがデータとしてコンソールに表示されていたのだ。人の思考を読むなど六芒均衡ですら出来ないというのに。
「脳へのキャストボディ操縦ソフトインストール技術、及び死亡時記憶の修正による精神保護。これに関わるキャスト製造に欠かせない基幹技術を総称して”記憶修正”と呼ぶわ。私はその記憶修正を提唱した最初の1人」
 ミスノンはコンソールに命令を入力する。その瞬間、マッキーの脳裏に濃縮された記憶の刺激が蘇った。脳天から電流が走ったような衝撃によって、彼女の目から涙の代わりに潤滑液が溢れる。彼女は自身が死亡した瞬間を思い出してしまったのだ。
「いやぁ……、いやぁあああああああああああああああああああああ」
「このように、人は死の瞬間を思い出すだけで精神に異常をきたす。今この瞬間に、貴方は死亡した時の強烈な痛みを思い出した。並大抵の精神力ではこの記憶を受け入れることは出来ない。だが……」
「離せ! ぐっ……あぁぅ……貴様ァ、塗りつぶしてやるわぁあああ!!」
「やはり私の見立て通り、貴方は素晴らしい耐性を持っている! 私の配下になりなさい、マッキー!!」
 ミスノンは修正液をべったりとつけた巨大な刷毛で、マッキーを叩いた。黒いボディが見えなくなるくらい、白い修正液が彼女のボディを覆う。だが油性インクが内部から対抗しているのか、マッキーのボディになかなか浸透しない。
「やはりインクが邪魔ね。貴方の記憶を修正するためにはまず、その汚らわしいインクを抜く必要がありそうね。ペン型HBSというからには、何処かにキャップがあるのかしら?」
 ミスノンはマッキーの体を優しく撫でる。全身をまるで舐め回すかのように、白い修正液を塗りたくりながら。
「あら、もしかしてこんなところにあるのかしら」
「っ!?」
 マッキーの股間に手が伸びる。そこにはコインほどの半径の突起物があり、スクリューキャップのように溝が円周上に掘られている。試しにほんの少しだけ回してみると、僅かだがしっとりと、何かが滲み出てきた。
「やめ……て、キャップだけは……」
「あははっ。あらあら、強気な貴方でもこんなところは”女性らしく”弱いのね。実はこうなる前から少しだけ滲んでたのでは?」
「そんなこと……ないっ、ああっ!!」
 キャップをもっと回す。滲むのを通り越して、彼女の股間から黒いインクが滴り落ちた。白い床が黒いインクで染まる。
「じらすのもここまでにして、さあ、全てのインクを漏らしてしまいなさい」
「ダメェっ! それは、やめてぇっ! 止めてぇええええええええ」
 キャップが完全に外れてしまった。遮るものを失ったインクが、どばどばと両足を伝って流れでてゆく。マッキーの肌が徐々に白さを取り戻し、仄暗い肌が人間の頃に持っていたような白い肌に色を変えてゆく。危険を察知したのか条件反射的に体が痙攣をし、まるで絶頂に達したかのような振る舞いを見せた。
「美しい肌ね。インクで黒くしているのはとても勿体無い」
 ミスノンはその腕を変形させ、修正液を注入するためのノズルに変えた。白くて太いノズルをマッキーの口に無理やりねじ込み、その中に容赦なく白い修正液を注ぎ込む。マッキーは必死に飲むことを拒み、だらだらと口から修正液が溢れた。
「私の修正液を飲みなさい! 私そのものを受け入れるのです!」
 あまりの勢いに負けそうになった。意識が朦朧としだし、全てを受け入れてしまいそうになった次の瞬間、白い部屋に爆音と共に大穴が開いた。予想外の出来事にミスノンはマッキーへの嗜虐を止め、穴が開いた方へと向き直る。そこにはアークスの戦闘用スーツであるサファイギリアスを装備した男が立っていた。
「何者!?」
 男は有無をいわさず接近し、装備したソードでミスノンに斬りかかる。ミスノンは寸前の所で回避したが、その素顔を覆っていたバイザーだけは破壊されてしまった。修正液らしく真っ白な肌の美しい顔が露わになる。
「ぺんてると聞いて不審に思って来てみればこの様な事になっていたとはな。取引に応じる前に疑うべきだった」
「フフ……よくも私の楽しみを邪魔してくれたわね。修正して差し上げますわ」
 ミスノンが修正液をフォトンに混ぜ込み、光を放つ帯状のエネルギーに変換した。攻撃対象の情報を入力し、光の帯は男へ向かっていく。修正テクニック”コレクション・イル・グランツ”である。
「甘い!」
 男はカタナで防御態勢を取ると、その全ての光をジャストガードシステムによって無効化してみせた。男はそのままフォトンアーツ”アサギリレンダン”により急接近し、瞬間移動に等しい速度での接近の後、太刀筋など全く見えない連撃を繰り出した。キャストボディを装着していなかったミスノンはいとも容易く両断され、白い修正液をぶちまけながら機能を停止した。
「大丈夫か?!」
 男はマッキーの拘束具を外しながら声をかける。彼の顔にはバイザーが装着されているので素顔は見えない。
「貴方は……」
「くっ、これは酷く乾いている。もう喋るんじゃない、安全なところへ連れて行く」
 男はマッキーを抱え、施設の外へ走りだした。マッキーは朦朧とする意識の中、必死に走り続ける男の息遣いを聞いていた。
 彼女の意識は溶剤が揮発していくように、徐々に消えてなくなってしまった。