「ねぇ、スヴァト」
 色白なニューマンの少女が、これまた色白なニューマンの少女に話しかける。
「私ね、正直貴方がアークスに成るのは反対なの」
 二人の少女がアークスシップ内のビルの屋上で、背中を合わせながら座っていた。天候設定は晴天で、外でゆったりとした時間を過ごすにはこれ以上無い条件である。だけども”ヴィート”と書かれた名札を胸につけた少女はどこか憂いを含んだ顔で、あまり浮かない雰囲気である。対するスヴァトという少女は、アークスが様々な惑星で撮影した写真を集めた写真集を読んでいた。
「スヴァトはどうしてアークスになりたいの? ダーカーと戦って死ぬかもしれないのに」
「死ぬのは嫌。でもこんな狭い船から一歩も出ないで、同じ景色ばかり描くのはもっと嫌。宇宙にはこんなにも美しい景色があるのだから、あたしはもっといろんな景色の絵を描きたい」
 スヴァトはとても絵が上手く、特に風景画に関してはアークスシップ内のコンテストなどで最優秀アーティストに選ばれた事があるほどの秀才である。
「ヴィートはこのまま船の中から出なくてもいいの? いや、まあそれでもいいと思うけど」
「私は文房具メーカーに就職して、貴方が使う筆を作りたい。私はスヴァトの描く絵が大好きだから。だから……だからこそあなたには戦ってほしくない!」
 突如声を荒らげて、立ち上がったヴィート。彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「あたしがアークスになりたいのは絵を描くためだけじゃない。みんなを、ヴィートを守りたいから……」
「だからって貴方が戦う必要は無いよ! 私は……スヴァトに生きていて欲しいの!」
 スヴァトは写真集を閉じ、立ち上がってヴィートに向き直る。彼女はヴィートの目を真っ直ぐ見て言い放つ。
「私は、決めたの」
 ヴィートは悔しさと悲しさで強く唇を噛み、ぽろぽろと涙を流した。その瞳はスヴァトをじっと見つめている。
 彼女は、どうしても受け入れられなかった。
「スヴァトの馬鹿! わからずや! 私もう知らないんだから!」
 ヴィートは涙を拭いながら屋上から消えてしまった。擬似太陽が全く温度を感じさせない人工的な光を放ち、少女をただひたすらに照らしていた。何も言い返す言葉はなかった。
「……ごめんね」
 届かぬ謝罪。その言葉は伝わること無く虚空に消えた。
――マッキーの記憶に眠っていた、あの日の事を思い出した。

 全身を、それどころか制御系まで修正液が浸透していた。黒光りしていた彼女のボディは邪気が抜けたように真っ白に染まり、艶のあった表面はざらざらとしたマット加工をしたボディの様である。修正液ナノマシンに対して激しいアレルギー反応が出ており、アプリケーションレイヤーでのシステム障害が発生していた。それに加え、修正液が全身の配管に固着しており、可動部分へのフォトン供給などが停止していた。
「意識パルス安定しません! 脳神経系に深刻な障害が発生しています!」
「血中溶剤濃度低下。フォトンインクが脳に行き渡っていないのか?」
「人工心臓からの大動脈に修正液が詰まっているようです! 溶剤の濃度を上げれば溶解できますが……」
「ダメだ。これ以上溶剤の濃度を上げてしまえば、それこそ神経系に無視できない損傷が発生する」
 ゼブラ社内の秘密研究施設で、マッキーの社内協力者であるボールドが頭を抱えていた。
 謎の男がこの施設に白いマッキーを運んできたのはつい数時間前の事で、男は力なく停止したマッキーをここに置いたまま、まるでゴム底のスニーカーで歩いていたかのごとく、音もなく消えてしまった。
 男はボールドに、先程まで起こっていた事を簡潔に伝えていた。修正液ナノマシンを全身に浴びていたこと、工場が実はコレクターズの秘密基地だったこと、彼らがアークスを危機に追いやる恐ろしい計画を立てている事を。
 全ての選択肢が絶望で埋まったかと思われたその時、研究所のドアを勢い良く開く音が響いた。
「フン、何だこのザマは。それでも貴様等ゼブラのプロフェッサーか」
「貴様は……ドクターペンシル!?」
 そこに居た全員がペンシルを見て身構えた。無理もない、彼が生きている事を知っている者はこの場にはおらず、しかも悍ましい油性危機の首謀者なのだ。
「ペンシル、貴方が何故生きているのですか!? あの人工ダークファルスが破壊されたと同時に、宇宙の塵として消えたはずでは」
「そうやすやすと死ぬわけにはいかんのだ。爆発すると同時に緊急脱出ポッドで脱出して、宇宙を漂流している所をアークスに拘束された。今は六芒均衡の特別許可を得てここに来たというわけだ」
「特別許可だと? ……確かに経営本部から指示が来ているな。しかし、貴方のような狂人に頼るわけには……!」
「聞き分けのない奴だ! 見ろ、この額に張り付いているタリスマンを!」
 ペンシルは額に張り付いている灰色の金属片を見せた。
「こいつは遠隔地から操作可能なタリスマンだ。私が少しでも妙な事をしでかせば、監視者がこのタリスマンでラ・フォイエを発火させる。自由に動けるが首輪が繋がれたも同然だ、安心し給え」
 ペンシルから離れた遠隔地で、監視者がペンシルの五感を監視している。少しでも反社会的な行為を取れば弱いゾンデが彼を襲い、看過できないほどの重大な犯罪を犯せば、ラ・フォイエで頭が吹き飛ぶ。
 今この危機的状況を解決することの出来る唯一の人間を、外に出しながら拘束する手段なのだ。
「今は私の事など気にしている場合ではない! 何よりも私は、あの生意気な女研究者に格の違いを教えてやらねばならん」
 ペンシルは作業台の上で機能停止しているマッキーを目の前にして、その真っ白で凄惨な姿を目の当たりにした。
「ふん、記憶修正を行えないとわかったら壊すとは。万年筆の良さも分からず捨てる、そんな輩と同じではないか。おいそこの白衣、フォトンインクをありったけ持って来い。そしてマッキーに全て注入しろ」
「そんなことしたら生体神経部分が持たないぞ! 殺す気か!?」
「こいつがどうなろうと知ったことではない! だがな、今はこいつに死んでもらっては困るのだ。脳神経へのエネルギー供給はフォトンインクではなく、別の溶液を用いて行う。脳はシールドして完全に別系統にし、フォトンインクの毒性からは遠ざける。そしてインクの制御権を私から、こいつ本人に変更する」
「制御権を? 一体何の……」
「本来のフォトンインクはダーカーの知能を乗っ取り、意のままに操ることが出来るフォトンだ。かつて私がそうしたように、マッキーにはダーカーを操ってもらう。ミスノンがキャストを操るというなら、我々はその敵を手中に収めれば良い」
 ペンシルは運ばれてきたフォトンインクのタンクからチューブを引っ張り、マッキーのボディへ接続する。そして同じく運ばれてきた金属ケースの中から、真新しいパーツを取り出した。
「クックック。貴様には更に強力な油性ペンになってもらうぞ。あの白々しい修正液を塗りつぶせる程のなあ!」
 ペンシルは笑いながらマッキーを分解し、アップグレードを施した。他の研究員がその壮絶な光景から目を背ける中、彼はまるでボールペンを分解するかのように、容易く彼女を”改良”していった。

「……」
 1時間が経過していた。彼女の暗闇には無数のエラーメッセージが表示されていたが、再起動した今では正常な可動を表すメッセージのみが表示されている。真っ白だった頭に少しずつ意識が書き足されていく。
 これまで以上にハッキリとした意識がそこにあった。フォトンインクの毒性による重苦しい頭痛も無く、しかし流れる血液には確かな溶剤の感覚があった。彼女は真に目覚めたのだ。
「マッキー、新しいインクの味はどうだ」
「……まさか貴方に助けられるとはね」
 マッキーは作業台の上で上半身を起こした。全身の可動部分が今まで以上にスムーズに動くことから、パーツが交換されたのが感覚としてわかる。パーツの形状も多少変わっていたが、何よりも違うのはカラーリングに今までにない物が追加されていたのだ。
「Mckee4.0バイオレット・マーカー。深淵なるフォトンインクを御することの出来る、油性ペンの本当の姿だ」
 今までのボディーカラーは白いフォトン部分と黒いメインカラー部分のみで構成され、他の色は何一つ混じってはいなかった。しかし今の彼女には最も高貴な色である紫が施され、前よりも彩度は格段に上がっていた。油性ペンは本来、黒以外の色もあるものなのだ。
「そう、こんなことよりもミスノンは?!」
「マッキー! よく聞け! 手短に説明するぞ!」
 ペンシルは仁王立ちをしながら説明を始めた。

――48時間前。
 一斉である。本当に一斉にその機能が停止した。
 アークスに所属する全てのキャストが一斉に機能を停止した。それはアークスシップ内外にかかわらず、全てのキャストがその場で停止してしまった。その情報はすぐさまアークス中枢まで共有された。上層部は原因を調査した。その結果、キャストの最も重要な中枢制御系がとある情報パルスを受け取り、キャストの脳神経と制御系を切り離したと判明した。
 止まるだけでも由々しき事態だが、地獄はそこから始まった。停止していたはずのキャストが突如再起動した。何を狂ったのか周囲に攻撃を加えたのだ。キャストたちは見えるもの全てを攻撃し、パーティーで行動していた仲間にすら銃撃を加えた。突然の凶行に対応できなかったアークスの隊員は、あるものは重症を負い、またあるものは死亡した。狂ったキャストはあらゆる物を破壊しながら、獣のようにこう叫んでいたと言う。
「私はノン=ミスティーク。キャスト制御系システムの開発者である」
 アークス中枢は彼女の名前を知っていた。過去にノン=ミスティークというフォトナーが存在した。彼女は彼女が語る通り、現在の主流となっている人間のキャスト化技術において重要な技術を開発した存在だ。
「アークスの管理者よ、聞け。私は全てのキャストの制御を得た。全ては貴様等の愚行の結果である。即刻、キャストの製造を停止せよ。繰り返す、即刻キャストの製造を停止せよ。非人道的な人間の”兵器化”を停止するために、第1から20のラボラトリーとファクトリーを破壊しろ」
 笑い話にもならない。今まさに非人道的な行為をしている輩が、人間のキャスト化を非人道的な行為と捉えて止めようとしているのだ。無論アークスの管理者はこれを拒否し、今も宇宙をまたいだ広範囲で操られたキャストが暴れている状態だ。
 これに応じてミスティークは引き続き暴動を行いつつも、キャスト製造施設であるラボラトリーとファクトリーの破壊に動き出した。
 無数のキャストを相手にするも、かつての仲間を容易には討てない。しかもキャストの耐久力は対アークスとしては群を抜いている。アークスの隊員は思うように事態を収集できない。ノン=ミスティークことミスノンに対抗できるのは生身の人間ではなくキャストのみ。しかしキャストは敵の手に落ちているという矛盾。
 だが希望はゼロでは無かった。唯一ミスノンの制御に無かった一つの文房具があった。それがマッキー、そして開発者のドクターペンシルである。

「最早アークスを救えるのは我々のみ。調子に乗った修正液に黒き油性の罰をあたえようではないか」
 ペンシルはマッキーに巨大なロッドを手渡した。彼女の背丈ほどもある巨大なロッド。漆黒と深遠なる紫の、まるでダーカーのように禍々しいロッドだ。しかし先端には文房具の証である極太のペン先が輝いている。
「疑似ダーカー因子であるフォトンインクを自在に操るための創世筆。エクストラボールドマーカーだ。貴様はこれを使い、アークスシップへ接近しているダーカー群にフォトンインクを噴射する」
「そしてダーカーを制御化に置き、洗脳されているキャストと戦わせる。そう言うことね」
 狂ったキャストを足止めしている間、アークスはラボラトリーの防衛に戦力を集中させる。アークスを止めるためにダーカーを充てるのだ。
「さあ理解したならデッキへ行くのだ。この私こそが最高の科学者であることを証明するのだ!」
「あんたの事は絶対に許さないけど、今回だけは手を貸してあげるわ」
 マッキーはマーカーのペン先をペンシルに向け、不敵な笑みを浮かべた。

 アークスシップのデッキに立つ一本の筆。
 宇宙に溶け込む黒。穢れたフォトンが紫色の光を集め、ペン先から液体となって滲む。
 背中にはシップから伸びるパイプが接続されている。その先には桁違いのインクを貯蔵できるタンクがあり、そこには疑似ダーカー因子であるフォトンインクが満たされている。
 マッキーの腰にはデッキに固定されたアイゼンが装着されている。宇宙空間に猛烈な勢いでインクを噴射するのだ。その衝撃はアークスシップの推進力を越える。エクストラボールドマーカーをまるでライフルを持つように構え、右目に接続されたワイヤーはロッドのスコープに繋がっている。ナノメートル単位での精密噴射を行うためだ。
 レーダーに無数の反応があった。数万の反応は全てダーカーである。こんな緊急時に敵の襲撃があるのは由々しき事態だが、この時に限っては助け船である。ただし、少しでも塗り漏れがあれば更なる混乱が待っているだろう。
「マッキー。間もなく射程に入る。キャップを外せ」
「キャップリリース。フォトンニブ露出完了」
「これでペン先を外せばフォトンインクの噴射が始まる。外すなよ」
「黙れ糞ジジイ。私の筆さばきは決してはみ出さない。これ以上、大切なものには滲ませない!」
 ダーカー群が射程に入る。マッキーは躊躇わずに、ペン先をリリースした。
「染まれェエエエエエ!」
 真空に大量のインクがぶちまけられた。暗く、濃厚なる紫の帯。それは広範囲に拡散しつつもダーカーの群れへ向かった。数秒のタイムラグの後、ダーカー群にインクが到達。全てのダーカーがインクを浴び、進撃を停止した。
「ふむ、成功のようだな」
 マッキーの脳裏に無数のラインが接続された。もしも彼女がダークファルスならば、正しくこの感覚を得たのだろう。キャストだけを攻撃し、殺さない程度に痛め付けろ。その短いプログラムだけを送信した。ダーカー群は再び動きだし、キャストが暴れているシップへ散り散りと向かう。
「フォトンインクによるダーカーの制御は最長で3時間。時間が来ればその場で爆発する。この短い時間で何を塗るかは、解るな?」
「ミスノンの親機を破壊する。場所は……」
 コンソールを開いてアークスの戦略情報にアクセスする。敵も味方も各シップに存在するラボラトリーとファクトリーに集中している。AISも乗っ取られているため、アークスも同じくAISを投入している。だか不信な点があった。
「洗脳されたキャストは単純に暴れているだけだ。もしかしたら私と同じく複雑な命令は送れないのか。であればAISを操縦しているのはミスノンの専用機か?」
 今までに戦ってきたミスノンの手先には複雑な挙動をしているものもあった。彼らは見た事の無いパーツで構成され、ボディカラーは純白だった。もしかしたらミスノンの修正には幾つかのグレードが有るのかも知れない。マッキーはペンシルに意見を求めた。
「奴の洗脳には幾つかの方法がある。現在あちこちで暴れているキャストには、製造の段階でプログラムが仕込まれている。隠密性を優先するため、ほんの僅かなリソースしか利用できなかったはずだ。だがフォトン修正液の直接浸透による記憶修正は更なる強制を可能にする。もはや自分の意識を注入するようなものだ」
「つまりAISが集中している場所には何かがある!」
 マッキーはアークスの戦略システムにアクセスし、AISの座標が集中している空域を探した。そこには彼女の記憶にもある、あのシップが記されていた。
「アークスシップ、キャンパス……。私の故郷だ……」
「成る程、そう言うことか」
「何がわかったの?!」
「あそこにはな、後天性或いは先天性の障害をもって生まれた子供達が暮らす施設がある。キャストとして生きていく為のな」
「キンダーガーデンか!」
 キャストにならねば生きて行けぬ運命を生まれながらに背負った子供達。彼らは直ぐにキャスト化され、特別教育施設に入る。それがキンダーガーデンと呼ばれる場所である。
 マッキーはこの場所に運命を感じざるを得なかった。ミスノンには何か崇高な目的があると見た。マッキーはアイゼンをパージして、背部に宇宙空間移動用スラスターを装着。フォトンインクを流し込んで、音速を越える速度でキャンパスへ向かった。

 アークスシップ、キャンパス。
 このシップもまた無数のキャストが喚いていたのだが、あからさまに動きが鈍かった。まるで気力を無くした浮浪者のようだ。マッキーはふらつくキャストを横目に、キンダーガーデンへと向かっていた。
 アークス全体の障害を持つ子供達が集まるキンダーガーデンの門はとにかく頑丈である。門には2体のAISが待機しており、まるで検問が敷かれているかのようだ。だが、この者が正常だという保証は無い。
「止まれ。貴様、キャストだな。何故正気を保っている?」
「私は例の油性ペンだ。私だけは洗脳を受けていないと連絡が行っている筈だ」
「知らぬ。去れ。子供たちを守るために、是が非でもここは通せない」
「何を世迷い言を! 修正されたのは貴様等の方でしょうが!」
 マッキーはエクストラボールドマーカーを構える。複合テクニックであるフォルメギオンにフォトンインクを織り混ぜた油性テクニックを発射した。
「油性フォルメギオン!!」
 マーカーの先端から高温のインクが噴射された。それが直撃したAISはインクが付着した直後から乾燥し、通常では考えられない速度で塗りつぶされた。凶悪なまでの浸食作用で金属が脆化した。AISは発泡スチロールのように破壊され、緊急脱出したパイロットが姿を表した。その姿は純白で、何処かで見たような修正液にそっくりだ。
「やはり貴様か、ミスノン!」
「ああ、私の油性ペン。所詮は上塗りなのね。嬉しいわ」
 事態を察知したのだろう。空から6体のAISが降下してきた。彼らはライフルの代わりに巨大な修正ペンを装備しており、マッキーを修正する気迫は抜群だ。想定はしていたが、流石のマッキーでもこの6体を同時には相手できない。この時ばかりはオートメイトに頼りすぎた自分を恨んだ。
「さあ、修正の時間だ!」
 真っ白な液体を八方からぶっかけられるマッキー。漆黒のボディは薬品臭い白濁に染まる。いくらフォトンインクの反発があるとはいえ、溶剤が無くなるのは時間の問題だ。
 諦めかけたその時だ。はるか空から稲妻のように舞い降りた一筋の閃光。衝撃波は分厚いキンダーガーデンの門を両断した。着地した白い人影は凛として立つ。バイザーで顔を隠した謎の男だ。
「なんだ貴様は!」
 ミスノン達が修正液をぶちまけた。しかし男は微動すらせず、全てを受け入れた。しかし彼のボディは修正液を弾いて受け付けない。そう、まるでプラスティックのように。
「まさか、貴様は?!」
「青いラインは遥かな空。黒いラインは希望の宇宙。白いノートに新たな余白を!」
 目映い光が彼を包む。キャストのパーツが転送され、その肉体を置き換えた。青いフォトンが流れるライン。気高き白に決意の黒。彼こそが他でもなく最強の文房具戦士。
「プラスティックイレイザーMONO、ただ今見参!!」
 MONOは両手にカタナゴムを装備。猪の如くAISへ突進した。AISは修正ペンではなく修正テープを刀身に使用したソードを装備、これに対抗した。だが同じ字消し文房具であるためにその刃は通らなかった。しかし消しゴムの本質は削ること。高速振動する微粒子が刀身に循環する砂消しゴムタイプのカタナゴムは、確かにAISの鋼板を切り裂いた。
「恥の上塗りという言葉を知っているか? 必殺、字消し道流ダブル消しゴム春花春蘭!」
 無駄に長い名前の必殺フォトンアーツが発動。一撃が隕石のように重く、しかし身のこなしは艶やか。強烈な連撃がAISを消しカスに変えてしまった。緊急脱出したミスノンが空中に投げ出され地面に激突する。
「MONO?! 何故あなたは修正されていないの?」
「俺はこの前、記憶を完全に失った。その時に修正システムも破壊されたようだ」
 彼は油性危機の際、身を呈してオラクルを救った。自身のゴムを使い果たして記憶もろとも捨ててしまったが、記憶に作用するミスノンの修正も同じく捨てられた。
 むくりとミスノン達が起き上がる。彼女等は武器をとって構えた。まだこのまま通す気は無いらしい。
「マッキー! 俺は消しゴムだ! 俺も同じく字消し文房具に対しては無力! 御互い使っても無意味だからな!」
「何をする気?!」
「この場は俺が引き受けた。キンダーガーデンで待ち受けるマスターミスノンを撃破しろ」
 彼はカタナゴムを地面に突き刺し、親指を立てて言った。彼は大丈夫だと見ただけで解った。マッキーは好機を逃さず門をくぐった。
「最後にひとつだけ伝えたい。今のままでは君が負けるだろう。何故ならミスノンは修正液で、君は字を書く油性ペンだからだ」
「なんですって。じゃあどうしろと」
「インクがインク足り得るには何が必要だ? 色か? 違う、描ける事だ。インクは液体だから簡単に描くことができる。つまり重要なのは……後は解るな?」
 マッキーは閃いた。今までインクの色ばかりに囚われていたのだ。ペンという存在が文房具として機能できるのは色が有るからではない。色があることは当たり前のことなのだ。
「ありがとう。やってみるわ!」
 マッキーは走った。全てはこの先にあるから。悲しみに満ちたこのキンダーガーデンへ。

 キンダーガーデン内部は驚くほど静かだ。
 誰も暴れている様子は無い。子供と言えどキャスト化手術を受けているはずなので暴徒化していてもおかしくない。だがマッキーが見た光景は信じられないものだった。
「何ここ……。平和そのものじゃない」
 子供たちは寝ていた。彼らは専用のベッドで寝静まっている。普通なら正午のこの時間は遊び回っていてもおかしくない。どうやら子供のキャストは暴徒化せずに沈静化するようだった。
 マッキーは奥へと足を踏み入れる。マスターミスノンという奴等の本体が何処かに居る筈だ。彼女が居るとしたら何処だろうか。
 マッキーは昏睡状態の中で昔を思い出した。自分の姉のことである。ミスノンからキャンパスが攻撃されたときの事。自分が何故油性ペンの素体として選ばれたかの話。
 姉は本当に死んだのか? 死んだと聞かされたのはあのペンシルからだ。
「ペンシル、一つ聞きたい。私の姉は死んだと聞いたが、本当か?」
「くく、本当だ。お前と同じくな」
「その言い方はまるで生き返ったかのようね」
「お前の共同開発者ミスノンはお前の姉を目玉の飛び出るような金額で落札した。何をするかは想像するに容易い」
 高額で落札されたと言うことはそれなりの価値があったからだ。価値があると言うことはつまり、フォトンへの適正が高いということだ。アークスが死体を買い取ることの意味はキャスト化に他ならない。マッキーは一つの仮説だけを信じ、美術室へ向かった。
 美術室には人の気配がある。鼻唄が聞こえた。とても楽しそうなメロディーだ。
 マッキーは扉を開ける。その空間は純白であった。
「白い花束を、貴方に捧げる。白ユリのような、汚れの無い花を」
 美しい声だった。キャストの声には若干のエコーがかかっているせいか、その心に響くような。マッキーは暫く立ち尽くし、マスクをしていない彼女の顔を見ていた。
「やはり、ヴィート姉さんなのね」
「ヴィートか、そう言えばこの素体はそのような名前だったわね」
「貴様あぁあアアアアアーー!」
 マッキーはロッドで殴り掛かる。しかし所詮は触媒であり、降りが遅くミスノンのジャストガードで防がれてしまった。
「何故、ここは平和なんだ」
「私はここの子供たちを救うためだけにキャスト化技術を開発した。先天的障害や、事故による体の欠損を引きずる人々をただ救おうとした。しかしアークスは、フォトナー達はどうした?」
 ミスノンは修正液で塗りたくられたキャンパスを見つめがら口を開く。
「人を救うための技術を戦いに利用した。倒すべき敵とは言えど、人を生かす為の力を命を削る為に利用したのだ。私のせいで多くの子供達が恐ろしい目にあう。私は耐えられなかった」
 筆が折れた。感極まったミスノンが修正液の筆を折ったのだ。彼女は顔面を保護するバイザーを装着し、背丈ほどもある刷毛を象ったロッドを手にした。先は白い修正液液で濡れている。
「私はこの意識が続く限りアークスを止めねばならない。自らの意識をコピーして、他者に上塗りし、その人を犠牲にしても。未来永劫増え続ける犠牲者を救うために!」
 修正液イル・グランツが放たれた。マッキーはミラージュエスケープで回避。ナノマシンが方向を修正し、光の束はマッキーへ向かう。マッキーはインクを周囲に散布することで遮光バリアを展開し、何とか直撃を免れた。
「矛盾だ。人を救うために人を犠牲にするのか!」
「黙れぇ! 数十年しか生きない貴様には解るまい。人は、アークスは其ほどに愚か。ルーサーのように救い用の無い人でなしばかりよ!」
 ミスノンはフォトンの力場を形成。周囲に修正液を散布し、フォトンに反射させる。力場は球体となりその中を修正液が循環する。修正液ナ・グランツである。ミスノンはこれによりマッキーが接近できなくなる状況を作り出した。そして修正液テクニックをチャージし始める。
 マッキーは油性メギドを発射する。しかしイル・グランツに阻まれてしまった。
「貴女とはテクニックへの適正も経験も段違いなのよ。アークス設立当初から戦い続けている私に勝てるとでも?」
 ミスノンは長いチャージを終えた。光属性テクニックにおいて最もシンプルで、確実性のあるテクニックだ。それは、修正液グランツである。
 絶対座標発動系のグランツは目標に確実に命中する。マッキーは避けることも叶わず、それを直撃した。黒いボディが白に染まる。
「くそっ、塗られた……」
「フフフ。所詮はペン。修正液に敵うとでも?」
 神経系のダメージ。視界が異常に眩しくなる。
「美しい。そんな美しい貴女はキャンパスの上にあらねば」
 ミスノンのクラスはFoBr。武器は刀やロッド以外にもバレットボウを使える。彼女は修正ペンを突き刺すための専用バレットボウを装備した。弦を引き、音速で修正ペンを放つ。マッキーの左肩を直撃する。反動で後方へ飛ばされる。そして白いキャンパスもろとも壁にはりつけにされた。
「あぁっ、くぅ……! 動けない……っ!」
「私の修正液で貴女の制御プログラムを消してあげる。終わりよ、もう、貴女は大人しくしていて頂戴」
 マッキーは動けず絶体絶命の状況。しかし、彼女は何の策もなく飛び込んできたのではない。マッキーはロッドを地面に突き刺し、掌にあるインク噴射口をロッドに接続した。
「全フォトンインクから油性顔料を排出!」
 マッキーはロッドへフォトンインクの顔料のみを注入した。溢れんばかりの顔料が周囲を漆黒に染める。相反するように、マッキーの全身から色素が抜け落ちて行く。
 消しゴムは言った。何がインクをインクたらしめるのか。それは顔料ではない、溶剤だ。
「自らインクを捨てるとは。気でも狂ったか?」
「はっはっはっは。アーハッハッハッハーッ!」
 マッキーは左肩に刺さったペンを抜くことを止めた。地面に突き刺したロッドを手に、左腕部品ごと切り離したのだ。黒い顔料が吹き飛ぶように散る。
「修正液は油性ペンに勝る? 本当に? なにも描けない貴女が、私よりも強い? いいえ、違うわね。修正液は落ちるのよ」
 マッキーはテクニックのチャージを始めた。
「人を蝕む光を除く。この掌へ集まれ。全てを洗い流す力よ!」
「透明なフォトン!? まさか……」
 そう、有機溶剤である。マッキーは体内のインクを精製し、顔料を取り除いた有機溶剤だけを取り出したのだ。そして有機溶剤は塗料を溶解する。その用途はまさに除光液である。
「我が名はマッキー! 未来を描く者だ!」
 マッキーは残った右手をミスノンに向ける。何かが外れるような金属音。彼女の腕が、つぼみが花開くように変形した。複雑な形状変化。そして一本のペン先となる。しかし先はなく、芯の抜けたマーカーのようだ。
 光が集まる。有機溶剤が揮発し、強烈な異臭。そして光が除かれる時が来た。
「ネイルポリッシュリムーバー!!」
 大量の有機溶剤フォトンが噴射された。それの全てを直撃したミスノン。展開していたナ・グランツは溶解し、彼女のボディもまた溶解した。美しく均衡の取れていた形状は破壊され、パーツの境界線すら分からなくなっていた。
 持っていたロッドも溶けて折れた。素体の金属部分だけが体を支えている。
 マッキーはその場に崩れ落ちる。ほぼ全てのフォトンを使い果たしたのだ。ボディ制御に使うフォトンも使ってしまったので、立っていることすらもう出来ない。
「終わった……。姉さん、ごめんね」
 納得はいってない。だが狂った修正液を止めるためにはこうするしかなかった。たとえ裏写りしてしまうのだとしても。
 しかし後悔している時間は無かった。ミスノンはそのどろどろのボディで動き出したのだ。ミスノンは動けないマッキーに飛びかかり、マッキーの首にあるメンテナンスポートをこじ開けた。 
「まだだ! まだ消えるわけにはいかない! お前の体を貰うわぁあああ!」
「そんな、まだ動けるのかこの修正液は!」
 ケーブルが接続された。ボディ制御信号が遮断される。意識データを転送するための、脳神経へのハッキングが行われた。あるはずのない内蔵を吐き出しそうな嘔吐感。しかし口や瞳すらも動かなくなってしまった。
 まさか、こんな終わりがあるのか。マッキーはそれだけしか考えられなかった。
「貴女は良くやりました。私が知る限り最高のキャストです。故に私は貴女が欲しい」
 意識が遠退く。
 もうダメなのだろう。
 彼女は諦めた。
「……貴女はもう終わりよ」
「っん! なんだ、私の口が勝手に?!」
 ミスノンはマッキーに接続したケーブルを突然取り外した。そしてマッキーが持っていた端末のポートに接続する。
「なんだこれは?! まて、そこはスタンドアローンドライブだぞ!」
「スヴァト! 起きて! 今こいつを隔離ドライブに移動してる。転送が終わったら叩き割るのよ!」
「もしかして、ヴィート姉さん?」
 ミスノンは右手を端末へ、左手はそれを阻止しようともがいている。どうやら体の制御権の半分をヴィートが取り返したようだ。
「やめろぉお! 何故だ、思考が! 私の200年に渡る計画が! ここで終わるなど……」
 ミスノンはもがくのを止めた。俯いていた顔がゆっくりとマッキーへ向く。
「今よ」
 マッキーは軽く頷く。そして残りのフォトンを絞りだし、端末の座標に闇のフォトンを集中した。色はもう黒ではないが、ナ・メギドは確実に爆発した。端末はミスノンの掌で粉々になる。
「……ミスノン。貴女は酷いことなんてしてないわ。だって私たちは再び出会えたのだから」
 二体のキャスト、白と黒はフォトンを使いきった。機能停止し、ピクリとも動かなくなった。

 全てのキャストが正気に戻った。ほぼ全てのシップが甚大な被害を受けていた。特に重要なアークスロビーの被害は酷く、直ぐに修復しなければ任務に支障がでる。正気に戻ったキャスト達は率先して修復に臨んでいる。
 キャンプシップが飛行している。重体の二体を輸送するため、特に緩やかに。
「彼女の意識を常に感じていた。私の上に、常に覆い被さっているイメージよ」
 フォトンの供給を受け、ボディの自動修復が進んでいる。ミスノンではなく、彼女はヴィート。白の名を持つスヴァトの姉は、変わり果てた姿で妹に向き合っている。
「何回も何回も自意識をコピーしていたようで、思念の整合性に問題があった。彼女は素晴らしい目的を持っていたはずなのに、論理性を失っていたわ」
「そう、だからあんな無茶苦茶な真似をね」
 ミスノンの思いは理解できた。少なくとも戦いを望まなかったヴィートにとっては。
 自分が人々を救うために作ったものが、人を脅かすものになってしまったのだ。将来は文房具を作りたいと考えていたヴィートにとっては、その辛さを多少は想像できた。
「姉さんはこれからどうするの。成り行きだけど、生き返っちゃったわけだけど」
「夢を語った数日後に死んだのよ? 勿論思いは変わらない。スヴァトが使う文房具を作るわ!」
 ヴィートは満面の笑みを浮かべた。白い花のような美しい笑顔が、何よりマッキー、いやスヴァトの心を満たした。死ぬ思いをして救ったかいがあるというものだ。
 スヴァトはインクを取り戻して顔面は灰色に染まっている。お世辞にも健康には見えない肌色だが、油性ペンである彼女にとっては元気の証拠である。
「私は戦い続ける。このアークスには、まだまだ腐敗している輩がうじゃじゃいる。おちおち絵なんて書いていられないわ。ミスノンが消えた今、奴等の脅威は失われたも同然」
 ミスノンが何より憎んでいたのは研究者たちである。今までは彼女の暗躍によって抑えられていた輩も多く、皮肉ながら平和に貢献していた面がある。彼女に変わる存在がアークスには必要だった。
「私はマッキー、全てを塗り潰す油性ペンよ」

 彼女は塗り続けた。
 ダーカーを、悪しき人を。
 暗いアークスの暗部を染める彼女を、黒い天使となぞらえて人はこう呼んだ。
 
 The Black Ink Angel.