「MONO! 聞こえるか?! わかったら何か反応するんだ!」
 MONOの視界から徐々にエラーが消えてゆく。マイク入力のシステムが復旧し、やっと外部の音が拾えるようになった。メインカメラの映像も復旧したので、目の前に眉間にしわを寄せすぎた男が顔を近づけているさまを見てしまった。
「すまない……手を煩わせてしまったようだな」MONOはゆっくりと起き上がった。
「侵食されていたゴムの自動修復を待っていたんだ。まったく、あれはとんでも無い油性インクのようだぞ」
「インク……そうだ、マッキーはどうなった!?」
「アークスのシステムが復旧して今丁度情報が入ってきたところなんだ。この映像を見てくれ」
「……なんだこの真っ黒な球体は」
「信じられないかもしれないが、これは惑星ナベリウスだ」
 MONOは映像を見て絶句した。そこに映っていたのはあの緑が美しかった惑星ではなく、宇宙の色に溶けこんでしまった真っ黒な惑星だった。
「今から22時間前、君が市街地エリアで戦う随分前から、ZEBRAは惑星用フェルトペン”マッキープラネット”を起動し、ナベリウスをアークスの作戦として塗りつぶした。ほら、ナベリウスの近くに巨大な影が見えるだろう?」
 そこには円筒状の黒い物体が映っていた。白いラインでおなじみの矢印マークが描かれており、そこにはZEBRAのロゴとマッキープラネットという文字が確かに書かれていた。ペン先は極めて大きく、太さはナベリウスの円周のおよそ6分の1ほどである。その油性ペンは惑星用であると同時に、まるで油性ペンの惑星言っていいくらいの大きさであった。
「この作戦によりナベリウスのダーカー因子反応が激減した。一部の侵食されなかったダーカーはアークスシップ・ノートに向かってきたようで、先程のダーカー襲来はその影響であると考えられる」
「待ってくれ。ペンシルはあのフォトンインクでダーカーを制御下におくと言っていた。そして大量のダーカーとマッキープラネットを用いて、マザーシップを襲撃するつもりなんだ!」
「まさか、そんな事が……」
 そして再び、アークス本部からの警報が発令された。大音量の警報がトンボ鉛筆の施設内にも轟く。
『緊急事態発生。未確認ダークファルスの反応がマザーシップ近くに突如発生。同時に大量のダーカーがマザーシップに向かっています。緊急性極大の判断により、絶対令が発令されました。全シップのアークスはこれを迎撃してください。繰り返します、絶対令が発令されました』
 絶対令は六芒均衡により発令される最高優先度の指令である。過去にこの令が発令された例は無く、余程の緊急性がない限り発令されない。しかしオラクル船団の中心であるマザーシップに危害が及ぶのであれば、それは最高優先度となっても全くおかしくはない。
 それよりも注目すべきなのは、未確認のダークファルス反応があったということだ。
「現在確認されているダークファルスはエルダーとアプレンティス。これらは固有のパターンを持っているらしく識別可能らしいが、未確認ということは一体どういうことだ?」
 MONOのコンソール画面が強制的に起動した。そこには六芒均衡の一人、レギアスが映っていた。
『アークス諸君、レギアスだ。突如出現したダークファルスは巨大なペンの形状をしており、その外皮にはZEBRAのロゴが刻まれていた。調査したところこれはZEBRA社が開発した、惑星塗りつぶし用油性ペンマッキープラネットに無数のダーカー侵食核を取り付けた人口ダークファルスであることが判明した。以降ダークファルス【布筆(マーカー)】と呼称するこの内部に潜伏している、ドクターペンシルを捕縛あるいは抹殺せよ。ここに、絶対令の行使を宣言する』
 絶対令が行使されることで全てのアークスはこの命令に従うことになる。だが最初からドクターペンシルを倒す気でいたMONOにとっては、それはもう命令ではなかった。自らの意志なのだ。
「主任、今直ぐに出撃しよう」
「待てMONO。レギアス殿はあのように指令を出してはいるが、アークスがキャンプシップによる歩兵降下作戦では不十分だ。作戦を立てなければ……」
 その時、開発部の部屋のドアが空いた。そこから現れたのはアークスであれば誰でも知っているあの人物であった。
「レ……レギアス!?」
「トンボ鉛筆のMONO。君の活躍を聞いて此処に参った」
 MONOはすぐに背筋をぴんと伸ばし敬意を持って敬礼をした。レギアスはそこまで固くならなくて良いとなだめると、MONOと主任の直ぐ目の前の位置に立った。
「トンボ鉛筆株式会社にはGイレイザーという極秘プロジェクトがあるそうだね?」
「な!?」主任は口を大きく開けながら驚いた顔をした。
「ギガンティックイレイザーはまだ開発途中の消しゴムです! 確かにあの消去性能があれば、あらゆる全ての物質を必要なだけ消去することが可能です。今MONOに内蔵されているイレイザーコアと合体すれば確かに起動可能ですが、合体成功確率は30%にも満ちません!」
「30%? ドゥドゥの武器強化成功率よりマシだ。仮にこのギガンティックイレイザーが使えない場合、我々はフォトンインクに汚染されたナベリウスの生態系復旧も、マザーシップの防衛も叶わないのだ。たとえその30%が全てだとしても、我々にはそれを使う以外の道が残されていないのだ!」
 レギアスは神妙な面持ちでMONOに向き合った。
「全ては君の意思にかかっている。やってくれるな?」
 MONOは考える間もなく即答した。「はい、後の70%は勇気で補いましょう。何故なら私は白いノートに未来を描くための、消しゴム勇者ですから!」
 MONOは走りだした。たった3割の可能性にアークスの未来を描くため、全ての誤ちを正すために!

 消しゴム勇者MONOは広い宇宙の一角で、ただひたすらに目の前の油性ペンを睨んでいた。
『MONO、聞こえるな?』
「音声、データ通信共に障害なし」
『今から君の体をカタパルトから射出し、宇宙空間でギガンティックイレイザーと合体させる。この制御がとにかく複雑で、成功率は30%に満たない。もしも失敗した場合は君の体がバラバラになると同時に、アークスの未来は真っ黒に染まるだろう。覚悟はいいか?』
「何度も言わせるんじゃない。俺はトンボ鉛筆伝統の消しゴムMONOだ。いつでもどんな時も、絶対に消えないと思われてきた誤ちを消し続けてきたんだ。ならば失敗する70%の可能性すら消すことが出来るはずだ。そうだろ、主任?」
『……そうだな。君は最高の消しゴムMONOだったな。よし、プラスティックイレイザーMONO、カタパルトから緊急出勤!!!』
 MONOを固定していた固定具が解除され、カタパルトの射出用レールから火花が上がった。唸るようなコイルの音とともに、MONOの体に想像を絶するGが発生。マッハ10の速度でMONOは宇宙空間へ射出された。
『ギガンティックイレイザー、イレイザーコアとの同期を開始! 超電導ゴム相対位置固定完了!』
「ボディ外装パージ! 本体ゴム露出率100%」
『いっけぇえええええええええええええ! ギガンティックイレイザーMONOジェネシック!』
 MONOは祈ることすらしなかった。祈ることは自分の可能性を諦めること。今この瞬間は運すら当てにならず、全てはMONOの勇気だけが未来を切り開くのだ。

『やった! やったぞMONO! 合体成功だぁああああああああああああ!』

 MONOはやり遂げたのだ。70%の失敗する可能性を、その高潔なゴムと太陽よりも熱い勇気で補い、困難と思われた合体を成功させたのだ!
「よし、このまま目標まで一気に接近する!」
『了解。目標座標設定、目標はZEBRAの人口ダークファルス・マーカー!』
 ギガンティックイレイザーMONOジェネシックは、超広範囲のダーカー因子の消去を可能にする、トンボ鉛筆が開発した巨大人型戦闘用消しゴムである。全長はアークスシップ1旗に相当する巨大なもので、あらゆる消しゴムアタッチメントによる精密かつ広範囲の消去が可能である。
 解析の結果、フォトンインクはダーカー因子と極めて似た構造をしていた。すなわち、フォトンゴムならばフォトンインクを消去することが可能なのだ!
『MONO……』
 オープンチャンネルからの通信が入った。その声には聞き覚えのあるものだった。
「マッキー!? マッキーなのか!?」
『逃げて……貴方を塗りぶしてしまう……。私がマーカーのコントロールをして……いる。うわぁあああああああああああああああああ』
 突然の通信と断末魔。どうやらマッキーがあのDFマーカーをコントロールしているらしい。そしてマッキーをコントロールしているのが諸悪の根源であるドクターペンシルである。ドクターペンシルさえ確保すればマーカーは止められるということだ。
 マーカーに不審な動きが見えた。前後のキャップが開き、中心部のインクタンク部分が分裂した。その後マーカーは複雑な変形を繰り返し、やがて人型とも取れる禍々しい形となった。そしてそのデザインは、あのマッキーのボディと共通する部分が見て取れた。
『ふはははははははは! こんな事もあろうかと人型に変形することも出来るのだ。貴様らトンボ鉛筆はこのマーカーの、偉大なるインクによって滅ぶのだ!!』
「ペンシルゥウウウウウウウ! 貴様ァ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼あ!」
『塗りつぶせ! プラネットフィリング・メギド!!』
 マーカーから小惑星サイズの黒い塊が射出された。弾速は極めて遅く、MONOはそれを完全に見きった。しかしその回避行動がペンシルの狙いだったのだ。
『貴様の進路は全て塗りつぶされたということに何故気が付かない! 宇宙と同化してしまえ、ジムノック・サ・メギド! 全弾発射ァアアアアアア!』
 マーカーの全身から無数のインクの帯が発射された。全ての帯がMONOの進路上に向かったが、MONOはそれを回避することが出来ない。完全に直撃コースだった。そしてMONOジェネシックは全てのインクを浴びて、その表面積の60%をインクで塗りつぶされてしまった。
『ふはははははははは! 所詮消しゴムは油性ペンで塗りつぶされる運命なのだ。そのカバーの裏に役立たずと書いて、そのまま筆箱に仕舞ってやろう!』
「その程度か?」
 驚くべき状況だった。MONOジェネシックの表面が剥離し、内側から真っ白なゴムが露出した。MONOジェネシックは全くの無傷だったのだ。
「貴様が塗りつぶしたと思っていたのは単なる防護カバーだ! 貴様の攻撃はカバーを貫通していない!」
 MONOジェネシックは胸部の分厚いカバーを開放し、内部からフォトン安定化レールを展開した。
「全ライン砲身に直結。フォトンゴムを硬化チャンバーへ挿入!」
 マーカーがすかさずインクによる攻撃を試みる。しかし、剥離した防護カバーが自立運動をし、その攻撃からMONOジェネシック本体を防御していた。
「硬化フォトンゴム帯電開始。帯電率100%」
『何だこの消しゴムは……っ!? 一体何をしようというのだ! 回避だ、回避しろマッキー!』
「サンドイレイザービーム発射! 消え去れぇええええええええええええええええええええええええ!!」
 まばゆい光を放ち、帯電したフォトンゴム粒子が容赦なくマーカーに降り注いだ。硬化フォトンゴムは外部装甲を削り取り内部まで侵入、そしてフォトンゴムの効果でフォトンインクのエネルギーを相殺していく。あの真っ黒だったマーカーは一瞬にして真っ白な、ただのプラスティックケースに成り果てた。
 するとマーカーの頭部が突如分離。MONOはそれが本体からジェット噴射によって離脱したのをメインカメラでとらえた。
『MONO! 今よ! ペンシルは本体に居るから、本体を抹消して!!』
 マッキーの声が通信で聞こえた。どうやらフォトンインクが消去された影響で、ペンシルのコントロールから脱したようだった。これは千載一遇の好機である。
「了解した! 覚悟しろよ、ドクターペンシル!」
『貴様らぁああああああああ! 文房具の癖に人間に楯突くつもりか!?』
「何よりも文房具を見下していたのは貴様だったようだな。食らえ……イレイザーボディーブローゥ!」
 説明しよう。MONOジェネシックは全身がゴムなので、体当りするだけで大概のものは消え去るのだ!
 マーカー本体はボディに接触した部分から分解され、やがてその形を保てなくなり、フォトンゴムに吸着されて宇宙のカスと化した。とても柔らかいカスはそのまま宇宙を漂流すると危険なデブリとなるため、MONOジェネシックにはそれの回収装置も内蔵されている。なのでこれからも安全なのだ。
『やったぞMONO! 次はナベリウスを浄化するだけだったな!』
『いいえ、簡単には行かないわ……』と、マッキーが浮かないトーンで語った。
『惑星塗りつぶし用のフォトンインクは、時間とともに深く侵食する。今までフォトンゴムで消すことが出来たのは成分が揮発して乾く前だったから消えたまでよ。本来は一度乾いたら二度と消えない。もしかしたら、ナベリウスのインクはすでに乾いているかもしれない!』
 絶望が顔をのぞかせた。確かにマザーシップは守られ、オラクル船団の未来は救われたかもしれない。しかしアークスというものはそもそも惑星を調査し保護する機関であり、ナベリウスの自然や原生生物が失われることはその目的を達成できないということである。
「インクが乾くまでどれくらいだ?」
『あのインクの量であれば時間はかかるから、遅く見積もってもあと1時間』
「ならばこのMONOジェネシックの広範囲修正を使えば間に合うな」
 そこに主任の怒号が割ってはいった。
『やめろ! 君のフォトンゴム残量は50%だ! 今から再チャージ無しで広範囲修正を行えば、君の体が失われることになるぞ!?』
「俺が此処で身を捧げなければ、あの星に生きる命が全て失われることになるんだぞ!」
 マッキーも涙声で叫んだ。
『ダメよMONO! 他に方法はないの!? 貴方が救ったこの私をひとりぼっちにするつもりなの!?』
「そもそも君は、俺の生命を賭して救った生命だ。あの時君を救えた時点で、俺の生命は潰えたんだ。だから今この場で失われるはずだった生命を、失われるべきでない全てにかける」
『そんな……』
「俺は消しゴムだ。……使い切られる事こそ、消しゴムとしての名誉だ!」
 MONOジェネシックは全身のゴムを開放し、全てのフォトンゴムをナベリウスに注いだ。みるみるうちに体積が小さくなっていき、無数の光輝くゴムが、ナベリウスを汚染していたフォトンインクを吸着し浄化していった。その輝きはまるで全てを正す修正液のごとく、人が犯した誤ちを、自らの犠牲によって正した。
 消しゴム勇者MONOは、自分のすべてを犠牲にして、美しい星1つを救ったのだった。
『MONO! モノオオオオオオオオオオオオォオオオオオオオオ!』
 インクで濡れた彼女の瞳は、ただ一つの星だけを見つめていた。

 ZEBRAの研究者であるドクターペンシルが主導で起こした『オラクル船団油性危機』は、ドクターペンシルの責任という事で幕を下ろした。しかしZEBRAはその責任を完全に回避することは出来ず、10年間の販売停止処分を司令部から言い渡された。だがZERBAは倒産の危機を回避することが出来た。本来であれば倒産してもおかしくない状況を救ったのは、あのトンボ鉛筆がZEBRAの製品をOEM供給先として選んだからだ。これから暫くの間はトンボ鉛筆の販売ルートに、ZEBRAが乗っかる形で文房具業界の大異変は幕を下ろしたのである。
 そして、MONOが消えてから半年ほどの時が流れた。
「おはようございます。ヨック=キエール主任との約束をしていますマッキーですが、もういらっしゃいますか?」
「はい、開発部のキエールですね。開発室にいらっしゃいますのでこのIDカードを持ってお進みください」
 人間のボディを装着したマッキーは、フォーマルな女性用スーツに身を包んでトンボ鉛筆のオフィスに足を運んでいた。
 彼女に仕込まれていた洗脳用フォトンインクは除去され、彼女は本当の意味で自由意志を持つことが出来た。肌が黒かったのもフォトンインクの影響で、今ではフォトンインク発生器機構をデチューンしたために皮膚が黒くある必要も無くなったのだが、彼女は頑なに美白することを拒んだ。彼女はMONOとの出来事を忘れたくなかったのだ。
 マッキーはエントランスから3階にある開発室のドアを開けた。そこにはコンピューターの前で何やら四苦八苦する主任の姿があった。
「おはようございます、主任」
「ああ、マッキーちゃんか。もう約束の時間になってしまったようだね」
「約束の時間くらい覚えておいてください。ところで何かに打ち込んでいる様子でしたが?」
「そうそう、やっと新しいHBSが完成したんだ。そこで最初の起動実験を行うんだが、君には絶対に立ち会って欲しくてね」
「新しい人型戦闘用文房具?」
 主任はデスクの上にかけられていた布をさらりと引いた。そこに姿を表したものを見て、マッキーの瞳から黒い雫が流れた。
 そう、彼である。その姿はあの消しゴム戦士MONOであった。
「プラスティックイレイザーキドウ。全システム、グリーン。イレイザーコア稼働率5%」
「彼はほんの少しの神経細胞だけを残して、消え去ってしまった。だがそのほんの少しの欠片に刻まれた想いだけは、まだ失われてはいないはずだ。過去も記憶も全て失ってしまったが、私は彼が、彼こそがMONOであると断言するよ」
 マッキーは思わずMONOに抱きついた。黒いインクが再びMONOを汚したが、浸食作用はなくただ黒く染めただけだった。
「おかえり……MONO」
「……君が誰かはわからないけど、俺のことを心配してくれてありがとう。もう大丈夫だよ」
 MONOは彼女の頭を優しく撫でた。記憶が失われた最初の起動ですら、彼は優しい消しゴムとして振る舞った。それはまさに彼の想いが正義であり、慈しみであり、愛なのだ。
「俺はもはや、買ったばかりのノートだ。君のお話で俺のノートを価値あるものにしてほしいな」
「ええ……たくさんお話してあげるわ!」
「いい笑顔だ」
 そして彼はこう言った。

「――そうだ、消しゴムをあげよう」

 fin…